月が、中天に浮かぶ頃。
本来ならとうに寝ている――――或いは真逆に起きる訓練をしている時刻。
既に人の時間ではなく、妖の時間となっている世界。
(やっぱり、『月』の影響か?)
或いは霊能力者としての第一歩を踏み出したからか。
体の隅々にまで神経が行き渡り、細かい動作だって簡単に出来てしまいそう。
父上は僅かな筵の上で藁に包まれ目を閉じているはずだ。
これ以上は関与しない、とでも言いたげに。
家よりも倉庫の方が厳重に護られた、逆転した我が家へと一度目をやり。
改めて人の形を保った符を掌の上で見つめる。
(……俺の、初めての式。)
飛縁魔。
一言で説明してしまうなら、東洋……日ノ本に於ける吸血鬼の亜種。
本来は飛炎魔などとも言われるように、五行に於ける『火』の属性を強く持つ妖。
このゲームでは空を飛び、血や精気を吸い取る美少女の形をしていると定義される。
無論種族的に『火』……つまりは水系列の呪法を弱点とする妖ではあるが。
最も恐ろしいところは『魅了』*1に近い能力を種族特徴として持つ所にある。
『混乱』*2の上位であり、これを使用し始めるのが飛縁魔ということもあり。
使われていたら確実に俺は死んでいた、と思っている。
ただ、それが手元にいる。
少しだけ震えを感じ、それを抑え込む。
多分、これは。
今になって感じる強い達成感なのだと。
普段感じることのないモノに身を任せることはなく。
(――――よし、やるか。)
ちりちりと焼かれるような興奮が背筋を焼きながら。
右手で強く、符に触れて霊力を注ぎ込む。
『我が式よ。』
脳内に浮かぶ言葉。
何かが決定的に変わってしまった、俺の体内から。
必要なものだけを引き摺り出す。
『我が呼び声に答えよ。』
呼び出すのに必要な言霊。
符から呪法を放つのに必要な霊力。
そして、それらを扱うだけの器。
『――――契約を、執行する。』
それらを強く認識し、最後の言葉を口にすれば。
式神符が五つに千切れ飛ぶ。
木火土金水。
古くから伝わる五行思想を表すように、五芒星を宙に描く。
木生火。 木に当たる部分が強く輝き、火の力を増し。
水剋火。 水に当たる部分が光を弱め、火の力が更に増す。
火剋金。 金に当たる部分が姿を消し、火のみが周囲を一瞬埋め尽くす。
眼の前を覆い尽くす赤い光。
けれど、その奥に確実に何かがいるのを俺自身が認識している。
目を離さず。
脚元を緩めず。
「…………まさかまさか、と言うべきなんじゃろうなぁ。」
とっ、と地面に降り立つ軽い音。
聞こえる声は幼いのに、口調はまるで老人で。
妖の成り立ちからして
ちぐはぐとした違和感を小さく感じる。
「……話せるんだな。」
「こうして式と為ったから、の。」
少しだけ、影が映って見える。
俺よりも姿形は多少大きく。
けれど常に見上げる事を必要とするほどではない高さ。
そして、その言葉から感じる
自分を鼓舞する意味を込めて、強い口調を心掛け。
「随分と……自分に自信がないんだな。」
「遥か昔に封じられ、解放されたと思えば相手は童に過ぎぬ。
――――
眼光が、姿が、その姿が。
光の奥から差して見えた。
黄色の瞳。
白い呉服にワンポイントの蒼一筆。
背筋の中程から微かに見える、蝙蝠のような羽根が二つ。
そして、服にも負けない真白い、肩口程で整えられた髪。
それらを揃えて浮かんだのは、ゲームで好きだった一人のキャラクター。
出会う元は遊郭の禿。
水揚げ、身請け、そして拠点の管理へと。
霊能力を持たない存在だったからこそ、影に日向に主人公を支えることが出来たヒロインの一人。
――――そして、金銭が不足すれば夜の世界へと只管に転がり落ちていく少女。
「飛縁魔、此処に。 ――――汝が、吾の主じゃな?」
「……ああ、そうだ。」
話し方はまるきり別で。
けれど、その立ち居振る舞いと在り方はそっくりで。
存在を同一視するのは悪いと思っていながらも。
「
飛縁魔は、種族の名前に過ぎない。
だからこそ、式となった妖は自己を求める。
けれど、それを行うかは主の判断に任せられる。
行えば、仲間として自己を確立し。
行わなければ、いつかは夜の世界に溶けていく。
陰陽師ビルド*3は好まなかった俺だから。
名付けは、極限られた数しか付けられないと分かっていながら。
行わない選択肢は、存在しない。
見下ろす視線に目線を合わせる。
一瞬だけ目を閉じて、彼女へと小さく頭を下げる。
名前を借りる、と。
自己満足に過ぎない、そして彼女に纏わる一幕を思い返しながら。
「『
俺の、生涯を共にするだろう式へ名を付けた。