猪のハイネセン日記   作:カーネルさん

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外伝 迷子の帰宅と猛禽の捕獲

「シェーンコップ中将、帝国を訪れてみてはどうだ?」

 

それは、ワルター・フォン・シェーンコップが帝国高等弁務官、ビッテンフェルト上級大将とハイネセンで会食している時のことだった。

 

「今の帝国は卿が離れた時とは大きく変わっていると思うぞ。俺自身、ここ数年の変化が信じられぬほどだ。」

 

ビッテンフェルトはしみじみと語った。

 

「一度、自分の目で確かめてみるのもいいのではないか。俺自身、同盟に赴任してきて、卿ら同盟人と直に言葉を交わし、こうやって酒を飲み交わして初めて理解できたこともある」

 

「…ふん」

 

シェーンコップは数日考えたが、悩んでいてるのも自分らしくないし、どうやらビッテンフェルトにヤンへの害意がないらしいとわかったこともあり、帝国を訪問してみることにした。

 

***

 

新帝国暦一年十月下旬、シェーンコップはオーディンの地に降り立った。つい半年前ほど前まで自分はイゼルローン要塞にあって、この星とは宇宙の果てほど離れていると思っていた。ここに生きて戻ることがあると考えたこともなかった。そう考えると数奇な巡り合わせというしかない。

 

シェーンコップはとりあえずオーディンの下町を散策してみることにした。

 

「ハンスが結婚するそうだ」

「戦争から戻ってきて、やっとか。めでたい」

「隣町のヨハンの息子もするってさ」

 

料理屋のオープンテラス席に座ったシェーンコップにそこかしこから聞こえてくる会話によると、ラグナロック戦役が終わって復員した兵士達はいま結婚ブームのようだ。来年の帝国には多くの赤ん坊が生まれていることだろう。

 

「今度うちの会社は同盟でも事業を始めることに決めたんだ」

「ほう、景気がいいな」

皇帝(カイザー)ラインハルト陛下様様ってものさ、上がわかってると下々は助かるねえ」

 

好意的な発言とはいえ皇帝を人前で云々するなど、かつてのゴールデンバウム王朝時には考えられないことだった。しかし男を咎める者はいない。遠くを歩く警官に知らせに走る者もいない。

 

シェーンコップは似たような光景を何度か見聞きした。帝国を覆っていたあの重苦しい空気が取り払われてきているのは本当のようだった。

 

***

 

夜もふけたオーディンをシェーンコップは再び散策していた。少し飲みたい気分になったこともあったが、夜の顔も見ておきたかったからだ。人々の表情はやはり明るく、みな懐が温かいのか盛大な酒宴がそこかしこに見られた。

 

「わはは、乾杯!」

皇帝(カイザー)ラインハルト陛下に乾杯!」

「高等弁務官ビッテンフェルト提督に乾杯!」

 

シェーンコップは知人の名前を聞いてなんだか腹が立ってきた気がしてその場を離れた。少し歩くうち、商店街のはずれにある肉屋の近くで立ち止まってしまう。深夜の肉屋で犬を連れて一人買い物をしている帝国元帥というありえないものを見たからである。元帥が何やら包みを受け取ってもしばらく、犬は店員に撫でられているようだった。

 

シェーンコップの知る限り、現在帝国軍に元帥は三名しかいない。一人は背が低く蜂蜜色の髪、もう一人は長身の黒髪で金銀妖眼(ヘテロクロミア)。シェーンコップの前にいるのはそのどちらでもない。となると最後の一人としか考えられない。そう考えた時、帝国元帥がこちらを向いた。

 

帝国元帥が近づいてきた。シェーンコップはしまったと思ったが、ここで逃げたらもっとまずいことになるだろうと考え、そのまま待った。

 

「…何か御用かな」

 

銀河帝国軍務尚書、オーベルシュタイン元帥がシェーンコップに話しかけてきた。

 

「いやこれは失礼しました、特に用といったものはございませんが、帝国元帥閣下がおひとりで買い物という珍しいものを見たもので、つい」

 

シェーンコップは思った通りを口にした。ここで変にごまかしたところで事態は好転しないという判断だが、度胸がないとできないことであろう。

 

「なるほど。よく言われるのです。自分ではそれほどおかしなこととも思わぬのですが」

 

オーベルシュタインは驚いた様子もなく、丁寧な口調で答えると、手に下げた包みを少し持ち上げて見せた。店員から離れてこちらに寄ってきたダルメシアン種らしき斑の犬がそれを目で追っていた。

 

