「手加減……ですか?」
「ええ。アカデミーから最も近いのがセルクルジム……その意味、お分かりですね?」
「駆け出しの学生を接待する……」
「そうです。そのことを
……嫌な夢を見た。お母さんがジムリーダーカエデとしてセルクルジムに就任する時に、偶然聞いてしまった現実。その日からお母さんはよく負けるようになった。だから私はポケモンバトルを見なくなった。
冷えた空気が曇天を知らせる。最悪な朝ね。帰ってきた私のことを呪おうとしているのかと邪推するくらいには目覚めが悪い。
「ご飯食べちゃいなさいね〜」
「うん」
故郷の味を懐かしむほど離れた期間は長くない。それでも安心してしまうのは私がまだ子供だからなのだろうか。食後のデザートとして抹茶のカップケーキまで付けてくれていた。生地を安定させるために砂糖を使う都合上、カップケーキというのは甘くなりがちだ。それでいて私が食べられるほど甘みが抑えられているのは、プロの技という他ない。おかげで気分も良くなった。……これほど美味しいのに、ジムリーダーとして名を馳せる前の『ムクロジ』は大して評価されていなかった。近くにあるカラフシティにはスイーツも有名な『ハイダイ倶楽部』がある。町の小さなパティスリーと街の大きなレストラン。割を食ったのもあるだろう。
ご飯を食べた後は店の手伝いをした。お母さんは店長だけあって多忙の身だ。まず料理の技術に関して、他の追随を許さないの。そのため店のスイーツは可能な限りお母さんが作っている。だから手伝えるのはレシピや行程が決まっていて、誰がやっても大差ない部分のみだ。もし本格的に継ぐとなれば、師事して時間を掛けて伝授してもらうことになるでしょうね。
少ししてお母さんが店を離れた。理由は聞かずとも分かった。ジムリーダーとしてのシフトの時間になったんだ。客の目当てはお母さんのスイーツだ。だからストックが売り切れた後のこの時間は休憩時間に等しい。私も着替えて外に出た。
「ジムテストクリアです!」
セルクルジムのジムテストはオリーブ転がし。楕円状のボールを障害物を避けながら運んで籠に入れるシンプルなものだ。豊作を願う収穫祭でもあるから、やり方に当たりはつけておいた。真っ直ぐ転がらないのだから、みんなも背負っていけば良いのに。
「あらあら〜。ミラじゃない〜」
「行くって言ったはずだけど……」
「そうだったわ〜。要らないと思うけど、一応自己紹介ね。パティスリー『ムクロジ』の店長カエデです〜」
「今はジムリーダーのシフトでしょ」
「あら? 間違えちゃったわ〜」
お母さんは私とは違って天然だ。これだけ抜けていて責任ある立場をこなしているのは、娘としては正直冷や冷やしている。
私はウパーを、お母さんはタマンチュラを繰り出した。ポケモン図鑑は使えないものの、虫タイプのジムなのだから素直に虫でしょう。集中しないと……たとえ手加減があろうと、それでも強いのは身に染みているのだから。
「虫ポケモンを甘く見ると痛い目見るわよ〜。『むしくい』!」
「攻撃は構わないで! まずは『しっぽをふる』よ!」
噛みつきでダメージを貰うものの、ぼうぎょを下げることが出来た。タイプの相関関係はこちらは毒により虫を半減、あちらは虫により地面を半減だ。悪いけど私に手加減の余地なんてない。『マッドショット』は予め忘れさせている。
「『たたきつける』から『ポイズンテール』よ!」
意識して連撃ができるよう練習した流れだ。ウパーもスムーズに技に移ることはできていた。
「そのままよく味わって〜。尻尾が来たらペッ、しましょうね」
「……!」
攻撃後離れると思ったタマンチュラはそのまま食らいついてきた。だから叩き付けても地面に伏せられず、身を捩って『ポイズンテール』を放とうとしたところで首の動きで転がされてしまった。
「オリーブ沢山転がしてくれたから、お返しに『ダメおし』しちゃうわ〜!」
ああ見えてお母さんは容赦ない。追撃を躊躇う性分では無いことは分かっていた。だから回避は間に合わない。
「……『どくびし』をお願い!」
毒に染まった
「ウパー、ありがとう。クワッス、舞台を生かすも殺すも貴方と私次第よ」
トレーナーと戦いを重ねるにつれ、分かったことがある。複数匹で行うシングルバトルで一匹のみで勝利を得ることなど稀だと。だから私が勝つには同時にコートに出ないウパーとクワッスの力を合わせる必要があるのだと。
「『むしくい』でクワッスも食べちゃいましょうね〜」
「もうお腹いっぱいでしょう? 『アクアジェット』で休眠を取らせてあげて!」
一歩踏み込んだタマンチュラに、クワッスは水を纏って目にも止まらぬ速さで突撃した。ぼうぎょが下がっていたこともあり、倒し切ることが出来た。
「チルッ……!」
これにより特性『じしんかじょう』が発動してクワッスのこうげきを上げられた。ふふっ……貴方、私のところに来るべくして来たのかもね。
「あらら〜。『どくびし』の隠し味が効いているわね〜」
続いて出て来たマメバッタに撒菱が浮き上がって襲い掛かった。これで『どく』の状態異常を負わせることに成功する。
「悪い子にはお仕置きよ〜。『にどげり』!」
「『なきごえ』で許しを請いなさい!」
接近してきたマメバッタは前脚、中脚と繰り出してきた。二撃とも食らうものの、まだ余力は残っている。『どく』は時間経過で体力を削り取る……。だから速攻を仕掛けてくる……。そこをこうげきを下げていなす……。もしここから反撃の目があるとすれば同タイプの虫技。それもとくしゅ技……!
