ほのお組の忠犬   作:後衛

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プロローグ

 

 ぴちゃ、ぴちゃ、と前髪から水が垂れる。

 もちろん、僕は好き好んでずぶ濡れで廊下を歩いているわけじゃない。

 

 頭上からバケツの水をひとかぶり。

 

 名門のはずであるオレンジアカデミーにも、いじめはある。

 

 僕は普通に生きているつもりだったが、どこかで彼らを苛立たせてしまう仕草があるらしい。図書館で見た本に「攻撃誘発性(vulnerability)」という言葉があった。たしかに、いじめられる人間には、何かしら人を不愉快にする部分があるのかもしれない。だからといって、虐めてくる彼らを肯定するつもりはないけれど。

 いじめの起きる前から、多かれ少なかれクラスの多数とはすれ違いが多かった。そういう異物感は、いじめを抜きにしても僕の心を絞めつけていた。

 

 だから、僕はここではないどこかへ行きたい。

 

 

 とぼとぼと廊下を歩いていると、後ろから少ししゃがれた声がした。

 

「またやられたのか」

 

 慌ててバッと振りむくと、ずぶ濡れのメロコさん――ひとつ上の先輩――がいた。

 濃く描いたアイラインが滲んで、頬にかけて黒い線がひとすじ。艶のある赤い髪からは、雫が滴っていた。

 なんと、彼女もバケツの水をかけられたらしかった。ふたりとも悲惨な状況だし、気遣う言葉を言うべきだったのかもしれない。

 それでも、僕と同じ境遇であることがなんだかおかしくって。

 

「メロコさんも、びしょびしょじゃないですか」

 

 そうやって半笑いの声が出た。

 

「……ふふ」

 

「ははッ」

 

「「あははっ」」

 

 ふたりで笑った。

 現実が辛いから笑ったわけじゃない。そういうのは大した問題じゃなかった。ただ、ふたり、ずぶ濡れで出会ったこの奇遇さが面白かった。

 

 僕は半年近く。彼女はもう3ヶ月くらい、露骨な嫌がらせを受けている。

 

 メロコさんは僕よりずっとまともで、綺麗で、まじめな人だった。

 そんな彼女は、主に女生徒からの嫉妬で嫌がらせを受けている。正しいのはメロコさんで、間違っているのはこの学校の方だ。それでも強くて気高い彼女は、いじめに屈することなく自分を貫いている。

 一人称がどうだとか、付き合いが悪いだとか……彼女がどう振る舞ったって自由なのに。

 

 ぼうっと見つめていると、彼女は気恥ずかしそうに口を開いた。

 

「……いじめをなくす方法があるとしたら、興味あるか?」

 

 あるに決まっている。

 だけど、そんなことができるとは到底思えなくて、僕は返答に詰まった。

 外部からの介入によってでは、僕らの魂は救えない。はみ出し者の烙印を押された僕らは、この学校という輪に戻ることはできないだろう。

 僕らは、僕ら自身によって救われなければならない。

 

「……」

 

 両親や先生に助けを求めることは、間違っていない。だけど、僕ら自身の社会性の欠如や、居場所の無さは、それによっては解決されない。

 ひとりで生きていくための強さを得るなら、この状況が不愉快でも切り抜けなければならない。

 友人が欲しいなら、この学校ではないどこか他の場所へ逃げるしかない。

 

「どうなんだよ」

 

 そこまで考えたところで、メロコさんが返答を迫った。

 少しの期待や不安の混じりがある視線だが、一本鋭く僕まで貫いていて、美しかった。

 結局見惚れて言葉に詰まった。慌てて口を開くと、やっぱり言葉は躓いた。

 

「あ、あります」

 

「! ……そうか! ちょっとついてこい」

 

 メロコさんは、言葉足らずなところがある。方法についての説明もないまま、力強く僕の手を握ってぐいぐいと進んでいく。誰かに見られたらと思うと少し恥ずかしかったけど、今更誰に見られたってどうでもよかった。

 

 ふたりで駆けていく廊下は、いつもより何十メートルも短く感じた。

 彼女の手は少し小さくて、指も細かった。でも力強くて、温かかった。心臓が早打ちして秒針が次々と進んだ。寿命さえ縮まっているような気がした。

 

「で、その方法はどういうものなんですか?」

 

「チームを作る」

 

「僕らで!?」

 

「いや、他にも孤立してるやつがいたんだ」

 

 正直に言うと、僕は白けた。僕とメロコさんでやっていくのかと思っていたからだ。

 だけど、同じような立場の人間が他にもいると思うと、なんだかたまらない気持ちになった。

 

「そういうやつを集めて、居場所を作る。そんで、この学校に問題提起をする」

 

「……」

 

「どうだ?」

 

 敵わないな、と思った。

 炎タイプ使いとして知り合った僕らだけど、内向的な僕と違って、彼女はどこへでも羽ばたいていけそうだ。

 学校自体を変えにかかる。そういう発想は僕になかったし、他に仲間を作ることも考えていなかった。メロコさんとの関係が続けばそれでいいと思っていたから。

 いじめは心が軋むけれど、卑しい魂が「メロコさんとの接点」としてのいじめを欲していた。この境遇をしゃぶりつくしてやろうとすら思っていた。

 そういう邪な自分から見ると、彼女は炎のように眩しかった。虫が火に飛び込んでしまうのも、今ならわかるような気がした。

 

「すごく、素敵です」

 

 彼女を見ながら言った。

 仲間を見つけたことを嬉しそうに語る横顔が、あんまり綺麗だったから。そして、その描く未来図が楽しみだったから。

 

 メロコさんは、ちら、と僕を振り返って口角を上げた。

 

「校庭の裏に、そいつらが待ってる。すぐそこだ」

 

 ぱっ、と手が離された。掌には水気だけが残った。緊張の汗だったのか、ずぶ濡れだったからなのか、考えないようにした。

 髪をかきあげて、襟を正した。いまさらな気もしたけど、体面の問題ではなくて僕の内面の問題だからしょうがない。

 

「準備いいか?」

 

 ちょっとせっかちに、彼女が言った。

 気分が高揚しているのが目に見えて分かった。そういうところも好きだ。ずっと見惚れてばかりで、なんだか熱病に浮かされた馬鹿みたいだ。

 

「OKです。行きましょう」

 

 一歩、踏み出す。

 冬の早い夕暮れが過ぎて、薄暗い空には星が見え始めていた。

 

「お、来たでござるか」

 

「暗そうなやつだなぁ……」

 

「おいおい、初対面でそういうのはよくないよオルティガ」

 

「なんでふたりとも濡れてるの?」

 

 こうして僕らは、散り散りの星から、線で繋がってひとつになった。

 いじめられっ子の(しるべ)たる北極星を見つけられるように、カシオペアのもとで形を取って。

  

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