「鶏肉です。犬を飼っているのですが歳をとっていましてな。好みがうるさいが、老い先短いと思い、好きにさせているのです」

 

では失礼する、と挨拶してオーベルシュタインと犬は立ち去ろうとしたが、ふと足を止めた。

 

「卒爾ながらお尋ねする。以前どこかでお会いしたことがあっただろうか?」

「実は私も幼いころどこかで閣下にお会いしたことがあったような気がすると考えていたのですが、思い出せないのですよ」

「…そうか。またいずれお会いできることを期待しよう」

 

去っていくオーベルシュタインの背に、いつもありがとうね〜気をつけてねという店員の声がかけられた。犬がワフっと一声鳴いた。

 

***

 

次の日、シェーンコップは大胆にも大本営の近くを散歩していた。もちろん大本営には厳重な警備が敷かれており、中に入ることなどできないが、もしかしたら外出する皇帝の顔を拝めるかもと思ったからである。

 

残念ながらそんな機会は訪れず、シェーンコップは少し離れた場所にある屋台で(休憩時間の警備兵目当てのようだ)軽食を買って立ち食いすることにした。

 

そんなシェーンコップと、地上車に乗ったひとりの貴族令嬢と目が合った。

 

ヒルダがその男に目を留めた理由はそれほど重大なものではなかった。私服の平民が大本営近くの警備兵相手の屋台で買い食いするとは大胆な行動だが、現在の帝国は開放的になってきているのでそうした物見高い連中もゼロではない。単にヒルダは屋台のいい匂いに気を取られ、そばにいる男に気づいた。それだけのことである。

 

自分も何か買おうかとヒルダは地上車を降りた。伯爵令嬢としてはしたないという気持ちはない。お嬢様! と小言を言うかもしれないハンスは屋敷にいる。

 

「こんにちは、令嬢(フロイライン)

「こんにちは」

 

シェーンコップはナンパをしようとヒルダに声をかけたわけではない。大型の地上車に乗り、明らかに貴族令嬢然としたヒルダと、周囲の護衛に警戒されないためにあえてフレンドリーに振る舞っただけのことだった。

 

やや軽薄な気配のする男から声をかけられたヒルダは少し警戒した。男の帝国語に訛りがあったからである。ハイネセンで同盟の政府関係者と会議を持った時に彼らが話していた帝国語に似ている気がした。

 

「こちらには観光に?」

「はい、実は私は同盟人でして。知人に勧められてオーディン観光に来ているのですよ」

「まあ、そうなのですか。帝国語がとてもお上手ですね」

「親族に帝国出身の者がおりまして、教わりました」

 

シェーンコップの返答は嘘ではないが、全くの真実でもない。しかしヒルダの疑問に対する回答にはなった。

 

「帝国はいかがですか?」

「そうですな、以前とは随分違っている。みないきいきとして楽しそうだ。帝国が変わったというのは本当なのですな」

 

(以前?)

 

ヒルダはシェーンコップの何気ないひとことに気づいた。それはついうっかり口走ったのか、あえて見せた隙か。しかしヒルダは踏み込もうとはせず、無難な会話にとどめた。

 

「これはついお引き止めしてしまったようです。私はこれて失礼します」

「はい、あなたの旅が実りあるものになりますよう、お祈りしております」

「ありがとうございます、私の名はワルターです、美しい令嬢(フロイライン)

「あら、お上手ですこと。私はヒルダですわ」

 

こうして二人はその日初めて出会った。ほんのひとときの邂逅だったが、しかしヒルダの記憶に残るには充分だった。

 

***

 

それから数日後、シェーンコップは惑星オーディンの地方に存在するシェーンコップ男爵領にいた。この、戦場においては恐れを知らぬ男にしていざ故郷に向かうとなると足がすくむ思いがしたが、勇気を振り絞って大気圏内航空便を乗り継いでやってきた。

 

シェーンコップはここに来るまでに生家と男爵家の現状を調べていた。帝国騎士だった生家はむろん断絶、男爵家も理由はよくわからないが断絶しており、旧男爵領は政府の代官が管理しているらしい。

 

やがてシェーンコップは立派な屋敷の前に立った。ここはシェーンコップの生家ではない。本家の男爵邸である。現在は代官が治めているため男爵邸は閉鎖されている。シェーンコップは数少ない一族の男子として、ここによく連れてこられていたという記憶がある。

 

