やるべき事を、目標を一度決めると、時間は瞬く間に過ぎていくものらしい。
幾らやっても、やっても、時間が足りずに朧気ながら見えてきた理想との差に身を焦がされる。
全国大会へと通じる柔道部の中でも一番大きな年に一度の夏の大会に参加して地区大会の73㌔級で優勝して、地方大会も同じく優勝、県大会の後一度勝てば全国大会というところで、今までの相手とは違う、まともに組み合わない相手の変則的な戦い方に対応するのを手こずり指導を3度取られた結果、反則負けで敗退となってしまった。
今年が最初で最後の挑戦だと悔いを残さぬように全力で試合に臨んだので後悔はない。
実際の所、実力ならば自分の方が優っていたという感覚があるので、負けたという実感が余りなかったのも大きいのだろう。
皆が来年こそはと気持ちを新たにする中で、部活を辞めると伝えるのは心苦しかったが、バンドマンになるのだと言うひとりとの約束を果たすためにキッパリと辞めた。
幸いにも部活の仲間は、事情を正直に話せば分かってくれる気の良い連中だったので、最後には快く送り出してくれた。
顧問の先生は、俺なら柔道で推薦を貰う事も不可能じゃないと言ってくれていたので、それには後ろ髪を引かれるものを少し感じたりしたが、元々柔道で高校に行く気もなかったから問題はない。
受験勉強はできればしたくないけれど…
まぁ、そんなこんなで心機一転、バンドマンのボーカルとして練習を本格的に開始することとなった。
必要なのは、圧倒的な声量と歌唱力、そして何より自分の歌の形を見付けることだ。
そのために、肺活量を鍛えるために心肺機能を鍛えるために走り込みをはじめ、腹圧を高めるために腹筋を中心とした筋トレを欠かさず行い。
歌を歌うために必要な体を作り維持しながら後は、ひたすら歌い込んだ。
ひとりが、片っ端から売れ選のバンドをコピーして弾いていくのに合わせて、売れ選のバンドの歌を我武者羅に歌い込み、模倣し、模索し、バンドのボーカルらしい声の出し方を、声の在り方を、歌の在り方を、自分の歌声の形を探っていく。
高温域の声を、低音域の声を、ひとりの歌うようなギターの音色に負けないような、自分だけの歌の形を探して……
中学3年の夏まで1年間ほどの時間を掛けて、ようやく朧気ながら、自分に一番合った歌唱の形が見えてきた。
なんてことはない、結局は自分の感情が一番乗せられる、乗っていると感じられる、自分の素の歌唱法こそが結局、一番自分のオリジナルなのだと、色んなボーカルの人の歌い方を真似し続けた結果、行き付いた。
モト君のモト君らしい歌が私は一番好き、と。
そう言って貰えて、初めて、自分の歌で良いのだと思えた。
と言うのも、自分では何処か、低いとも高いとも一概には言い難い、声の奥に何か物々しく、荒々しい何かが潜んで、秘められているような―――そんな聞く人に何処か緊張を強いるような自分の歌声は―――自分の声ながら、いや自分の声だからか、聞き手を選びそうな声だなという感想を強く抱かさせた。
それが、何となくコンプレックスで違う歌声の形を探してきたのだけれど…
けれど、仕方ない。
これが自分の歌声なのだ。
ほかの人の歌の真似をしても、それは劣化コピーでしかなくて、そんな売れ選の中に埋没するような模造品では、自分の傍らの今やプロ並みと言ってもいい技術を手に入れつつあるギターヒーローの傍らに立つには相応しくないのだから仕方ない。
そう中学3年に入ってからというもの、ひとりは後藤家のお父さんである直樹さんに薦められて「ギターヒーロー」というアカウント名で、ギターの弾いてみた動画をOH!Tubeでアップし始めており、更新を開始して半年足らずにも関わらず既に登録者が1万人に届こうという伸びを見せていた。
その動画のコメント欄には、ひとりのプレイ(演奏)への賞賛の言葉で溢れており、本人もようやく自分のギターの腕前が優れているという自信のようなものを掴みつつあるようだ。そうした自信が更にプレイへの迷いを無くし、実際に人に見せるために演奏を練習することで、一段とその腕前に凄みのようなものが宿りつつあった。
言ってしまえばプロの域に入りつつあると言ってしまっても良いだろう。
それに比べて自分は、散々回り道をしたあげく、ようやく自分の声で戦う覚悟を決めただけだ。
けど、その回り道が全て無駄だったとは思わない。
色んな人の歌い方を真似ながら歌唱方法を学ぶ中で、音程を外さない基本を学ぶことができたし、声域の幅も広がり高音も低音も練習する前よりは安定して出せるようになった。
何より歌声に、喜びを、怒りを、哀しみを、楽しさを、歌の中に込める技術のようなものを漠然とだが学ぶ事ができた。
才能のない自分には必要な回り道だったのだろう。
自分の傍らの眩い才能に並び立てるように、人に認められるようにと、自分以外の何かになろうとして、そうして初めて自分の中にある自分の歌の形が見えてきた。
