桐ヶ谷直葉が一日二回も告白された理由   作:まなぶおじさん

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いっしょに過ごしたくて

 2022年 12月23日(金曜日)

 

 昼休み。いつの間にやらクリスマスの時期がやってきて、教室のそこかしこで熱っぽい雰囲気が芽生えている。

 

「なー清、あしたの休みにどっか行かね? ちょうどヒマでさー」

「あ、あー……」

「? どしたよ口ごもって。なんかあったのか?」

「……あ、あした、佳奈と」

「ああ、佳奈?」女子と雑談中の佳奈を見やり、「佳奈がどうしたの? ——あ、まさか」

「ああ……その、まさかだ」

「こいつ」

「クリスマスっ俺は佳奈とっ楽しみますっ」

「こいつぅ!」

 

 黒板前の席で、男子グループがやんややんやと騒ぎ始める。

 つまるところ、いつの間にやらクリスマスなのだった。

 そんな光景を、頬杖をつかせながらでぼんやりと眺める茂。茂の右側には、興味ありげにそれを眺めている長田伸一。茂の左側には、「佳奈やるじゃん」と称賛する桐ヶ谷直葉。

 

「いいねえ」

「そうだな、いいモンだな幸せって」

「ほんとね」

 

 今日の昼休みは、色気のある話題がより一段と沸いて出ている。これもクリスマス前夜というイベントのせいだろう。

 茂は「そーいうのに縁がない」と考えている。いっぽう長田は、桐ヶ谷めがけ視線をちらちら向けている。桐ヶ谷は、気づいているのかそうでないのか、無反応。

 茂は力なくため息をついて、長田の足を軽く蹴る。目を向けてきた長田に対し、茂は目で「いけっ、言いたいことをいえっ、後悔するぞっ、フィニッシュ決めろっ」とまばたきで伝えた。

 言いたい放題だったが、長田は特に文句も言わずに小さくうなずく。

 長田が、永遠のような深呼吸をする。教室のざわめきが聞こえなくなったような気がした。長田の変化に気づいたらしい桐ヶ谷が、長田に視線を向けて、そして――

 

「……直、」

「むっ」

「……桐ヶ谷さんっ」

「なに?」

「くっクリスマスなんだけどっ」

「……もしかして、デートのお誘い?」

 

 読まれた。

 茂と長田の目ん玉が大きく見開かれる。

 

「そういう仲じゃないでしょ」

「が、」

 

 打ちひしがれる長田に、茂はうつむくことしかできない。

 泣いていい、お前は言うべきことを言った。お前の男気は、俺がいちばんわかっているつもりだ。

 

「そ、そうだね、そうだよね……あ、あはは」

「もう」

「え、えーと……明日は、じゃあ、ゲーセンでも行こうかな……」

「よし、俺も付き合うよ。なんだったら何かおごる」

「いいのかい?」

「もち。お前はよーやった」

 

 茂と長田は、互いを見やりながら二度ほどうなずきあう。

 男気を見せた漢には、何らかの報いが与えられなければならない。

 

「ゲーセン、かあ」

「桐ヶ谷さんは、明日どうするん?」

「んー、明日は部活もないし、そうねえ……」

 

 瞬間、茂の思考にトップギアが入る。

 ここで桐ヶ谷を誘えば、長田も自然と桐ヶ谷に付き添えるではないか。

 

「あー、じゃあ三人で街を歩き回らね? ダチとテキトーに歩くの好きなんだ」

「おっ、いいねそれ」

 

 いい顔で食いついてくる桐ヶ谷。

 そんな反応を見て、茂は不意に上機嫌となる。

 

「うまい店も紹介も知ってっから、そこも寄ってみないか?」

「ほほー、ずいぶんと街に詳しいようで」

「ダチから色々と情報が回ってくるのですよ」

「わー、リア充っぽーい」

 

 桐ヶ谷がいたずらに微笑む。

 いつものような調子、これまでと変わらない表情。

 

「あと、カラオケ行くのもどうだ。いい感じに盛り上がれるぜ」

 

 瞬間、桐ヶ谷と長田の目つきが細くなる。そういうのは苦手だと言わんばかりに。

 しかし茂は臆さない。

 

「だいじょぶだいじょぶ、好きな歌を唄いまくるとめっちゃアガるし盛り上がるから」

「ほんとぉ?」

「ほんとほんと」

 

 迷いが出てきたのか、桐ヶ谷が唸り始める。興味は抱いていたらしい。

 

「ぼ、僕はその……ゲーソン、ああいやゲームソングね? そういうのしかレパートリーがないよ」

「へー、どんな奴があるの? 聞いてみたいねえ長田のゲーソン」

「えー?」

 

 長田が困ったように苦笑する。友人がどのような未知の歌を披露してくれるのか、パーリー好きとしては心の底から興味がある。

 

「桐ヶ谷さんはどういう曲が好きなん?」

「え、えー? ま、まあ、明るい曲とか、ハイテンポなやつとか」

「ほー、いいねえ」

「で、でも、上手いわけじゃないから」

「そうかなぁ」

 

 桐ヶ谷の否定に対して、茂は反射的に、

 

「桐ヶ谷さんって声が綺麗だから、いい感じに歌えると思う」

「え、」

 

 桐ヶ谷が止まる。そして、顔が真っ赤に染まっていく。

 あまり声について評価されたことがないのだろうか。音感には疎い自分ですら、「いい声だよな」と思っているのに。

 

「……そ、そうかなぁ……ほんとうに、そう思ってる?」

「うん」

「ぼ、僕も、桐ヶ谷さんは上手く歌えると思うよっ」

「そーお?」

 

 ナイスアシストだ、長田。

 桐ヶ谷がうつむきはじめ、人差し指で額を支える。カラオケに行くかどうか、すべては桐ヶ谷の判断に託された。

 ふたたび、昼休みの騒ぎが静けさを増した。目に映るのは悩む桐ヶ谷の姿のみ。

 うんうん、うーん、ぬぬぬ。桐ヶ谷は悩みに悩み、唸って唸って、そして、ついに、

 

「……ば、ばかにしないなら、歌う」

「そんなことするはずないじゃん! なっ、長田!」

「当然だよ! ああ、桐ヶ谷さんの歌が聞きたいなあ」

「言っておくけど、緑川君も長田君もしっかり歌うこと」

「わーってるって」

「は、はい」

 