シェーンコップは六歳で帝国を追われた。追われた時の記憶はわずかにある。それは慌ただしく、よそよそしく、快いものではなかった。それより前、この地で暮らしていた頃の記憶は曖昧で、はっきりと思い出せない。そのせいか、街並みも歩く人もくすんだように見える気すらしてしまう。どうしたらいいかもわからず、シェーンコップは旧男爵邸の前で立ち尽くしていた。

 

「あの…」

 

そんなシェーンコップに、ひとりの中年女性が声をかけてきた。

 

「こちらはシェーンコップ男爵様のお屋敷だったところですが…お身内の方でございますか?」

 

シェーンコップがなんと答えようかと迷っているうち、中年女性は目をまんまるくして口をあんぐりと開けた。

 

「あんれまあ、もしかして…ワルターぼっちゃん?」

「えっ、あなたは俺のことをご存知なのですか?」

「知ってるも何も! ぼっちゃんが小さいころ男爵様のお屋敷にお勤めしてた、クララですよお!」

 

シェーンコップの記憶の底から浮かび上がってきたものがあった。クララ。男爵邸を訪れた際にかいがいしく身の回りの世話をしてくれた若い侍女。大人たちが話をしている間、暇を持て余していたシェーンコップと遊んでくれた、優しい女性。

 

「ぼっちゃんのことはこっちでも何度も新聞に載ってて、みんなでその度に話してたんですよお。あの小さかったぼっちゃんが大きくなって、向こうで軍人さんになって出世して、ご活躍になって…」

 

シェーンコップ率いる薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊のイゼルローン要塞攻略の武功、ラグナロック作戦時の中世騎士道さながらのシェーンコップとロイエンタールとの一騎打ちは、帝国軍が敵ながらあっぱれという論調でシェーンコップのプロフィール付きで発表していた。それは平民の間でも話題になり、いつしか苦難に見舞われ幼くして心ならずも国を追われた帝国貴族が流れ流れて敵国で立身し、手強い敵となって帝国軍に立ち塞がるという一種の英雄譚にすらなっていたのである。

 

とうとうクララは顔を押さえて泣き出した。

 

「よかった、よかったですねえ、ぼっちゃん」

 

シェーンコップは戸惑った。クララが自分のために泣いてくれる意味がわからなかった。

 

「そうだ、こうしちゃいられませんですよ! みんな!男爵様のとこのワルター坊ちゃんがお戻りだよおー!!!」

 

たちまち、そこかしこから領民達が走ってきた。みな口々に驚きと、シェーンコップの帰還を喜んだ。

 

「こりゃあ驚いた、確かにワルター坊ちゃんだ」

「坊ちゃん!」

「こんなに大きくなって、立派になられて…」

 

もみくちゃにされながら、自分の帰還を喜び合う人達一人ひとりの顔を、シェーンコップはだんだんと思い出していた。

 

男爵家の庭師で花のことを教えてくれたハインツ。

小作人でいつも文句ばっかり言っていたが、自分を可愛がってくれたゲオルグ。

街の雑貨屋のおかみ、マルタ。

この人も、あの人も覚えている。

 

不意に、シェーンコップの目に映る世界が姿を変えた。

 

街並みが。

街路樹の緑が。

遠くに見える山々が。

自分を囲む人達が。

 

モノクロに見えていた全てが、いま鮮やかな色彩を取り戻していった。

 

「よくお帰りなさいました!」

「お帰りなさい!」

「お帰りなさい、坊ちゃん!!」

 

帰ってきた。そうだ。自分はいま、長い長い旅路の末に、ようやくふるさとに帰ってきたのだ。

 

こころざしを はたして

いつのひにか かえらん

やまはあおき ふるさと

みずはきよき ふるさと

 

シェーンコップは幼い頃に同盟で習った古い古い童謡を思い出していた。その目から何年かぶりに涙が流れていた。

 

***

 

オーディン市街地に戻ったシェーンコップは、新無憂宮の庭園を散策していた。現在の新無憂宮の多くは観光スポットとして一般に開放されている。

 

シェーンコップはあれから情緒不安定になっていた。どうにも感情のコントロールが効かなくなり、ふと目に入った花や小鳥の鳴き声にも涙ぐんでしまうようになっていた。

 

「はは、ガラでもないのに」

 

涙が流れないように上を向いたシェーンコップに、声がかかった。

 

「…あの、どうかされたのですか?」

 

シェーンコップが慌てて振り返ると、先日会った貴族令嬢が立っていた。

 

その日ヒルダは業務で新無憂宮を訪れていた。休憩時間に庭園を散策していたところ、いつか見た覚えのある男性を見かけ、泣いているように見えてつい声をかけてしまった。

 

