一緒にギターの練習を始めて21日目。
桜の花も完全に散り、新緑が青々と芽生える5月が始まった。
最初こそ些細(強弁)な問題もあったりして、心が折れ掛けたりもした喜多さんだが、「ごめんなさい、せっかく教えて貰っているのに弱音ばっかり吐いてちゃダメよね」っと。
こちらが驚くほど熱心に、昼休みも放課後も関係なく練習を続け、家に帰ってからも貸したギターで基礎となる音出しの練習などを頑張っているようだった。
偶に発作的に「もう嫌ぁぁぁあー、ギター辞めます」などと言い出すこともあるが、それでも、こちらの予想を上回る成長速度を見せてくれていた。
自分を追い込める人間の強さを、明確な目標を持って努力する人間の強さを見せてもらっているようで、自分たちが教師役であるということを差し置いても、何だか応援したくなる、いじらしさがあった。
―――ただ、残念ながら、それでも来週、行われる初ライブに間に合うかというと難しい所だった。
もともと、多弦ベースで練習を続けていたことが良かったのか、ストローク(ギターを弾く時の右手の動き)は最初から、なかなか上手かったし。
すでに、こちらが一月でできる限界だと思っていた、スローテンポで一曲通して弾くこともできるようになっていた。
だが、そこから少しでもテンポ(クリック)を上げると途端に演奏が破綻してしまい、元から知っている曲だからこそ辛うじてメロディーラインの音を拾えるという有り様で、まだギターのコードを素早く正確に押さえて音を出す事は難しいらしかった。
喜多さんは、十分に頑張ってくれている。
だからこそ……自分の力不足が申し訳なくて仕方ない。
それに比べて、相棒のひとりは、本当によくやってくれた。
自分が、喜多さんにギターを貸してしまったこともあり、手本役として直接的な技術指導役を務め、スローテンポの通し演奏の時はバッキング(伴奏)として練習を支え―――何より、自分の期待通り、喜多さんの身近な憧れと成るような演奏を披露してくれた。
ライブの演奏の成功例を明確にイメージしてもらい、練習のちょっとした息抜きも兼ねて、ひとりには喜多さんがライブで演奏する曲を何度も演奏してもらったのだが―――その度に、喜多さんのお手本になることを意識したタブ譜に忠実な演奏を聞かせてくれたのだ。
ギターヒーローの本気を知る身としては、心臓を鷲掴みにされるような「歌うようなギターの音色」があまり前面に出てこない、60点くらいの演奏だと思ったが……。
だからこそ、基本に忠実な音色は、喜多さんの身近な憧れとなる目標としては最適だったようで、「凄いは後藤さん」とキラキラした目で言われ、ひとりも顔をゆるゆるに緩ませて喜んでいた。―――少しばかり期待していた憧れのされ方とは違ったが、このくらいの誤差ならば結果オーライだろう。
………そんな、期待以上の頑張りを見せてくれて2人に比べてだ。
自分は、横から口を出すだけの部活の顧問兼マネージャーのようなもので、教師役を最初に引き受けた割に一番、役に立っていないように思われた。
自分の期待以上に努力してくれた喜多さんや、自分の願いに応えてくれた相棒の献身に報いるには、どうすれば良いかと考えて……。
………そうだ、差し入れ(賄賂)しかない……と思い至るのだった。
――――想像してみて欲しい、今日から始まるゴールデンウィーク。
学校も休みになりギターの練習にだけに集中できる、泣いても、笑っても最期の一週間を前に「強化合宿をしましょう」と、陽キャのノリで言い出した喜多さんの勢いに押され、後藤家で開催される事に相成った。
そんな、合宿イベントの練習の合間、さりげなく差し出されるケーキという賄賂。
横から口を出すだけの「部活顧問にして貰って嬉しい事ランキング」なるものがあったら、堂々のトップ1になること間違いなしのイベントに、自分の存在価値もうなぎ上りになること間違いなしだろう。
……これだ、と確信し、意気揚々となけなしの小遣いを切り崩してケーキ屋でケーキを購入し、通い慣れた後藤家へと向かい。
――――そこで、自分以上に張り切って喜多さんをお迎えする後藤家の御両親の盛大な歓待によって、自分のケーキのありがたみが、霞のように消えることになるとは。
――――このハジメの目を持ってしても見抜けなんだ。
………けっこう、良いの買ったんだけどなぁ………
まぁ、でも二人も、後藤家の皆も喜んでくれていたし、最終的な目的は果たしたと思っておこう。
そんな、こんなで始まった強化合宿イベントだったが……。
高校デビュー計画の一環で、「パリピ少女」と「愛想の良い陽気な男」に擬態しようとした自分たちの様子を後藤夫妻に見咎められ、幽霊に憑り付かれたと勘違いされた結果。魔除けの札が幾重にも張られたひとりの部屋を、喜多さんに見られて引かれたり。
練習の息抜きに、喜多さんが持ってきてくれた青春恋愛映画を見て、ひとりが青春コンプレックスを刺激されて、苦悶したり、と。
――――そんな、多少のトラブルはあったりしたが、概ね問題なく練習は進み。
ほかに強いて言えば。
