府中健康ランド『はわいあん』。日本のハワイと言うとかつては熱海……ではあったが、それも最早全く言われなくなった今、ある意味では日本のハワイはこの健康ランドであるのかもしれない。温泉、サウナ、レストラン、カラオケ、マッサージ、レトロゲームセンターなどが集まったこの施設は府中市民から慕われる憩いの場であり、ご多分に漏れずナイスネイチャもトレーニングが休みの日、気合を入れて休むぞ! という気分になった際には、ここに繰り出して日がな一日だらだらとすごすのだが。
「う~~~~~」
ナイスネイチャはマッサージチェアコーナーを見ながら、軽食スペースで店員さんから受け取ったばかりのひえひえソーダフロートをずるずると啜っていた。何故、マッサージチェアコーナー? 読者の方々にはそのような疑問を抱く者もいるだろう。なぜなら。
「トレーナーサァン、アナタ、ナカナカイケルクチデスネェ!!!! ジャパニーズ、ビアーイズグッド!!!」
「ははは、一応教え子もいますからノンアルコールですよ。ホル・ホースさんこそ。日本を満喫してらっしゃるようでなによりです」
……そこにはトレーナーさんと談笑するあの不良外国中年男。ホル・ホースの姿があった……
◆◆◆ ナイスネイチャの悪霊的失恋 #004 ◆◆◆
「ふー。トレーナーさん、今日のメニュー、大方消化しましたよっと。なんというか、こうも軽いトレーニングだとネイチャさんのガラじゃないとも思うんだけど、なんか消化不良感ありますねぇ~」
「焦らない焦らない。まだ炎症が収まって様子見をしてるところだからね。こういうのは完全に治しきらないと……」
話は、3日ほど前にさかのぼる。骨膜炎を発症しラン関係のトレーニングができないとはいえ、筋肉が落としすぎないための負荷を落としたエアロバイクや軽い筋トレ、プールジョギングなどのリハビリメニューをネイチャがこなしたあとの事であった。
「わかってますよ、ええと、じゃあ、あとは軽くクールダウンのストレッチしてアガリま~す。お疲れ様でした!」
「あ、ネイチャちょっといい?」
「はい?」
トレーナーというのはなかなかに多忙だ。ルーチンワークであるストレッチ程度は入学したてのウマ娘でもないネイチャはもう別に見てもらわなくても一人でできる。それでもたまに見てくれることもあるし、連絡事項がある際やレース前などはストレッチしながらそういった話をすることもあるが……今日のトレーナーは様子が違っていた。
「この前の週末、新しい道具を見に行きたいからアドバイスしてほしいって言ってたよね? 俺の予定があって行けなかったけどさ、それってもう済んじゃった? もしまだで、迷惑じゃなければ時間を作って一緒に行っていいかな?」
「はい? は、はぇあ????」
……はい? ナイスネイチャは混乱した。『意識していなかった』頃、すなわちトレーナーがついたばかりの頃にシューズの選び方などの指導がてらショップに行ったことはあったが、まさかトレーナーさん側から改めてこういう事を切り出してくるとは。以前あのホル・ホースとかいう胡散臭い男からそのう……で、『デート』に誘えと言われて無理やりにひねり出した理由をトレーナーさんが覚えていてくれたことに嬉しいやら恥ずかしいやら、申し訳ないやらだが……これはある意味では『デート』に誘われているようなものではないのか!? 何たる棚ぼた。勇気を出して誘っておいてよかった! などといいように考えられないのがナイスネイチャというウマ娘なのである。
(これあれだよねあれだよね。デートだよねデートだよね私が『はい』って言ったらデートだよねいいのか?いいのか?ほんとうに?ほんとうにいいのか?アタシなんかがほんとうに?マジ?マジで?)