「これは、以前お会いしましたね、ヒルダ嬢」

「はい、ワルターさん」

「どうもみっともないところをお見せしてしまいました。どうかお忘れいただければ幸いです」

「何か、ご事情があるのでしょう?理由があっての殿方の涙ならば、なにも恥じることはありませんわ」

 

そう言ってハンカチを差し出したヒルダをシェーンコップは思わず凝視した。ヒルダは真剣な、それでいて人を安心させる笑顔でそれに応えた。

 

「これも何かの縁と存じます。お聞かせいただけませんか?」

 

シェーンコップは、自分の身の上と、故郷に帰還を果たしたことを打ち明けた。そしてまた泣いた。ヒルダは驚くとともに、初めて会った時の疑問の答えを見つけた。

 

***

 

その日からシェーンコップとヒルダは何度も会い、急速に惹かれあった。

 

シェーンコップは本物のお姫様と付き合ったことがない。高貴で清楚な、それでいて明敏で、しかも小さい子供に戻ったかのように不安定な自分の感情を受け止めてくれるというこれまで付き合ってきた女性にはない魅力を持つヒルダにいつしか夢中になり、グイグイいった。

 

ヒルダはそもそも恋愛経験がなく、ワイルドでやや強引な、それでいて迷子の子供のようなもろさを表に出してくるというギャップマシマシのシェーンコップにたちまちほだされてしまった。もともと母性的な面が強いヒルダである。

 

「一度、父に会ってもらえますか?」

 

二人が初めてのひとときを終え、ヒルダがその言葉を発した時、ヒルダもシェーンコップも、短い間にそこまで自分達が進んでいたことを改めて認識した。

 

***

 

その日有給を取ったヒルダはシェーンコップを伴い、オーディンの貴族邸宅前に立っていた。ちょうど大本営ではラインハルトが内心のヤン・ウェンリー像の崩壊に頭を抱えていたころのことである。彼女は父親にもこの日休みを取るようにお願いしてあった。

 

「これは、あなたの家はずいぶんと大きなお屋敷なんだな」

「ごめんなさいワルター、黙っていて」

 

シェーンコップはヒルダのことをありふれた貴族のお姫様と推測していた。門閥貴族の反乱と没落、ラインハルトの台頭、新帝国の成立により、実は現在の帝国には以前ほど「普通の貴族のお姫様」はありふれておらず、ましてただいまオーディンにいる男装の貴族令嬢など約一名しかいなかったのだが、現在の帝国の事情に疎いシェーンコップにはそれが思い至らなかった。

 

「そういえば、俺は君の家名を聞いていなかったな」

「そのことなのですが…」

 

その時、玄関の扉が重々しく開かれ、屋敷の主人が姿を現した。本来は家令が出迎えるところではあろうが、主人はよほど娘が男を連れてきたことに驚いているものとみえる。

 

「ヒルダ、これはどうしたことだね」

「ごめんなさいお父様、どうしても事前にお話しする勇気が持てなくて」

 

ヒルダの父親は困惑した顔でヒルダとシェーンコップの顔を見比べていたが、ともかく家に入るように言った。

 

ヒルダは父親と恋人にそれぞれを紹介した。

 

シェーンコップは、お姫様がマリーンドルフ伯爵令嬢で、皇帝ラインハルトの秘書官で、父親が国務尚書であることに驚愕した。

 

マリーンドルフ伯爵は、いままで異性の気配を毛筋ほども見せなかった一人娘が突然連れてきた男が、同盟からやってきた亡命帝国貴族、それも悪名高い薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊長を務めた同盟軍退役中将であったことに驚愕した。

 

***

 

「シェーンコップ男爵家の忘れ形見か…」

 

マリーンドルフ伯爵はひとり自室でワイングラスを傾けながら考えていた。男爵家のことは記憶にある。伯爵が若い頃の出来事だが、男爵家の分家の当主が他人の連帯保証人として抱えた負債を返しきれなくなり、醜聞を恐れた本家が分家当主夫妻と幼い孫をフェザーンに追いやったとかいう話で、その後結局男爵家も当主や跡継ぎが早死にして断絶していたはずだ。伯爵が旧典礼省の資料を取り寄せて確認したところ、現時点での男爵家の正当な継承者第一位は、その孫となっていた。つまりあの男が帝国に復帰すればシェーンコップ男爵となれる資格を持っている。伯爵家の入り婿としてありえないほどに身分違いとまでは言えない。

 

どうしたものか?

