402は五感や代謝など人体を完全にシミュレートしているので夏場は暑く感じますし、それに対応した行動もとります。
カーテン越しに差し込む月明かりに照らされ、畳の上に402のシルエットが映し出される。
虫が入らないように網戸を閉めた上であけられた窓からは夜風が入り込み、銀色の髪が揺れた。
「もう日付が変わるな」
暗い室内にはほとんど物がなく、あるのは低いテーブルと丸いクッション。あとは始めから置いてあった各種家電や街で手に入れた品々が入った紙袋。テーブルの下には中身が入った大量の猫缶も置かれていた。
ここは402が借りている1LDKの部屋で、毎月の家賃は5000円。本当は2万円のところを紆余曲折あって大幅に安くしてもらっているのだ。
窓枠に腰かけ外を見る402。瞳の中には夜空の星々が映り込み、瞬いている。薄い唇は微かに開き、夜の横須賀を見て何か思うところがあるのかもしれない。
大きめのTシャツにショートパンツという格好だが、これは人類製の衣服で昼間402が人間と様々な交渉の末に手に入れたものだ。長い髪は2本のおさげに結わえられ前に垂らしている。その際髪を結ぶリボンも人間から譲り受けたものだった。
キッチンの流しにはまな板や包丁、皿が水につけられており、水道の蛇口からは一定の間隔で水滴が滴っている。冷蔵庫が出す低周波は、402の耳にしっかりと届いているようだった。
「今日は疲れた」
霧である402は本来疲労を感じない。ただ機械のように命令に従うだけの存在だったはずだ。しかし今では様々な思考をするようになり、肉体的・精神的な疲労感さえシミュレート可能となっている。
こういう時人間であれば寝床で横になるものだが、今はまだこの部屋には布団がない。そもそも睡眠は必要ないものだが、いずれは布団も必要になるときが来るのかもしれない。
「402、自己診断プログラム開始」
座った姿勢のまま瞳を閉じる402。
外で鈴虫が鳴いていた。
▽ ▽ ▽
翌朝。
402は両腕を上げると伸びをする。長時間同じ姿勢だったため全身が固まってしまっているのだ。
カーテンを開けると窓に手を伸ばす。既に外では蝉が鳴き始めており、今はまだ涼しいがこれからどんどん気温が上がっていくだろう。
402は寝間着として着ていたTシャツとショートパンツを脱ぐ。下にはパンツしか穿いておらず、ブラジャーはつけていない。400型共通の特徴として胸はあまり大きめの形状をしていないため、つけてもつけなくても大差ないのである。
壁際に置かれている紙袋を取ると中身を取り出して1つずつ畳に並べてみる。入っていたのは主に衣服類で、しばらく悩んだ末にいくつかの服を選びだす。
「……組み合わせは……これでいいか」
手に取ったのは黒のキャミソールとピンクのプリーツワンピース。プリーツワンピースは腰にリボンのベルトが付いているものである。あとは白のウェッジソールサンダルを手に取り、早速着替えを開始する。
「下がスースーするな」
キャミソールを着て上からワンピースを着る402だが、ワンピースは太腿が半分隠れる程度の丈しかないので穿きなれない402にとっては違和感しかない。仕方がないので紙袋から黒のレギンスを取ると、ワンピースを片手でめくりあげながら穿いてみる。
「……まだこっちの方がマシだな」
脚をほとんど露出させているよりはだいぶマシで、402は着替え終わると最後に髪を梳きつつネイビーのシュシュでまとめると左胸に流す。
洗面所の鏡の前でくるりとまわり、最終確認。玄関でサンダルを履き、午前8時には家を後にした。
▽ ▽ ▽
今日の目的は人間が使う携帯端末の入手である。
ネットワークの閲覧なら402単体でも可能なのだが、人間と同じ街に暮らす以上同じような機器を使用するのも悪くないと考えたのだ。
海底に沈む旧横須賀市街地から様々なものをサルベージしているため人間との交渉はかなり自由に行える。今着ている服も物々交換で手に入れたものだし、現金もいくらか増えた。これで部屋の家賃も払えるだろう。
「しかし、端末はどこへ行けば手に入るんだ」
ここ数日街を探索している402だが、一度も売っている店を見たことがない。それどころか街で端末を手にしている人間も両手の指で足りる程にしか目にしておらず、ますます入手手段がわからない。
