2022年 11月15日(火曜日)
それからというもの、桐ヶ谷直葉は機会があれば公園へ出向き、ダンスに参加して、実直な態度で新たな技に挑戦し続けた。
剣道部ということもあってか、その姿勢は生真面目で、努力を当然のものとして向き合っている。良くも悪くも自由奔放なメンバーとは一線を画していた。
そんな桐ヶ谷のことを、メンバーは快く受け入れている。それどころか、尊敬しているフシさえもあった。かくいう緑川茂も、あそこまで真剣な人間は珍しいとさえ思っている。
そして長田伸一についてだが、やはり長田は直接ダンスには参加せず、ただ観客として活動を見守ってくれていた。時おりメンバーから「(ダンスは)どうだった?」と聞かれることがあるが、そういう時の長田は決まって「そうだね」と前置きして、それから的確に長所と短所を言葉にする。その把握力は、さすが教室一のランカーであると言わざるを得ない。
「――今日もありがとうございました!」
「おつかれっ。いやー桐ヶ谷ちゃん上達速いね、すぐにでもウチらのエースになれるよ」
「そ、そんなことないですよ。まだまだ未熟です」
「まじめだなあ……お姉ちゃん感動する……」
茂も、「そうだなあ」と同意しつつ、
「剣道部って凄いな」
「え――」
茂の言葉に対して、桐ヶ谷はほんの一瞬真顔のものとなる。
そして次の瞬間、桐ヶ谷は、
「剣道部に興味があったら、いつでも歓迎するよ!」
「え、」
桐ヶ谷の顔が、それはもう明るくなった。
勢いすら感じられて、茂の腰が若干引けた。後ろにいた長田が、「かわいい」と小声でコメントする。
「お、俺みたいなナンパ野郎には向いてないんじゃないかねー?」
「え、そうかな? 緑川君、けっこう真面目そうだけど」
「そんなことないない、好きなことしかしたくないだけ」
「それは私もだよ。剣道が好きだから剣道をやっているわけだし」
「そ、そうすかー? うーん……」
「私からしてみれば、こうしてダンスに励むあなたも凄いよ」
そう言われてしまえば、つい胸の内がおだってしまいそうになる。
己が表情なんて、今や崩れ切ってしまっているだろう。
「じゃ、じゃあ、二人ともすごいってことで」
「そだね」
桐ヶ谷が、くすりと笑った。
最初こそぎこちなくダンスに参加していた桐ヶ谷だったが、今となっては笑うことも多くなった。
長田も審査員になってくれているし、ここ最近はいろいろと変わり始めているような気がする。
「っとー、そろそろ時間か」
リーダーが腕時計をちらりと見る。冬も近いからか、空がもう暗い。
「茂、桐ヶ谷ちゃんのことをしっかりエスコートしてあげなさい」
「あいよ」
「いつもありがとう」
「いいって」
ダンスが終われば、茂はいつも桐ヶ谷を家まで送る。この流れも、だんだんと慣れてきた。
「じゃあ今回も、よろしくお願いします
「あいわかった」
思えば、異性と二人きりで帰るだなんて今年が初めてかもしれない。
そういう関係ではないが、オトコノコたるもの若干の意識はしてしまうものだ。恋する度胸も覚悟も無いくせに。
「あ、あのっ」
帰ろうとした矢先、長田から呼び止められた。
「ん、何?」
「あ、えーっと、その……」
「どうしたの、長田君」
桐ヶ谷が、長田の目を見る。
その視線に対して、長田はそっと目を逸らしながら、
「……う、ううん、なんでもない。じゃあ二人とも、気を付けてね」
「あ、ああ」
そうして、長田は逃げるようにこの場から立ち去っていってしまった。きっと今日も、メンバーと帰路を共にするのだろう。
――なんとなく思う。長田は、桐ヶ谷のことが気になるんだろうか。
長田はよく桐ヶ谷のことをチラ見しているし、隙あらば声をかけようとする傾向もある。ただ、桐ヶ谷とのやりとりはほんの数秒で終わってしまうケースが多いのだが。
長田と桐ヶ谷とは昔なじみというし、特別な感情を抱いていても不思議ではない――が、すぐに色沙汰方面で考えるのもどうだろう。そう発想する時点で何だか失礼な気もする。単に交流を図ろうとしているんじゃないのか、だって昔なじみなんだし。
「緑川君」
桐ヶ谷の言葉に、茂の思考が霧散していく。
「じゃあ、帰りましょうか」
何事もなかったかのように、茂はへらっと笑う。
「そうだな」
今日も楽しいダンスが終わり、明日から窮屈な授業がはじまる。
――
2022月 11月21日(月曜日)
晴天に恵まれた昼休み。かったるい授業が終わり、クラスメートが好きに動き始める。
ある者は友人と弁当を食べあったり、ある者はいの一番で購買部へ駆けつけていったり、ある二人組は机を間に向き合い、いちゃつきだしたり。
桐ヶ谷直葉も、弁当を手に持って教室から出ていってしまった。たぶん、友人と食べに行くつもりなのだろう。
そこかしこで明るい話題が湧き立つ。SAO事件について語っている者はいなかった。
――さて、
茂は弁当を片手に席から立ち上がり、長田伸一の元まで歩み寄る。茂に気づいた長田が、何の抵抗もなく「やあ」と挨拶してくれた。
「よっす、一緒に弁当食おうぜ」
「それはいいけど……いいのかい? 僕相手で」
「なんで、俺ら友人だろ」
「それはー……まあ、ね」
そう言う長田は、恥ずかしそうに笑っていた。
以前は友人達と昼飯を共にしていたが、ここ最近は長田と弁当をかっ食らうことが多い。新しくできた友人という事もあるが、長田は必要以上にモノを言わないので、落ち着いて時間を過ごせるのだ。良くも悪くも、茂の友人たちは賑やかすぎる。