 

ヒルダは、伯爵の可愛い娘はすっかり彼に惚れているようだ。しかし男爵となったとしても、その実は同盟への亡命貴族で同盟軍退役将官である! 常識外れの相手だ。

 

「いや、それでも皇帝(カイザー)よりははるかに常識的な相手とは言えるな…」

 

キュンメル事件の直前、伯爵は皇帝(カイザー)に結婚を進言し、その直後に軍務尚書に腹を探られ、嫌味を言われたことがあった。その際につくづくと考えたのだが、皇帝(カイザー)は自らの娘婿としてはあまり、いや、かなり考えたくない。皇帝(カイザー)は歴史に残る英雄だが、個人としてはおそらく異常人だ。

 

伯爵はヒルダには平凡で、ちかくを見つめる、野心のすくない男性と恋をしてくれたら、と思っていた。政府や軍幹部にはヒルダと皇帝(カイザー)をお似合いと評する向きが少なくないと聞いている。はっきり言って御免である。シェーンコップは彼の理想とは程遠いものの、それでも一般人の範疇に収まるだけ皇帝(カイザー)に比べればはるかにマシだ。外堀を埋められる前に片付けてしまうのも手ではある、と伯爵は考え始めた。

 

「そうだ、帝国と同盟の融和の象徴にもなろう」 

 

それは誰にも反対し得ない名分になるだろう。それに、皇妃レースから降りることで軍務尚書からの潜在的な敵意を逸らし、ヒルダと自分を守ることにもなるだろう。帝国国務尚書、フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵は政治家であった。

 

***

 

「皇帝陛下、本日はお話があって参りました」

 

ラインハルトは彼の主席秘書官と父親である国務尚書から彼女の結婚のことを聞かされて驚愕した。バーミリオン会戦、先日内心のヤン・ウェンリー像が崩壊していらいの、本年3回目の巨大な衝撃であった。

 

数日後、ラインハルトはヒルダの同伴でシェーンコップとも顔合わせをした。なんとなく、親戚の子の相手の品定めをしてやろうという気分にも似た思いのラインハルトである。

 

「…卿の声には聞き覚えがあるような」

「これは、皇帝陛下にまで小官の声が届いていたとは、光栄の至りですな。どこでお耳汚しをしましたかな?」

 

ラインハルトは人を食ったようなシェーンコップのべしゃりで思い出した。ラインハルトがまだ准将だったころ、ヴァンフリート4=2という衛星での地上戦でラインハルトとキルヒアイスは薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊と交戦した。

 

「ヴァンフリート4=2。そこで予は地上戦に参加し、同盟軍の基地司令官を捕虜にした。確か…そう、セレブレッゼ中将と言ったかな」

「なんと! 確かに、小官もあの場におりました。いや、これは奇遇ですなあ」

 

シェーンコップは嫌な予感がした。

 

「覚えている。なかなか愉快な開戦の挨拶だったな、シェーンコップ中佐?」

 

シェーンコップは顔がさっと青ざめるのを感じた。ラインハルトがセレブレッゼを捕虜としたその戦いで、同盟軍の基地における激しい攻防戦が発生する直前、当時中佐だったシェーンコップは帝国軍に向けてふざけた挑戦的な挨拶を投げた。それはとてもヒルダには聞かせられない内容だった。

 

「あら、どんな内容でしたの?」

「いやまああれは若気の至りというやつで、はっはっは」

 

それからひとしきり思い出話に花が咲いた。第十三艦隊がイゼルローン要塞を奪取した時の話ではことのほか盛り上がり、ラインハルトは自分ならどうしたか述べ、そしてシェーンコップはそれに自分ならどう対抗したか議論を戦わせた。それはラインハルトにとって皇帝という地位を忘れた楽しいひとときだった。

 

シェーンコップとヒルダが退出した後、ラインハルトは窓の外を眺めた。

 

シェーンコップは(自分ほどではないが)美男子であるし、かつて同盟軍の将として、帝国軍の敵手として戦った際も手強かった。大胆にもイゼルローン要塞に潜入して陥落させたその武勇には疑いをもてるはずもない。人間性にはややケレン味があるが、直に話してみるとなかなかの好人物だった。

 

伯爵令嬢(フロイライン)は幸せそうであったな」

 

伯爵令嬢が結婚、結婚とは。ラインハルトは以前マリーンドルフ伯爵から結婚を勧められたことを思い出していた。

 

(結婚…か)

 

ラインハルトは少し真剣に考えてみることにした。

 

***

 

大本営を出ようとしたシェーンコップとヒルダは、向こうからやってくる長身黒髪の帝国元帥に出くわした。

 