「ネイチャ?」
「お、おうっ」
「どうしたの? なんか……変だけど? トレーニング中になんかあった???」
「イ、イエーソウイウコトデハナクテー、ナントイウカ、ソノ、アノ……」
混乱のあまりぎくしゃくとした喋り方になってしまう。トレーナーさんのことだ。たぶんこのままだと『ああ、もう自分で道具を見に行ったんだな』だとか判断して、次の瞬間には『あ、ごめん。もう済んだならいいんだ。邪魔をしたね』とかの発言が飛び出す。彼はこの場合悪いことに、頭がいいし、気遣いができる人間だから。
『あ、ごめん、もう済んだなら「トレーナーさん!!!!!」うわッ!?』
ナイスネイチャの大声で、そのあとの『いいんだ。邪魔をしたね』をキャンセルさせられるトレーナー。混乱しながらも、これでは『デート』のメがなくなってしまう。それはだめだ。いや、私はもう何がしたいんだ?と内心、困り果ててトホホのナイスネイチャは、しどろもどろに無理やり言葉を続ける。
「あっ、あのっ、実はっ。道具を見に行くのは済んだのですが!」
そう、元々は前述した通り、なぜか恋愛相談をする羽目になったホル・ホースとかいうよくわからんおっさん(マジでなんであの人に恋愛相談をする羽目になったんだ? 今思えばそれもおかしい)にデートに誘えと言われて、とりあえず当たり障りのない理由として考え出したものだ。そんなものにつき合わせるのはわるい。
「今週末、け、『健康ランド』にいこうと思っていまして!」
何を言っているんだアタシは??? いや、確かに早く故障を直そうと、健康ランド……広いお風呂でのんびりしようと思っていたのはたしかだが、週末の予定をトレーナーに伝えてどうする??? どうするんだナイスネイチャ! え、えーい!
「商店街のお手伝いで貰ったチケット余ってるので! もしよければトレーナーさんもどうです?」
――?????????????????????????????????????
なんだこれは!!!!!!!!! 勢い余るにもほどがあるだろ! バカバカバカバカバカ!!! ナイスネイチャは顔を真赤にしつつ、もう発言を後悔し始めた。デートに誘うにしても、もうちょっとこう、あるだろ! という場所が!
「おっ、健康ランドかぁ、俺行ったことないんだよね。分かった、付き合うよ。あんまり距離が近いとほかの生徒からずるいって言われそうだけど、まあ、ほら。ネイチャからの折角の誘いだから!」
笑顔のトレーナーさん。今にも倒れそうなナイスネイチャ。正直言って、このあとはあんまり覚えていない。爆速でストレッチを終わらせて、デートだ!よっしゃあと敢えて自分でも空回りしているのを自覚するくらい無理やりに気合を入れたり、逆にデートだよォ~アタシの情けない所とか全部知られちゃうよォ~などとこれまた無駄にナーバスになったりをすごい勢いで繰り返しながら部屋に帰り、電池が切れたようにベッドに倒れ込んだことを覚えている。(同室のマーベラスサンデーが心配するレベルだった)
その後も当日まで感情はジェットコースターのよう。ぱかチューブを見て、急ごしらえで化粧のテクニックを覚えようとしたり、健康ランドに着ていく服を悩みまくったり。髪型を変えてアピールしようかどうか一晩中悩んだり……して。当日の朝になり、もはや出陣前のサムライのような逆に変な落ち着き方をしたナイスネイチャが、ずしずしと待ち合わせ場所に歩を進めた時のことだった。
「やあネイチャ、ごめん。実はこの前、知り合った人が海外の人でどうしても日本の健康ランドを見てみたいって付いてきちゃったんだよ……約束をすっぽかすのも悪いと思ったけど知らない人も一緒だと休めないよね。今日はやっぱり中止しようか……」
「Oh! ジャパニーズオンセン、タノシミデース!」
トレーナーについてきた海外の男。すなわちあの胡散臭いホル・ホースを見た瞬間の落胆はもはやここに書き記すことができない……。
「あ、いえ、だいじょうぶです……いいです。三人で……」
なんでこいつがいるんだ? どういう状況!? なんで、という思いもあったがなんとなくこういう『オチ』がつくのではないかという予想もないではなかった。ネイチャさんは結局こういうなんかケチがつくんですよ……万年3位ですよ……諦観めいた謎の納得がある……
(……よう、お嬢ちゃん。心配だったからよ、ついてきてやったぜ。うまくデートに持ち込めたな)
(あのですね、ほぼ素性を知らないおっさん同伴で健康ランドに行くことをデートっていうのはたぶん史上初のことだとおもうんですけど……)
ここが府中健康ランドかー。と能天気に建屋を見るトレーナーさんに隠れ、小声でやりとりするホル・ホースとナイスネイチャ。心配してくれるのはいい。だが、もうちょっとこう、陰ながら見守るとかできなかったのか???
