燕が巣を作った。
鎮守府の正面玄関、車寄せの屋根の下に、小さな巣を作った。
営巣に誰も気が付かなかった。完成し、卵が孵り、ひな鳥がピィピィと鳴き始めてようやくそこによそ者が居ついていることに気が付いたのである。
はじめは誰もが歓迎していた。しかし、いつからか鎮守府内は真っ二つに分断された。静観派と撤去派である。
緊急で会議が開かれた。議題はもちろん『闖入者の処遇について』である。
静観派と撤去派どちらの意見も全うであり、会議は泥沼の様相を呈した。静観派は『せっかく作ったのに壊してしまうのは燕がかわいそう。雛が可愛くて見ていて和むからそのままがいい』と主張し、対して撤去派のは『衛生面で不安がある。フンの清掃は誰がするのか。また、巣があるのは正面玄関である。フン爆撃が客人に命中したらどうするのか』と主張した。
感情と理屈。観点のまったく異なる意見同士が歩み寄れようはずもなかった。
会議はやがて本題から外れ人格攻撃へと移行していった。私たちの意見が理解できないのはあなたたちに人の心が無いからだ。人の心があれば仲間の健康や客人への配慮ができるはずだ、燕を優先する思考が生まれるあなたたちこそ人の心が無いのでは? 巣を食べましょう。食べるなら巣立ってからにしましょう。どいつもこいつも自分勝手だ……
会議が始まったときには真上にあった太陽は山影に消えていた。
もうお開きにしようと誰もが思ったその時、会議が始まってからたったの一言も発していなかった雪風が、ちいさく呟いた。
「燕の巣がある家は縁起がいいんです。燕は幸運を運んできます」
本題はどこへやら世間話に賑わっていた会議室は水を打ったように静まり返った。
艦娘は運にうるさい。戦場での生き死には運がすべてだと知っているからだ。
そして最も幸運な艦娘が放った言葉。
急転直下、満場一致。
今後の方針は決まった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
燕と人間の共存生活が始まった。
会議で定められた方針に基づき各種対策がなされた。
・巣の下に看板を置き通行人に直下を避けるよう促す
・巣の下に受け皿のようなものを配置し巣から落下するフンを可能な限り受け止める
・客人に対しては車寄せの下に入る前に説明し理解を得ておく
・地面に落下したフンは非番の艦娘が清掃する
その他にも細々とした対策はあったが、つまるところフン害への対策がほとんどであった。
これらの対策は功を奏し、最も危惧されたであろう鎮守府外部の人間への直接的な害はゼロに抑えられた。内部の人間に対しても、アレルギー等の反応はこれといって見られなかった。ただし、事件未満の出来事はいくつあった。
まずはじめに山城がフン爆撃を食らった。直撃だった。やっぱり、と誰もが思った。山城は憤慨した。世界に対して、この世に対してあらんかぎりの悪態をぶつけた。終いにはすべて提督のせいだという結論に達していた。しかし爆撃を敢行した燕そのものにはいっさい悪い言葉を向けなかった。それが山城らしさであり、山城の魅力であった。山城とはそういう女なのだ。
次に島風が飛び回る親鳥を追いかけ始めた。はしゃぎながら追いかけ走る島風の姿に皆ほほえましく眺めていたのだが、親鳥が巣に戻るのをためらう程に執拗に追いかけるので、たまらず天津風が止めようとした。しかしそれでもやめなかった。水雷戦隊の旗艦たちの静止も聞かず、ついにはかの大戦艦がちっぽけな駆逐艦相手に手ずから教育を施すことと相成った。長門である。普段はやさしい長門に叱られて、島風はしょげてしまった。その後はぱたんと大人しくなり親鳥を追いかけることは二度となかったが、飛び回る二羽の姿を見る物憂げな瞳は見る者の同情を誘った。もしかすると、自分と同じ速さのかけっこ相手ができてうれしかっただけなのかもしれない。燕の速さに憧れただけなのかもしれない。追いかけたという自覚はまったくなかったのかもしれない。真意は誰にもわからなかった。
