男が事務所を去った翌日。
葉一はラジオニュースを垂れ流しながら、静かにジャケットを羽織っていた。
『昨夜21時ごろ、路上に放置されたアタッシュケースから、圧死した男性の死体が発見されました。警察は身元の確認を進めるとともに……』
くぐもった低い声が、不気味に1人の男の死を伝える。
「やめておけ、と言ったからな……」
葉一は静かに事務所を出ると、桃色の雲を見上げながら裏路地に進んだ。
人通りは少なく、さびれたコンビニが一件暇そうに佇んでいるだけの裏路地である。
二回目の角を曲がった後、目の端に走り去る一筋の影が見えた。
葉一はそっと、その方向へと向かう。
焦る様子はない。ただ先ほどと同じように、散歩のようなペースで歩みを進めるだけだ。
反するように、駆ける足音はペースを上げていく。かすかに、息切れする音すら聞こえる。
「そこで一度止まるといい。君と話がしたい」
葉一が声を発した。
影は足を止めると、暗闇で化粧した顔をゆっくりこちらへと向けた。
「殺しもしない。捕えもしない。ただ観せてもらうだけだ。『君と』『君の力を』」
*
話は一度、昨日の夕べ――つまりは依頼者の男が葉一の事務所を去った後に遡る。
「……つまりだ、彼女が失踪した理由とカラクリが未だ分からない以上、しばらくは彼女の家に無闇に近づくのは危険だと思う。調査はしばらく様子を見てからにしたい」
葉一は電話で、依頼者の男と話していた。
「そんな……優子が今も助けを求めているかもしれないんですよッ! 彼女の身に何かあったら、アンタが責任を取ってくれるわけですかッ!」
男は息荒く主張する。
「まぁ待て、慌てるんじゃあない。家を調査するのは聞き込みを行ってからだ。君を危険な目に合わせるわけにはいかない。いいか、絶対に1人で勝手に調べるなんて真似はするなよッ」
「……分かりました」
少しの沈黙の後、通話終了を告げる電子音が受話器から発された。
受話器を握る男の手には、じっとりと汗が滲んでいる。
「クソッ、あの探偵……分かったような事言いやがって。『1人で行くのは危険』だと? 今このうちに彼女に何かあったらどうするつもりだッ」
男は受話器を投げるように置くと、歯をギリギリと噛みながら自宅のドアから飛び出した。
「見つけ出してやる……秘密をッ! 僕1人でッ! 最初から探偵なんかに頼らない方が良かったんだッ!」
逢魔時の太陽は異様なほど大きく、杜王町の空はペンキで塗ったようなオレンジ色で埋まっている。
春の少し胃もたれするような空気を肺に供給しながら、男は一心不乱に走っていた。
「もう一度優子の家に行けば……あの男もいるかもしれないッ」
男は優子の家のドアの前までたどり着くと、汗ばんだ手で滑り落としそうになりながら、彼女の家の合鍵を鍵穴に差し込む。
激しい音を立ててドアを開けると、部屋には怯えた様子の優子が座り込んでいた。
「いた……ッ! 無事で良かった、僕の優子……」
しかし。
歓喜する男の表情とは裏腹に、優子の表情は固く凍りついている。
「な……なんでッ」
優子は震え声を漏らした。
「なんでアンタがアタシの部屋の鍵を持ってんのよォーッ!! フザケないでェーッ!!」
優子は絶叫した。
男はそんな彼女の様子には目もくれず、ひたすらに1人で喋り続けている。
「良かった……本当に良かったよォォ〜ッ!! 誰にもやらないからな……僕の優子はァァーッ!!」
「で……出てってッ!! 出てってってば、このストーカー!! アンタから逃げ回るために、どれだけ苦労したと思ってるのッ!!」
優子はひたすらに喚いている。男は急に表情を一変させると、突然優子を押し倒した。
「心配したんだよォ~、どこに行ってたんだい優子。僕はさびしかったんだぜ~ッ。知らない男と一緒に歩いたりなんかしてさッ!」
男の太い手が優子の首を掴む。優子の目は恐怖に歪んでいた。
「ウワキなんかしやがって……ゆるさないぞッ! あの男は必ず探し出して殺してやる。それはそれとして優子、君が僕のものだってこと、ちゃアンと身に染みてわからせなくっちゃあなァ~……」
生暖かい唾液が優子の首元に落ちる。
そこからぞわり、と波紋状に鳥肌が広がった。
彼女の心の中に、嫌悪感という一言で言い表すにはあまりにも醜悪な感覚が徐々に満ちていく。
「畜生ッ!! アンタのせいでアタシ……ロクに彼氏もできなかったのよッ! ようやく仲良くなれた彼だって、アンタから逃げ回るうちにつかれて離れていってしまったわ……。分からない?! アンタからずっと逃げ回る日々は……地獄の苦痛と同じなのよッ!!」
優子は男の手をがしりと掴んだ。
怒りに満ちた指先が、ギリギリと皮膚に食い込んでいく。
「いでッ! こ……この女ッ! 人が優しくしてやればいい気になりやがって……そっちがその気なら……こっちだって考えがあるんだぞッ」
