私こと井上知佳(いのうえちか)が、ドラムを始めたことに、たいした理由はない。
父が、趣味で購入した電子ドラムセットが、幼少の頃から目の前にあり、それを遊び感覚で叩いていた。
どちらが上手く叩けるか、父と競うようにドラムの練習に励んでいる内に基本的なビートを叩けるようになり―――途中、父が仕事の付き合いもあってゴルフの方に精を出すようになってからも一人で叩き続けてきた。
ドラムを始めた小学生2年生の頃から高校1年になるまで、ドラムの一日の練習時間には、その時々のモチベーションで上下はあったが、ドラムを嫌いになったことはないし、もういいやと飽きを感じたこともない。
嬉しい時も、悲しい時も、ドラムを思いっきり叩いて、一心不乱にビートを刻み続けることで得られる高揚感と没入感は、何者にも代えられない快感がある。
それは嬉しさを倍に、哀しみを半分にしてくれて、どんなことがあっても思いっきりドラムを叩けば、気分一新リフレッシュさせてくれる。
それがドラムの魅力であり、ドラマーに情緒不安定な人が少ない理由だろうと個人的には思っている。
そんな、ちょっと趣味でドラムを叩いているだけの何処にでもいる普通の女学生だった私が道を踏み外したのは、中学の友達の中で、一時期チックトックでショートムービーを撮ることが流行したことだ。
女子生徒同士の悪ふざけやダンス動画など本当に仲の良い身内だけで、シュアして楽しむだけだったが、それで動画投稿の楽しさに味を占めてしまったのが失敗だった。
私がドラムを叩けることを知っているのは、小学校からの本当の仲の良い友達だけで、中学高校の友達は私がドラムを叩けることすら知らない。
これでも学校では、皆のアイドル―――は言い過ぎだが、あまり自分の事を喋りたいと思うタイプでないこともあり、相談しやすい、気さくで聞き上手な、知佳さんで通っているのだ。
だから、きっと私が激しめのJ-POPやロックバンドの楽曲をノリノリで、ガンガン叩くドラマーであるなどとは誰も思っていないだろう。
そのギャップが、何だか自分でも面白くて、両親の前でだけ叩いていた私のドラムの演奏を誰かに見て欲しくて―――魔が差してしまったのだ。
……そう、ドラマーとしての私の姿をネットに投稿してみようと思ってしまったのだ。
しかし、かといって、友達に普段の自分と違う意外な一面を見られるのは恥ずかしい。
ならば、友達に見られても私だと分からないようにするには、どうすればいいのか。
それに、どうせ投稿するなら皆に注目してもらいたい。そのためには、何をすればいいか。
そんなことを考えて―――そうだ、動画の中では、普段の私とは真逆のキャラを演じればいいのだと―――思い至ってしまったのが間違いだった。
「よっしゃー、今日も行くぜー、お前等最後まで俺に着いて来いよー」
今期の流行のアニメ主題歌のオケに合わせてドラムを叩き始める前に、お決まりのセリフを叫んで―――毎回、一昔前のロックバンドが着ていたような革ジャン(スカジャンの時もある)を羽織り、目深に野球帽を被って画格を調整することで顔を隠して、男性ドラマーのようにパワフルで、手数重視の、派手で荒々しいプレイを披露する。
ちょうど第二次成長期に入って必要以上に女らしくなってきていた体で、男のような恰好をして、男性顔負けの野性的なドラムを叩く動画をOH!TUBEに投稿していたら―――なんか、思いのほかバズってしまった。
色物としての面白さと、セミプロレベルくらいの実力はあるドラムの腕前が評価されて、少しずつ登録者数を伸ばしていき、ついに登録者数10万人を突破することに成功した。
それは非常に嬉しいし、ネットの中だけの男勝りドラマー・マコとしての自分の活動にやりがいを感じているし、愛着も持っているが―――それとは別に不満というか、悩みもある。
やはり、ここまでドラマーとしての研鑽を積んできたのだから、一度でいいから本物の大観衆の前でライブをしてみたいと思うのだ。
しかし、そんな奇を狙ったドラマーデビューをしたことが、私のバンド活動をする上での大きな障害となっていた。