 まとまった、明日の外出はいい感じに盛り上がりそうである。いい感じに関係も深まるだろう。

 

「……あのさ」

「何?」

「その、声が綺麗って言ってくれて。えっと、ありがと」

 

 目を逸らしたままの桐ヶ谷が、消えそうな声でつぶやいた。

 そんな桐ヶ谷の言葉を前に、茂はこっ恥ずかしそうに笑ってみせながら、

 

「いやいや」

 

 桐ヶ谷は傷ついてきた。だから、これからの桐ヶ谷は楽しく生きていてほしい。

 ――話もひと段落がついた。この後はどうしようかと伸びをしていたら、

 

「思うんだけど」

「おお」

「君ってさあ」

 

 桐ヶ谷がクリスマスに浮かれるクラスメートたちを見まわしたあと、特になんでもない調子で、こう聞いてきた。

 

「とてもモテるでしょ」

「えっ」

 

 変に声が出た。

 長田はじろりと茂のことを眺めて、「あー」と言った。

 

「お、おいおい。俺が、そんなふうに見えるか?」

「うん」

「うん」

 

 あっさりと、桐ヶ谷と長田から返答された。

 

「い、いや、俺に彼女はいないから」

「知ってるよー」

「そうさ。俺はその、モテたりしないんだ」

「ふうん」

 

 桐ヶ谷が小さく首を振って、

 

「じゃあさ。君って、どういう子が好きだったりするのかな」

 

 昼休みの喧噪なんて、もう耳に届かない。

 桐ヶ谷はそっと微笑んでいる。茶化そうという目論見はまるで感じられない。

 長田も興味があるのか、茂に視線を張り付かせたまま。

 ——とはいえども。

 

「そういうのは、まだ無いんだ」

「そうなの?」

 

 長田の問いに、茂は「ん」と返し、

 

「俺は、誰かを幸せにできるようなオトコになるまで、交際とかはしない方針でいる」

 

 桐ヶ谷と長田が目を丸くする。まあ、こんな生真面目ぶった返答をされるとは思ってもみなかったのだろう。

 茂は、あえてへらへら笑ってみせた。

 

「そういうわけで、しばらくはダンスを楽しむよ。恋はまた明日な」

 

 そう。恋なんてものはしばらくお預けだ。

 

 いつだか、父は言った。俺の愛情表現が下手だったから、母はゲームを選んでしまったんだろう。

 そんなことは無い――そう思いたかったけれど、父はどちらかといえば口下手な方だったし、見ていて恥ずかしくなるようなノロケなどは一切しなかった。

 そんな飾り気のない雰囲気が好きだったけれど、母は安らぎよりも刺激を求め、やがて遠い世界へ旅立っていってしまったのだ。

 広い家の中で、父は時おり寂しい顔をする。

 それを見てしまうたびに、気落ちしてしまう。

 だから決めたのだ。自分に十分な甲斐性が出来上がるまで、異性と付き合うのはやめよう。

 別れ話なんて切り出されたら、自分はきっと、死んでしまいたくなるから。

 

「……そっかー」

 

 桐ヶ谷の一声のおかげで、茂の意識が現実世界に引っ張られる。

 

「さすが緑川君、根っからの求道者だね」

「いやいや、単に自信がないだけさ。交際とか、そーいうのに」

 

 長田が「意外」と一言。そういうもんかねえと、茂はへらへら笑う。

 いまの自分にはダンスがお似合いだ。就職するまでは、きっと踊りっぱなしでいるのだろう。

 ——あ、そうだ。

 

「思い出した。ダンスといえばさ、二月に大会があるんだけど、どう? 見にこない?」

「え、行く行く」

 

 桐ヶ谷から即答された。続いて長田も「わかった」と言ってくれた。

 

「いやー助かるよ。全国からやべーダンサーが集まってくるからさ、正直緊張してたんだよね」

「ほんとに? どんな人たちが来るの?」

 

 長田が食いついてきた。格ゲーマーとしての血が騒ぎ出したのだろう。

 

「完璧なロボットダンスチームとか、急停止の天才軍団とか、ひたすら速く踊り続けるコンビとか」

「うわ見たい」

 

 長田の目が活き活きと輝き始める。桐ヶ谷も興味があるのか、「ほうほう」と小さくうなずいていた。

 

「しかし、二月か……あー」

「? どうした、長田君」

「いやね、もしかしたらゲームの大会とかぶっちゃうかも……」

「おお、そうか。それは仕方がない、そっちを優先に戦ってきなさい」

「いいのかなあ」

 

 そこで茂は、にやりと笑って、

 

「ゲームは生きがい、そうだろ?」

「もちろん」

 

 長田は迷うことなく、そう答えてくれた。

 それで十分だ。

 

 昼休みはあと少しで終わる。それでも、教室から活気が薄れる事はない。

 いつもの日常だった。

 

 次の日、三人はクリスマスに浮かれる街中を歩き回った。

 食べたいものを食べまくったし、ゲーセンに寄って長田無双も見られた(北大路は完敗した)。そしてカラオケでどんちゃん騒ぎが繰り広げられたが、桐ヶ谷と長田は特に進展などはしなかった。

 

 

 2023年 2月19日(土曜日)

 

 普段の市内公民館は、静けさと品性が保たれている。ときおり高名なオーケストラ楽団を呼んでは、市民の心を癒したり、高ぶらせることも。

 公民館とは、良くも悪くも生真面目さが軸となっている施設だ。

 

「それでは、次にダンスを披露するのは……今をときめくロックダンサー! レッド・シューズ!」

「きたきた!」

「北海道から来たかいがあったぜッ!」

 

 そんな市民公民館だが、本日は騒ぎの中心と化していた。最低限の秩序は維持されているが、ダンスを眺める老若男女のテンションは既に絶賛沸騰中だ。

 レッド・シューズと呼ばれた五人の女の子ダンサーは、音楽に合わせて動き回り、そして急に停止するというテクを披露し、観客たちを魅せていた。LOCKダンスと呼ばれるストリートダンスの一種である。

 決して狭くはないステージは、照明によって真っ赤に照らされている。そして決して少なくない観客が歓喜の声を上げている中でも、レッド・シューズは決してダンスを乱さず、笑顔を崩さない。