「うん? なに、卿は!!」

「おっ、貴官は!!」

 

シェーンコップとロイエンタールは咄嗟に相手を認識して身構えた。ラグナロック作戦の陽動として行われたロイエンタールによるイゼルローン要塞攻略作戦の際に、シェーンコップはロイエンタールの旗艦トリスタンに強行突入し、ロイエンタールと一騎打ちを繰り広げた。互いに相手の顔を忘れるものではない。

 

「お待ちください!」

 

一触即発の二人を、ヒルダが止めた。シェーンコップから目を離すことなくロイエンタールが詰問する。

 

「フロイライン・マリーンドルフ、これはどういうことだ、なぜこの男がここにいる!」

「ロイエンタール元帥、実は、私この方と結婚することになりまして」

「はあ!?」

 

ロイエンタールが驚愕するのは滅多にあることではない。

 

その後三人は大本営内の別室にひとまず場所を移し、ロイエンタールは二人から経緯を聞かされた。元薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊長だった男が帝国に復帰して下級とはいえ帝国貴族の地位を相続し、その後マリーンドルフ伯爵家に入婿するという話にロイエンタールは顎が外れそうになるほど驚いたが、皇帝(カイザー)その人にもお目通りして祝福されているのならロイエンタールが異を唱える話でもない。

 

しかし、それにしてもとロイエンタールは疑問を持った。目の前の男からは自分と同質のものを感じる。ひとりの女性に縛られるのをよしとしない渡り鳥のような、根無草のような…。

 

ヒルダが席を外した際に手短にロイエンタールは尋ねた。

 

「おい、卿はただひとりの女に満足して落ち着く気質には見えんが」

「貴官と同様に、ですかな」

 

相手も同じように思っていたようだ。

 

「俺のことはいい。なぜだ?」

 

煩わしげに前髪をかきあげてロイエンタールが尋ねた。あまりにも内容を省略しすぎた問いであったが、シェーンコップは正確に理解した。

 

「誰にでも、年貢の納め時というのはあるものだ。俺はそれが今だった。それだけの話だ」

「…そうか」

 

やや、黄昏れたように答えるシェーンコップにロイエンタールは何かを感じ取り、それ以上何も言わなかった。

 

***

 

翌年のこと、ロイエンタールは皇帝(カイザー)からの召喚を受け、大本営に出頭していた。

 

「ロイエンタール元帥」

「は…」

「卿が故リヒテンラーデ公の一族につらなる女性を私邸においており、かつその女性がすでに子を孕っているという告発は事実か」

「事実です、陛下」

 

ミッターマイヤーが立ち上がり友人を弁護しようとした瞬間、皇帝(カイザー)がそれより早く発言した。

 

「そうか! それはめでたい!」

「…陛下?」

 

誰もが耳を疑ったが、ラインハルトは気付かず話し続けた。

 

「生まれたら皇宮に連れてくるとよい、アレクのいい遊び相手になるだろう。ああ、その女性とやらも連れてくるといい、いく人もの女性が捕らえ損ねてきたロイエンタール元帥をついに見事仕留めてのけた女性、是非会ってみたいものだ」

 

帝国において皇帝(カイザー)の言葉は法であり、即決の判決でもある。この瞬間にロイエンタールの無罪が確定した。そしてエルフリーデの赦免もなされた。

 

「ロイエンタール、子供というのはいいものだぞ。アレクはかわいくてなあ、大本営から帰ると疲れも吹き飛ぶような気がしてな…」

 

頭を下げたまま、すっかり子煩悩な父親と化しているラインハルトの話を聞き流しているロイエンタールの顔面は紅潮していた。こんな皇帝など見たくはなかった。

 

(どうか、わが皇帝(マイン・カイザー)よ、私に反抗の隙をあたえないでいただきたい…!)

 

反乱の疑いが晴れるのを喜ぶ余裕もなく、ロイエンタールは心の中で燃え上がる黒い炎を抑えかね、歯軋りした。

 

*** 

 

だが、ロイエンタールが皇帝(カイザー)に叛逆することはついになかった。

 

ロイエンタールとエルフリーデの間に男子が産まれた後、その入籍と第一子誕生が公表された。そしてロイエンタール邸の前に「ご落胤」が置き去りにされるという事件が起こった。

 