「それにだね長田クン、お前はチームにとって結構かかせない存在になってきてるんだぞう」
「ええー? 踊れないじゃん僕」
「それだよそれ。踊れないからこそ、客観的な視線でダンスを評価してくれるじゃない。そういう存在って今までいなかったからさー」
「それはそうかもしれないけど、僕は素人だからあてずっぽうなことを言っているかもしれない」
「信頼はできる」
「どうして」
「頭がいいから」
長田は困ったように苦笑い、茂はケチャップ付きのウインナーを味わう。
「まあ、そういうことなら」
「これからも頼むぜ」
「ええー」
呆れられながら、長田はおにぎりを口にする。
それから、黙々と弁当を食べあう時間が始まった。昼休みらしからぬ間だが、友人だからこそ遠慮なく沈黙しあえるのだ。
平和なひとときだった。
そのとき、長田の両目がくっきり丸くなった。
そんな長田のリアクションを視認するのに一瞬遅れが生じ、茂は「え、なに」と左右を見渡し、つぎに真後ろを見て、
すこし離れた席で、女子が男子に対して、何の躊躇も恥も外部も存じ上げぬ勢いで「はい、あーん」と繰り出していた。
いっぽう男子も、「はい、あーん」されたミートボールを安易に口にし、実に幸せそうな顔でその味を堪能しきっている。
周囲のクラスメートもこれには刺激されたのか、「おーすげー」とか「いいなー」とか「俺にもください」とか言っている。そんな野郎どもに対し、ミートボール男子はあっちいけと手首を払っていた。
はあ、まったくいいもんだね。
何事も無かったかのように、視線を長田に戻す。長田は何を思っていたのか、力なくため息をついていた。
――それからしばらく、黙々と昼飯を口にしていると、
「ねえ、緑川君」
「ん」
食べる。間。
「……えっと、さ」
「ああ」
食べる。間。
「そのー……」
「どした、何か言いづらい事なのか?」
「……まあ」
そういうことなら、待つしかない。人間だれしも口にしづらい事柄はあるものだ。
自分だって、父からテスト結果を言うように求められれば悪あがきの一つや二つはかます。結局は無言の圧にやられて結果を白状し、淡々と説教されるのがいつものオチなのだが。
それから数分ほどが経って、うつむいたままの長田は、こう言った。
「あの、さ。君は、直葉ちゃんのこと、どう思ってる?」
「え? ああ、友人だと思ってるけど」
長田の質問に対し、即答する。
それを聞くや、長田は胸に手を当て安堵の吐息をもらす。その言葉が聞けてよかった、そんな心の声が強く伝わってきた。
どうして、そんな質問を。
少し考えてみて、茂の口から気の抜けた「あ」が漏れた。先ほどの「はい、あーん」事件に触発されて、長田は「異性絡み」の質問をしてみようという発想に繋がったのではないか。
たぶん、そういうことなのだろう。
――そして、確信した。長田が桐ヶ谷に抱いている感情について。
「なあ、長田君」
「君さ」
「うん」
「……もしかして、桐ヶ谷さんのこと、好きなの?」
「ぬふっ!!!!」
長田からものすごい鼻息が噴出された。あまりにもわかりやすすぎる反応を見て、茂はひとり納得してしまう。
「あ、あー……秘密にするよ、うん、ぜったい」
「ど、どうも……」
「最近は桐ヶ谷さんとダンスしたり、送り迎えしたりしてるからなあ俺。それで、仲が進展してないか気になったんだろ?」
「まあ、はい」
「ならしゃーない、確かに桐ヶ谷さんとふれあう時間も長くなったしな。長田君が気になるのも当然だ」
長田は桐ヶ谷のことが好き。その事実を目の当たりにしてもあまり驚きはしない。長田は始終、桐ヶ谷の近くに居たがっていたから。
「しかし、そっか、恋か。いいんじゃね?」
「そ、そお?」
「桐ヶ谷さんのことが好きになるのもわかるよ。真面目だし、誠実だし、めっちゃ可愛いし」
「でしょ?」
「おお」
にやりと笑う。長田も同調するように、へらへら笑い返した。
「……直葉ちゃんはほんとうに、いい人なんだよ」
「たしかに、いい人ではあるよな。ダンスに理解を示してくれたし」
「そうなんだよね、何かを拒んだりしない。この僕ですら受け入れてくれた」
「え? どういう?」
まずいことを言ってしまった。そう言いたげに、長田の表情が歪む。
普段はあまり表情を変えたりしないが、桐ヶ谷が関わると笑いもするし気まずそうにもするんだなあと茂はつくづく思う。
「あー、すまん。聞かなかったことに、」
「いや、その……いいよ、言う」
「けどよお」
「先に質問したのは僕の方だからね」
そう言う長田は、なんとか笑顔をつくっている。
彼は、この教室で一番の模範生徒だった。
「ええとね、僕の親は教師を務めていてね。その影響からか、勉強することが趣味になってたんだよ」
「マジかすげえ、俺よりすげえ」
「すごくないよ。面白いことが言えないくせに勉強だけは出来てたから、あまり周囲から好かれていなかったんだよね。あの頃はろくに遊びも知らなかったし」
「なるほどな」
内容とは裏腹に、長田の声色は実に軽いものだった。
「それでまあ、クラスの大将みたいな奴から『ガリ勉』だの『メガネ』だの散々言われてたんだよね。指をさしてまで笑われちゃった」
「ひでえ話だな」
茂の反応に、長田はどこか嬉しそうな顔をする。
「僕は無視して勉強ばかりしてたんだけど、それが気に入らなかった大将が殴りかかってきてね」
「げ」
「……その腕を掴んでくれたのが、直葉ちゃんだったんだ」
言葉が出なかった。