 音楽が止まる、レッド・シューズも停まる。そしてハイテンポなダンスミュージックが急発進し、少女たちの体が跳んだ。

 ——一連の流れを舞台袖から眺めていた茂は、緊張交じりの感嘆を口から漏らす。

 

「……すげえなあ。さすがロックダンスのトップだわ」

「だよなー。あとかわいい」

 

 男子メンバーに対して、茂は脱力気味に笑う。

 

「お前余裕あんなー」

「だろ? 実はぜんぜんない」

「やっぱか」

「ああ。だってさあ……」

 

 女子メンバーの一人が、やれやれと手首を曲げて、

 

「全国のトップダンサー達が、こんだけ集まってきたらね」

「……だよな」

 

 今年のダンスコンテストは異常だ。参加者の質が。

 右も左も優勝経験持ちのダンスチームばかりで、とてもでないが余裕なんて持てそうにもない。舞台袖からずっとライバルのダンスを眺めていたが、そのどれもが激しくて、美しく、見ていて凄く楽しかった。

 これは優勝して当然だな、と思った。

 

「で、なんでトップ連中がここに集ってるワケ」

 

 茂の疑問に対して、男子メンバーが頭を掻きながら、

 

「あー、俺らを超えられるか、その腕試しみたいだよ」

「えっマジ? 俺らそんな有名だっけ?」

「有名っしょ、ブレイクダンスあたりでは特に」

「なして」

「優勝したから」

「そうかー……」

 

 どうやら、トップダンサー達からは対等のライバルとして見なされているらしかった。

 信じられない、とは思わない。なんだかんだいって何年も踊り続けてきたし、優勝経験もある。それもだいぶ若いうちから掴み取った実績であるから、トップダンサー達が「こいつは何者だ、チョーおもしれえ」と目をつけるのも無理はない。

 そして、「たまたま」「同じタイミングで」トップダンサー達がこの地に集まってきたのだろう。ジャンルも年齢も性別もバラバラだが、目的はまとまっている。打倒俺ら。

 こんなの、プレッシャーがかかって当然だった。

 

「へぇー! そりゃあ嬉しいねえ!」

 

 皆が圧されている中、リーダーだけは楽しそうに表情を輝かせている。それどころか、レッド・シューズのダンスを真似すらしていた。

 

「いやいや、まさか私らがここまで成長するなんてねえ。生きててよかったなー!」

「すげえ……緊張とかしてねえの? リーダーは」

「え? 緊張? んー……まあ、してるっちゃしてるけど」

 

 リーダーは、くるんっと回って、

 

「それ以上にワクワクしてるぜい! トップダンサーのみんなと、たくさんのお客さんの前で、私たちのダンスをお披露目できるチャンスだしッ!」

 

 言葉にノるかのように、リーダーは白い歯を見せながらギラリと笑ってみせた。

 思う。

 やっぱり、この人こそがリーダーだ。

 

「……リーダー」

「ん?」

「確かにその通りだ。楽しく踊って、客を喜ばせないとな」

「うむ!」

 

 リーダーが茂の肩をばしばし叩く。

 気圧されていた他のメンバーに対しても、それぞれの長所をはっきり口にしたり、背中をタッチしたり、男女構わずハグだってかましたりと、リーダーは決してメンバーを見過ごさない。

 メンバーたちに、朗らかさが蘇ってきた。

 これならきっと、なんとかなるだろう。

 

『はい! レッド・シューズのダンスでした! いやーお見事でしたね!』

『かわいかったー!』

『優勝だろこれ!』

 

 どうやら、レッド・シューズのダンスが終わったらしい。

 となれば、次は自分たちか。

 

「よーしみんな! いつも通りにやってみっか!」

「あいよー!」

 

 リーダーの一声で、メンバー全員の気が引き締まる。

 なんだか、空気が熱くなってきた気がした。

 

『では、次のチーム、どうぞ!』

 

 ——最後に、携帯のメッセージを確認する。

 直葉からは『絶対応援しに行くからね! 頑張って!』

 長田からは『大会とかぶってごめん! この失態は優勝で返すよ!』

 がんばれ長田。お前にはお前の道を歩んでほしい。それが、友達としての願いだ。

 よし。

 茂たちは、暗い舞台袖の中から会場へと歩み出す。そして視界に映るは、既にデキあがっている大勢の観客たち、会場を白く照らす照明、

 

「あ――」

 

 一番前の、一番中央の席に、真剣な顔をした桐ヶ谷直葉が座っていた。

 目が合う。

 予想外のことに、なんだか頭が回らない。

 ――そのとき、桐ヶ谷が親指を立てた。

 照明に淡く照らされていた桐ヶ谷は、力強く笑っていたと思う。

 ひとかどの間をおいて、茂は、ようやく笑い返すことができた。

 

『それでは踊っていただきましょう! ミュージックスタート!』

 

 そうして、普段通りじゃない場所で、いつも通りのダンスが始まった。

 

 □

 

「優勝お疲れちゃーん! みんな愛してるよぉーッ!!!」

 

 夕日が立ち上る帰り道、リーダーはガン泣きしながらでメンバーひとりひとりを抱きしめていた。ものすごい力だから、ちょっとやめてほしいとは思う。

 でも、まあ、たまにはいい。こんな時は特に。

 

「みなさん、本当におめでとうございますッ! 最高のダンスでしたッ!」

「おお~! ありがとう直葉ちゃーん!」

 

 桐ヶ谷もリーダーに抱き着かれ、直葉が「ひええ」と声を上げる。メンバーは苦笑いするほかない。

 

「いやー、ホント来てくれてありがとな。お陰で優勝できたよ俺ら」

「うんうん、桐ヶ谷さんの前でミスはできないもんね!」

「あ、あはは、そうですかね……」

「そうそう! 直葉ちゃんも立派なメンバーだからねえ!!」

 

 まだ抱きしめているリーダーだったが、桐ヶ谷の方もそろそろ辛そうになってきたので、茂がリーダーを無理やりひっぺがす。

 あっさり外れた。

 

「うおおん、ごめんね直葉ちゃん……」

「い、いえ。そ、それよりもっ、優勝ほんとうにおめでとうございます! あれだけ強豪が集まったのに、やりましたね!」

 

 本当だよなと、茂はうなずく。

 

