桐ヶ谷直葉が一日二回も告白された理由   作:まなぶおじさん

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あなたと、これからも

 2023年 5月9日(火曜日)

 

 こいつはエラいことになった。

 まさか、桐ヶ谷直葉から登校のお誘いが来るなんて。

 緑川茂は大急ぎで朝食を済ませ、父は少し待ってくださいと応対し、桐ヶ谷は「おかまいなく」と一言。確かに桐ヶ谷ならじっと待機してくれそうだが、女の子を待たせるのもオトコとしてどうかと思う。

 茂は大急ぎで顔を洗い、歯を磨き、鞄を片手に早歩きで玄関に戻る。そこには、玄関で立ったままの直葉と父が。

 

「あ、準備できた?」

「できたできた。悪い待たせて」

「ううん、大丈夫」

「——お、おい茂」

 

 珍しく狼狽している父から、深刻そうな声で呼びかけられる。

 

「き、桐ヶ谷さんに迷惑をかけるんじゃないぞ?」

「わかってるよ」

 

間髪入れず、父が桐ヶ谷の方を見て、

 

「すみません桐ヶ谷さん、いつも息子がお世話になっています」

 

 あたふたする父をよそに、桐ヶ谷はにこりとしたまま、

 

「いえ、私の方こそ。緑川君にはいつも楽しいことをしてもらってばかりで」

「そうですか、それはよかった」

 

 そして父は、茂の耳元めがけ顔を近づける。

 

「おい、いつからあんな可愛い子と知り合った?」

「去年からだよ」

「そうか。……で、どういう関係なんだ?」

「と、友達だよ友達っ。ヘンなこと聞くんじゃねーよ」

「そうか……いいか、くれぐれも桐ヶ谷さんに失礼を、」

「どうしたんですかー?」

「ヒャーッ!」

「ヒャーッ!」

 

 桐ヶ谷の声に、男どもはなっさけない声を上げる。

 これには驚いたのか、桐ヶ谷も「おおっ」と引いてしまった。

 

「す、すみません、なんでもありません」

 

 父が慌てながらも、深々と頭を下げる。

 

「その、桐ヶ谷さん」

「はい」

 

 そして父は、心の底から嬉しそうな顔をして、

 

「これからも茂と、仲良くしてやってください」

 

 そして直葉も、元気いっぱいに笑い返す。

 

「はい、もちろんです」

 

 □

 

 ドタバタしてしまったが、何とか無事に桐ヶ谷と登校することが出来た。

 空は青く晴れ渡っていて、気温もほどほどに暖かい。朝早いからか、住宅地に人気はなかった。

 そして隣には、自分とともに通学路を歩んでいる桐ヶ谷がいる。なんだか非日常的な感じがして、茂の調子がどうも落ち着かない。

 せっかく迎えに来てくれたのだし、声をかけなければ。友人と対話するだけだというのに、なんだこの緊張感は。

 

「あ、あー、桐ヶ谷さん。どうして、今日は来てくれたの?」

「え? う、うーん……そうそう、緑川君と家が近いから、なんとなく一緒に行きたくなったんだよね」

 

 桐ヶ谷も、どこかおぼつかない様子で返答する。

 もしかしたら、勢いで緑川家にお邪魔したのかもしれない。先日はあれだけ「同調」したのだし、雑談の続きをしたくなってもおかしくはない。

 

「そっか。だよな、俺ら友達だもんな」

 

 だから茂は、けろりと笑う。

 そんな茂を見て安心したのか、桐ヶ谷も、胸に手を当ててほっとしてくれた。

 ——長田もこんな風に、桐ヶ谷と登校できればよかったのに。

 

「……で、今日も家庭教師、してくれるんだっけ?」

「もちろん。私が教えたのは、ほんの基本だし」

「うえー、まだあるのかよ……順位なんてほどほどでいいよ」

「だーめ。勉強はすればするほど良い方向につながるの、ダンスとおなじ」

「ぐっ……」

 

 痛いところを突かれる、桐ヶ谷の口元がにやりと釣り上がった。

 