「直葉ちゃんは言ってくれた。勉強できる長田君はすごい、とても偉い、それを馬鹿にするあんたたちの方がよっぽどバカだ……ってね」
長田は淀みなく、桐ヶ谷の言葉を紡いだ。
よく覚えているのだろう。こんな劇的な場面、忘れられるはずがない。
だって桐ヶ谷直葉は、長田の人生を強く肯定してくれたのだ。そんなの、惚れてしまうに決まっていた。
「ケンカになりそうだったけど、先生が飛び込んでくれて何とかなったよ。それからはまあ、公にいじめられることはなくなった」
「そっか……」
「それから直葉ちゃんは、僕と一緒に遊んでくれたよ。校内かくれんぼ、楽しかったなあ」
「あーわかる。俺もやったことあるけど、なんでか面白いんだよな」
「だよね」
「だよなあ」
げらっげら笑いあう。
「――それで、ね。直葉ちゃんが剣道やってるって話を聞いて、じゃあどんなものかと練習試合を見に行ったんだ」
「ほお、それで」
そして長田は、口元だけをうっすら曲げて、
「かっこよかった、惚れた」
そのときの長田の瞳は、輝いていた。
茂は黙ってうなずく。
人はかっこいい存在に憧れるものだ。ダンスに明け暮れる母のことも、そんなふうに見えていた。
「だからさ」
長田の両肩から力が抜けて、姿勢が崩れる。
「どうしたら直葉ちゃんのハートをつかめるのか、僕にはわからないんだよね……」
「そうっだなあ……ダンス! ダンスをやろう」
「無理無理、ダンスゲームでさえなのに苦手なのに」
「んー……何か得意分野は? 勉強以外で」
「え? えー……」
長田は、茂から視線を逸らしながら、
「……ゲーム」
言いづらそうな顔をして、言った。
まさかの単語に茂の思考がぴくりと揺れるが、なんとか「へえ」と返事できた。
「いいじゃん、ゲーム」
「あはは……さっき話したイジメの件をきっかけに、先生が僕の親に色々と報告してくれたらしいんだよね。勉強ばかりはまずいと思ったのか、クラスになじめるようゲーム機を買ってくれたんだ」
「へえ! いい親だなあ」
「だよね」
「大事にしろよ」
「もちろん」
羨ましかった、ほんとうに羨ましかった。ゲームと関わっているだけ、なおさら。
緑川茂はゲームのせいでとんだ目に遭ってしまったけれど、長田伸一はゲームのおかげで自尊心が跳ねた。
ゲームは幸せを与えてくれるはずなのに、どうして自分には、
「……緑川君?」
思考の海に囚われている最中、長田から声をかけられる。
茂は、あたふたと面を取り繕って、
「い、いやなんでもない! そ、それよかー……あー……彼女はゲームしなさそうだしな……」
「そうだねえ」
「あとは勉強……べんきょう……勉強会は?」
なけなしの発想力をかっぽじってみたが、長田は両手を「やれやれ」と曲げて、
「成績いいんだ、直葉ちゃん」
「そっか……」
「どうすればいいんだろうねえ」
「も、もっと成績を上げてみない? と押してみるとか!」
「そうかなあ、それしかないのかなあ……」
「あれっ、どうしたのふたりとも。何か深刻そうな顔してるけど」
「あー聞いてくれよ、スゲー難しい問題なんだけどさあ」
考えてばかりだったから、本能的に声の主を追ってしまった。
桐ヶ谷直葉が、きょとんと立っていた。
一秒、二秒、茂と長田は声にならない声を上げる。
「ちょ、ちょっと、どうしたの二人とも? 大丈夫?」
「だいじょうぶだいじょうぶ」
「へいきへいき」
「そお?」
なんとかごまかし切れたらしい。弁当箱を片手に持った桐ヶ谷が、長田――ではなく、茂の方を見て、
「ねえ、緑川君。今日もダンスに参加していいかな?」
「お、おお、もちろん! いつもありがとな」
「ううん、こっちこそお礼を言わせて」
直葉が、元気いっぱいの笑顔を咲かせながら、
「ダンスはじめたおかげで、前より体のキレがよくなりました。特に足」
「マジか! それは良かったよかった」
「部長からも褒められちゃった」
長田も「それはよかった」とコメントする。
桐ヶ谷は、茂に視線を傾けて、
「いやはや、ダンス様様です。ありがとうございますっ先生どのっ」
「ふふふ、これからも好きに踊るが良い。そして剣の道に繋げるのだ!」
「ははーっ」
そして、茂と直葉はけらけら笑った。
SAO事件のせいで心が冷え切っていた桐ヶ谷だったが、ここ最近は剣道部に復帰できるぐらい機嫌があったまっていた。最初こそブランクめいたものはあったらしいのだが、剣道に馴染みきった体がすぐにでも対抗心と経験を燃え上がらせ、いまでは部員をばったばたにする程度には持ち直せたらしい。
部長とも何度か手合わせをしたようだが、あと少し、という所まで追い詰めてはいるそうな。
やっぱり桐ヶ谷は剣道少女なんだなあと、茂は実感したものだ。
「――さて」
長田めがけ、まばたきでサインする。やっぱりダンスしたほうがいいんじゃないのか。
そして長田もまばたきで返す。無理ですごめんなさい。
そうか。
無理強いをして、ダンスを嫌いになられてもアレだからな。
悪かったなと、長田に向けて手で挨拶する。長田は、ただ力なく微笑むだけだった。
チャイムが鳴り、昼休みが終わる。茂は長田から離れていって、桐ヶ谷と隣同士の席に着いた。
――
放課後がやってきて、茂と桐ヶ谷、長田の三人組はいつもの公園に赴く。やることはもちろん、ダンスだ。
到着するや否や、リーダーが桐ヶ谷と長田を熱烈歓迎して、ふたりは困った顔をあらわにする。こんな光景も、いったい何度見たことやら。