ミッターマイヤーはエヴァンゼリンと共にロイエンタール夫妻の邸宅を訪れていた。エルフリーデが怒って話もできないので助けてくれ、という親友の叫びに駆けつけていたのである。我が子を抱いて怒るエルフリーデは鬼の形相だった。その傍のベビーベッドに、置いていかれたもう一人の赤子が寝かされていた。なんでも、身分違いなので身を引きます、どうかこの子だけでもという趣旨の置き手紙が添えられていたらしい。ミッターマイヤーが小声でロイエンタールに確認したところ、置き手紙にあった名前は確かに以前付き合っていた女性のものだという。

 

「お前、どうするつもりよ!!」

 

(お前って呼ばせてるのか)

(お前って呼んでるのね…)

 

エルフリーデの鋭い声に、この仲の良い夫婦は奇しくも内心で同じ感想を持ったが、それはひとまずおき、毛を逆立てて威嚇する猫のようなエルフリーデをともかく落ち着かせようとしたが、

 

「かね」

「金を持たせて孤児院にでも放り出すなんて言うつもりじゃないでしょうね!?」

 

ミッターマイヤーが何か言う前に、火に油を注ぎそうなことをロイエンタールが言いかけ、さらにエルフリーデがヒートアップする。

 

「いや、しかし他に方法が」

 

エルフリーデは仁王立ちになって吠えた。

 

「この家に引き取ってあたしが育てるわよ!」

 

予想外の発言に、ロイエンタールも、ミッターマイヤーも、エヴァンゼリンも固まった。

 

「お前の子でしょ!? この子と同じじゃない! あたしが守ってあげなくてどうするのよ!」

「エルフリーデ…」

 

エルフリーデは恐ろしくも美しい母親の顔になっていた。それは、ロイエンタールが初めて見る、我が子を守るために戦う母親の姿だった。ロイエンタールが過去に滅びた仏教という古い宗教の知識を持っていたら、あるいは鬼子母神とはこういうものかと思ったもしれない。

 

(母親とは、女とは、このような存在だったのか)

 

「エルフリーデ、その、本当にいいのか?」

「あたしはお前と二人でこの子ともう一人の子を育てていければいいの。お前は帝国の重臣で、俸給もいいでしょ。一人増えたぐらい食べるには困らないわよ」

 

母親の顔で微笑むエルフリーデを、ロイエンタールは愛おしいと思った。この笑顔を守りたいと感じた。それは何人もの女を食い散らかしてきたロイエンタールにして、初めての感情だった。

 

(エルフリーデと、子供達と、こんな暮らしをずっと続けていくのもいいものかもしれん)

 

ロイエンタールの心の中の黒い炎は次第に小さくなっていった。

 

「エルフリーデ、すまん…ありがとう」

 

ロイエンタールはエルフリーデと我が子を抱きしめた。

 

「別にお前のためじゃないわよ…」

 

ミッターマイヤー夫妻は黙って目を合わせて微笑み合った。実は夫妻はある腹案を持ってここに来たのだが、それは不要になりそうだった。

 

しかしその一週間後、もう一人の「ご落胤」が現れたことでエルフリーデが再度手がつけられないほど切れ、またロイエンタールがミッターマイヤーに泣きつき、話し合いの結果、その子はミッターマイヤー夫妻が引き取った。

 

***

 

さてその後、ロイエンタールとミッターマイヤーの間で一悶着があった。どちらも自分の長子にフェリックスと名付けようと思い、それを相手に話したところ、言い合いになったのである。それを裁定したのは皇帝ラインハルトであった。

 

「どちらもフェリックスと名付けたいのであれば、第二のファーストネームにすればよいではないか。第一のファーストネームは互いに敬愛する友人の名を付けたらどうだ?」

 

帝国軍の双璧は顔を見合わせて、揃って皇帝に頭を下げた。こうして2人の赤子は、ウォルフガング・フェリックス・フォン・ロイエンタール、オスカー・フェリックス・ミッターマイヤーと名付けられた。

 

これが帝国の朝野で話題となり、しばらくベビーブームに沸く帝国で新たにナイトハルトやアウグストやコルネリアスといった名前の子が増えた。ちなみに最も多かったのはフリッツであった。パウルは不人気だった。

 

***

 

ワルター・フォン・シェーンコップは、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフと結婚してマリーンドルフ伯爵家に婿入りした。ふたりの息子達のうち一人は長じて国務尚書となり、他の子達も帝国軍や新領土(ノイエ・ラント)総督府に勤め、それぞれ高い地位を得た。

 

オスカー・フォン・ロイエンタールは、統帥本部総長を数年勤めた後、マリーンドルフ伯爵の引退と共に新帝国第二代国務尚書に就任した。ロイエンタールはその優れたバランス感覚で国政を適切に舵取りし、後世の歴史家に賞賛された。

 