「そういうワケなので、しばらくは勉強に励みなさい。今しばらくは、ダンスはほどほどにね」

「うう……」

「あなたほどなら、少し踊らなくても大丈夫でしょ?」

「……まあね」

 

 苦笑した。体が覚えているのなら、少し休んだところで何の問題もない。

 住宅地を抜け、交差点を渡ってみれば、学校に向かう生徒の姿がそこかしこで見えるようになる。中にはカップルらしい男女二人組もいた。

 

「わー、交際してる……」

 

 桐ヶ谷のつぶやきに、体がびくりと震えた気がする。

 

「あっ」

 

 そして、桐ヶ谷と「目が合った」。

 相手を見るという行為が、同じタイミングで重なった。

 

「え、えーと……」

「あ、あー……俺らは友達だよな? 男女でも、そういうのはあるよな?」

「そ、そうそう! あるある! 友達だもんねあたし達!」

 

 何を意識してしまっているのか、茂と桐ヶ谷が弁解するように主張しあう。周囲に居た生徒達から軽く警戒されてしまったので、ざーとらしく大きな咳をついた。

 

「まあ、俺はまだ、付き合うとかそういう発想はないかなぁ……」

「ああ、今はダンスに専念するんだもんね」

「そうそう、そうなんすよ」

「ダンスの才能、ありまくりだもんね」

「えーっ?」

「え~?」

 

 何言ってんだかと、桐ヶ谷に笑われてしまった。そんな桐ヶ谷のことが、なんだか心地良く思える。

 そして、ふと真正面を見て、

 

「あ」

 

 息すらも停まったと思う。

 校門前。長田伸一と、正面から出くわした。

 

「おはよう、長田君」

「——おはよう、二人とも。その、一緒に登校してたのかな?」

 

 桐ヶ谷は、長田のことはれっきとした友達だと考えている。だから、二人きりで居る場面を見られたところで気まずさなど芽生えるはずもなく。

 長田も、そこは察しているのだろう。あくまで笑顔をつくりながら、桐ヶ谷と茂に質問をする。

 

「うん」

 

 そして桐ヶ谷は、当然のようにうなずいてみせた。

 

「その、伸一君」

 

 何とか言葉をひり出そうとしたが、長田は小さく首を左右に振るう。

 

「いいね」

 

 その言葉に対して、茂は、力なく「そうだね」と答えることしかできない。

 桐ヶ谷と茂、そして長田は、何事もなかったかのように学校の中へ入っていく。

 それ以上の言及はされず、長田に何かを問う勇気も湧いてくることはなかった。

 

 

 2023年 5月16日(月曜日)

 

 昼休み。曇り空が空が覆っているせいか、教室の中はやや薄暗い。

 今日は長田と二人で弁当をつつきあっている。桐ヶ谷は女子グループに誘われ、教室のひとかどを陣取って昼食を楽しんでいた。

 たまには、こういうシチュエーションもアリか。

 そう思いながら、茂は長田とともに何でもない雑談を口にしていく。天候のせいか、いつもより活気が落ち着いているように思えた。

 それから数分が経って、そろそろ弁当箱の中身が無くなってきた頃。

 

「茂君」

 

長田が、眼鏡を指で整えはじめる。

 

「やっぱりさ」

 

 一瞬だけ、女子と談笑する桐ヶ谷に視線を向ける長田。

 

「直葉ちゃんは、僕のことを友達としてしか見てないんだろうね」

「何言ってるんだよ」

「なんだろうね。ここ最近は、それを事実として受け入れられる、というか」

「伸一君、マジで言ってるのか」

「言ってるよ」

 

 長田から、まっすぐな視線が差し向けられる。

 迫力めいたものを前にして、苦し紛れの反論なんぞは封じられる。

 

「直葉ちゃんは僕なんかよりも、君の方が相性がいい。そう思ってる」

「そんなこと」

「ああ、心配しないで。怒っているとか、そういうんじゃないんだ。ただ、そう、実感してしまってるだけ」

「そう、か?」

 