やがてミュージックが流れ始めて、茂と桐ヶ谷が踊りだす。最初の頃は動きに「照れ」があった桐ヶ谷も、今となっては遠慮なく足を動かしたり、体を回したりする。表情もいい感じに明るい。
そんな桐ヶ谷のことを、長田は真剣な目つきでじっと眺めている。踊れないなら見届ける、それもまた正しい。
いっぽう茂はといえば、体があったまった勢いでバク転を決めたところ、対抗心を燃やした桐ヶ谷がバク転を決めようとしたので「まてまてまだはやい」と止めた。桐ヶ谷は「えー」と不満顔だったが、妥協案としてジャンプ中心の技を教えたところ、汗まみれで満足してくれたので平穏無事に事が済んだ。
――楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、空は既に真っ暗。音楽を止め、メンバーがこぞって帰宅の準備を始める。茂は当たり前のように、直葉を家まで送り届けようとした。
公園から去る前に、茂は長田へ視線を向ける。二人きりの時間になってしまうが、いいのか。
対して長田は、なんでもないように、笑顔で茂と桐ヶ谷のことを見送るのだった。
車の通る音が絶えない夜の街中、茂と桐ヶ谷は和気あいあいと今日の戦果について語り合う。
「跳躍も奥深いのね……跳躍素振りとはまた違う味があるわ」
「剣道も跳ねるんすか」
「そういう練習法もあるのよ。あんまり高く飛んだりはしないけどね」
「ほほー」
「生まれてこのかた、もっとも跳躍した一日だったなー。いや、ほんと楽しかった。もしかしたら跳ねたり跳んだりするのが好きなのかも」
「お、いいね。色々練習して、いつかはバク転が出来るといいな」
「そうねー」
そう言って、桐ヶ谷はぴょんと小さく跳ねた。余韻の熱が体に残っているらしい。
動いて笑える、それが出来る時点で桐ヶ谷にはダンスの才能がある。
「……それにしても」
「え?」
「最近はよく笑うようになったよな。いやほんと、ダンスに誘って良かった」
「あー、そういえばそうね。剣道部にも戻れたし」
「な」
そのとき、桐ヶ谷がはっきりと茂のほうを見て、
「ほんとにありがとう。あなたのお陰だよ」
桐ヶ谷が笑顔を咲かせる。
長田が惚れても仕方がない表情だった。
「あー、俺はただダンスを勧めただけさ」
「そのダンスを手取り足取り教えてくれたのは緑川君だよ。だから私は、恥ずかしがらずにダンスを楽しめてる」
「そうかあ……」
なんだかこっ恥ずかしくなってしまって、つい目を逸らしてしまう。
桐ヶ谷は、そんな長田の調子なんて気にも留めていない。
「これからも色々教えてね、緑川君」
「……ウス」
街を抜ける。街灯だけが行く先を照らす住宅地に足を踏み入れる。
「……と、ここまで言ってあれなんだけど、明日はダンスを休むね」
「? ああ、別にいいけど。剣道か?」
桐ヶ谷が、左右に首をふるって、
「お兄ちゃ――兄のお見舞いに行くの」
「! そうか、そっか」
そうだ。桐ヶ谷は元気になれたが、根本的な問題は何一つとして解決していない。
いまの桐ヶ谷は茂に笑みを見せてくれているが、その心の内では不安がいつまで経っても蠢いているのだろう。
気持ちはわかる。自分にも、家を捨てて出ていってしまった母がいるから。
「俺らのことは気にしないで、家族に会いにいってくれ。ダンスは、やりたい時にやればいいんだから」
「……うん」
「あいつらにはそれとなく伝えておくよ」
「うん」
そして茂は、半ば衝動的に、
「――ほんと、兄とは仲が良いんだな。羨ましいよ」
「え」
「早く帰ってきてくれるといいよな」
衝動的に、そんなことを口にしてしまった。
家族愛に対する飢えのせいか、遠回しの祈りのつもりだったのか。たぶん両方だ。
そして桐ヶ谷は、目を丸くしながら茂のことを見ていた。思いもよらぬ言葉でも投げかけられたかのように。
「……ほんとうに、ほんとにそう思う? 仲がいいって」
「え、うん。お見舞いもそうだけど、前までの桐ヶ谷さんって兄の為に落ち込んでたじゃん。仲がよくなかったら、あんなふうにはならないよ」
「……そっか」
――桐ヶ谷は、夜に溶け込んだ微笑をつくって、
「うん。私、ずっと待ち続けるよ、兄のこと」
「ああ、応援するぜ。……応援でいいのかなあ?」
「いいよ」
「そっか」
それきり、茂と桐ヶ谷はふっと静まった。
白く照らされる帰路が長いように思う。時間すら遅くなってしまった気がしてならない。遠くから車の走り去る音が響いたが、かえって静寂さが膨らんだような。
11月の寒気が神経をすこし震わせる。一軒家の窓からは黄色い光が漏れていて、家族で夕飯でもとっているのだろうかと、茂はなんとなく思考する。
歩き続けて数分、ようやく桐ヶ谷の家が見えてきた。いつもより時間がかかったように思う。桐ヶ谷のほうを見てみれば、その顔は無表情というか、真顔というか、そういった表情を露わにしていた。
寒いせいかな。
家の前に立って、帰宅を促すように「おつかれ」と一言。そして桐ヶ谷は、
「……あの」
茂の背後に佇んだまま、動かない。
いったい何があったのだろうと、茂は声をかける。
「どうした、何かあったのか?」
「……その」
「相談なら乗るぞ」
言った。
だって桐ヶ谷直葉は、幸せになるべき女の子だから。
ガキである自分にできることなんざタカが知れている、だからといって黙っていられるほどお利口でもない。
風も吹かない午後十八時の住宅地で、茂と桐ヶ谷はただただ見つめあっている。
「……あのね」
「ああ」