「小さな力で足元をすくいましょう〜! 『むしのていこう』!」
「今よ! 『アクアジェット』で回り込んで!」
ジャンプ力を活かしてマメバッタはヒットアンドアウェイの形で下がり、衝撃波を放った。前方に広がりきる前に死地とも思える発生地点に突っ込んだクワッスは衝撃波を掻い潜り、背後を取った。
「『つばさでうつ』で決めて!」
「あっ……!」
前にとくしゅ技を放ったポケモンの背後というのは非常に無防備。そこに弱点となる飛行技が炸裂する。『どく』の侵食も相まって、マメバッタを倒せた……!
「あらあら〜。わたしのポケモン達、みーんな虫の息よ〜」
みんな……ね。こうして私はお母さんに勝つことが出来た。事情はどうあれウパーもクワッスも頑張ってくれたから得られた勝利。嬉しくないはずがなかった。手渡されたジムバッジがその頑張りを証明してくれているように感じられる。なるほどね……。積み上げて味わった達成感が次のジムへと進む支えになる。ポケモンリーグの意図も、今では……理解できる。
私はお母さんと一緒に店に戻る。道中では、ポケモンバトルを避けていた私がこうして勝利を得る結果にまでなったことを、お母さんは自分のことのように嬉しそうに話していた。
「……ねえ、お母さん」
「なーに?」
店に入るとちょうど誰もいなかった。私はお母さんと向かい合って、真っ直ぐ目を見つめた。
「本気で戦いたいんでしょ?」
「え……」
今まで目を逸らしていたお母さんのバトル。向き合ってみれば、私にはすぐ分かることだった。勝負は勝つことが全てとは、かつての母のスタイル。そんなお母さんが本気を出せずに、鬱憤が溜まっているのだと。
「今日だってヒメグマもテラスタルも出さないで……」
「そ、それはミラと条件が同じじゃないといけないからよ〜」
「そう。相手に合わせなくてはならない。その捉え方は立場によって変わる……。ポケモンバトルに強さを追求するお母さんにとっては、合っていなかったのよ」
「……最初はね、それでも良いと思っていたの〜。けれどわたしの虫ポケモン達に勝利を味わわせてあげたいなって気持ちも出てきちゃったわ〜」
もうはっきりとも思い出せない朧げな記憶。あの頃のお母さんは圧倒的な強さで、とても好戦的だった。少なくともバトルの最中では普段の穏やかさなど、どこかへと飛んでしまうほどに。
「よりによってテーブルシティから一番近いところを選ばなくても良いのに」
「で、でも……。わたしにとって、故郷でパティスリーを開くことは譲れない夢だったんだもの〜」
「それと最強のトレーナーになることも、でしょ」
「……そうだったわね〜。わたしはバトルも料理も先人に助けられて、上手くなれたから。その役割を背負ってお返しできるならって、もう一つの夢は諦めちゃったわ〜」
私は御免ね。好きなことで掴もうとした目標が泡沫の夢だなんて。
「……ねえ、お母さん。私が家業を継いだら、余裕が生まれるわよね」
「そうだけど、気を遣わなくて良いのよ〜。わたしの分もミラは頑張ってアイドルになってちょうだいね〜」
思えばこの約束も静かな叫びだったのだろう。けれど自分第一に考えられないから、継げとも言わないし、私の夢のために自分の夢を犠牲にしようとすらしてしまう。その優しさは嫌いではないけれど……私は甘いものは苦手なの。
「もう一つ……」
「え?」
「私ももう一つ出来てしまったわ。道を逸れて色んな景色を見てきたから。当たり前だと思っていた認識が壊れて、思いもしなかった考えが浮かび上がったの。私はやっぱり好きなことを夢としたい。だから、たとえ誰かにおとぎ話と揶揄されようとも——」
かつて私は同じように人を楽しませる存在になりたいと志した。けど、私は私だ。他の誰でもない。沢山の人に影響を受けながらでも良い。自分らしく進もう。
「——パルデアでまだ誰も成し遂げたことがないアイドルジムリーダーを目指す!」
こうして宝探しの日々は終わりを告げた。宝物を持ち帰れた気はしていない。けれど私は、私だけの宝の地図を見つけた。