ふたりのフェリックスは、どちらも後の第二代皇帝アレクサンドル・ジークフリードの友人にして忠実な臣下となり、その治世において重きをなした。




あとがき

このお話は「猪のイゼルローン日記」の外伝になっています。ビッテンフェルト高等弁務官の意図せぬ貢献で帝国と同盟が平和理に併合されていく世界において、シェーンコップが主導したヤン一党の暴発とロイエンタールの反乱、このふたつの動乱の可能性を消すために二人になんらかの重しが必要になりました。実質的にふたつのお話ですが、一話にまとめました。

シェーンコップがヒルダと出会っていたら? というのはこれまた以前に某掲示板に書いたネタです。流石に第二代国務尚書は無理があると思い直しました。

シェーンコップはどこか常に死に場所を求めていた節があり、それは帝国というルーツを失い、それでいて同盟にもはっきりした帰属意識といったものを確立できなかったためではないかと、筆者は推測しています。派手な女遊びも、ヤンを神輿として反乱しイゼルローン共和政府を作らせたのも結局のところそのためで、シェーンコップは自分が同盟で地に足のついた人生を送るイメージを持てなかったのではないか、薔薇の騎士連隊とヤン一党に擬似的な家族のイメージを仮託して、彼らと共に戦争という非日常、お祭りの中でずっと浮かれ騒ぎ、その中で死ぬことを望んでいた…とは言い過ぎでしょうか。ヤンが平穏な人生を望むならシェーンコップをどこかで遠ざけるべきだったと思っています。今作ではシェーンコップは帝国でルーツを再確認することができ、安らげる棲家を得ることになりました。それでマリーンドルフ伯爵の老後が平穏なものになったかはまた別ですが。

ヒルダがシェーンコップのようなタイプに惚れるのか? その逆もしかり、という反論はございましょうが、タイミングだったとお思いください。ヒルダの包容力にシェーンコップがバブみを感じたのかもしれません。

原作中、ヴァンフリート4=2でシェーンコップは帝国軍に官姓名を名乗ってはいませんが、そこはセレブレッゼの怒鳴り声が聞こえていたことにしてください。

ロイエンタールには、原作で描かれた通りかなり早い段階から反逆の伏線が用意されていました。彼の破滅願望にも類する反骨精神と天邪鬼をねじ伏せるのは容易なことではありませんが、つまるところ母親との捻くれた関係に起因する女性不信と自己肯定感の欠如が根っこにあると考え、そこをエルフリーデになんとかしてもらい、猛禽は止まり木を得ました。

帝国では劣悪遺伝子排除法の影響で遺伝子関係の医療技術が失われています。完全クローン人間を作れた銀河連邦時代を考えると、本編の時代では治療用に自分の細胞を培養して臓器や腕の一本ぐらいつくれそうなものですが、ワーレンも失った腕に義手を着けていました。ロイエンタールがご落胤を自分の子と信じたのは遺伝子鑑定の結果ではなく、ただ子の母親を(もっと言うと、その母親と付き合った自分を)信じたからです。

エルフリーデはツンデレです。

ロイエンタールは複数同時進行したことはないと理解しています。まあエルフリーデと籍を入れる直前に短期間の付き合いと別れ話が連続して複数あったものとお考えください。

ロイエンタール家に引き取られた子は女の子でした。

ロイエンタールは平時に向いた統治者としてゴールデンバウム王朝の皇帝達の多くより優秀だったと評されており、実際に新領土総督として行政官も無難にこなしているので、国務尚書も問題なく務められたでしょう。同盟との関係が良好で第二次ラグナロックの発生しない世界では統帥本部総長にはあまりやることもなさそうなので、国務尚書はいい異動先だと考えました。

もう一つの騒乱のタネであるルビンスキーですが、同盟での地球教の摘発、黒色槍騎兵と航路保安局の治安維持活動、それと帝国と同盟間の行き来が公式に認められたことにより密入国を斡旋する業者が激減したことで、フェザーンから秘密裡にハイネセンに移動することができないまま隠れ家で病死しました。そのためハイネセン大火も起きません。大して面白い話にもならないので出しませんでした。

ふたりのフェリックスは原作で父親同士がファミリーネームで呼び合ってるからこそできたネタです。ドイツ語ではミドルネームという呼び方はせず、フリッツ・ヨーゼフだとフリッツが第一のファーストネーム、ヨーゼフが第二のファーストネームとされるようです。浅い知識なので詳細はご容赦ください。

最後に外伝をもう一話書きます。あの人とあの人とあの人の結婚話です。
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