「あたしと兄は、お兄ちゃんはね」
雰囲気が変わった。
自分の体が強張った。
「――ほんとうの兄妹じゃない、血が繋がっていないの」
「え」
言い終えてから、桐ヶ谷は力なくうつむきはじめる。
そんな桐ヶ谷に、茂は言葉を投げかけることができない。間違ったことを口にしてしまうと、取り返しのつかない事が起こってしまいそうで。
時間が過ぎていく、時間が過ぎていく。
茂にできることは、桐ヶ谷を待つことだけ。勇気がまるで湧き立たないけど、友人から逃げ出す真似だけはしたくなかった。
バイクの走る音が、世界をわずかに震わせる。
「いきなりこんなことを言って、ごめんね」
桐ヶ谷は、まだうつむいたまま。
「その、お兄ちゃんがSAOに閉じ込められた次の日に、お母さんが教えてくれたの。兄とは血が繋がっていない、て」
うなずくことしかできない。
もしかしたら、万が一、兄がいなくなってしまう事態に備えて、桐ヶ谷の母は血縁にまつわる事実を口にしたのだろう。桐ヶ谷直葉にすべてを知って欲しいが為に。
それもこれも、桐ヶ谷を想ってのことだ。
桐ヶ谷の母は、きっと真面目な性格をしているのだろう。己が母とは違って。
――なるほど。これは桐ヶ谷も沈んでしまうわけだ。
声をかけてみて本当によかったと、つくづく思う。
「それでね、なんていうのかな……お兄ちゃんとの距離がわからなくなって、変な迷いが出たんだよね。血が繋がっていないだけなのに、仲はいいはずなのに、なんでだろうね?」
桐ヶ谷は力なく笑う。
「兄として信頼していた人が、ただの他人だった、家族という確かなものじゃなかった。それが、こう、なんなのかな、あたしにとってはきつかったんだろうね、たぶん」
言葉にまとまりがなかった。
けれど、仕方がない事だと思う。血の繋がりという絶対的な距離が、突如として断ち切られてしまったのだ。慕っていた兄が相手ならば、言葉で言い表せるはずのない衝撃を受けたはずである。
「うん、うん、聞いてくれてありがとう。その、仲がいいって言ってくれて、それがなんだか嬉しくて、つい、こんなことを言っちゃった」
なんて言えばいいのかわからなかった。
「ごめんね、辛気臭い空気にしちゃって……言ってなんだけど、こんなこと忘れていいから、ね?」
正しい言葉なんて存在しないのだろう。
「なあ、桐ヶ谷さん」
「なに?」
「……桐ヶ谷さんはこれからも、お兄さんと一緒にいたい?」
「え――う、うん」
それでも、
「じゃあ、家族っていってもいいと思う。いや、家族同然だ。これからも繋がりあいたいって願っているのなら、それはもう家族みたいなもんだ。血のつながりなんて関係ない」
桐ヶ谷のために、何か言ってやりたかった。
あまりにも稚拙で、行き当たりばったりの主張を吐き出してしまったけれど、間違ったことを口にしたつもりは一切ない。
血が繋がっていなくても、想いあっているだけで十分だと思う。
血が繋がっていようと、家庭をないがしろにする人だって居る、居てしまう。
――そして桐ヶ谷は、力なく笑いながら、
「そっか。そう、なのかな?」
「ああ、俺はそう思う」
根拠のない返事だった。
けれども桐ヶ谷は、茂の言葉を受け入れたかのように、消えそうな声で「そっか」とつぶやいた。
「……ありがとう。そう、言ってくれて」
「俺の、持論でしかないけどさ」
「ううん、ほんとうにありがとう。なんだか、すこしだけふっきれた気がする」
「……よかった」
微笑む桐ヶ谷を前にして、心の底から嬉しさが芽生えてくる。
友達の心を救えたことが、友達の家族を支えられた事実が、とてもたまらない。
「うん。話に付き合ってくれてありがとう」
「困ったらなんでも言えよ」
「うん、そうする」
桐ヶ谷が、家の前にまで立つ。
「私ね」
「ああ」
「これからも、ダンスは続けるね」
「いつでも来てくれよな」
「ウス」
お互い、いい顔をしながら親指を立ててみせた。
先ほどとは違い、桐ヶ谷の足取りが軽い。今日は機嫌よく眠れるだろう。
「ね、緑川君」
家の敷居に一歩踏み出した桐ヶ谷が、顔だけを振り向かせて一言。
「また、学校でね」
「――ああ」
桐ヶ谷が家の引き戸を開け、ただいまーの一言ともに戸が閉められた。
これで、本日のエスコートはおしまい。
茂は口笛を吹きながら、自宅に戻っていく。
――
2022年 12月12日(月曜日)
雪が降りしきる放課後。各々が帰宅の準備を始める中、茂はそっと席から立ち上がり、長田めがけ早足で移動を開始する。無言の勢いに臆されたのか、長田が「え、なに」と言うたげな目で茂を眺めている。
そして茂は、口元に手のひらを当てながら、こっそりと、
「なあ長田君、今日は二人で帰ってみろ。明るいうちなら帰路がバラバラでも問題ねーだろ」
「え、ええっ? でも、動機が思いつかないよ」
「ダンスはどう? とか、剣道はどうだ? とか、色々あるだろ。要は二人きりになればいいんだよ二人きりになれば」
「で、でもなあ……」
「このままじゃあ、特別な距離感になれないぞ」
瞬間、長田がゆっくりと席から立ち上がった。
長田と知り合い、かれこれ一か月ほどが経つが、桐ヶ谷とは未だこれといった「特別」を築けてはいない。むしろ自分の方が、桐ヶ谷との距離が近くなっているような。
ダンスというコミュニケーションは使えない、帰路が違うから二人きりという万能シチュエーションは無理難題。そんな長田は、毎日のように桐ヶ谷に近づいては、一緒に弁当を食べたり他愛のないおしゃべりをこなすのみ。