 長田は、きっぱりと首を縦に振るう。

 

「ここ最近は直葉ちゃんと一緒に登校してたり、勉強会で一緒になって笑いあう事が多いじゃない。普段もそう、桐ヶ谷さんは君と話すたびに楽しそうな顔をしてる」

 

 間違っている、なんて思えない。だって長田は、川越北中が誇る秀才だから。

 ここ最近は長田も勉強会に参加しているが、もともと成績優秀なだけあって、桐ヶ谷から勉強を教わるというケースが皆無だ。対して茂は、「しょうがないなあ」と桐ヶ谷からあれこれ教えてもらうパターンが多い。

 そんな時の桐ヶ谷の顔は、とても明るい。

 それを見た時の長田は、力なく笑うのみ。

 そんなの、キツいに決まっている。

 

「思うんだよね」

「……何が?」

 

 長田は、お茶をそっと飲んでから、

 

「直葉ちゃんとダンスを踊れなかった時点で、僕はだめだったんじゃないかな」

 

 時が止まったと思う。

 

「そ、」

 

 なんとかして声を出す。

 

「そんなことない。ダンスと恋は、関係ない」

「一緒になって同じ事をやって楽しむ。これ以上に盛り上がることがあるかい?」

 

 そんなことない。そう口にしたかったけれど、マシな反論なんて考えつくはずもなく。

 歯を食いしばる茂を前に、長田はあくまで笑いを絶やさない。

 

「そう、深刻に考えないで。君は何も悪くない」

「でも」

「……むしろ、君には感謝してるんだ」

「どうして」

 

 そして長田は、穏やかな調子でこう言った。

 

「君のお陰で、直葉ちゃんは笑えているから」

 

 ——あなたのお陰で、あたしも、楽しく毎日を過ごせるようになったの

 否定なんて、できるはずがなかった。

 

「直葉ちゃんと相性がいいのは、君の方だったんだね」

「……友達として、だよ」

「そうだね、そうかもしれないね」

 

 そして長田は、弁当箱の蓋を閉めて、両手を抑えて「ごちそうさま」と告げる。

 

「うん、決めた」

「え、何を?」

 

 長田は、物静かに微笑んで、

 

「今日、直葉ちゃんに告白するよ。何はともあれ、これだけはハッキリさせたいから」

 

 本気で言っていた。

 友達だからこそ、察してしまえる。

 何か面白いことでもあったのか、桐ヶ谷が声を出して笑っている。他の女子の表情も、朗らかそうな表情を露にしていた。

 そんな桐ヶ谷のことを、長田は幸せそうな顔で見守っている。

 

「茂君」

「ああ」

「もしだめだったら、骨ぐらいは拾って欲しい」

 

 そんな言い回しに対して、茂は苦笑とサムズアップを返した。

 

 

 長田:放課後、屋上前まで来てくれるかな? 伝えたいことがあるんだ

 直葉:わかった

 

 放課後。封鎖されている屋上の扉の前で、長田は桐ヶ谷を待ち続けていた。

 緊張がまるで抑えきれない、少しでも油断すると爆発してしまいそうな気がする。こんなにも胸が高まったのは何年ぶりだろう、大会ではじめて優勝して以来かも。

 放課後だからか、下層からは生徒の賑やかな声が絶えない。走るなー、と注意する教師の声が響いてきた。

 窓を見てみれば、まだ曇り空が続いている。この先の展開を暗示しているような気がした。

 ——何をマイナスぶっているんだ。

 それでも、桐ヶ谷にフラれたところで「だろうな」と思えてしまう自分もいる。聡明な自分の頭は、困ったことに「そうなる可能性が高い」と予測してしまっていた。

 このまま逃げちまうのもアリかもしれない。想いを心の奥底にしまい、学生ならではの笑い話として処理してしまうのも良いと思う。

 でも、それはできそうにもない。

 長田伸一は、桐ヶ谷直葉のことが、心の底から好きだから。

 

「お待たせ」

「あ、来てくれたんだね」

 

