「君は本当に安定している。正直、本当に助かってるよ。」
そんな事は毎日言われている。この精神病棟で毎日毎日だ。本当に気が狂いそうだ。ある晩には古めかしい民謡を大声で歌い狂う奴もいれば金切り声をしょっちゅうあげる奴もいる。狂ってしまった方が楽なのか?この鉄格子越しに眺める空が私の唯一の癒しだ。
「今日は君に会いたいと言っている人を連れてきているんだ。全く、どこから聞きつけてきたのかは知らないが君の『河童の世界』の話を聞きたいとね。普段はこんな事はしないんだが如何にもこうにも五月蝿くて叶わなかったもんだから。」
彼はその後もぶつぶつと愚痴をこぼしていたが聞き取れなかった。さて、私に会いたいと言う者を当てて見ようか。私にしょっちゅう会いにくる小説家の友人がいる。そいつが私の話をもとに小説を書き上げたそうだ。大方、それを読んだ彼の知人の小説家だかに私のことを教えたのだろう。
「入りなさい。」
古めかしい引き戸がガラガラと音を立てた。さて、答え合わせだ。
「あ、あの、よろしくお願いします!」
私は拍子抜けした。まだ二十歳を過ぎないばかりの若い女が来たのだ。私がもう少し若ければ結婚の約束でも吹っかけたくなるほど綺麗な女だ。一応聞いてみよう。
「君は小説家志望か何か、かい?」
「いえ、そう言うのではなくて…。」
違った。さらに拍子抜けした。では何のために私の話を聞きたいのだろうか。とうとう検討がつかなくなってしまった。
「では、これで失礼するよ。」
彼は足早に部屋を去ると部屋には妙な気まずさと重圧が残った。彼女は少しおどおどした様子で、どうやったら鬼のような面をしたあの男に食い下がれるのか不思議で仕方なかった。そう思考を巡らせていると彼女は口を開いた。
「私、北島咲と言います。貴方の話を父から聞きました。父は警察をしていまして、貴方を保護した時、河童の世界の話の事を散々聞かされたと言っておりました。」
保護か。私にとってはただの邪魔に過ぎなかったのだが。その父とやら、よく覚えている。あの世界へもう一度行こうとしていた矢先、感情的になり泣きながら止めてきた奴だ。まぁ側から見れば、自ら樹海の中に入る男に見えるだろう。行動からして良い人なのだろうがそのせいで私はこのザマだ。特に恨みなどは無いが気分は晴れたもんじゃ無い。
「聞きたければ幾らでも聞かしてやるが、何故今何だ?君の話はもう3年前の話だ。」
「『河童』と言う小説を読んだ父がこの本の主人公がまるで貴方だと言うのです。ほら。」
彼女が差し出して来た本を見たら、作者があいつの名前だったのだ。全て理解出来た。
「ああ、その本の主人公は私だ。その作家は毎日のように私のところに通い詰め、その本を書き上げた。あいつに接触して私を教えてもらったと?」
「そうです。」
「成程、しかし何のために?小説家志望で無いのなら君は何なんだ?」
「友人を探しているのです。」
「はあ?」
自分で言うのもなんだが呆けた表情になってしまった。まるで意味がわからない。気違いなのか?
「もしやその友人とやらがあの世界に行ってしまったとでも?余りにも説得力が欠けるが言わせてもらおう。正気かね?」
「これを見てください。」
彼女は新聞の切り抜きを貼ってあるノートを私に寄越した。ページを捲るとどうも失踪事件関連の記事を集めているらしい。
「最初のページを読んでみて下さい。」
『2132年 3月10日 行方不明の少女1人発見もう1人は未だわからず』
『失踪当日監視カメラに異常なし。専門家原田氏もフェイクの可能性を否定。本当に瞬間移動なのか。』
『保護された咲ちゃん(5才)精神に異常か。「違う世界にいた」と証言。』
『行方不明の2人への虐待が浮き彫りに。過去に近隣住民からの通報が相次いでいた事が判明。』
思い出した!この事件は確か10年前に今世紀最大の不可解な事件として世間を賑わせていたやつだ。悲惨な虐待を受けて家出した2人が山中の監視カメラに写っている最中にそのまま消えたかと思えば1人だけ一週間後にまた同じ場所に急に現れて、警察の搜索は難航、大々的に報じられ討論番組では有識者が生中継の特番だったにも関わらず意見の食い違いで大げんかしてしまうほど。終いにはその少女が精神に異常をきたし妄言ばかり吐くようになっており真相は闇の中という何から何までおかし過ぎる事件であった。
次のページにはその行方不明の少女の顔写真が切り取られてあった。名前が1人目は『斎藤理恵』2人目は『北島咲』
「北島咲って…!まさか、君はこ、この新聞に載っているこの顔写真の人物なのか!あの事件の当事者なのか!」
断言できる。私はこの先の人生これほど驚く事はないだろう。思わず私は彼女の肩に掴みかかってしまった。
「じゃあ、君はあの世界に行ったのか!河童の里に!見たのか!あの河童達の姿を!」
「う、うわっ!私は河童の里には行っていません!ですが、向こうの世界の人里と呼ばれている場所の水路で河童という存在何人かとは接触しましたし、河童の里があるとその人たちから聞きました!」
「あいつも遠くに人里があると言っていたな…じゃ、じゃあ!青い髪の河童を見たか?!青い髪でツインテールの河童だ!」
「ま、毎日来てましたぁ!ていうか離して!」
「おわっと、すまない…。」
しかし、青い髪の河童。河城にとりの存在が確認できた。とすると彼女は本当にあの世界に行ったのか。
「とすると、君はその友人とあの世界で別れて来た。そういう事だな?」
「実に不本意な事でしたが…。でも、これで信じてくれたでしょう?」
「ああ勿論だ!知っている事なら何でも答える!このザマだが何だって協力する!」
『人生うまくいって無くてぽけ〜ってして生きている時ほど「びっぐちゃんす」とやらは舞い込んで来るんだ。ただ、「自分」って奴は非情でさぁ。
「うまくいってねえ境遇のなんて可哀想な自分」なぁんて奴に酔いしれて、変化を拒絶するんだ。私は商売をしてるからそれがよおくわかる。幸福になりたきゃ自分に逆張りしてみるってのも一つの手だ。寧ろそれが自分の真の直感だぞ、盟友。とも呼べなくなって来ているが。』
脳裏に彼女の言葉が蘇る。酒を流し込めば私に何度も言ってきたものだ。ただ、これは私にとって「びっぐちゃんす」とやらかも知れない。直感がそうざわついて仕方が無いのだ。