「優勝に選ばれた時は、マジで? と思った。みんなヤバいくらいヤバいチームだったからさ。こう、実感がわかなかったというか」

「でも、私たちは選ばれた、日本一になった! 誇ってほしい!」

 

 リーダーの言葉に、「日本一かなあ」とは思う。ただ日本有数のダンスチームになれた事は事実だ。

 プロの審査員から認められたのだし、もはや堂々とするほかあるまい。

 

「リーダーの言う通りだよ、緑川君。もっとほら、不敵に笑って!」

「えーっ? 敵作るのヤダよ俺」

「じゃあ……謙虚に誇ろう!」

「だな」

 

 その時、携帯から音が鳴った。

 見てみれば、「第7回 バトルファイター大会優勝ッ!」と書かれた色紙を、笑顔で手にしている長田の画像が送信されていた。

 

「長田君もやったみたいだ」

「わ、ほんとに! すごいなあ……」

 

 直葉は、羨ましそうな顔をして長田の画像を眺めている。

 今日のメシは、さぞかし美味く食えることだろう。

 ——『優勝おめでとう、俺らも優勝かっさらってきたぜ』、返信。

 

「はー疲れた」

 

 その時、男子メンバーがぽつりと言った。

 

「今日はもう遅いし、お祝いは別の日にでもやらね?」

「さんせー」

「それもそっかー、もっと踊っていたいけどしゃーない」

 

 まだ踊るのかリーダーは。まさかダンスで栄養補給が出来るんじゃあるまいな。

 

「ほいじゃ、今回はここでかいさーん! 茂はー、」

「わってる、桐ヶ谷さんのことは責任をもって家まで送るから」

「よろしいっ! そんじゃまたねー」

 

 そうして、メンバーは散り散りとなっていく。ダンスコンテストの幕は閉じられた。

 ふっと静かになった街の中で、茂と桐ヶ谷は何も言わずに向き合う。夕日のせいか、桐ヶ谷がすこしだけ遠く見えた。

 

「帰るか」

「うん」

 

 帰路についていく。

 ずいぶんと疲れてしまったが、優勝したからか、それすらも心地が良い。帰ったら風呂に入ってメシを食って、父に報告しなければ。

 まだ街は眠らない。車が走り去る音が反響し、遠くから交差点の警告音が耳に届いてくる。こんな休日でも、立派に働いている人がたくさんいるのだろう。ぼーっとした頭の中で、なんとなくそう思考する。

 隣には、無言のままで歩き続ける桐ヶ谷がいる。

 なんだか、沈黙のままというのも何というか。茂は、そっと口を開く。

 

「なあ、桐ヶ谷さん」

「えっ、何?」

「いやその、ホントに応援ありがとな。おかげで優勝できた」

「もう、緑川君が頑張ったからだって」

「でもさ、ほら、友達の前でカッコ悪いとこ見せたくないじゃん? だから張り切れたんだよ」

「そう?」

「そうそう。めっちゃアガっちゃってたんだぜ? これでも」

「あー、わかる。ライバルのレベルも高かったもんね」

「だから、さ」

 

 茂は、特に考えもせず、

 

「何かお礼がしたいんだ、桐ヶ谷さんには」

「え――いやいやっ、私は別に何も」

「早くから来てくれたんだろ? いい席とってたし。……それが、嬉しくてさ」

「あー……」

 

 桐ヶ谷が気恥ずかしそうに笑う。

 

「お礼なら、私からも言いたいよ」

「え、なんで」

「ダンスのお陰で調子を取り戻せたし、ダンスをやったお陰でもっと強くなれたから」

「えっ」

 

 間抜けな声が漏れてしまった。剣道とダンスの接点がまるで思いつかない。

 

「やっぱり足さばきがよくなったからかな? あと思い切りも。ほら、ダンスって人前で踊る度胸も必要になるし」

「あ、あー」

 

 そういうことなのだろうか。桐ヶ谷がそう言うのであれば、納得するほかないが。

 

「これでも、部長から一本取れそうなぐらいには成長したんですよ~」

「マジか!」

「マジで」

「つええ!」

 

 茂と桐ヶ谷がけらっけら笑いあう。

 

「そんなわけで、ダンスのお陰で調子を取り戻せました。これでおあいこってことで」

「わかったー」

 

 住宅地に足を踏み入れた途端、ずいぶんと静かになった気がする。

 赤い屋根の一軒家から、円満そうな声が淡く聞こえてきた。羨ましい、心の底から思う。

 

「どうしたの?」

 

 桐ヶ谷の声が、茂を現実に引き戻す。

 

「い、いや、なんでもない」

「そう?」

 

 そうやってごまかしているうちに、いつの間にやら桐ヶ谷の家に着いた。ここもすっかり見慣れたものだ。

 

「じゃあ、また学校でね」

「ああ」

 

 桐ヶ谷が家の中に消えていく。それを見届けた茂は、無言で帰路についていった。

 

 □

 

 ひとっ風呂浴びて、父に戦果を報告し、メシを食い終えた後は部屋に入り、何となく長田に電話をかけてみる。

 互いの勝利を、声で分かち合いたかったから、かもしれない。

 

『もしもし?』

「おお、伸一君。俺、勝ったぜ!」

『ああー、さっき知らせてくれたよね。おめでとう、茂君!』

「どーいたしまして。で、大会はどんな感じだった?」

『いやー、猛者だらけで大変だったよ。あ、北大路さんも出場してきた』

「出たなエナ女の格闘家」

『決勝戦でバトったよ』

「結果は?」

『……勝ちましたッ!』

 

 いえーい!

