ナイスネイチャの悪霊的失恋   作:むうん

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#001

「くっそおおおおおおおおおおーーーーーッ!!!!!」

 

 もしかすると、手を伸ばせば太陽を掴めるのではないかと思えるくらい澄んだ高い空。晩秋の京都競馬場、万雷のような拍手と歓声を切り裂くようにナイスネイチャの叫びが響いた。クラシックレース最後の冠『菊花賞』。2番人気に押されながらも伸びを欠き、4着入賞という結果に終わった。終わってしまった。

 

 悔しい――言葉で言えば一言で済んでしまうが、その一言の中には幾重にも重なった『想い』があった。調子もあがってるし、いよいよ菊花賞バ誕生か、と『夢』を乗せて送り出してくれた地元の商店街のみんな。遥か遠い九州の地から、自分を応援してくれる小倉の人たちの『期待』。そして、こんな自分と二人三脚でトゥインクルシリーズを戦い抜くと誓ってくれたトレーナーの『信頼』。そのすべてを裏切ってしまったような気がして、彼女は柄にもなく大きく胸を上下させるほど消耗して大の字になりターフを叩きながら悔し涙を浮かべた。

 

 何が足りなかった? ほかのウマ娘と比べて自分には何が? スタミナ? 脚のキレ? レースセンス? 勝負根性? それとも運? だが、こと気力においては他のウマ娘には負けていなかったはずだ。テイオーが出ていれば、なんて絶対に言わせない――そして、トレーナーをG1を獲ったトレーナーにしてみせる……たとえヘロヘロでも、一等賞のトロフィーをくれたあのトレーナーに。自分からも本物のトロフィーを返す。そのはずだったのに。

 

「こんなはずじゃ、なかったのにな……」

 

ナイスネイチャはゆっくりと身を起こし、全力疾走後の未だずきずきと痛む心肺にごほ、と軽くせき込むと涙がこぼれないように空をあえいだ。

 

 

 

◆◆◆ ナイスネイチャの悪霊的失恋 #001 ◆◆◆

 

 

 

「はぁ~……」

 

 その日、ナイスネイチャはなじみの商店街を物憂げに歩いていた。トレーナーやチームメイトにたまに作っている手製の弁当の材料の買い出し兼気晴らしを兼ねた外出……といってもトレセン学園からさほど離れていない場所ではあるが。

 

「……勝ちたかったな」

 

 はぁ、と何度もついてしまうため息と共に出る情けない言葉。あれから少したって、多少は落ち着いてきたもののやはり必勝の気合を込めて臨んだ菊花賞敗北、しかも、負けるにしても次走につながるような強い走りができなかったのはナイスネイチャにとってショックとしか言いようがなかった。クラシックレースの一線級が集い日本ダービーは最も運が良いウマが勝つが、菊花賞は最強のウマが勝つという格言がある栄誉あるレースに出走……さらには掲示板入着するだけでも、それなりの実力は伴っているともいえるが……トレーナーの想いに応えるにはそれなり、ではいけないのである。

 

(第3コーナー以降、長丁場で息が乱れて自分の走りができなかったのが痛かったな。心肺強化、それにもっと末脚のキレを伸ばしていかないと……)

 

 と、ナイスネイチャはいつのまにかレースの振り返りをしている自分に気づく。あれからトレーナーと一緒に、そして授業中にも、ベッドの中でも何度も何度も反芻したそれ。息抜きになってないじゃん、と自分で苦笑しながら思わず強く握ってしまっていた拳を解く。

 

「……ハ。所詮ネイチャさんはこの立ち位置がお似合いですよっと」

 

 以前の自分は……そうだ。もっと省エネで生きていた気がする。こんな熱血なキャラだったかな。自分には合わないな――なんて思いながら、ナイスネイチャは冗談めかして独り言ちた。

 

「いーや、ネイちゃんはやれる! 間違いない!」

 

「うわ! 聞いてたの!? あちゃ~これはお恥ずかしい……」

 

 と、ナイスネイチャに声をかけてくる者があった。それは近くの健康ランドやら碁会所などでよく見かけるおっちゃんであった。商店街の『ナイスネイチャ後援会』のメンバーも一人であり、よくレース場にも足を運んでくれる、いわばファンの一人だ。

 

「恥ずかしいもんか! この前の菊花賞は残念なレースだったけど、小倉記念やら京都新聞杯、いい走りだったよ。ネイちゃんは全然やれる! 長年レースを見てきたおっちゃんが言うんだ。間違いないよ!」

 

「ははあ、嬉しいこと言ってくれるね~。どうもどうも……」

 

 ぽりぽりと頬を掻きながら、独り言を聞かれていたこともあり照れ笑い。褒めてくれることは素直にうれしいというべきなのだろうが、それ故に菊花賞を勝ち切れなかったことが後を引く。まあ、どこに行っても自分を知っているものからは菊花賞は残念だったと言われるのは目に見えているのだから、寧ろこの無遠慮さがナイスネイチャにとっては嬉しかった。

 

「そんなネイちゃんにさ、これあげるよ」

 

「え、なにこれ。割引券? なんというか、ただでもらうのは悪いといいますか……」

 

「いいのいいの、俺『喫茶店』なんていかないしさ。コーヒーよりビールってツラでしょ、どうみても。それよか、若い人はサ店好きじゃない? デートに使いなよ、デート。トレーナーさんとかとさ」

 

「あはは……アタシとトレーナーさん? まっさかあ」

 

