「チリさんチリさん」「何や言うてみぃ」 作:フローライト
アカデミー学生寮 ハルトの部屋。
「チリさんチリさん」
耳に幾つものピアス、結んだ緑の長髪、ホルスターサスペンダー、赤混じりの瞳、凛々しい顔立ち。
特長に事欠かない女性ことチリは、困り顔を浮かべて額に手をやっていた。
彼女の目の前には、あどけない少年がいる。
髪も染めず、刺青もしていない。普通を絵に描いたような彼は、可愛げのある顔を真剣にして、チリを見ている。
チリは困ったように一度〝ハルト〟と名前を呼ぶが、それでも彼の目は変わらない。
「空けてください」
「勘弁してくれへん…?」
少年の手には、ピアッサーが握られていた。
薬局ならばどこでも手に入るものだ。人の体に穴を開けるそれは、とっくに開封済みである。
ピアッサーの持ち手を突き出されたチリは、手で顔を覆いながら疑問をぶつける。
「そもそも何で急にピアスなん? お洒落するにしても段階刻むもんやろ、ピアスやでピアス」
「チリさんのピアスがかっこいいと思ったからです」
「普段なら嬉しいねんけどな〜〜…」
ひとつ、重たいため息。
別にピアスを悪く言っているわけではない。ただ、体に治らない穴を開ける───傷をつけることが前提のアクセサリーだ。軽々しく耳にズドンとやってしまうのはいかがなものか、というのがチリの考えである。
ただまぁ、開けたなら開けたで楽しんでほしくもあるのだが。
「…親御さんはこのこと知っとる?」
「〝開けるなら経験があって、信頼出来る人に開けてもらいなさい〟って言われました」
「それで選んでもろたのは素直に喜んでええんかこれ…」
チリは苦く笑って、ピアッサーを受け取る。
そして手の中で一度回した。
「…一回、空撃ちすんで」
「へ?」
ばちん! と乾いた音が鳴る。それとほぼ同時に、ころりと落ちる銀の塊。本来なら耳を貫いて固定されるもの。
今回は通すものがなかったため、その役目を果たすことはなかったが、しかし目の当たりにする少年を驚かすには十分だったらしい。
「うわぁっ!?」
「えらい音鳴るな最近のは…でもこれで分かるやろ? 割と痛いし危ないねん。自分、それでも開けるか?」
「〜〜〜〜…ッ…あけ、ま、す…!」
「…ほんまに大丈夫なんかそれは」
怯えてはいるが、引きはしない。この辺り、エリアゼロに突っ込めたメンタルの原型なのかもしれない。
怯えながらも、はっきりと「開ける」という少年の顔は、少し面白いくらいに表情が滅茶苦茶だ。
つい笑ってしまう口元を抑えつつ、チリはハルトの額を軽く押す。咄嗟のことでバランスを崩した矮躯は、呆気なく寝台に座らせられた。
からから、と机前の椅子を引く音。チリはベッド前まで動かしたそれに座り、左手で少年の顔を軽く抑える。
少年が震えているのはその時に分かった。彼女はそれに気づき、椅子から身を起こして寝台の方へ身を乗り出す。
頬に置いていた手は肩へ。カウントダウンを口ずさむ。
「行くで? さぁん、にぃ───」
不意打ちのために。
ばちん!と乾いた音が鳴る。消えない穴が開く。
びくり、と少年の体が揺れた。
「い゛ッ…………っ」
涙と冷汗が滲む。両手がシーツをぎゅうと掴む。息が荒くなる。ほう、と大きな息をひとつ吐いて倒れ込む体を、チリは分かっていたかのように抱きとめた。
そのまま背を手のひらで、何度か落ち着かせるように、優しくぽんぽんと一定のリズムで叩き始める。
そして荒く短く呼吸する少年の耳に、穏やかな声色で彼女は囁く。
「痛いなぁ、ようわかる。でも泣き出さんかったのは意外やった。かっこええで」