 

『でまあ、優勝したのはよかったんだけどさ』

「おお」

『そのあと、北大路さんから何度も何度も挑戦を申し込まれちゃって、それはもう大変でした……』

「マジか。いやー大変ですなあわっはっは」

『笑えないよー』

「で、何勝何敗?」

『9勝1敗』

「すげー!」

 

 夜が更けていく。今日は、なんだか色々ありすぎた気がする。

 けれど、こんなにも満たされた一日は久々だ。願わくば、またこんな日々を過ごしてみたい。

 

――

 

 2023年 5月8日(月曜日)

 

 何事もなく中学二年生に進級して、あっという間に暖かな5月が訪れた頃。

 

「23日から中間テストだから、それまでちゃんと勉強するんだぞー」

 

 当然のように、教室内でささやかなブーイングが生じる。そんな反応も慣れっこなのか、教師は笑って流していた。

 いっぽう茂は、「やべえ」と小さく漏らす。この男、ダンス方面は成長しているが学力の方はこれっぽっちも伸びていないのだ。むしろこの瞬間まで、勉強なんぞ意識していなかったといってもいい。

 典型的な赤点候補だった。

 

 ——にぎやかな昼休みがやってきた。

 茂の机めがけ、桐ヶ谷と長田がそれぞれ椅子を寄せ合い、机の上で弁当箱を広げる。

 

「もう少しで中間かぁ」

「そうねえ、これは部活とダンスを減らさないと」

 

 つまらなさそうな顔をする長田と桐ヶ谷だが、あくまで「厄介」と思っているだけで、絶対の壁とは認識していない様子。

 

「まあ、いつも通り勉強すれば何てことはないよね」

「ええ」

「茂君はどうだい? いい点とれそ、」

 

 茂はといえば、黙々と弁当を口にするだけの存在と化していた。顔色なんて全て失われている。

 何かを察したのか、桐ヶ谷と長田が互いを見やる。

 

「ねえ、茂君」

「うん」

「その、もしかして、テストとか苦手、かな?」

 

 気遣うような声で、長田が問うてくる。

 茂は、重くうなずく。

 

「その、勉強とかは?」

「……あまり」

「ダンスに夢中だった?」

「はい」

「テスト、大丈夫そう?」

「……いいえ」

 

 うつむき、ミニトマトを食べ始める茂。味が、あまり感じられなかった。

 桐ヶ谷と長田が、大きくため息をつく。

 

「ねえ、緑川君」

 

 桐ヶ谷から声をかけられ、死にかけの茂は「はい」と返事する。

 

「よかったら、家庭教師、してあげましょうか」

 

 血液が熱くなったと思う。

 

「え、マジ」

「マジ。少しは勉強できるし」

「なんだったら僕も手伝うよ。上手く教えられるかはわからないけど」

「お、お、」

 

 あまりの恵みに、言語能力が失われていく。

 茂は弁当箱からミートボールをつまみ、桐ヶ谷と長田の弁当箱にそれぞれ提供した。

 

「え、ええ? いいよそんな」

「う、受け取ってくれえ。ダンスを続けられるかどうかは、君たちにかかってるんだあ」

「え。もしかして、赤点とったらダンス禁止とか?」

 

 桐ヶ谷の質問に、茂は無言でうなずいた。

 合点がいったとばかりに、桐ヶ谷と長田は「ああー」と声を出す。

 

「なるほど、それは死活問題だ」

「確かに。これは私も頑張らないとね」

「あ、ありがとう二人とも……で、でも、無理はしなくてもいいんだぞ?」

 

 桐ヶ谷が、むっと眉を曲げる。

 

「だめ。これからもあなたとダンスするつもりだし」

「うっ。そ、そう言われては」

「というわけで、今日から勉強開始。いいわね?」

「う、ウス!」

「よろしい。で、勉強する場所はー……えーと……」

「お、俺の家はどう?」

 

 瞬間、桐ヶ谷の目が見開かれる。

 

「君の家っ?」

「あ、オトコん家はマズいかな?」

「ううん! そんなことない。君とは友達だし、うん」

「そ、そうかそうか」

「僕も異論はないよ。そこにしようか」

 

 持つべきものは友達だ。心の底からそう思う。

 気が抜けたからか、急に腹が減ってきた。茂はハイペースで弁当箱の中身を平らげていく。教室から聞こえてくる雑談すら、心地よく聞こえる。

 

「ダンスと同じで、日々勉強していれば何てことないんだから」

「ウス! 桐ヶ谷先生!」

「ダンスの方が難しいと思うし、君ならできるよ」

「ありがとうございます! 伸一先生!」

 

 そのとき、茂の頭の中で閃きが走った。

 机の下で、長田の足を軽く蹴る。一体どうしたのかと長田から視線を向けられ、茂は目で「桐ヶ谷さんにかっこいいところを見せろ、勉強は得意だろう?」と伝える。

 長田は強張った表情を見せるが、やがては受け入れるかのように小さくうなずいた。秘められた恋心というやつは、なかなか制御できないものだ。

 

「それじゃあ、放課後はよろしくお願いしますっ!」

 

 桐ヶ谷と長田が、うむ、と首を振った。

 

 □

 

 放課後。

 HRが終わり、茂たちは無言で立ち上がる。教室から廊下へ、そして下駄箱まで歩んでいく間にも、あちこちから中間テストに関する呟きが多発していた。

 自信があると豪語する者、勉強してねーわと主張する者、助けて欲しいと懇願する者と、反応は実にまばらだ。自分も本来は、誰かに助けをすがる哀れな落第生として生き抜かなければならなかったはずである。

 やっぱり、持つべきは友だ。この借りは必ず返したい。

 そして学校の出入り口を押し開け、春の暖かな日差しを身に浴びて、いざ戦場(茂んち)に向かわんと三人で校門めがけ歩み、

 

「お待ちしていました、先生!」

「うえっ!?」

 

 女の子が、校門の陰から現れた。

 突如の出来事に、茂と長田が上ずった声を漏らす。いっぽう桐ヶ谷は、部活で鍛えられた胆力をバネに、前に一歩踏み出す。

 

「あの、あなたは一体?」

「これは失礼しました。私は北大路清香といいます。私立エテルナ女子学院、中等部三年生です」

 

 北大路清香が深く一礼する。長い黒髪がきらりと光った。

 ――この人のことはよく知ってる。長田と何度かゲーセンに付き添うたびに、ほぼ必ず顔を合わせ、長田と対戦してはコテンパンにされているから。

 冷静さを取り戻す茂だったが、周囲はそうもいかない。あれは誰だ、エナ女の制服だぜ、ちょー美人じゃん何でここに――当然の反応だった。

 

「こ、これはどうも。私は桐ヶ谷直葉、二年生です」

「ご丁寧にありがとうございます、桐ヶ谷さん」

「……して、先生、というのは?」

「はい」

 

 そして北大路は、迷わず長田めがけ視線を投げかける。

 長田は実に気まずそうに目を逸らした。

 

「私は格ゲー……格闘ゲームが趣味なのですが、長田さんとは日々競い合い、そして丁寧にレクチャーを受けさせてもらっているのです」

「へ、へええ……」

「長田さんと出会って以来、格闘ゲームの腕は日に日に増しました。そして、格闘ゲームへの情熱が更に燃え上がったのです」

「なるほど……」

 

 共感した部分があったのだろう。桐ヶ谷が、ゆっくりとうなずく。

 

「そのお陰で、夜は割と眠れていません。長田さんと、先生と戦いたくて仕方がないのです」

「あー、なるほど。その気持ちはよくわかります」

「なので、今日も長田さんと戦いたく、勝手ながら川越北中学校まで馳せ参じました」

「……どうして、ここに通っていると?」

「制服から推測しました」

「あ、ああー」

 

 しまったー!!!!!