―――こんな普段の自分とは似ても似つかぬキャラ付けをして活動していたことが、友達にバレたりしたら、私は羞恥心の余り死ねる自信がある。
もしドラマーであることが友達に知られ、芋づる式にマコと私の存在が、結び付けらたりしたら―――想像するだけで血の気が引く。
それだけは、何が何でも阻止しなければならない。
そのため一度は、マコである自分を封印(チャンネルを消去)して高校の軽音部に入部することも考えたのだ。
しかし、実際に部活見学に行ってみたが―――それなりの進学校で部活方面に熱心ではないためだろう———お世辞にもレベルが高いとは言い難いレベルの活動内容を目の当たりにして―――ネットで活動を続ける事と、部活道とを天秤に賭けた結果、残念ながらマコとしての活動を捨ててまで部活に入ろうとは思えなかった。
そこで、私は考え方を変えてみることにした。
たった一度の花の女子高生生活を悔いなく過ごすために―――マコというOh!Tuber活動を続けることと、バンドを組んでライブをすること―――その二つの願いを両方叶えることのできる方法はないのかと―――。
それには、やはり友人に身バレする危険性を減らすことが必要であり、そもそもバンド活動していること自体、友人に知られないようにするしかない。
となれば、そのためには学校外の人とバンドを組むことが必要になるだろう。
―――しかし、残念ながら私は、ドラムの基礎は父から習ったため、ドラム教室などに通った経験はなく―――身近な知り合いを省いてしまうと一緒にバンドを組んでくれそうな知り合いも、紹介してくれるような伝手も全くなかった。
―――かと言ってOH!TUBEのチャンネルのメッセージを通して一緒にバンドしようと誘ってくる、顔も分からない年上の男の人とバンドを組むのは、色々と身の危険を感じてしまって二の足を踏んでしまう。
そこで、色々と方法は考えてみたのだが―――やはり、こんな面倒臭い縛りを設けながら、バンドを組もうなんて虫が良すぎるよね、と。
―――もっと有名になるくらい活動を続けていけば、いつか、ライブに出演する機会も転がりこんで来るさ、と自分を慰め一度は諦めたのだ……。
そう、諦めていたのだけれど……
その一度諦めた筈の未練が蘇ってしまうような出来事が、つい2週間ほど前に起きたのだ。
それは、密かに私が同士だと思い、憧れていた「ギターヒーローさん」が、バンド求人サイトでメンバーを募集しているという一報が、彼女のファンコミュニティー界隈で駆け巡った事だった。
ちょうど私と同時期にOH!TUBEチャンネルを開設し、ギターとドラムという違いこそあれど、同じように有名曲のカバーをネットに上げていた同年代の女の子で―――。
ポリシーなのだろう、常に無味乾燥な飾り気のない和室の一室をバックに、頑なに色気も何もないジャージ姿で現れ、何の前置きのトークもなく、ただギターを弾くだけの演奏動画を上げ続ける―――己のギターの腕前だけを視聴者に届けようとする、本当に同年代なのか疑わしくなるほどの超絶技巧を持った硬派なギタリストだ。
私のように自分に変なキャラ付けをするでもなく、コメント欄で視聴者に媚びる事もなく、概要欄には「新作です」「弾いてみました」といった必要最低限のコメントしか書き込まない。
その姿に何度、羨望と嫉妬を感じ、どれほど励まされて勇気を貰ったことか。
嫌なコメントを貰って、動画投稿するのを止めようと思った時も、変わらぬ彼女の姿があったから続けてこられたと言ってもいいだろう。
そして、ギターヒーローさんを語る上で欠かせないのは、幼馴染の男の子とバンドを組んでいる(概要欄に最低限の説明だけ書いてあった)という、(何だよ、それどこの漫画の中の世界だよという)超絶リア充な存在である事だ。
これまで、男の幼馴染さんと一緒に披露した動画は、期間限定公開のものが数回上がっただけだが、私は同士として当然全てチェックしているが―――どの歌声も、お前本当に中学生かよというような迫力と深み(色気)のある、一聴で人を虜にするような歌声で―――ギターヒーローさんのギターに負けないプロ級のボーカルであることは間違いなかった。