402はネットワークに接続すると、人類側の通信記録を解析。横須賀周辺のどこで、誰がネットワークに接続しているのかを調べ上げる。調査は数秒で終わり、この周辺でもっとも情報密度が高いのは市街地から離れた一角、軍施設や政治機能が集中しているところらしいということが判明した。
しかし携帯端末のためだけに402がこの国の中枢にまで侵入するのはリスクが大きすぎる。
「既に……目を着けられているようだしな」
402が見上げる先、地上から10mの高度を飛んでいるのは無人プローブ。あのプローブにより402は今までに何度か追跡を受けている。そのたびに適当なジャミングをして撒いているのだが、恐らくは顔の画像くらいは撮られているはずである。
今までは直接人間による監視活動は受けていないがこれからは分からないだろう。もともとこの街、この国に存在していないはずの人間の姿を模している402だ。万一捕まればいろいろと面倒なことになるのは必至。出来ればこのまま遠目に見ているだけにしてほしいところである。
402はさらに階層を下げて検索を開始。容易な入手が可能なルートがないか調べ始める。なるべく統制軍や政府の監視下にない入手ルートだ。
「……海洋技術総合学院。生徒や関係者は通信端末の携帯が認められている」
現在の日本では内部構造にレアメタルが必要であったり、構造が複雑な携帯端末は一般には流通せず、軍・政府組織に優先的に回される。それには子供たちが通う学院も含まれており、端末を手に入れるのならこの学院を利用するのが適当かもしれない。
その他通信に必要なサーフィス・ネットワークの利用には国の認証が必要で、この場合も学院の生徒もしくは生徒の親類と偽った方が都合がいい。各種書類を用意するのはかなり面倒だが、それに見合った成果が得られることを期待し、早速402は情報の操作に取り掛かった。
▽ ▽ ▽
「朝霧アオイさん? じゃあ書類を拝見しますよ」
翌日。402は街の役所まで来ていた。
片手には封筒を持っており、中には住民票や預金口座振替依頼書・自動払込受付通知書などが入っている。何枚かの書類は昨日のうちに記入用紙を貰って事前に書き込んできている。
カウンターを挟んで向かいにいる40代の男に封筒を渡す402。
「はい。えー、今日は携帯端末の所持申請ということですね。では」
封筒を開けてきちんと書類が入っているかの確認をする職員。2分ほどかけて書類に目を通し、そこで顔を上げ402の顔をまじまじと見る。もう一度書類に視線を落とし、またしても402の顔を見る。
「なんだろうか。不備でもあったか?」
「いえ。来年度からご親族が学院に通うということですね」
「そうだ」
402は情報を改竄するにあたって来年度から従姉妹が学院に在籍することになるということにしたのだ。もちろん名前から戸籍情報まですべて嘘である。ただし国のデータベースに侵入して「嘘の姉」の親が生まれた45年前からの情報をすべて改竄しているので調べても嘘と見抜かれることはない。
402も本当は存在しない人間だったが、昨日の時点で「朝霧アオイ」という個人として存在することになっている。
「では証明書を発行しますので、少々お待ちください」
職員はキーボードを操作し何かを打ち込む。PCの横に置かれていた機械から紙が吐き出され、それを千切ると402に渡してきた。
「書かれている住所に行って端末をお買い求めください」
紙は上部に複数の穴が開いており、下には黒い縦線の模様と小さな文字が書かれている。認証用のコードと住所だろう。
「ありがとう」
用紙を受け取り402は役所を後にする。記載されていた住所を検索すると、ここから徒歩で10分の距離の場所らしい。
時間は昼前ということで気温も高い。402は被っていたキャスケットを目深に被りなおすと、白い肌が焼ける感覚を味わいながら真夏の横須賀へと消えていった。
▽ ▽ ▽
「この中からお選びください」
辿り着いた先は整理された一角に建つ立派な建物。今まで402がいた街の建物とはまりで違う。中へ入るとスーツ姿の男がおり、役所でもらった用紙を渡すと奥へと通され1冊のカタログのようなものを渡されたのだ。