男はズボンのチャックに指をかける。
あまりに下品な行為に、優子は吐き気さえ覚えた。
「ひィィーッ!! フザけるのも大概にしてッ! アンタなんか……アンタなんか……」
男がズボンを下す。
その瞬間、優子の精神状態が限界に達した。
「死んでしまえばいいのよォォォーッ!!」
絶叫。
優子は、ついに心を爆発させた。
そして、少しの間があった。
荒れた彼女の部屋の中は、しんと静まり返っていた。
彼女の腕を掴んでいた男は、もうどこにもいなかった。
*
「『スタンド使いは貴女だったんだ』……」
葉一はじっと影を見つめ、そう言った。
影は――『優子』は、暗闇の中でも分かるほど怯えた様子を見せた。
「スタンド使い……? 何よそれッ! アタシは何も知らないッ。何もしてないわッ!」
とっぷりと、陽が落ちた。
瞬間点いた電灯が、恐怖に歪み切った表情を浮かび上がらせる。
「あなた、いったい誰なのッ! なんでアタシを知ってるのッ!!」
優子はその場に崩れ落ちた。
葉一は意にも介さずに、タバコを口に迎える。
「正面の写真がなかったあたりから怪しいと思っていたが……あの男は貴女をずいぶんと執拗に追い続けていたらしいじゃあないか。彼の部屋は貴女の写真だらけでね。私ですらちょっと鳥肌が立ってしまったよ。そして……私の静止を振り切って、貴女の家へともう一度足を踏み込んだ」
「ちょ……ちょっと待ってッ! 何でそんな事まで……あいつは……『あのストーカー男』はッ!」
葉一の顔が紫煙で曇る。
「そう、『死体で発見された』。アタッシュケースにギチギチに詰められて、だ。貴女もニュースを見ただろう? だから逃げ出した。『自分がやったのか?』『わからない、けれど何かがヤバい』。そんなところだろう」
優子の顔が歪む。
「何よそれ……。全部……知ってるっていうの……?」
「私はね……不思議な能力を持っているんだ。一度触れた人の感じている感覚を、私も同様に感じることが出来る。要は、感覚のハッキングだ。だから彼の見ていた景色は私にも『観えていたし』、彼に何が起こったのかも私は身をもって知っている。もっとも、彼の意識が途絶えた時点でそれ以上観ることはできなかったがね」
言葉を挟むことを許さないかのように、葉一は淡々と話を続ける。
「貴女とあの依頼者、どちらかが『スタンド使い』として仮定した際、密室の謎を解くには当時と同じ条件を再現するべきだと私は踏んでいた。だからまず依頼者の素性を『よく観て』、その果てに貴女の失踪が『自衛』だったのではないかという考えに行き着いた」
葉一は火が点いたままのタバコを一呑みした。
優子はただパニックの中にいて、この男の異常な行動など最早気にする余裕もなかった。
「だから私は、あの男にあえて強く『家には行くなと念を押した』。 そうすれば彼は必ず動く。彼のような人間は、抑圧され、否定されればされるほど激しさを増す! 私がそうだからなァ~ッ。そして予測通り、貴女はスタンドを用いて『彼を殺した』! 一瞬だったから能力の詳細は分からなかったが、ともかく貴女がスタンド使いという確証は得られたわけだ」
葉一は小躍りしながら、誇らしげに演説する。
月が彼の狂気を暗示するように、青白く光っている。
「そ……それじゃあアイツがアタシの家に来たのって……」
優子が、月よりも青白くなった唇を震わせる。
「あぁ、『私のせい』だろうな」
葉一は、さも当然のことのように吐き捨てる。
「私は別に、この杜王町を平和にしたいとか、街を救うスーパーヒーローになりたいとか、そんな馬鹿正直な理由で探偵をやっているわけじゃあない。私にとって、至上は『未知を知ること』。その過程を大いに楽しみ、生きることが何よりも大切であり、幸福なんだ。だから私はこれから、貴女のスタンドがもつ能力の謎を、より深く知らなくっちゃあならないのだよ」
「あ……アタシが人を殺したから裁きに来たのッ?!
優子は抜けた腰を引きずるようにして、再び逃げ始める。
それをまるで甚振るように、ゆっくり、またゆっくりと葉一は追う。
「人の話を聞けない人だな……。貴女のスタンドはどうやったら発動する? 必要なのは脅威か? はたまた暴力そのものか? それを私は知りたいだけなんだ。貴女が人殺しを犯していようが、もっとヤバいことに手を染めていようが、罪の大小はまるで問題ではないッ!」
夜影で真っ黒になった、コンクリートの壁。
そこに、見えないはずの人影がゆっくりと浮かび上がる。
「さてくれぐれも……
お久しぶりです……!!
結局2年以上失踪してるじゃあねェかよォォォ~~
リメイク前とスパン変わらねぇじゃあねェかァァ~~ッ
本当にすみません。
また更新を再開していきますので、よければ感想・評価で応援いただけると幸いです。
次回「バンド・オン・ザ・ラン」
お楽しみに。