断片集   作:松谷若草色

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CHINA2079

 部屋の窓から外をのぞく。

 円形の真っ暗闇をひっきりなしに飛び交う車の底を海羽(みう)は見るともなしに見ていた。ときどき見かける虫のお腹のようだなと思う。

 車のテールランプの黄緑色が、車の飛行軌道を描いて、妙に美しかった。

 

 2079年。中華人民共和国小日本省、東京。3:30AM。

 

 まるで街の様子を川の底から見上げているような気分だ。

 海羽は思う。

 景色と窓に映る自分の顔とを交互に眺めていた。

 50年以上前、東京は日本の首都だったらしい。詳しいことは分からないが、そんなこと今はどうでも良くて、とにかく日本人というだけで腹の立つことを言われたり軽蔑される。

 うんざりしていた。

 

 

 海羽としては偶然だといいたい。偶然、日本人に生まれただけのことだ。

 

 

 生れてからもう十八年も生きて、今のところ楽しかったことなんかないなと思う。

 今後いったいどうなっていくんだろう。いつも無気力に支配されていた。

 それは仕事が休みの日すら晴れることなく……

 「じゃ、いつ安息の日がくるというんだろう」

 その答えを無意識に求め続けて数年が経った。

 朝起きるときにそう思い、客のズボンとパンツをおろすときにそう思い、夜眠るために布団に入る時すらそれを思う。

 絶え間なく麻痺しそうになりながら「安息の日がいつ来るのだろうか」祈るように胸の中を探ってみるのである。

 その問いかけにはいつも似たような答えが返ってくる。自分の小さな声が聞こえるのだ。

 

 「あきらめること」それが答えである、と。

 

 十年前、アメリカの没落に息を合わせるように中国がこの地を併呑した。その時、わたしの運命は決まっていたのだろう。日本人をルーツに持つ者がたどる冴えない人生。

 八つのとき、家に大人が二人やってきて――今なら当局の連中だと分かる――わたしを母親の元から引きはがした。母がさほど抵抗しなかったのは、それが打ち合わせ済みの出来事だったからか、もしくは(仮に母がわたしを愛していたとして)当局に逆らっても誰も幸せにならない、とよく分かっていたからか。

 母が抵抗しないと気がついた時、同時に母の内側に宿っている何らかの意思がわたしにダウンロードされた。

 

 抵抗する気分が急速に萎えていったのをよく覚えている。生まれて初めての絶望。

 

 そのまま当局の男に脇を抱えられて、あかいけばけばしい建物に連れて行かれた。

 いまいましい第九十八地区特別人民教育更生施設で、わたしは小さなロッカーをあてがわれた。

 その段になってようやく自分の立場を自覚した。

 どうやら親の愛情を知らない六つから十二までのクソガキの仲間入りをしてしまったようだ、と。

 三百人以上の子どもたちが詰め込まれている赤くて大きくてぼろい建屋。

 

 しょうもない日常の繰り返し。日々、それとなくダメになっていく。

 

 毎朝六時に、スピーカーから大音量のバカに朗らかな音楽が流れる。

 イラつきながら起床、そのまま更衣室に移動。

 みんな着替えて、走って畑に行く。異常な景色ももルーティンになれば適度な風景だ。玉ねぎを収穫したり雑草を抜いたりするような生活。

 

 同年代の連中と馬鹿な冗談を言ったりしている分には気が紛れたが、基本的には心の中の決定的な部分が死んでいると、わたしは当時から本能的に分かっていた。

 勘のいい子どもなら、二週間も経たずに肌感覚で理解するルールが二つある。

 一つ目。係の大人がまとめて面倒を見れる子どもの数には限界がある。

 どんなに教育熱心な大人であっても、クソガキの群れを相手にする場合、多少は力で型にはめる必要が生じるということ。

 二つ目。勘のいいガキだけがそのルールに気がつき、他者と息を合わせられない一部のにぶいバカをいたぶるようにできている、ということ。

 

 わたしは少なくとも息を合わせられないわけじゃなかった。いじめられたりすることはなかったが、ヒエラルキーの上に行けるほど度胸も勘も良くなかったので、まあ無難に過ごした。

 こづかれたり罵声を浴びせかけられる頭の温かいバカをみて、こう言っちゃなんだが、不協和音を発する存在だと思った。

 

 正直いって、気持ちよくはなかった。

 

 いじめる方に問題があったとしても、頭がよい方がいじめるのだ。

 この力学の、いったいどこに救済の余地がある?

 もっと悪いことに、バカはときどき係にどこかへ連れて行かれた。まれに戻ってくるバカはいい方で、顔の形と色が多少派手になっていた。

 

 無理だろうとは分かっているものの、もっとうまく処世して欲しかった。殴られるのを見て気持ちが良いわけがない。

 

 一応は教育施設の体裁を保つかのように、学習の時間もあった。

 わたしは努力してもたかが知れている、とかなり早い段階で悟った。結局五割くらいの力でしか取り組まなかった。

 要は見込みのあるガキとそうじゃないガキをふるい分ける施設だったんだと思う。

 わたしは場合、幸か不幸か、その篩の目に引っかからず下に落っこちた――つまりは見込みのない子どもだったのだ。

 頭は中の下、容姿だけはまあ悪くないと思う。

 とはいえ十四の時には大人から完全に愛想をつかされたのか、気がついたら低層スラム階の集団部屋で、自分と似たような境遇の似たような女の六、七人と一緒に棲んでいた。

 これまた気がついたら男のまたぐらの面倒をみて金をもらう生活をしていた。

 

 自分をついていない不運な女だと思っていたが、こんな境遇はありふれていて、似たような境遇でも立ち向かうガッツがあるやつもいる。

 

 

 寄る辺ない自分の運命に、うずくような怒りをいつも感じているし、立ち向かったところでどうにもならなさそうだと分かってしまう自分の打算にも怒りを感じている。

 

 

 

 

 夕方に目を覚ましてからというもの、寝床の中で黙々と端末をいじっていた。

 部屋の明かりに照らされて窓にうつる自分の無気力な顔。

 

 休日がはじまるといつも憂鬱だ。どうせ何もできない。布団から出たくないし、ものを食べるのもおっくうだし、なにより何かする気力がない。

 遊ぶ金もない。

 海羽は身体の交わりを売っている。中国人であっても日本人であっても、男はほとんど変わらない。

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