もどかしかった。
弁当を食べるにしろ、桐ヶ谷と雑談するにしろ、そこには緑川茂という第三者が存在している上に、長田はもともと奥手であるから、ロマンスが生じる可能性はほぼ無い。
こうなれば、やはり二人きりというシチュエーションに頼るほかない。思春期における異性との一対一とは、理屈不明の高揚感を生み出すことで有名だからだ。
長田と桐ヶ谷がくっつくには、やはりこれしかない。
だから無理やりにでも二人きりになるべきなんだ。気を利かせる必要はない、思い出話に花を咲かせて盛り上がるだけでも多分効果はある。そこで盛り上がれば占めたもの、勢いでクサいことの一つ二つさえ言えれば大勝利だ。
茂は、長田の背中をそっと押す。
長田は顔だけを振り向かせ、オトコの笑みを浮かばせながら、重くうなずいてみせた。
ダンスのことを聞かれたら、俺がはぐらかす。さあ行け、長田伸一。
「あのっ、す……桐ヶ谷さんっ」
「なに?」
席についたままの桐ヶ谷が、長田のことを、にこりとした顔で見つめる。
「あ、あのさ、えーっと」
「? 何かあったの?」
自由になれたクラスメートたちが、今後の予定についてあれこれ語り合っている。例のはいあーんカップルなんて、週末に新作の映画でも観に行こうかと盛り上がっていた。
長田も、あんなふうになれれば良いのに。
そして茂は、視線を長田へ戻す。行け、言え、欲望を解放しろ、お前ならできる――
「きょ、きょうっ、良かったら一緒に帰らないっ?」
「え?」
「そ、そのー……たまには桐ヶ谷さんといっぱい話がしたくなったというか、ダンスについて語り合いたいなーっていうか。その、どうかな?」
でかした。
茂は、心の中で敬礼を交わす。
きっかけさえ作ってしまえば、あとはこちらのもの。
そして、桐ヶ谷は――
「ごめんっ」
ぱんっ、と両手を合わせ、
「今日、剣道、ある」
□
放課後ということで、校舎の出入り口付近は生徒たちの喧騒に包まれていた。四人の男子グループが何やら色沙汰について語り合い、二人組の女子が久々のカラオケを提案している。カップルっぽい男女が、笑顔でこれからの予定について話し合っていた。
そんな中で、茂と長田は無言で靴を履き替え、そのまま校舎から這い出る。
今日の日差しは、随分とまあまぶしい。下校デートをするにはまさにもってこいだ。自分はともかく、長田からすれば今日のダメージは大きいだろう。
どうやって声をかけていいかわからず、茂は無言で長田を見やる。長田も茂の方を見て、盛大なため息をついて、こう言った。
「……気晴らしに、ゲーセンにでも行く」
「ゲーセン」
「そう」
「よく行くのか?」
「まあ、そこそこね」
ゲームか。
やる気は起きないが、かといって見るのも嫌というワケではない。そもそもオンラインゲームではないワケだし。
「付き合うよ。まあ、見てるだけになるけど」
茂の言葉に、長田は音も立てずに微笑む。
「ありがとう」
□
街中へ入り、いつもの公園に通じるルートを数分ほど歩いてみれば、あっさりと目的地にたどり着くことが出来た。
街並みにひっそりと混ざるゲームセンターの名前は、「エリアB7」。公園へ行く都合上、必ず横切る場所だ。
長田が「ここね」と言い、茂が「おお」と返す。入店する機会なんて一生無いものと思っていたが、人生とはわからないものらしい。
先導する長田とともに自動ドアを潜り抜けてみれば――けたたましい電子音が、茂の感覚を瞬く間に飲み込んだ。
BGMとはまた違う喧騒に、体がびくりと震える。
気を取り直して、いま一度ゲーセンの世界を確認した。
まず目に入ったのは、エアホッケーとUFOキャッチャーだ。UFOキャッチャーの中には、女子の間で大人気らしいカピパラキャラのぬいぐるみが沢山転がっていて、学校帰りらしい二人組の女子生徒が真剣な佇まいでUFOを動かし、カピパラを拉致しようとしている。
店の規模としては広すぎず狭すぎず。人もそこそこ居て、侘しい雰囲気は感じられない。
そして長田は、迷いのない足取りでゲーセンの奥へと進んでいく。茂も、長田の背を追っていった。
両替機を横切り、大きなガンシューティングコーナーを通り抜け、長田は急にぴたりと立ち止まる。
格闘ゲームの筐体が、所せましと並べられているエリアだった。
筐体の前には学生やサラリーマンがどっしりと腰かけていて、明らかに慣れた手つきでレバーを動かしている。ボタンの弾かれる音がゲーセン内に小さく反響した。
「ここか?」
「うん」
そのとき、筐体から「大勝利」というボイスが鳴り響いた。見てみると、サラリーマンが顔をうなだらせ、学生が小さくガッツポーズをとっている。どうやら対戦に勝ったらしかった。
サラリーマンが席から立ち上がる。そして長田は、何の躊躇もなく空いた席へと座り込み、100円を入れ、何ら迷うことなくキャラクターをセレクトする。
ゲームのタイトルは『バトルファイター』、世界観はファンタジーものらしい。相手は大剣を持った鎧戦士で、長田はカギ爪を構えた眼鏡紳士、なかなかクセのある人材を選んだものだ。
そして、試合が始まる。さてどれほど強いものなのかと、両腕を組みながら長田を見守ることにして――
数分後、長田はストレート二本勝ちを果たした。40コンボだった。
空いた口がふさがらない。対戦相手の学生は「まっじかよ」と呟き、打ち負かした相手を眺めて――「なっ長田じゃんっ」とつぶやいた。
「え、知り合い?」