 茂と長田は、気まずそうに視線を向けあう。

 

「先生、お願いします! 今日も対戦してはいただけませんか? 中間テストでお忙しい時期なのは分かっているのですが」

「え? う、うーん……」

 

 女の子からこうも懇願されれば、オトコの判断なぞ鈍ってしまうものだ。

 周囲から注目される中、長田は唸り声を上げる。川越北が誇る頭脳をフル回転させていって、そして、

 

「実はっ、今月はゲーセン代が危うくて」

「あ、それでしたらご安心を」

 

 そのとき、北大路が長田めがけ手招きをする。北大路は他校生であるから、学園の敷居までは超えられないのだ。

 何をされるか全く予想がつかなかったが、収拾をつけるために長田は一歩踏み出す。茂と桐ヶ谷がぐっと見守る中、長田はついに北大路と対面した。

 そして、北大路の手が長田めがけ伸びていき――

 

「これをどうぞ」

 

 小気味良い金属音が鳴った。

 十枚の百円玉だった。

 

「……? もしかしてこれって、ゲーセン代ッ!?」

「はい。授業料として、受け取ってください」

「そ、そんな、困るよ……」

「わかります、とても分かります。中間テストでお忙しいことは、十分に承知しています。ですが、格ゲーがしたくて仕方がなく……」

「そ、その気持ちはわかりますけど」

「! 失礼な物言いになりますが、もしや成績に不安が?」

「あ、それは大丈夫かな」

 

 北大路が、無言で授業料を差し出す。

 

「お願いしますっ、先生! 十回……いえ、五回っ、三回戦でも構いませんからッ!」

「え、えー……北大路先輩は、成績は大丈夫なの?」

「ゲーセンで遊んだ分、勉強も必死にこなしているつもりです。親からも承認されています」

「すげえ……」

 

 パワーお嬢様を目の当たりにして、長田が大真面目に感嘆する。同じく求道者である茂と桐ヶ谷も、北大路の生き方を否定するつもりはなかった。

 ここまで本気を体現されて、長田は両腕を組んでうんうんと唸り始める。桐ヶ谷にかっこいいところは見せたい、けれど同じゲーマーを見過ごすこともできないわけで。

 北大路が、長田めがけ思い切り頭を下げる。

 ——長田は、そんな人を見過ごせるような男ではない。

 

「わかった」

「! 先生っ」

「ただし五回戦、五回戦までね。あと、自腹でプレイしますから」

「そんなっ、これは私のわがままによるもので」

「いいんです。弟子にお金なんて払わせるわけにはいかないし」

 

 色々考えた結果なのだろう。長田の表情は、ずいぶんと柔らかい。

 

「ごめん、茂君。今日は、家庭教師はナシってことで」

「とんでもない。無理言ったのは俺なんだし、気にしないでくれ」

「勉強は私に任せて、長田君は北大路先輩に稽古をつけてあげて」

「わかった」

 

 桐ヶ谷は、にこりと笑って、

 

「かっこいいよ、先生」

「! き、桐ヶ谷さん……」

 

 北大路も、楽しそうに微笑んでいる。

 

「じゃ、じゃあ行きましょう。ほんとう、五回だけですよ」

「はいっ。……皆さま、大変失礼いたしました」

 

 北大路は深々と一礼する。あまりにも様になっていたものだから、茂も桐ヶ谷もついつい頭を下げ返してしまった。

 

「じゃあ、行きましょう。決戦のバトルフィールドへ」

「はいっ!」

 

 そうして、長田と北大路は旅立っていく。猛者が集う施設へ。

 周囲から「長田は何者やねん」という突っ込みが入ったが、友達の秘密を口にするつもりはない。同じ道を歩めば、もしかしたら知ることが出来るかもしれないけれど。

 

「じゃあ、俺らもそろそろ行こうか」

「そうだね」

 

 いいものを見たせいか、茂と桐ヶ谷の顔色もずいぶん明るい。

 二人の足が、茂の家へ進んでいく。目的地へ近づいていくたびに、なんだか緊張が色濃くなっていく。

 

 

 家の前に着いた。

 なんでもない二階建ての一軒家であるはずだが、直葉は「ほほー」と物珍しそうに眺めている。なんだか、恥ずかしさが芽生えてきた。

 いつものように鍵を開け、手慣れた調子でドアノブを握り、本能的に扉を開ける事が、

 

「じゃ、じゃあ、開ける」

「うん」

「汚かったらゴメン」

「大丈夫だいじょうぶ、気を遣わなくてもいいよ」

 

 女の子と二人きりだからか、いやに緊張してしまう。ここでご都合的に長田が戻ってきてくれないものか。

 桐ヶ谷は、どこか好奇心に溢れた顔つきで茂の行為を見守っている。

 観念するしかなかった。

 ドアノブをひねり、いざ、いつもの家の中へ。

 

「ただいまー」

「お邪魔します」

 

 玄関で靴を揃え、そのままリビングに駆け込む。桐ヶ谷は興味深そうに家の中を眺めている。

 何か、変なブツなんぞ置いてないだろうな。

 リビングの中を目ざとく確認する。何も置かれていないテーブル、灰色のソファー、壁にかけられた家族写真のフォトフレーム、壁掛け時計、ダンスコンテストで優勝した時の写真——よし、変なものはない。

 

「わー、綺麗だねえ」

「そ、そうか? 普通に掃除はしてるけれども」

「おーえらいっ」

 

 桐ヶ谷から、いたずらっぽく笑われる。見慣れたはずの表情なのに、今は一瞬しか直視できない。

 