「……記載されているスペックからするとどれも使い勝手は悪そうだな。量子通信の方が量も速さも段違いだ」
しかしそうは言ってもこの中から選ぶしかない。せっかく面倒な情報操作までやったのだからここで諦めて帰るにはいかないのだ。
「じゃあこれを」
402が選んだのはLI-02Bだ。
高さ100㎜に厚さ7㎜。4.7インチのディスプレイを搭載しており操作は投影型静電容量方式によって行う。
「ではお持ちしますのでここでお待ちください」
男はそう言ってバックヤードに消えると、3分ほどして戻ってくる。片手には小さな紙袋が握られており、あの中に端末が入っているのだろう。
「お待たせしました」
男は紙袋の中身を一度取り出すと、1つずつ確認していく。
まずは本体が入った化粧箱。これもふたを開けると内容物を確認する。次にかなり大きめの箱のようなもので、どうやらバッテリーらしい。
「端末の充電は放っておいても勝手にされます。ただしネットワークの範囲外に出られる場合は充電ができませんのでこの外部バッテリーから給電してください。それと初回起動時にもご家庭の電源かバッテリーから給電してください」
新品の端末本体に対して、バッテリーはずいぶん古めかしい。少ない数を改修などして使いまわしているのかもしれない。
「わかった。ありがとう」
402は紙袋を受け取ると支払を済ませて店を後にする。
店の入り口に立って見送る男がどこかへ電話をしていたことを、402は知らなかった。
▽ ▽ ▽
アパートへ帰宅すると、早速端末への充電を開始しようとする402。だがコンセントにプラグを刺しても充電は完了せず、それ以前に充電中を示すオレンジ色のライトが点いていない。
不審に思いこの部屋に流れる電流を解析してみると、すべて冷蔵庫や照明の類に割り振られており、どれかのコンセントを抜いたり、照明を切ったりしないと電力が足らないらしい。
この街で消費される電力はすべて国が管理しており、各家庭へ供給される電力は配給制だ。だから金だけ払えば使えるということではなく、発電量が足らない時には電気は来ず、発電されても優先的に回される場所があり街の住民には必要な電気が回されない時があるのだ。
特に夏場は電力の消費が激しいので、配給される電力だけでは足らない場合がある。そのため街には非合法の闇電気が溢れ、客は持ち寄ったバッテリーに充電してもらうのだ。
「明日にでも街で充電してもらうか」
402は黒塗りのバッテリーを持つと、まじまじと見つめる。
「しかし本当に古いものだな。蓄電率もだいぶ減ってるんじゃないか」
表面も端子も細かい傷がついており、フル充電は期待できないだろう。早い段階で新しいバッテリーを見つけておく必要があるかもしれない。
「まあ、今日はもう終わりにしよう」
402は風を通すために窓を開ける。それから着ていた服を脱いで下着になると、今晩の夕食を作るため台所へと向かった。
▽ ▽ ▽
『402から総旗艦。戦術ネットワークに12時間分の獲得経験をアップロードしました』
『了解。確認したわ。先日の戦闘についてはまだわからないわ』
『そうですか』
『それよりも、だいぶ馴染んできたみたいね』
『そうですね。いつか役に立つ日がくるのでしょうか』
作中で登場するサーフィスネットワークは現実ではまだ研究途上で実用化のされていない技術です。
この作品の中では都市圏にはこのネットークが展開されており、従来のような大規模な基地局を必要とせず、街中の道路や壁などに埋め込まれたシンにより通信を行います。端末に必要な電力の供給もシンの傍に置いておくだけで勝手に充電されます。
そのため有効範囲内にいれば充電切れになることはありません。
● ●
役所の職員が402の顔を何度も見直していたのは2年前にイオナが群像と接触するためにここに来ていたからです。
イ400型は全員似た容姿をしているので職員は一瞬同一人物だと思ったのでしょう。
● ●
アオイは漢字で書くと「碧」です。
姉のイオナのイメージカラーが青、402のイメージカラーは緑ということでどちらの意味も含んでいる「碧」にしました。
誤字脱字の指摘・感想等なんでもどうぞ。