 桐ヶ谷が階段を登ってくる。一段、一段と足を進めてくるたびに、心臓から音が漏れていく。

 

「それで、その、話っていうのは?」

「ああ、それはね」

 

 時間を割いてまで、桐ヶ谷はここまで来てくれた。

 それを不義理にするわけにはいかない。だから長田は、これまでの桐ヶ谷との思い出を脳裏で再生させながら、大きく、大きく息を吸って、

 そして、

 

「直葉ちゃん」

「! うん」

 

「——僕は、直葉ちゃんのことが、ずっと前から好きでしたっ! 僕と、付き合ってくださいっ!」

 

 言えた。

 ずっと言いたかったことを、ようやく本人に伝えられた。

 思わず大声を出してしまったが、もうどうだっていい。桐ヶ谷には迷惑をかけてしまうかもしれないけれど。

 そして桐ヶ谷は、目を丸くするほど驚いてしまっている。ああやっぱり、声は控えめにするべきだったか。

 ——そして桐ヶ谷は、「気まずそうに」視線を床に逸らした。

 気まずそうに、視線を床に逸らした。

 

「……ごめんなさい」

「うん」

「その、長田君のことは良い友達だと思ってる。けれど、そういう風には、なぜか、なんでだろう。そういう風には見られない、というか」

「ううん、気にしないで」

 

 予想通りの答えだった。

 それはとても辛いものだったけれど、やりたいことは全部やりきれたのだ。だからか、長田はなんとか笑えている。

 

「人には、相性というものがあるから仕方がないよ」

「……うん」

 

 こればかりは、本当にもうどうしようもない。

 けれど、受け入れるほかないのだ。相性問題については、格ゲーでさんざん学んでいる。

 

「返答してくれて、本当にありがとう」

「こちらこそ、本心を伝えてくれて、嬉しかった」

 

 桐ヶ谷は気まずそうにしながらも、そっと微笑んでくれた。

 

「桐ヶ谷さん」

「……うん」

 

 長田は、心の底から言う。

 

「これからも友達として、一緒にいて欲しい」

 

 桐ヶ谷は、すぐに、うなずいてくれた。

 

 □

 

 生徒達が行き交う玄関前の広間で、茂は両腕を組みながら長田を待っていた。

 果たして長田は、桐ヶ谷に全てを言えただろうか。そして桐ヶ谷は、そんな長田のことを受け入れられたのか。

 もし二人が手を繋いでここまで来たのなら、自分は喜んであれやこれや言うと思う。桐ヶ谷に対する曖昧な感情も、お預けにしてしまえるだろう。

 ほんとう、そんな結末が訪れて欲しい。

 

「茂君」

 

 声がした方に視線を向けてみれば、そこには、笑っている長田の姿があった。

 

「伸一君。……その、どうだった」

 

 ——なんとか笑えている長田の姿が、あった。

 

「ダメでした」

 

 茂はすぐに、こう言った。

 

「……ゲーセン、付き合うよ」

「ありがとう」

 

 その時、ポケットの中の携帯が震えた。

 何だろうと取り出してみれば、

 

 直葉:今日はちょっと、一人で帰ります。申し訳ないけど、家庭教師は明日ということで

 茂:気にしないで、予習頑張るよ

 

 そりゃそうだろうな、と思った。

 下駄箱から靴を引っこ抜き、長田と隣同士になりながら学校を後にする。

 すれ違う生徒達から中間テストにまつわるボヤキが聞こえてきたが、今は勉強なんて二の次だ。格ゲー観戦こそが最優先事項だ。

 

「ゲーセンには付き合うつもりだけど、良かったら一緒にメシでもどうだ。何かおごるぜ」

「いいのかい?」

 

 苦笑いする長田だが、断るつもりはないらしい。すっかり友達だなと、茂は改めて思う。

 

「当たり前だろ。なんてったって、君はやるべきことを終えたんだしな」

 

 あと数歩で校門を潜り抜けようとして、

 

「——先生、お待ちしていました!」

「わっ」

 