他には雛鳥に手渡しでエサを与えようとした者、高角砲で親鳥を撃ち落とそうとした者、いたずらで姉妹にフン爆撃を食らわせようと企てる者、食べるために巣を回収しようとする者、とにかく燕にまつわる話題には事欠かなかった。その余波か、鎮守府全体の雰囲気もどこか明るく賑やかになっていった。燕が幸運を運んでくるという言い伝えはあながち冗談でもないのかもしれないと、島風以外の誰もが思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ひな鳥が親鳥と見紛うほどに育った。嘴は黄色に、ちいさな瞳はまんまるに。お腹は雪原のように真っ白に。
巣立ちの時は近い。その瞬間を見届けようと、艦娘は交代で巣を見守った。
鳥ならば夜に積極的に動くことはないだろうと踏んで昼間のみの監視だったが、交代のスケジュールや鳥を警戒させないための人員の配置など、近海哨戒もかくやというほどの気合の入れようだった。
監視開始から何日目だっただろうか。
「飛んだ!」
軽巡洋艦娘の弾むような声が青空に響いた。
陸にいるすべての艦娘が正面玄関へ向かった。車寄せの前はすぐに人だかりとなった。人垣の後ろにまわってしまった駆逐艦は背伸びをして、海防艦は年長組に肩車をしてもらってその中心を眺めた。
「ひとり、飛びました。無事です」
誰ともなく報告した。その直後にもうひとり、飛んだ。
飛んだ、という表現は正しくなかったかもしれない。落下した、という表現が正解かもしれない。巣から落ちたひな鳥は、地震計の波形のように急降下と急上昇を繰り返した。それでも精一杯空を目指したひな鳥はなんとか空中を漂い、やがて近くにあった木の枝にとまった。そこには背格好の似た鳥が一足先に羽を休めていた。おそらく最初に飛んだ兄弟であろう。ふたり並んだひな鳥はぴったりと身を寄せ合った。真っ白なお腹がふくふくと膨らんでいた。なににも汚されていない羽はすこしだけ逆立っているようだった。
さんにん目。よにん目。次から次へと飛び立った。息を呑んで見守った。そして最後のごにん目が飛び立った。全員が墜落することなく飛んだ。枝か、あるいは柵か、全員がどこかしらに羽を休めている姿を確認できた。
音の無い歓声があがった。気を遣った静かな歓声があがった。
音もなく涙を流す者、姉妹同士で抱き合う者、カラになった巣を見つめる者、それぞれが思い思いの方法で感動を味わっていた。
しばらくすると、ひな鳥が巣へと戻っていった。先ほどと変わらず危なっかしい飛び方だったが、それでも自らの羽で飛んで巣へ戻った。最後に親鳥が巣へと戻った。家族全員がそろった巣の中、ひな鳥は飛ぶ前の子供に戻ったかのようにピィピィと鳴き、親鳥はあきれたようにそれを見ていた。
そよぐ風が、高い青空が、言葉を失った艦娘が、世界のすべてが燕の一家を祝福していた。
それから毎日のように飛ぶ練習をするひな鳥の姿が見られた。
あっちこっちと飛び回るその姿は、日を追うにつれて風を捕まえるのが上手になっていった。飛行するにあたってはばたく回数が減り、滑空する時間が増えていった。剃刀のように薄い翼で空気を咲くその姿は、もういっぱしの燕の姿だった。
不安を抱く者はもういなかった。監視体制は解かれた。なんなら、巣の存在を忘れるほどに。
たまたま玄関の前を通った艦娘が今日はやけに静かだなと巣に目を向けると、もぬけの空になっていた。
非番の艦娘を集め、看板と受け皿を撤去した。皿の中を覗くと、びっしりとフンがついていた。
巣そのものは撤去せず保存しておくことになった。住人がいなければ害は無いから。撤去すべき理由がなかったから。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夏が来た。燕の巣は変わらず車寄せの屋根にあった。
艦娘が玄関の前を通ると、その巣を必ず一瞥する。その目線にどんな意味があるのかは、誰にもわからない。
あの親鳥とひな鳥はどうしているのだろうか。生きているのか、死んでいるのか。それもわからない。
だが、それでいい。自由に生きて、自由に死ねばいい。人間や艦娘が知ったところでどうともならないのだから。
ただ……もしも生きていれば、願わくば、いつかこの巣に戻ってきて、新たな命を繋ぐ姿を見せてほしい。ただそれだけでいい。それが皆の願いだった。
過ぎた願いだろうか。そうでもないだろう。それくらいいいだろう。
いつかまた会える日まで。その時まで。
お互い、どうか、どうか。
そう願った。