ブロマンスっぽい。
主の元に向かう彼の背に、まだ男の感触が残っていた。
剛毛に覆われた彼の背中、蝙蝠状の翼の付根に、男はしがみついてきた。人外の存在である彼にしてみれば、いかな甲冑を身につけようと、人の身である男の重みなど小鳥となんら変わらない。
にもかかわらず、いまなお彼の背には、確かにそこに男がいた気配が残っていた。あの男が発した殺気に、彼は頸が焼けるような熱気を感じた。あの男が大剣の刃を彼の頸にあてたとき、彼は全身の剛毛が逆立つほど興奮したのだ。
かつて彼が人の身のままこの世に在った時代、戦場において多くの殺気にその身をさらした。命をかける重みを知っていた。
しかし、彼が自ら人外の存在、使徒の身に成り果てた今、彼にそれほどの殺気を放って対峙する存在は、あの男より他になかった。主とも王とも違う。あの男は、人の身のまま、彼の前に立つ。
あの男は贄の印をその身に刻まれながら、ふたたび彼の前にあらわれた。そのとき、彼は奇妙な高揚感を覚えた。
この世の
彼が人の身を捨て、使徒となって久しい。使徒となっても、彼は戦場に身を置き死合いを求めた。しかし皮肉なことに、戦場における戦士ですら、彼に対して殺意よりも圧倒的な恐怖を抱いた。彼が人の姿に身をやつして、思うままに剣を振るえば、戦士さえも殺意を喪失して逃亡する有様だった。
使徒と成り果てた異形の彼の姿を見て、人はただ恐怖する。彼も、恐怖される自らの姿に慣れた。
であればこそ、男は新鮮な存在だった。
人の血肉を持ちながら、恐怖に飲み込まれそうになりながらも、彼と死合おうとする。彼の背にいたとき、男は手にした大剣で彼の首を落とさんとしていた。
はじめて彼の異形の姿を見たときとは、態度に雲泥の差があった。彼の頸に大剣の刃をあてたとき、男は、彼を殺せるという確証を抱いただろう。すでに男は、圧倒的な恐怖の前にその身を震わせはしない。
彼が永らく忘れていた剥き出しの殺意、あからさまな殺気を、あの男は彼に向けてくる。それがどれほど彼を喜ばせるか、あの男には理解できないだろう。
彼は使徒となってから、過去に思いを馳せることはなかった。過去に抱いた、人としての感情や思いは、使徒としてなんら意味をなさない。
それでも彼は、もし自分が人として在った時代に、あの男がいたならば、と考えた。おそらく彼は、あの男と互いに人の身をもってして心ゆくまで闘ったであろう。
彼か、あの男か、いずれが命を落とすにせよ、その死合いは、互いにとって満足すべき結果だっただろう。究極的な絶望とは対極の思いを、彼に抱かせたに違いなかった。
しかし、彼が人の身で在った時代に、あの男はいなかった。いま、彼は人の身ではなかった。使徒であった。異形の怪物であった。
この先、彼と男との闘いは、使徒と人との死合いでしかない。その帰結は、自明の理である。
しかるに万が一にも、あの男が人の身のまま、使徒として在る彼を倒すとすれば、そのときこそ彼は自分の果たせなかった希望を知るだろう。
なぜ、あの男にこうも彼が惹かれるのか。胸の奥深くに感じる焦燥の理由を、彼は知る。
そしてそのときこそが、彼の求める死合いの果て、永劫の闇の輪であるだろう。
✳︎✳︎✳︎
彼は男の気配を背に残しながら、主を目指した。
彼の脳裏に、まだあどけない巫女の告げた予言が蘇っていた。予言の通り、彼は選択をした。つまりは、あの男もまた彼同様に選んだのだ。
予言は的中した。
あのとき彼は、予言について巫女に尋ねた。巫女の答えは、いまなお彼の耳に残っている。
彼は巫女の言葉を否定するかのように、咆哮した。喉奥から低く響く、獣の哮り声は、あたかも雷鳴のごとく一帯に轟き渡った。
おしまい20200729