 校門の陰から飛び出してきた北大路に対し、茂と長田が小さく声を上げる。以前よりトーンダウンしたのは、なんやかんやで順応してきたからかも。

 

「き、北大路先輩、来てたんですね」

「はい! 先生、今日は少しだけ、お時間いいですか?」

「い、いいよ」

 

 北大路の目が、星のように輝きはじめる。

 今日も元気いっぱいだなあと思っていると――ふと、北大路が長田の顔をじっと眺め始めた。

 無表情の北大路から見つめられて、長田が一歩ほど後ずさる。

 先ほどまでの賑やかさは、もう微塵も感じられない。

 

「……ここでは目立ちますから、近くの公園に行きましょう」

「う、ウス」

 

 エテルナ女子学院の制服というモノは、やはりどうしても男女の目を引いてしまう。他校の前ならば、なおさらだ。

 失礼しましたとばかりに、三人はいそいそと公園まで移動する。歩いている間も生徒からの注目が熱かったが、北大路は臆せず前に前にと歩んでいく。流石はパワーお嬢様格ゲープレイヤーである。

 万が一、北大路に何かがあろうものなら、茂と長田は黒服のおっかない兄さん達に連行されてしまうのだろうか。北大路が「私が全て悪いのです、この方々は何もしていません」とかばってくれそうな気がするが。

 そんなどうでもいい事を考えているうちに、人気のない公園にまでたどり着いた。曇り空の下にあるわずかな遊具に小さめの砂場が、なんともいえない寂しさめいたものを感じさせる。

 ベンチを見つけたので、三人は早速とばかりに腰を下ろす。真ん中には北大路、両側には長田と茂。

 

「——ここでいいんですか? ゲーセンは?」

 

 真顔のままの北大路が、首を横に振るう。

 

「今日のところは、『本当は』プレイ動画だけを見ていただくつもりでした」

「そうなんですか」

「先生の教えのお陰で、私は間違いなく上達しています。しかし全一にはまだほど遠い、だからこそ先生から数分だけレクチャーをもらおうとしたのです。テスト期間中ですしね」

「いやあ、アテになるのかなあ、僕の教え方なんて」

「なっていますよ。私のプレイスタイルを一番理解しているのは、先生ですから」

 

 あれは、2月の頃だったか。

 北大路から先生になって欲しいとせがまれた長田は、ここしばらくは別のゲーセンにお邪魔していた。これも、北大路を撒く為である。

 その後、北大路も流石に諦めただろうと長田と茂は推測し、またいつものゲーセンに足を踏み入れ、格ゲーコーナーに赴いた瞬間、プレイヤーを背後で見守っていた北大路とバッタリ出くわしてしまい、「先生!」と叫ばれハイスピード早歩きで距離を詰められた。

 有無を言わさぬ迫力を前に、茂と長田は硬直するほかない。

 そうして北大路は、まくしたてるように懇願した。「未熟だった私を正してくれたのはあなたです」「もっと強くなりたいんです」「ゲーセンは平等の場ですから身分なんて気にしないでください」「気になりすぎて早起きしてしまうんです」「全一になりたいんです!」

 ——同じ格ゲーマーとして共感してしまったのだろう。長田は「わかりました」と言い、弟子入りを許可した。そのときの北大路の喜びようといったら、近くに居た常連たちがやんややんやと祝うほどだった。

 

 いつもの北大路なら、メモ帳を片手に長田からのレクチャーを拝聴しているはずなのに。

 北大路が大きく息を吸う、両肩が上下に動く。

 これから何か、大事な事を口にするつもりなのだろうか。格ゲーよりも、大切なことを。

 

「では、本題に入ります」

「はい」

 

 そして北大路は、長田のことだけを見つめながら、

 

「最近、何かありましたか?」

「え?」

「今日の先生は、ずいぶんと元気がないように見えましたので」

 

 呼吸が止まりそうになった。

 

「い、いや、そんなこと」

「私は先生の弟子です」

 