 と、おっちゃんから押し付けるように渡されたのは、この商店街にある喫茶店――いわゆるウマスタ映えするようなおしゃれな奴ではなく、いわゆる昭和レトロな……ソーダフロートとかナポリタンとかに交じって焼きそばやら明らかに自家製のカレーを売っているような懐かしい所で、若者と言うよりは近所のシニア連中がカラオケ目当てに集まる店だ。トレーナーさんと、そんな店でデートだなんてさすがにちょっと……それよりも、アタシたちはデートするような関係では……まだ……などとネイチャが考えているうちに、おっちゃんはいなくなっていて。

 

「もう、強引なんだからなあ…………トレーナーさんとデート、か……」

 

 ふと、あの人をデートに行くならどこに連れ出すべきか、と考える。自分の知っているのはこの馴染みの商店街とその近辺の施設――将棋会館、碁会所、健康ランドとか公園ぐらいで……とほほ、もっと今風の趣味の一つでも持ってればよかったな……などと考えたところで、ナイスネイチャは何か異常にこっぱずかしくなり。

 

(いや、ア、アタシは一体何考えてんだ。あーもう、おっちゃんが悪い! おっちゃんが!)

 

 なんだか恥ずかしすぎて体が熱い。ぽーっとする。いかんいかん。ちょっとヒートしすぎた。ナイスネイチャは足早に歩きだし、お茶でも自販機で買って気を落ち着けようと思ったが……

 

「あ……」

 

ちょうど、例のおっちゃんから割引券を押し付けられた『喫茶店』が目の前にあるのに気づき。

 

(……押し付けられちゃったけど、まぁ……いらないみたいだし、いっか。はいっちゃおう)

 

 喉が渇いていたのもあって、ナイスネイチャはその喫茶店へと足を踏み入れる。カラン、コロンとドア備え付けの鈴が店主に来客を伝える。コーヒー豆とミルクの喫茶店独特の香しい匂いが鼻腔をくすぐるが、今はホットコーヒーというよりは冷たいイチゴミルクとかが欲しい気分だ。が……カウンターで何かひと悶着が起きていた。

 

「おいおい頼むぜェ、俺はこれっぽっちも『悪気』があったわけじゃあないんだ……ほんと勘弁してくれよ旦那ァ。コーヒー一杯で警察沙汰は困っちまう」

 

「困るのはこっちですよお客さん……こっちも商売でやってるんだからね。たかがコーヒー一杯と言っても、豆からこだわって淹れてるんですよ……それに初見のお客さんでツケにしてくれはさすがにね」

 

 カウンター席には、初老の……なんというのだろう。カウボーイのような奇抜な服装の外国人の男が座っていた。無精ひげを薄くはやしたワイルドな風貌で例えばインディー・ジョーンズを演じるハリソン・フォードのような……昔のアクション映画俳優のようにも見えたが、3本も腕時計を巻いているのはファッションとしてどうなのか。日本語は堪能なようだが、どうやら財布を忘れてしまったのか、喫茶店のマスターと押し問答をしている。

 

「ありゃ、トラブル? マスター出なおした方がいい?」

 

「あっ、ネイちゃん。いやいいよ、すぐ終わるから待ってて」

 

 明らかにすぐに終わりそうにないが、そう言われると帰るとも言えず。ナイスネイチャは所在なさげに適当な席に着く。

 

「どうしましょうかねぇ……お客さん、知り合いとかいないの?」

 

「目黒の『SPW財団』支部に連絡を取ってくれ。そこで寝泊まりしてるからな……財布もそこにあるはずなんだ」

 

「…………あのー」

 

 ナイスネイチャは、二人の会話に割り込むようにおずおずと手を上げ、それから『割引券』を取り出した。それには『コーヒー一杯無料』の文字が躍る。

 

「あんまり長々モメてるのもアレだしさ。そっちのお客さん、飲んだのコーヒー一杯でしょ? じゃあさ、これでチャラにしたげて?」

 

「ネイちゃん、いいのかい?」

 

「いいのいいの、アタシもこれ、人からもらったヤツだしさ」

 

ナイスネイチャは、とりあえずゴタゴタを見ているのは気分が良くなかったし、目黒から財布を持ってきてもらうというのも時間やら手間やらがかかるだろう……と助け船を出した。もとより、自分のものではなく、ただで貰ったものだ。こういう使い方をしたほうがいくらか気遅れせずに済むというもの……マスターは、じゃあそういう事にしておきます、とカウボーイ男に声をかけた、その時だった。

 

「……今回ばかりは助けられたぜ……お若いレディ……」

 

「は、はい? ハイーッ!?」

 

 初老のカウボーイは、ナイスネイチャの手を取り跪いてその手の甲に口づけをした。ナイスネイチャの時間が止まる。今思えば、家族以外の男の人と手を握るのなどは初めての経験ではないか。そして手の甲に……キス! 欧米人は日本人と比べて感情表現やスキンシップが激しいと聞くし、こういうのが正当な挨拶である国も……あるんじゃないだろうか!? が、それはナイスネイチャにとって刺激が強すぎたのだ。顔を真っ赤にして、硬直するナイスネイチャ。キス! 手の甲にとはいえ、キス!

 

「ホル・ホース……俺の名前だぜ。俺は世界一女に優しい男なんだ……以後、お見知りおきを」

 

「あ、あひゃ……」

 

 世界一女に優しい男!? 今どき、こんなきざなセリフは映画でもお目にかからないが……その情熱的アプローチにすっかり口から魂が抜け、その場に腰を抜かしたようにへにゃりとなるナイスネイチャを見て、ホル・ホースは苦笑した。

 

「おおっと、お若いレディには刺激が強すぎたか……マスター、今すぐ気付けのカプチーノをレディに一杯!」

 

「あ、あんたねぇ……ネイちゃんになにやってんだ! それに、財布を忘れたってのを忘れたのかァーッ!?」

 

 これが、ナイスネイチャと『奇妙』な男――ホル・ホースの出会いの一幕であった。

 

←To Be Continued

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