喜多さんに普段、自分とひとりは、どんな感じで過ごしているのかと聞かれて「えっ、普通に」と答えたら、「えー何かあるでしょう」とキラキラした目で問い詰められ、その普通を見せて欲しいと言われたりしたが、本当に何も特別な事などないため困った結果。
結局、いつも通り、ひとりがギターを弾いて、自分が歌うバンド練習をしている所を初めて見せたら、何故かやたら喜多さんが感動してくれて―――(多分、ひとりがギターヒーローとしての実力を遺憾なく発揮して見せたからだろう)―――その、リアクションに気を良くして自分たちネックラーズのオリジナル曲を幾つか披露したら「本当に凄いわ」と褒めて貰えた事くらいだろう。
ひとりのギターだけでなく、自分の歌まで「凄い、凄い」と褒めてくれる喜多さんは、本当に良い人だと、ひとりと一緒に照れながら笑うなんて一幕もあって。
―――そこで本当の意味で、憧れとなるギタリストに触れたからだろうか。
―――傍目から見ていた自分には、それ以降、喜多さんのギターに向き合う姿勢が少しだけ変わったように見えた。
……聞いて確かめた訳ではないから、本当の所は分からないが……
何にしても、環境を変えて、ギターの練習に集中できる場所で、特訓をしたことが良かったのか。
喜多さんのギターの腕前は6日間で飛躍的に上がってくれた。
やはり、まだライブでやる曲の原曲テンポで演奏すると、まだ素早く正確にコードを押さえることができないため、正しい音が出せないところも多いけれど……それでも、ちゃんと、何の曲を弾いているのか分かるレベルになった。
何を弾いているのかも分からなかった頃に比べたら、原曲を思い起こしてヘタッピだと批評できる。
そんな、十分に「駆け出しギタリスト」だと認めて良いレベルの腕前に成ってくれた。
……ああ、やばい、何か感動する。
多弦ベースで基礎練習を繰り返していた素地があったとはいえ、自分がそのレベルの腕前になるには4カ月以上掛かった道程を、たった一月で駆け抜けてみせた教え子の頑張りには本当に脱帽するしかない。
――――けれど、本当の勝負はここからだった。
ゴールデンウィーク最終日であり、ライブ前、最期の休日。
今日、喜多さんの所属する「結束バンド」の、ライブ前の最期の音合わせが行われる。
これまでは、まともにギターを弾けなかったため、「家の用事で」や「病院の予約が」、「家族で出かける約束が」等々、言い訳を作って先延ばしにしてきたようだが、流石に最期の合わせ練習に参加しない訳にはいかない。
……ここまで喜多さんは、本当に努力してきた。
けれど、その努力が、「ギターを弾けないのに、『弾ける』と言ってしまった」嘘に釣り合う努力量であったのかは、喜多さんの憧れの先輩と、もう一人のバンドメンバーの先輩だけが答えを出せる事だ。
喜多さんから話を聞く限り、結束バンドのベースとドラムの人は、自分たちの年代にしては楽器歴が長いという。
となれば当然、ギターに求めるレベルも相応に高いものになると想像できる。
ギターを弾けると言って入ってきたギタリストが、「駆け出しギタリスト」のレベルで許してくれるのか。
喜多さんの努力を、どうか認めてあげて欲しいとは願うけれど、軽度の人間嫌いである自分には、どうしたって顔も知らない他人にそんな他力本願な期待を寄せることはできなかった。
そして、自分が不安に思う以上に、当人である喜多さんの不安はもっと大きいだろう。
午後1時から下北沢のスタジオで行われる結束バンドの音合わせの前の、最後の練習として午前中、後藤家で目一杯、練習をした最後。
「……後藤さん、佐藤君、お願いがあるんだけど、最後に二人の曲を、もう一度聞かせてくれない」
不安そうに、申し訳なさそうに言う喜多さんの言葉に二つ返事に頷いて答える。
そんなことで、ここまで頑張ってきた教え子の力に成れるなら――――口下手で上手い励ましの言葉も掛けられない言葉の代わりに力の限り歌おう。
もう目一杯、頑張ったことは知っている。
それでも後、少しだけ頑張れる力になることを願って。
ひとりのギターが「ギターヒーロー」のイントロを奏でていく。
その最初のフレーズに込められた、音の凄みのようなものを感じて、ゾワリと体に震えが走る。
どうやら、相棒のやる気は最高潮のようだ。
自分は毎日、家に帰っていたが、二人は本当にこの6日間、寝食を共にしていたのだ。
ひとりにとっては、きっと自分以外の始めての友達と言えるかもしれない、そんな相手のためだ。
……そりゃ、上がらなかったから嘘ってもんだろう。
そんな妹分の、相棒の、心意気に応えられなきゃ男が廃る。
だから、自分たちは、今できる渾身の力を込めて歌い、奏でるのだった。
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「ありがとう、佐藤君、後藤さん……私、やっぱりバンドがやりたい。……どうなるか分からないけど、逃げないで先輩たちに会ってくる」
喜多さんは、何処か決心したような綺麗な笑みを浮かべて、最後の審判を迎えるためにギターを背負って下北沢に向かって行った。
次から、ようやく喜多ちゃん、ぼっちちゃん視点の予定です。