 長田の言い逃れが立ち消える。

 お嬢様であるが故に、相手の機嫌や顔色を読み取るのが上手いのかもしれない。

 

「もし、もしも、原因が私だとしたら、」

「それはないっ」

 

 食い気味に長田が咆える。

 そんな長田に、北大路は嬉しそうに微笑した。

 

「ありがとうございます、先生」

 

 北大路が一礼する。

 

「もしお悩みがあるのでしたら、私もお力になります」

「……そんなに、気遣わなくてもいいんですよ。先輩」

「いいえ。先生のお陰で、私は格ゲーでもっと勝てるようになりました。いつも付き合っていただいている分だけ、私はお礼がしたいのです」

「いいんですよ、本当に。ただ、遊びを教えているだけだし」

 

 先生(長田)の言葉に、北大路は左右に首を振った。

 

「格ゲーこそ私の生きがいです。だからこそ、格ゲー道を導いてくださった先生には、感謝しかありません」

 

 北大路の青い瞳に、光がこもり始める。

 ——どうしてこの人は、ここまで格ゲーに熱くなれるんだろう。

 同じ求道者として、なんだか気になってしまい、

 

「どうして北大路先輩は、格ゲーが好きなんですか?」

「……それはですね」

 

 いつか聞かれると予想していたのだろうか。北大路は、特に拒むことなく語り始める。

 

「昔の私は、日々勉強を重ね、学友とちょっとお話をする毎日を繰り返していました」

 

 その「お話」というのは、社交的な意味合いも含まれているのだろう。本心を巧みに隠し、笑顔をつくり、礼節を見せあう日々を過ごしていったに違いない。

 

「正直なところ、私はそれが苦しかった。何かこう、気分が爽快になれるような、そんな遊びが欲しくてたまらなかったのです」

「それで、ゲーセンに?」

「はい。最初は、その、ゲームセンター特有の賑やかさに戸惑ってしまいました」

 

 お嬢様である北大路からすれば、好き放題に反響しあう音楽にはさぞ困惑したことだろう。

 

「ですが、だからこそ、ここには何か面白いモノがあるに違いないと思いました。そしてゲーセン内を歩いているうちに……」

「……出会ってしまった?」

「はい!」

 

 長田のつぶやきに対して、北大路は嬉しそうに返事をする。

 

「最初は、後ろから格ゲーとプレイヤーを眺めていました。……画面内の死闘をじっと眺めていくうちに、私は気づいてしまったのです」

「……格ゲーの面白さに?」

「はい!」

 

 長田のつぶやきに対して、北大路は嬉しそうに返事をする。

 

「格ゲーは素晴らしい文化です。身分に左右されることなく、気軽に合法的に刺激を感じられる。一対一の戦いだから、気を遣うことも少ない。格ゲーは素晴らしい文化です」

「わかる、わかりますよ」

「……最初はまあ負け続きでしたが、何とか腕を上達させていきました。そして気が付けば、周囲からは一目置かれるようにもなりました」

 

 そして北大路は、ころっと苦笑する。

 

「このあたりでは、自分が一番強い。私としたことが、そう驕ってしまったんです」

「ああー」

「……そんな私を止めてくれたのが、あなたなんですよ」

 

 思い出す。去年の冬、長田と北大路が対戦を行い、見事に北大路が完敗してしまったあの日を。

 長田はポーカーフェイスでゲームをプレイしていたが、北大路の方はわっかりやすいぐらい表情を変えていた。攻められれば歯を食いしばり、優勢に立てば獰猛に笑みを浮かべていたっけ。

 

「私は思いました。この人についていけばもっと強くなれる、前よりも面白く格ゲーが出来るのではないかと。——この考えは、正しかった」

「そんな」

「強引に弟子を名乗ってしまいましたが、そんな私を、先生は優しく受け入れてくれました」

「いやあ、最初は拒否してましたし、優しくなんかないですよ」

「結果的には、弟子にしていただけました」

 

 北大路は、からっと言った。 

 

「こんな私に、先生は自分の時間を割いてまで、私のプレイスタイルに沿ったアドバイスを何度も口にしてくれました」

 