「そ、それより、早く勉強しようぜ?」

「わかった。で、苦手な科目は?」

「あ、あー……数学と理科」

「了解。じゃあ、後から得意なやつをやりましょう」

「ウス」

 

 茂と桐ヶ谷が、テーブルを挟んで向き合い、絨毯の上に座り込む。

 勉強嫌いなハズなのに、どうして気分が安らいでいるのだろう。

 

「? どうしたの?」

「い、いや、なんでもない。じゃあ、やるか」

「うむ。しっかり鍛えてあげるからね~」

「優しくして」

 

 にかにかと笑いながら、直葉が学生鞄から教科書とノートを取り出す。

 さあ、戦いだ。

 

 それから数分が経過したが、茂は特に苦も無く勉強を進められていた。

 それもこれも、桐ヶ谷の教え方が真面目だからだ。わからないところがあったらちゃんと教えてくれるし、かといって安易に答えを口にはしない。答えを導き出すのに時間がかかったりもしたが、桐ヶ谷は特に不快感を示すことなく、じっと見守ってくれる。

 一対一だからか、対応がおろそかになることはない。だから、問題に対するモチベーションを維持できるのだ。

 いい先生だな、と思う。

 剣道をやっているからかな、となんとなく思う。

 なんとなく時計を見てみれば、午後五時を指していた。

 

「——え、もう五時!?」

「わ、びっくりした」

「悪い。いやしかしマジかよ、もうこんな時間だったのか……」

「かなり熱中してたもんね」

 

 途端に、疲労感が被さってきた。

 絨毯に両手を置いて、だらしなく背筋を曲げる。

 

「それじゃあ、今日の分はこれぐらいにしましょう。お疲れ様、緑川君」

「ありがとうございました、先生」

「夜も少しは予習すること、いい?」

「う、ウス」

 

 まさか、こんなにも勉強していただなんて。

 それもこれも桐ヶ谷のお陰だ。一人では死んでも成しえない偉業だ。

 

「え、今日の分?」

「うん。明日もやるよ?」

「ほ、本当にいいのか? 剣道は?」

「文武両道、学生の本業は勉強」

「え、えらすぎる……」

 

 本当に同い年の女の子なんだろうか。人間ランクがまるで比べものにならない。

 そんな人と友達になれているだなんて、自分はめちゃくちゃ恵まれているのだなあと痛感する。

 

「……なんというか、桐ヶ谷さんってさ」

「ん?」

「すごいよね、ホント。めっちゃ優しいし、しっかりしてるし、ダンスもうまいし」

「え、え!? いきなり何を言い出すのっ」

「いやさ、家庭教師をやってもらってさ、改めて凄ぇ人だよなーって思った。教え方も上手いし」

「そ、そんなことっ」

「あるよ」

 

 桐ヶ谷のおかげで、今日は色んな物事を知ることが出来た。

 

「大会の時といい、桐ヶ谷さんには助けてもらってばかりだな」

 

 桐ヶ谷がいてくれたおかげで、毎日に彩りがついた。勉強すら受け入れられているのが、何よりの証拠だ。

 だから茂は、心の底からこう言えた。

 

「いつも本当にありがとう。桐ヶ谷さんのお陰で、ここ最近はもっと楽しくなった」

 

 桐ヶ谷の目が丸くなって、それきり動かない。黒い瞳は、ずっと茂を写し取っている。

 何か、マズイことでも言ってしまっただろうか。

 心当たりがないので、沈黙するほかない。

 

「……そ、」

 

 桐ヶ谷が、左右に首を振り払う。

 

「そういう君だって、凄い人じゃないっ」

「えっどこが」

「君はダンスがすごくうまいし……」

「それだけだよ、それだけ」

「それにっ」

 

 食い気味に言われた。

 

「あなたのお陰で、あたしも、楽しく毎日を過ごせるようになったの。こうやって家庭教師ができるくらい」

 

 同じようなことを言われた。

 だからか、茂は硬直してしまう。恥ずかしいからか、驚いてしまったからか。

 

「……あ、ありがとう」

「い、いえ」

 

 半ば本能的に、お礼を口にした。

 それから少しの沈黙を経て、互いに、なんとなく苦笑い。

 ——気づけば五時半、外も暗くなってきた。そろそろ帰ろうかと、桐ヶ谷が教科書を鞄にしまいこんでいると、

 

「あ、そういえば」

「うん?」

 

 桐ヶ谷の視線が、壁の方に向けられる。

 ——もっと正確に言えば、壁にかけられた家族のフォトフレーム。

 しまった。

 何がしまっただ、別にやましいものでもあるまいし。

 けれど、なんだか、ヒミツの一部を見られたようで恥ずかしくなってしまう。

 

「これ、もしかして家族写真? 小さいの男の子があなたで、眼鏡をかけている男性がお父さん?」

「そ、そう」

「この赤い髪の女性は……お母さん?」

「――まあ」

「そうなんだ。……綺麗な人だね」

「……だろ?」

 

 母のことを褒められたからか、強張っていた気持ちが暖かくなっていく。

 桐ヶ谷が、写真と自分を交互に見やり、何か納得したように「あー」と声を出し、

 

「君とお母さん、髪の色が似てるよね。遺伝だったんだ」

「そうそう、そうなのよ」

 

 赤みがかった髪は、元は母から継いだものだ。地毛であるが、友人からは染めたのかと勘違いされることもある。

 色を変えるつもりはない。この色は、ほかでもない母からもらったものだから。

 

「そっかー……」

 

 そして桐ヶ谷は、ぼうっと写真を見つめたまま、

 

「会ってみたいなあ、どんな人なんだろう」

「えっ、どうして」

「なんだろう、気さくそうな雰囲気がしたからかな? 綺麗な人だから、かもしれない」

 

 家族のことを褒められて、茂の機嫌が分かりやすく明るくなる。

 ただ、母にはまだ会えそうにない。それを遠回しに伝えようと、少ない知恵に火をつけた。

 

「あ、あー、母さんはその、けっこう忙しい人で」

「そうなの?」

「そう。今は、遠いところにいるんだ」

「出張かな?」

「そうそう、そうなんだよ」

「そっかー、ざんねん」

 

 桐ヶ谷が眉をへこませ、ちょっと苦笑い。

 

「……あ、もうこんな時間か。ごめんね、そろそろ帰る」

「わかった」

 

