「はい!」
普段物事に動じないザポさんの狼狽ぶりにおし様も、
怒りの持って行き場を失ったようで、
忌々しく舌打ちをするとそのまま押し黙ってしまいました。
ザポさんの指示通り
しばらくして血まみれになった月笛の地臥せりのイェルメさんを、
黒笛の地臥せりのシムレドさんが肩を貸して、
お互い体を引きずるようにしてお二人は、
監視基地のロビーにへたり込んでいました。
「ゼェゼェ……ようやく戻って来れたぞ。安心しろイェルメ」
おそらく原生生物に襲われたのでしょうイェルメさんの体には、
ところどころ恐らくはシムレドさんによって、
応急処置として包帯が巻かれていましたが、
それでは処置が不十分なためか、
包帯はにじみ出た血や膿で斑模様に汚れていました。
イェルメさんは意識があるのか不明で、
そんなイェルメさんに肩を貸して戻って来たシムレドさんも、
負傷こそしていないものの疲労の色が濃く、
二人ともやっとの思いで監視基地まで戻って来た様子でした。
「3層での探屈の途中、
原生生物にやられてな……
逃げ帰るのに精いっぱいだった」
「うう……」
イェルメさんは胃の辺りを押しつぶされたように細いうめき声を立て、
床に倒れ込むようにして体を折り曲げました。
ボクがイェルメさんに駆け寄ると、
その口元には血に塗れた吐しゃ物がこびりついています。
2層の呪い重い吐き気。
「マルルクちゃん……本当に吊るされんのが
好きだねこんな時でも……ゲホッ、ゲホ」
ボクを見るなり訳の分からないことを、
イェルメさんが漏らしています。
それも最後の方は血の混じった咳に遮られ、
やがて熱の煽りにきしむかのようにイェルメさんの体は、
痙攣的し哀れなほどに揺さぶられているのでした。
3層の呪い幻覚。
それも層をまたいだせいか、
かなり重い呪いの症状のようです。
「シムレド、状況をもう少し詳しく説明せんか」
重篤のイェルメさんを一瞥して、
ザポさんがまだ意識のハッキリしているシムレドさんに呼び掛けます。
「大断層をロープで昇ってる途中、
運悪くマドカジャクに襲われちまってな。
先に登り切った俺は、
上昇負荷を覚悟でロープごと、
イェルメを一気に引っ張り上げたんだ」
シムレドさんが苦悶の表情のままのイェルメさんを一瞥して、
苦渋を滲ませながら状況を説明してみせます。
「どれ、診せてみよ」
おし様を除けば最も探屈家としての経験豊富なザポさんは、
探屈における医学の知識も豊富です。
イェルメさんを寝室に運び込み、
ベッドへ横たえるとすぐに診察を始めます。
「マルルクは傷口の消毒と包帯の交換をたのむ」
「はい。わかりました」
ザポさんは手慣れた手つきで、
止血と傷の縫合を行います。
探屈家として経験の深いザポさんは、
医療の知識も深く、
簡単な外科手術であればこなせてしまいます。
ボクはザポさんの助手として、
傷口の縫合に必要な器具を取り出して、
後は傷口の洗浄と包帯の交換を行いました。
「フゥ……どうにか、血は止まりました」
「それにても随分胃が荒れているのう。
おそらく嘔吐の際に胃が裂けている可能性がある」
イェルメさんの口の周りの血を拭い取り、
腔内を診てザポさんは深刻そうに呟いてみせました。
目に見える外傷はザポさんの治療で一時的に塞がりましたが、
イェルメさんは何度か苦しそうにえずいて、
何度か赤黒い血の残りカスを吐き出していました。
「すまねぇ、ザポ爺……マルルクちゃん」
ようやくひねり出した掠れ声ながらも、
イェルメさんはボクたちに我を取り戻したことを伝えました。
「み……水。吐きまくって……喉がイガイガする」
とにかく、一命は取り留めたようです。
水を求めるイェルメさんに、
ボクは台所で水を汲んで小さいコップに注ぐと、
ゆっくりイェルメさんの上体を起こして、
慎重に口元に水を流し込みました。
三口水を飲むとイェルメさんは安心したのか、
そのまますやすやと寝息を立ててしまいました。
一仕事終えボクとザポさんも水を飲んで、
一息つきました。
「どうやら、峠は越したようだな」
「はい、シムレドさんもお疲れ様でした。これどうぞ」
部屋の外で成り行きを見守っていたシムレドさんに、
水筒を渡すとシムレドさんは一気に飲み干します。
「ああ、生き返った~」
地臥せりの中でもおし様に次いで実力者のシムレドさんが、
心底安心したように水筒の中身を空にしてしまいます。
「じゃ、俺も寝るんで……」
自分の部屋に戻るのもおっくうだとばかりに、
シムレドさんはそのままぐったりと壁にもたれかかる形で、
床にうずくまり寝てしまいました。
「シムレドさんお疲れさまでした」
「まったく、今日は次から次に厄介事が起きるねぇ」
それまでボクたちに任せていたおし様が、
一先ず峠を越してスヤスヤ眠っているイェルメさんを横目で確認すると、
今度はザポさんに視線を移します。
「どんな塩梅だい?」
「ワシができることは尽くしたが、
この様子だとイェルメが回復するまで、
一度地上の病院に搬送した方がよいじゃろうなぁ」
「仕方ないねぇ……マルルク明日になったら、
衰弱したイェルメでも食べられる料理を作ってやりな。
食事が済んだら手の空いた探屈家の誰かにでも、
イェルメを地上に送り届けてもらうとするさ」
「分かりましたおし様」
「じゃ、頼んだよ。
私は部屋で飲み直してから寝るとするよ」
そいうとおし様は気だるげにあくびをして、
部屋へと戻って行かれました。
「久々の外科治療なんぞしたもんで今日は疲れたのう。
ワシも今日は部屋に戻って寝るとするわい」
「ザポさんもお疲れ様でした。
そうですね明日に備えてボクも早く寝ないと……」
今日は色々あって疲れました。
明日に備えてボクも早めに寝ることにします。
でも、部屋に戻る途中で何か重要な存在を忘れているような。
そんなモヤモヤしたものが過りますが、
何かを思い出そうとしても意識は睡魔に遮られてしまいます。
部屋に戻ったころにはボクは、
ベッドに倒れ込みそのまま深い眠りに落ちてゆくのでした。
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