 長田と北大路がゲーセンで出くわすたびに、二人は対戦を行い、決まって北大路がコテンパンにされる。この流れは茂も何度か見た。

 ——対戦が終わったあと、しょげている北大路に対して、長田は懇切丁寧に悪かった箇所と良かった箇所を教える。この展開は、何度も見たことがある。

 ダンスの評定も上手いことから、長田は俯瞰的に人を見る能力に長けているんだなあと思う。

 

「そうして強くなれたお陰で、以前よりも気分良く格ゲーをプレイできています。そんなふうに気分転換ができているからこそ、日々の勉学にも腐ることなく臨めています」

 

 同調するように、茂は深々とうなずく。

 

「先生。私は、」

 

 北大路は、長田のことをぎゅっと見つめ、

 

「先生のお導きのお陰で、毎日を楽しく過ごせるようになりました。本当に、ほんとうにありがとうございます」

 

 北大路は、深く一礼した。

 そんな北大路に対して、長田は、戸惑いながらも笑えていた。

 

「先生も、どうか楽しく生きていて欲しいんです。お節介かもしれませんが、私にできることなら何でもいたします」

 

 長田伸一は、真剣に恋と対峙して、決着をつけてみせた。

 そんな事ができる男は、何がなんでも幸せにならなければならない。長田の友人として、心からそう思う。

 

「……わかりました」

 

 北大路の願いに、長田はゆっくりとうなずいてみせた。

 信頼されたからか、北大路の表情が明るくなる。

 

「じっくり話がしたいので、喫茶店にでも寄ろうかと……いいですか、先輩」

「はい!」

「おごりは無しですよ」

「はあい」

 

 北大路がいたずらっぽく笑ってみせた。

 ——長田はもう、大丈夫だろう。

 茂は、ゆっくりとその場から立ち上がる。

 

「俺は先に帰ってるよ」

「え、でも」

「二人の方が話しやすいだろ?」

「……そだね」

 

 北大路から頭を下げられる。

 

「北大路先輩。伸一君のこと、よろしくお願いします」

「はい」

 

 そして茂は、ひとり公園から立ち去ろうとして、

 

「茂君」

 

 長田から呼び止められる。

 

「また、明日」

「ああ」

 

 偶然にも、互いに親指を立てていた。それがなんだかおかしくて、笑えてしまう。

 長田伸一という男は、やるべきことをやり終えた。だからこそ、これからは面白い人生がやってくるべきだ。

 友達として、そうなる事を祈っている。

 

 曇り空が去って、少しずつ青空が現れていく。

 ――ゲームも、誰かを救うことがあるんだな。

 

――

 

 2023年 5月17日(火曜日)

 

 朝飯を食べ終え、顔を洗って歯を磨いて学生鞄を手にして、いざ玄関まで駆け寄って、

 チャイムが鳴った。

 茂は「はいはーい」と声を出して、家の扉を開ける。

 

「おはよう、緑川君」

「おはよー」

 

 晴れた日差しとともに、今日も桐ヶ谷が朝から出迎えてくれた。

 ここ最近は慣れたもので、朝飯を食べる速度が少し速くなった。

 

「いつもすまないねえ」

「何言ってるの、友達でしょ?」

「そりゃあそうですけど」

 

 家から出て、通学路に出る。

 

「俺の方から迎えに行ってもいいんだぜ」

「それだと君、学校から遠ざかっちゃうでしょ? これでいいの」

「そっかぁ」

 

 確かに、朝から学校から遠ざかるというのは心理的にしんどいものがある。

 ここは桐ヶ谷の厚意に甘えさせてもらうことにした。

 

「はー、テストも近くなりましたなあ」

「そうねえ。自信のほどは?」

「まあ、以前よりはマシになったよ。これも家庭教師さまさま」

「ふふ、感謝するがよいっ」

「ははっ、テストが終わったら何かおごらせていただきますっ」

 