それは、二人だけで一つの世界観を生み出して表現できる―――そんなレベルに達していて―――ああ、これは絶対にプロになってメジャーで活躍するなと確信してしまうほど〝モノ〟が違っていた。
そんな、憧れであり、同士のように思っていた人が、本格的にバンドを組んで活動しようとしているという一報は、私の未練を燃え上がらせるには十分過ぎるものだった。
慌ててギターヒーローさんと幼馴染の彼氏さんが、バンドメンバーを募集していたという募集サイトにアクセスしたのだが、出遅れてしまったせいで、既にメンバーの募集は締め切られており―――。
それでも諦めきれずに―――互いにチャンネル登録し合っていることが密かな自慢である―――ギターヒーローさんにダイレクトメッセージを送ってバンドメンバーになりたいですとメッセージを送ったのだが―――2週間ほど経ち、既に6月になっているにも関わらず何の返信もなかった。
「……これは、やっぱり断られちゃったってことだよね」と、凹みながら家のソファーの上に寝転がりながらエゴサをして、チャンネルに寄せられた動画のコメント欄を確認すると―――『マコの姉御はライブしないんですか』『姐さんはバンドには入らないんですか』といった質問が寄せられているのを見て、「こっちだって、できるものならしたいんだよ」、と拗ねたように恨み言を呟いていた。
―――そんな時だった。
ログインしていたOH!TUBEのチャンネルにダイレクトメッセージが届いたのは―――。
ここ連日、続いていた雨模様の引きずられるように何となく憂鬱な気分を引きずっていた私は、そのメッセージの送り主を見て目を見開く。
そこには、思い悩み、恋焦がれるように待っていたギターヒーローさんの名前が書かれていたからだ。
一気に自分の心拍数が上がっていくのを感じながら、震えそうになる手で、急き立てられるようにメッセージを開く。
そこには―――。
「メッセージありがとうー!! 返信遅れて失礼‼ もしかして、もう私からの返信なんて待ってなかったカナ!?
突然なんだけど明日会えたりする?( ^^) _U~~ 怪しい話じゃないよ!!!
あ、やっぱり、ちょっと怪しいカモ……?なんちゃって☺(*´ε`*)チュッチュ❤ 」
―――と迷惑メールで届く、怪しい出会い系サイトからのメッセージ以外の何物でもない怪文書が届いていた。
「……えっ―――えっ?」
―――文字通り怪文書の内容を二度見してみて、本当にギターヒーローさんからのメッセージなのかを確認して、確かに私の送ったメッセージの返信として届いていることを確かめて―――私の中のギターヒーローさん像が音を立てて壊れていくのを感じた。
なんか、思わず流れ作業でブロック設定しかけて―――いや、何か深い意味があるのかもしれないと考え―――直ぐにそんなものはないだろうと冷静になって、怖くなる。
―――今ならテレビなどで、憧れの人には会いたくないと言っていた芸能人の気持ちが分かる気がした。
―――憧れの人には、憧れのままでいて欲しいのだ。
そして本当の出会い厨でも、ここまで酷い文面を送らないだろうという、メッセージの文面に身の危険を感じて―――別の意味でも会うのが怖くなる。
いや、だが、待てとショックで回らなくなった頭で井上知佳は考える。
動画の中のキャラであるマコと、素の自分であるチカで、キャラが違うのは私も同じではないか。
―――なら、これは考えようによっては、バンドを組むに当たってキャラを演じやすくなる、もしくは素の自分を曝け出しても受け入れてくれる素地ができていると考えれば悪い事ではないのではないか、と。
そんな考えから、腐っても憧れのギターヒーローさんが相手なのだからと、とりあえず会ってみるだけ、会って見る方向で覚悟を決める―――。
そして数度、微妙に噛み合っているような、いないようなメッセージのやり取りを交わし、明日、下北沢駅前で落ち合うことを約束する―――ただ、念のため、待ち合わせ場所を駅前の交番にしたのは、最低限の自衛手段だった。