 桐ヶ谷は、母のことを好意的に見てくれた。

 

「あの」

「なに?」

「ええと、その、母さんはダンスが上手いんだ」

「! ほんとに?」

「そう。俺がダンスを始めたのは、母さんがキッカケだったんだよね」

「へええ……見てみたいなあ、お母さんのダンス」

「すげえ綺麗に踊るからなあ、母さん」

 

 だからか、桐ヶ谷には母のことを知って欲しかった。こんなことを話したのは、これが初めてだ。

 ——それに、しても。

 夕日に照らされた桐ヶ谷からは、なんだかこう、目が離せない。異性として認識し始めているのだろうか。

 おかしい、とは思わなかった。桐ヶ谷は人間性に優れているし、かといって堅すぎるわけでもない。自分が持っていないモノを沢山秘めているからこそ、ここ最近は桐ヶ谷のことを注目してしまうというか。

 唇を少し噛む。

 馬鹿か俺は、長田の愛しい人を奪うつもりか。友達として、それは絶対にやってはいけない事だ。

 ふと、部屋ぜんたいが薄暗くなる。外を見てみれば、空が青みがかってきた。夕日が沈もうとしている。

 

「ああ、悪いっ。引き留めちまった」

「う、ううん! いいよいいよ、むしろ話してくれて嬉しかったというか」

「えっ、そうなの?」

「あ、あれ? なんでかな? なんでそう思ったんだろ?」

 

 桐ヶ谷が、どこか気恥ずかしそうに微笑んだ。

 ——それから茂と桐ヶ谷は、玄関まで歩む。桐ヶ谷が靴を履いて、「お邪魔しました」と呟き、そのまま扉を開ける。

 外は暗かった。

 不安という感情が茂のすべてを覆う。

 桐ヶ谷を一人で歩かせる、なんて選択肢は瞬時に潰れた。

 

「なあ」

「なに?」

「その、あー……こんな時間だし、送っていくよ」

「ううん、だいじょうぶだいじょうぶ、そんなに時間はかからないから」

「いや、外ももう暗いからさ、桐ヶ谷さんを一人で歩かせたくなくて……ここまで付き合ってくれた人に、何かがあって欲しくないんだ」

 

 茂は勢い任せに、本心からエスコートを提案した。

 しつこいと思われるかもしれない。けれどこの人だけは、無事平穏な毎日をこれからも過ごして欲しかったのだ。

 午後六時の夕暮れは、嘘みたいに静かだった。

 そして、桐ヶ谷直葉は、

 

「ありがとう、緑川君。じゃあ、家までお願いしようかな」

 

 笑顔で、受け入れてくれた。

 

 □

 

 あっという間だった。

 桐ヶ谷を家まで送り届ける間、会話はずっと途切れなかった。

 話したいことが多すぎたのだ。今日の学習についてあれこれ、ダンスに関するこれから、剣道にまつわる語り、お兄さんは元気かどうか――

 

「あ、着いた」

 

 あっという間だった。

 楽しい時間は早く過ぎ去るというが、どうやら本当の事らしい。見渡してみれば、確かに桐ヶ谷の家の前に立っていた。

 

「なんというか、あっちゅーまだったな」

「うん」

「ま、いいか。何事も無くてよかった」

「そうだね」

 

 そして桐ヶ谷は、ぽつりと、

 

「もっと、君とお話したかったなー」

 

 そう、言った。

 どこか、気恥ずかしさを顔ににじませながら。

 

「……そうだな、俺もだ」

「そっか」

 

 茂の言葉に、桐ヶ谷はにっかり笑い、

 

「じゃあまた明日、いろんなこと話そうよ」

「ああ」

 

 桐ヶ谷が、家の引き戸にまで歩んでいく。

 

「緑川君」

「うん?」

 

 桐ヶ谷が、そっと振り向いて、

 

「また、明日」

 

 

 

 午後十時。茂は良い子なので、この時間帯になると必ずベッドで横になる。

 春の夜はほんのりと暖かい、外からは何も聞こえてこない。

 眠る前に考える事といえば、大抵は母について、だった。

 いまは、桐ヶ谷について思いをはせている。

 

 ——自分は、桐ヶ谷直葉のことをどう思っているのだろう。

 

 大切な友人、それはそうだ。

 では、異性として初めて意識した人、だろうか。

 そう指摘されれば、自分はきっと、何の抵抗もなく受け入れられてしまうのだろう。

 しかし桐ヶ谷には、長田といつか結ばれて欲しい。そうなれば、自分は友人として心から祝福する。

 それでいいんだ、それで。

 

――

 

 2023年 5月9日(火曜日)

 

 清々しい朝がやってきた。

 父と茂はテーブルにつきながら、共同で作った朝食を黙々と口にしている。ラジオからは晴れを知らせる天気予報が明るく放送され、茂は「傘はいいか」とぼんやり思う。

 窓の外を見てみれば、穏やかな日光が差し込むばかり。今日も平和だなあと思考するが、SAO事件はまだ解決していない事に気づいて、頭を左右に振るう。

 すまん、桐ヶ谷。

 たくあんを口にし、熱いみそ汁をそっと飲み干して、父の前で堂々とあくびを漏らし、

 家のチャイムが鳴った。

 こんな朝っぱらから珍しい。

 父が「はーい」と立ち上がり、受話器を手に取る。はい、はい、はい? ああすぐ出ます――妙な反応だ。もしかしたら厄介な押し売りだったりして。

 父が玄関まで早歩きして、ドアの開く音がリビングにまで反響する。何かあったら自分も対応するか、そう考えながらサンマに箸を伸ばし、

 

「し、茂っ」

 

 父が足音を立てながら、リビングまで大急ぎで戻ってくる。

 何かやばいことがあったのかと、茂は立ち上がった。

 

「どしたの?」

「は、はやく支度しなさいっ、女の子を待たせてはいけない」

「え? ——え?」

 

 女の子。

 その単語を耳にして、ほんの少しの間が生じたあと、茂は頭の中で「まさか」と思考し、「まさか」と口にも出す。

 早歩きでリビングから抜け出し、そのまま玄関まで赴いてみれば、

 

「おはよう、緑川君っ。よかったら、一緒に学校まで行かない?」

 

 制服姿の桐ヶ谷直葉が、元気いっぱいの笑顔で玄関に立っていた。

 

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