 桐ヶ谷が両腕を組み、えへんと笑う。普段は真面目な桐ヶ谷だが、こういったくだけた一面もよく見受けられるようになった。

 そんな桐ヶ谷を見るたび、茂はホッとする。桐ヶ谷が安定しているという事は、兄はまだ無事、という保証にも繋がるから。

 

「あ」

 

 交差点に差しかかろうとした時、茂と桐ヶ谷は見てしまった。

 両腕で男子の腕に絡む、女子の後ろ姿を。

 背後からなので顔は見えないが、おそらくは別のクラスメートだと思う。朝から刺激的なものを目の当たりにして、なんだか気まずいというか気恥ずかしいというか。

 なんとなく、隣を見る。

 桐ヶ谷と、目が合った。

 

「あ、ああー……ま、まあ、学生ですし、ね?」

「そ、そうですなあ」

 

 桐ヶ谷とは、そういう関係ではない。

 シチュエーションだけを考えたら、恋人に近いといえば近い。

 

「え、ええっと。その、緑川君は、まだ、こういうのは早いと思ってるんだっけ?」

「ま、まあね。いまはダンスに専念したい」

「そういえば、そうだったね」

「そうそう」

 

 誰かを幸せにできるような男になるまで、交際はしない。

 独りになってしまった父を見てから、茂は固くそう誓っている。

 

「……じゃあ、さ」

「え?」

「強いて言うなら、どんな女の子と付き合いたい?」

 

 信号機はまだ赤い。

 

「……そう、だな」

 

 以前にもこんなことを話した気がする。その時は、はぐらかしてしまったんだっけ。

 けれど今は、なぜだか本心を口にしたくなった。相手が桐ヶ谷、だからかもしれない。

 

「やっぱり自分と気が合って、自分のことを好きになってくれる人かな? なんて、ゼイタク言い過ぎか」

 

 我ながら都合の良いこと言ってるなあ。自嘲するように笑ってしまい、

 

「いいんじゃないかな」

 

 予想外の返答に、茂のすべてが止まった。

 

「私も、緑川君と同じことを言うと思う」

 

 困ったように、顔を少しだけ赤らめながら、桐ヶ谷はそう言った。

 信号機が青くなる。

 

「い、いこっか」

「う、ウス」

 

 前のカップルが歩み出す。それにつられるような形で、茂と桐ヶ谷も交差点を渡っていく。

 徐々に人気が多くなる。グループで登校する者から一人で学校に向かう者、カップルらしき男女まで、生徒模様はさまざま。

 茂と桐ヶ谷の前には、まだ腕を組んで歩いているカップルの姿がある。この状況に慣れたかったが、なんだかどうしても気恥ずかしさが拭えずにいる。桐ヶ谷も、視線を逸らしながらもカップルを見て、を繰り返していた。

 無言になって数分後、ようやく校門が見えてきた。カップルが校門の中を潜り抜け、茂も後に続こうとして、

 

「あ」

 

 茂と桐ヶ谷の足が止まった。

 向こう側からやってきた長田伸一と、顔があったから。

 

「あ……おはよう、長田君」

 

 昨日のこともあってか、桐ヶ谷がぎこちなく挨拶を交わす。

 長田と桐ヶ谷の間に告白が交わされた件については、茂はまったく知らないという事になっている。バレないようにしなければ。

 そして、長田は、

 

「おはよう、桐ヶ谷さん、茂君」

 

 とても、めちゃくちゃいい顔で挨拶を返してくれた。

 予想外だったのか、桐ヶ谷が目を丸くする。少し考えて、茂は「そっか」と口元を緩ませた。

 

「……あの、長田君、その」

「昨日のことは気にしないで、桐ヶ谷さん。ゲーセンに行って気晴らししたから」

「そう、なんだ」

 

 長田は「うん」とうなずく。

 そうか。先輩、がんばってくれたんだな。

 

「これからもよろしくね、桐ヶ谷さん、茂君」

「……うんっ」

 

 茂は、黙って首を縦に振った。

 何事もなかったかのように、三人は学校の中へ入っていく。

 

 

 

 

 

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