「ああ、大会で何度か対戦したことがあるんだ」
「た、大会って……もしかして、けっこう上位だったり?」
長田は恥ずかしそうに笑って、
「まあ、そこそこね」
嘘つけ、ぜったいヤバい成績持ちだろう。
試合を終わらせた長田がNPCと戦おうとして、「乱入」の二文字がでかでかと表示される。相手は先ほどのサラリーマンで、キャラは棒術使いのお姉ちゃんだった。
――数分後、長田の大勝利。何度かダメージは食らったものの、42コンボを決めて無事にお礼参りを済ませてしまった。
サラリーマンが「無念」と席から立ち上がり、間もなく次の相手が長田に挑戦をしかけてくる。よく見てみればギャラリーが増えていて、その目つきは明らかに素人のそれではない。経験者に囲まれて、茂は少しビビりはじめる。
対戦がはじまって数秒後、対戦相手の学生から明らかな焦りが生じ始める。少しでも長田の攻撃が刺されば、救いはないコンボが成立してしまうからだ。
そして長田は、ポーカーフェイスを整えながら、冷酷無比に対戦相手を始末していく。ここで長田に触れようものなら、まちがいなくバラバラにされてしまうだろう。
また一人、そしてまた一人と挑戦者を屠っていく。慰めが必要だった長田はもう何処にもいない、ただ尊敬すべき戦士が自分の前にいる。
――なるほど、こりゃあダンスを見る目があるわけだ。
ひとり納得している間にも、長田は42コンボを決めて大勝利を果たす。ここまで十二連勝だ。
さすがに疲れたのか、長田はうんと背筋を伸ばす。茂は「おつかれー」と声をかけ、
「そろそろ帰るか?」
「そうだね、そうしようか」
そう言う長田は、上機嫌そうな顔を浮かばせていた。
そんな長田を見て、茂は同じような表情になる。
ゲームはやっぱりやる気になれないけれど、見る分には中々アツくなれるものだ。機会があれば、また長田伝説を見させてもらうことにしよう。
長田は、床に置いておいた学生かばんに手をかけようとして、
「待ってください」
女の子の声だった。
男たちが一斉に声の主へ首を向かせる。
「あなたは?」
長田に対し、茶色のロングコートを着た女の子が礼儀正しく一礼をする。
「私は
なんだかお金を持ってそうな名前だなあ。茂がぼんやりとそう思う中、ギャラリーが突如としてざわめき始める。
長田の目も、びきりと見開かれていた。
「! 北大路さんって、あの北大路さんですか? 各地のゲーセンを渡り歩き、大勝利を重ねてきたっていう」
「知っているのかい長田君、どこ情報なんだ」
北大路と呼ばれた女の子が、自信満々そうに首を縦に振るう。腰まで伸びる黒髪が嘘みたいに揺れた。
「あなたが長田さん、ですよね? あなたのお顔は、このゲーセンのウェブサイトで確認させていただきました」
「え……な、何かやらかしたっけ、僕」
「あなたは『バトルファイター』の大会で優勝し、記念撮影をしたはず」
あーそれかー。長田は、気恥ずかしそうに笑う。
――なにが「そこそこ」だ。バリバリじゃないか。
「噂には聞いています。あなたは、このあたりでは無敗を誇っているという格ゲーマーだとか。私はずっと、あなたと戦ってみたかったのです。ぜひ私と対戦してください」
そう言って、北大路は礼儀正しく頭を下げた。
――長田も北大路も互いの事を知っていたようだが、どこからウワサを収集しているのだろう。強者はどうしても強者と引かれあう、というやつなのだろうか。
「うん。そういうことなら、いいよ」
「ありがとうございます。それでは、失礼」
北大路がギャラリーに向けて、小さく礼をする。つられるように、ギャラリーも首を縦に振った。
礼儀正しいな、この子。
そして席についた北大路は、集中するためかロングコートを脱いで、それを太ももの上に置いた。
――あの黄土色の制服は、エテルナ女子学院のものか。珍しいな。
お嬢様もゲームをするんだなあと、茂はあまり考えもせずうなずき、
「え、エテルナッ!?」
茂が騒ぎ、ギャラリーがどよめく。
エテルナ女子学院といえば、茂すら知っている超お嬢様学校だ。生徒の誰もが可憐で礼儀正しく、そして日本の将来を担う才女が集まる日本きっての聖域である。そんじょそこいらの学生なぞ、恐れるあまり声すらかけられないほどだ。
そんな宝石が、修羅が集う格ゲーコーナーに居て良いはずがない。下手なことをしでかせば、社会から抹消されてしまう可能性すらある。
茂は引け腰になりながらも、長田に歩み寄り、
「お、おい、本当に対戦するのか?」
「え、まあ……」
「相手はあのエナ女だぞ!?」
「そうだねえ……」
長田は秀才だから、エナ女を相手取るリスクはわかっているはずだ。
しかし長田は、レバーから決して手を離さない。画面から目を逸らさない。
「でも、ここはゲーセンだ。いまの北大路さんはエナ女の生徒じゃなくて、いち格ゲーマーだよ」
長田は大真面目に言う。
「挑戦を受けたとあれば、誰だって受け付けるさ」
そして、長田は不敵な笑みを浮かばせた。
――ああ、これは、まいった
「すまん、その通りだな。余計なことを言った」
「いや。心配してくれてありがとう」
北大路の本気に応えるように、長田も上着を脱ぐ。茂は、無言でそれを預かることにした。
かぎ爪紳士に対し、北大路はビーム刀を持ったソニック侍を選択する。北大路の仁義に則ったような、メタルなチョイスだ。
強者同士の対戦が始まる。
――対戦して数分が経った。