「あ、はは…ッ…ありがとう、ござ、ます…っ」
チリに抱かれたままで、苦しそうな息をしていた少年だったが、やがて落ち着いたのか顔を上げる。
彼女の微笑みを見て、少年も笑う。痛みを残したまま笑顔を浮かべて、若干の震えと共にこう言った。
「チリさんからかっこいいって言われるの、とっても嬉しいです」
「……このまま撫で回してええ?」
どうしようもなく、いじらしい。少年の髪を既に撫で回しながら、緑髪の女性は笑みを深くした。
「おおー…ばっちりピアス…」
寝台に座るハルトの両耳で、銀色が揺れる。
小さなファーストピアス。別段、お洒落さもない無機質なものだが、それでも雰囲気は大いに変わるものだ。
未だ微かに痛むのか、それとも耳への違和感か、時折顔を顰めながらもテンションは上がっている。
「ほんとに穴空いてるんですね!」
「そういうもんやしなぁ。
にしても二回目は平気そうで安心したで」
「一回目は痛いというか、怖いとかの方がおっきかったので…腰が抜けたの、意外と初めてでした」
「ほんま、よう頑張ったな」
褒められて笑うハルトの髪を、ぐりぐりと撫で回すチリは、はたと気付いたような顔をする。
空いた手がポケットの中を探る。
そんなに時間がかからない内に、小さなポーチのようなものが出てきた。さらにそのポーチの中には、プラスチックのケースが一つ。
留め具に親指を立てて弾く。それだけで簡単に開いたケースの中には、一対のピアスが収まっている。
撫でる手を止め、ケースの中身を取り出した。
そしてハルトの手を取り、手のひらにそれを握らせる。
「はい、ご褒美と記念を兼ねてチリちゃんからのプレゼント〜。穴が安定してからつけなあかんで?」
三角形のピアス。
チリがつけているものと同じものだ。
それに気づいた少年は、顔を明るくする。
「いいんですか?」
「そんな嬉しそうな顔せんといてや。後でまたちゃんとしたもん贈るさかい、今はそれで堪忍な」
「でも嬉しいです、お揃いですし」
少年は受け取ったピアスを眺めながら笑う。
それが少し意外なのか、チリは少々面くらいながらスマホロトムを起動する。
開いたページはアクセサリー関係のサイト、その中のピアス一覧が載ったものだ。
彼女はハルトの隣に座り、ページを見せた。
「でも他のやつも付けるやろ?
今度買いに行かん? 色々教えたるわ」
「良いの? …あっ」
気の緩みか、ハルトの敬語が崩れた。彼自身もそれに後から気づき、慌てて両手で口を抑える。
チリはこれを見て、好機だと思った。
前から気づいていたが、油断したら敬語を忘れるほどには会話に気軽さができた。それが少し嬉しいし、どうせなら取っ払って欲しい。
…なるほど、どうやら思いの外、自身は少年との距離感を気にしていたようだ。
確かに礼儀は大事だが、いつまでも畏まられても肩が凝る。とは言っても、思ったことをそのまま馬鹿正直に言っても、遠慮されそうなことである。
この少年は、どうにも人が良すぎるのだから。
そう思った彼女は、カラカラと笑いながらこう言った。
「そんな気にせんでもええよ。むしろそっちの方が気楽でええ。よーし、今決めたわ、自分はこれからチリちゃんと話すんなら敬語禁止や」
「うぇえ!? そんな、急に言われましても!」
「はい早速マイナス1点やな」
「何の!?」
自分が一方的に決めたルール。狼狽える少年の姿が、どうにも面白おかしくてたまらない。つい揶揄いたくなってしまうし、事実揶揄っている。
ほどほどにしなくては、と思うが───どうにも〝彼〟の色んな顔が見てみたいと思うチリがいた。
アギャッス(気さくな挨拶)