それは自分の憧れた歌声の形とは違うけれど、ほかの誰にも真似できない自分だけの歌の形で……それは誰かの形を借りられないため、剥き身の自分を曝け出すようで酷く恥ずかしい。
―――けれど、その自分の声で思いっきり歌い、叫ぶことは、たまらなく心地よかった。
そして、待ちに待った中学3年最後の文化祭を1カ月後に控え、自分たちは新たな挑戦に挑もうとしていた。
普通の年頃の少女の部屋というものが、どういうものなのか、ひとり以外には年頃の少女の部屋を知らない自分には分からないが、年頃の少女らしい可愛らしい小物や色使いなどが極端に少ない、ひとりの部屋で録画用のカメラの前に二人で立つ。
「はぁー、ふぅー」
これまで何度もひとりのギターに合わせて歌ってきた。
これまで何度もひとりがギターヒーローとして動画を撮る手伝いはしてきた。
けれど、自分が撮られる側に回るのは初めてだった。
「大丈夫、モト君?」
自分たちの顔が映らず、同時にひとりの手元がしっかり映る画格の設定と確認を終えたひとりが、緊張している自分を労わるように尋ねてくる。
「ああ、これくらいで緊張してらんねぇーよ、これが上手くいったら本物の人間、それこそ何百人を前に歌う事になるんだしな」
「あばばばばばばば」
文化祭のライブに出たいと自分で言い出したのにも関わらず、実際に文化祭のライブに出るという段になるとプレッシャーの方が大きいらしく、ひとりは日に日に緊張を高めて、やっぱり辞めようかとしきりに二の足を踏んでいた。
「こらこら、バグるな、バグるな、そのためのリハーサルだろう?」
硬直して崩壊した顔面のまま震え出すひとりの肩を掴んでガグガグと揺り戻す。
「そ、そうだけどぉー」
「だろ、まずギターヒーローのアカウントにアップして反応を確認してみて、それで反応が良かったら文化祭のライブに出るって決めたのはヒトだろう」
「そうだけどぉー……文化祭に出ても、誰だ、アイツ等みたいな目で見られて、笑いものに成るかもしれないし」
ひとりが、ネガティブモード全開でイジイジと地面にのの字を書き出す、その不安は理解できる。
そうした不安は、自分も確かに抱いているからだ。
「まっ、実際にまだ二人だけで、ベースもドラムも見つかって無いしな、見送るってのも利口な選択なのかもしれないけどさ…」
「だよね」
「でも、完璧に準備が整うのなんて待ってられないだろう?」
けれど、それ以上に、この自分の相棒である少女の才能を世の人に知ってもらいたい、知らせなければという使命感のようなものが自分にはあった。
ひとりの事を馬鹿にした目で見てきた奴等に、俺の相棒はこんなに凄い奴なのだと教えて見返してやりたいのだ。
ひとりは全部、それを自分の陰キャのせいだと自分の内に抱え込んで、誰の事も恨んでいないけれど俺は違う。
俺の大切な妹を、相棒を馬鹿にするなと、俺はずっと心の中で思ってきた。
「ヒト、止めるなら止めるでいいけど、でも、やるだけやってみようぜ」
そうだ、それを思えば、俺は緊張なんかしてられないのだ。
俺は俺の歌で、ひとりのギターの力を借りて、学校にいる奴らを全員、ひれ伏せさせてやらなければならないのだから。
「う、うぅぅー」
「大丈夫だよ、俺がボーカルで、ヒトがギター、ヒトが始めて、作ったバンドがどれくらい凄いのか見せてやろうぜ、なっ……相棒」
「……うん」
自分が敵を狩り尽くしてやるとばかりにニヤリと不敵に笑ってみせると、ひとりは落ち着いた様子で、自分の空気に呼応するように覚悟を決めたギターヒーローとしての表情になった。
「やろう、モト君」
「ああ」
ひとりが録音ボタンを押して自分の隣に並びギターを構える。
ハジメは、自分の隣に並ぶひとりと表情合わせて指で1、2、3とカウントを取ると、ひとりのギターを掻き鳴らすタイミングに合わせて静かに歌い出す。
ひとりの歌うようなビブラートを響かせるギターの音に導かれるように、ハジメの聞く者に緊張感を抱かせる、声の奥(裏)に激情が潜ませたような独特の声をメロディーに乗せて、時に静かに、激しく、歌い上げていく歌は、音の圧となって聞く者の背筋を震わせる。
その歌声の圧に負けないようにひとりのギターの音色が激しくなり、声なき声を叫ぶような主旋律を奏で。その声なき声を代弁するようにハジメの歌声が、さらに力強さを増して伸びやかに響いていく。
ギターとボーカルの二人だけの弾き語りをで、バンドというには足りないものが多すぎる。……にも関わらず、ボッチと一匹狼という学校に馴染めない二人組の、二人だけのロックバンドは、まるでそれで完成しているかのような奇妙で力強い化学反応を起こし、聞く者に二人の声を心に刻み付けるように届けてみせた。
―――「文化際ライブ・リハーサル動画!!」と称してギターヒーローのアカウントに上げられたギターとボーカルだけの編成で歌われた一発取りの動画は、ギターヒーローの過去の動画の中でも過去最高の再生数を叩き出し、登録者数を3倍の3万人まで瞬く間に引き上げた。