各地のゲーセンを制覇してきた北大路は確かに強かった。大火力のビーム刀を何とか突き刺そうと、あの手この手で暴れまくる。けして弱気にならないのが北大路の強みといえる。
ただ顔に出やすいのか、攻撃が当たればめっちゃいい顔をするし、長田のコンボにハマれば苦しそうな顔をして歯まで食いしばる。筐体を挟んでいなければ、顔で戦略が読まれているところだ。
いっぽう長田はといえば、ビーム刀が突き刺さろうがコンボがガードされようが、けして無表情を崩したりはしない。強烈な一撃を食らおうとも、死ななきゃ負けではないのだ。
ゲーマーとしての経験と勘を最大限に発熱させながら、長田は着実に北大路を攻め立てる。北大路も何とかして長田のライフを減らそうとするが、長田は攻撃も防御も硬く、最大でも六割程度しか削れていない。
――結果、長田のストレート勝ち。北大路は、完敗した。
世界が静まり返る。ゲーセンを覆う電子音が、ふつりと小さくなった気がした。
画面をもう一度見る。長田が操るキャラクターが勝利ポーズを決め、北大路のキャラは地に横たわったままで動かない。画面の中心には、大勝利の三文字が赤く輝いていた。
長田は勝った。このまま店から立ち去っても良いし、このまま戦いを続けるのだって構わない。
この場にいる全員がぴくりと動けないのも、北大路という「特別な人間」が敗北したからだろう。
格ゲーコーナーのみが、緊張感に覆われている。逃げ出したくなったが、長田を置いてとんずらをこくわけにはいかない。
そのとき、北大路が幽霊のように立ち上がった。ギャラリーが北大路に注目する中、北大路はゆっくり、ゆっくりと長田に歩み寄り、対峙した。
長田は席に座ったまま、明らかに覚悟を決め込んでいるような面持ちで、北大路のことを見守っている。
そりゃあそうだ。相手は生粋のお嬢様、下手をこけばおっかない人たちから目をつけられ、社会から抹消されるかもしれない。
「――長田さん」
「はい」
コートを抱えた北大路が、真顔で長田を凝視している。
茂は長田に寄り添う。ここまできたら一蓮托生、地獄までついていく。
「完敗です、あなたは確かに強い」
「ど、どうも」
「ですから――」
髪が舞うほど、北大路は勢いよく頭を下げた。
「私を、弟子にしていただけませんかッ!」
茂のすべてが、停止した。
「あなたのおかげで、久々に心が熱くなれました。そして、あなたのように強くなりたいとも思いました」
「え、ちょっと……」
「お願いします、どうか弟子にさせていただけませんか。もちろん、授業料は支払いますからっ」
ギャラリー全員が呆然とする。
北大路の申し入れに、誰も反応できなかった。
クレーンゲームコーナーから、女子高生の歓声が聞こえてくる。
そして長田は、音もなく席から立ち上がる。茂から上着を受け取り、ゆっくりとそれを着込んでいく。
気配を察したのか、頭を下げていた北大路も姿勢を整えた。輝かしい未来を予想しているのか、北大路は口をぱあっと開けながら、さぞ嬉しそうな面持ちになって、
「緑川君」
「ああ」
「逃げようッ!」
「ウスッ!」
「えっ!?」
茂と長田は、迷うことなくゲーセンから逃げ去った。後ろから「先生! 待ってください! せんせぇぇッ!」とか聞こえてくるが、長田と茂は足も止めないし振り向きもしない。こちとら、エナ女のお嬢様を相手取れるほどの覚悟も度胸も無いのだ。
自動ドアが開き、わずかに生じた隙間を這うように潜り抜け、茂と長田はあてもなく街中を走り、曲がる。
それから、すこし時間が過ぎた。
ビルとビルの隙間に潜んでいた茂と長田は、こっそりと、日の当たる世界に戻る。左右を見渡してみたが、北大路の姿はどこにも見えない。
逃げ切れた。
庶民に戻ることができた。
その事実が嬉しくて、茂は背筋を伸ばす。疲れきっていたから、大きく深呼吸もした。
「……あー、よかった。僕たちは、助かったんだ」
「ほんとな……」
「……なんだかごめんね、巻き込んじゃって……」
「気にすんな。さっきは、いいモン見せてもらったし」
そして、茂と長田はなんともいえない笑みをつくりあった。
「にしても」
茂は、上機嫌そうに両腕を組んで、
「ほんと、ゲーム上手いよな。家でもしょっちゅうやってるのか?」
「まあね。勉強とゲームばっかりやってる」
「エラいなあ、本業もしっかりこなすなんて」
「これしかとりえがないからね」
そう自嘲するように、長田は力なく笑う。
そんなことはない、茂は心の底から思う。
だって長田は、ゲームと現実、その両方を選んでいるじゃないか。少なくとも、母よりは真っ当な人間をしていた。
「いいじゃねえか、上等だよ上等。俺なんて勉強ドヘタだぜ」
「君は直葉ちゃんとダンスやれてるでしょ。僕からしたら、そっちが上等だよ」
「う……まあ……」
「なんて、妬むつもりはないよ。僕はこうやって生きて、いつか直葉ちゃんを振り向かせるから」
「……すげえなあ、長田君は」
「諦めが悪いだけだよ」
午後四時の街並みは、夕日に淡く照らされていた。雪は打ち止めになっていたらしい。
茂と長田は、今日起こった出来事についてだらだら語り合いながら帰宅していく。その中で最も盛り上がった話題はといえば、もちろん北大路清香について。
関わるには色々と厄介な人物なので、しばらくは利用するゲーセンを転々としていくつもりらしい。ゲーセン事情も大変なんだなあと、茂はなんとなしに思う。
長田を家まで送るまでの間、茂と長田はいつのまにやら名前を呼び捨てあう仲になっていた。
今日も無事に、一日が過ぎていく。