ほのお組の忠犬 作:後衛
ぴちゃ、ぴちゃ、と前髪から水が垂れる。
もちろん、僕は好き好んでずぶ濡れで廊下を歩いているわけじゃない。
頭上からバケツの水をひとかぶり。
名門のはずであるオレンジアカデミーにも、いじめはある。
僕は普通に生きているつもりだったが、どこかで彼らを苛立たせてしまう仕草があるらしい。図書館で見た本に「
いじめの起きる前から、多かれ少なかれクラスの多数とはすれ違いが多かった。そういう異物感は、いじめを抜きにしても僕の心を絞めつけていた。
だから、僕はここではないどこかへ行きたい。
☆
とぼとぼと廊下を歩いていると、後ろから少ししゃがれた声がした。
「またやられたのか」
慌ててバッと振りむくと、ずぶ濡れのメロコさん――ひとつ上の先輩――がいた。
濃く描いたアイラインが滲んで、頬にかけて黒い線がひとすじ。艶のある赤い髪からは、雫が滴っていた。
なんと、彼女もバケツの水をかけられたらしかった。ふたりとも悲惨な状況だし、気遣う言葉を言うべきだったのかもしれない。
それでも、僕と同じ境遇であることがなんだかおかしくって。
「メロコさんも、びしょびしょじゃないですか」
そうやって半笑いの声が出た。
「……ふふ」
「ははッ」
「「あははっ」」
ふたりで笑った。
現実が辛いから笑ったわけじゃない。そういうのは大した問題じゃなかった。ただ、ふたり、ずぶ濡れで出会ったこの奇遇さが面白かった。
僕は半年近く。彼女はもう3ヶ月くらい、露骨な嫌がらせを受けている。
メロコさんは僕よりずっとまともで、綺麗で、まじめな人だった。
そんな彼女は、主に女生徒からの嫉妬で嫌がらせを受けている。正しいのはメロコさんで、間違っているのはこの学校の方だ。それでも強くて気高い彼女は、いじめに屈することなく自分を貫いている。
一人称がどうだとか、付き合いが悪いだとか……彼女がどう振る舞ったって自由なのに。
ぼうっと見つめていると、彼女は気恥ずかしそうに口を開いた。
「……いじめをなくす方法があるとしたら、興味あるか?」
あるに決まっている。
だけど、そんなことができるとは到底思えなくて、僕は返答に詰まった。
外部からの介入によってでは、僕らの魂は救えない。はみ出し者の烙印を押された僕らは、この学校という輪に戻ることはできないだろう。
僕らは、僕ら自身によって救われなければならない。
「……」
両親や先生に助けを求めることは、間違っていない。だけど、僕ら自身の社会性の欠如や、居場所の無さは、それによっては解決されない。
ひとりで生きていくための強さを得るなら、この状況が不愉快でも切り抜けなければならない。
友人が欲しいなら、この学校ではないどこか他の場所へ逃げるしかない。
「どうなんだよ」
そこまで考えたところで、メロコさんが返答を迫った。
少しの期待や不安の混じりがある視線だが、一本鋭く僕まで貫いていて、美しかった。
結局見惚れて言葉に詰まった。慌てて口を開くと、やっぱり言葉は躓いた。
「あ、あります」
「! ……そうか! ちょっとついてこい」
メロコさんは、言葉足らずなところがある。方法についての説明もないまま、力強く僕の手を握ってぐいぐいと進んでいく。誰かに見られたらと思うと少し恥ずかしかったけど、今更誰に見られたってどうでもよかった。
ふたりで駆けていく廊下は、いつもより何十メートルも短く感じた。
彼女の手は少し小さくて、指も細かった。でも力強くて、温かかった。心臓が早打ちして秒針が次々と進んだ。寿命さえ縮まっているような気がした。
「で、その方法はどういうものなんですか?」
「チームを作る」
「僕らで!?」
「いや、他にも孤立してるやつがいたんだ」
正直に言うと、僕は白けた。僕とメロコさんでやっていくのかと思っていたからだ。
だけど、同じような立場の人間が他にもいると思うと、なんだかたまらない気持ちになった。
「そういうやつを集めて、居場所を作る。そんで、この学校に問題提起をする」
「……」
「どうだ?」
敵わないな、と思った。
炎タイプ使いとして知り合った僕らだけど、内向的な僕と違って、彼女はどこへでも羽ばたいていけそうだ。
学校自体を変えにかかる。そういう発想は僕になかったし、他に仲間を作ることも考えていなかった。メロコさんとの関係が続けばそれでいいと思っていたから。
いじめは心が軋むけれど、卑しい魂が「メロコさんとの接点」としてのいじめを欲していた。この境遇をしゃぶりつくしてやろうとすら思っていた。
そういう邪な自分から見ると、彼女は炎のように眩しかった。虫が火に飛び込んでしまうのも、今ならわかるような気がした。
「すごく、素敵です」
彼女を見ながら言った。
仲間を見つけたことを嬉しそうに語る横顔が、あんまり綺麗だったから。そして、その描く未来図が楽しみだったから。
メロコさんは、ちら、と僕を振り返って口角を上げた。
「校庭の裏に、そいつらが待ってる。すぐそこだ」
ぱっ、と手が離された。掌には水気だけが残った。緊張の汗だったのか、ずぶ濡れだったからなのか、考えないようにした。
髪をかきあげて、襟を正した。いまさらな気もしたけど、体面の問題ではなくて僕の内面の問題だからしょうがない。
「準備いいか?」
ちょっとせっかちに、彼女が言った。
気分が高揚しているのが目に見えて分かった。そういうところも好きだ。ずっと見惚れてばかりで、なんだか熱病に浮かされた馬鹿みたいだ。
「OKです。行きましょう」
一歩、踏み出す。
冬の早い夕暮れが過ぎて、薄暗い空には星が見え始めていた。
「お、来たでござるか」
「暗そうなやつだなぁ……」
「おいおい、初対面でそういうのはよくないよオルティガ」
「なんでふたりとも濡れてるの?」
こうして僕らは、散り散りの星から、線で繋がってひとつになった。
いじめられっ子の