「まあ……ホル・ホースさんがいると今後の話もできるしね。紹介するよ、彼はSPW財団の『スポーツコーディネーター』でねTG大学病院との間の交渉でいろいろやってくれているんだ。TG大学病院からの提案は海外の日本ではまだ認可されていない治療法だから、こういうコーディネーターを挟む必要があるらしくて……」
「オハナシハキイテイマース……ホル・ホースデス。ナイスネイチャサン、ナイストゥーミートゥー!」
「アッハイ……」
こいつ……本当は日本語ペラペラなのに、何故か典型的な『ガイジン』を演じている。そもそも前は『探偵』とか言ってなかったか? いや、たぶん本業は『探偵』で『スポーツコーディネーター』は嘘だ。いやでも、SPW財団というのはたびたび彼から出てくる組織名――というか、有名なアメリカだかイギリスだかの慈善団体だ。それはナイスネイチャでも知っているし、スポーツ振興事業もやっているのでトレセン学園に在籍していれば普通に聞く名前である。そういや同組織の奨学金プログラムだかのパンフレットが学園から配布されて、それをなんの気なしにパラパラめくっていた時、スティールなんとかとかいう、レース史上でも大きく扱われているアメリカ大陸横断レースの主要スポンサーだかにもなっていたみたいな豆知識が載っていたような気もする。そんな組織の人なら、『探偵』兼『スポーツコーディネーター』というセンも……ないか? さすがに。
(悪い人じゃない……っぽいんだけど、なんか胡散臭いなこの人……なんなんだ? 私たちをなんか探ってる?)
私だってトレーナーさんだって探られるような事はないはずだ。さすがにここまで絡んでくると、ナイスネイチャはこのホル・ホースという男に対して疑念を深めた。
(……気をつけないといけないかもしれない。ううん、そのほうがいい。うん、トレーナーさんは騙されている……絶対にこの人は『スポーツコーディネーター』なんかじゃない。私が、トレーナーさんを守らなきゃ……)
と、決意をしたものの何か変な事が起こるでもなく、冒頭の通りナイスネイチャはソーダフロートを啜っているわけである。謎。謎。謎。絶対に私たちに近づいてくる理由がある。それはなんだ。詐欺とか、そういうのか?
「う゛~、しっかり休養するつもりだったのに気が重くなってしまった……」
全く気が休まらない。とにかく、なんか胡散臭い商談が行われれば即、阻止するかまえでナイスネイチャはウマ耳をそばだてる。そもそもトレーナーさんもトレーナーさんだ。人がいいのはマジでトレーナーさんの美点だが、こんな胡散臭いやつにまで。というか妙に仲良さそうじゃないか??? いや、たしかにホル・ホースという男も胡散臭いわりに人の内面にぬるりと入ってくるような一種の気安さ、親しみやすさがあるが……
「これが日本の健康ランドですよ。温かいお風呂に入って、美味しいものを食べる。安く、一日のんびりできる……レトロゲームや湯上がりの卓球も外せません……なんてね、自分もネイチャにチケットを貰ったからはじめてきたものでして」
「Oh! ジャパニーズレトロゲーム! テーブルテニス! どれもヴェリーグッド!」
知ってか知らずか、グッとこちらに向けてサムズアップするホル・ホース。正直イラッとした。が――その立てられた指が、一瞬ぐにゃりと歪んだような気がした。
「あれ?」
湯当たりしたか? もう風呂は済ませたが、男衆は風呂も早いだろうと最低限のケアですませて出てきたからそんなこともないと思うのだが。
「といっても、このあんまりネイチャをおいて男二人でもりあがるものでもないですね。そろそろ出ましょうか。ネイチャー? ネイチャはもう■■?」
「え、トレーナーさん、何?」
「あ、聞こえなかったかな。お風呂も済んだし、もうそろそろいいかなって」
「あ、はーい」
……音が歪んだ気がする。いや、気のせいか? ぞるぞるとソーダフロートを飲み干すとイスから立ち上がり、トレーナーさんたちと合流すべく小走りで近づいて。すると、どうだ。トレーナーの姿がぐにゃり。歪む。やっぱりちょっとゆあtrrしtいるんk嘛
「……!? 蠕 ▲縺ヲ縲√ヨ繝ャ繝シ繝翫 縺輔s」
おかしい。なんだこれは。なにかが『歪んでいる』。トレーナーさんは何事もなかったかのように出口へ向かっていくが、ナイスネイチャはそれに追いつけない。待って、トレーナーさん。そう口に出したはずが、妙なくぐもった音がノドから飛び出したに過ぎない。
「なに、これ……」
「こいつぁ……そうだな『ティナー・サックス』――と同じタイプ、いや、近いタイプの『スタンド』だな。だがケニー・Gはエジプトでマライアのやつとよろしくやってるから――『新手のスタンド使いか』……」
気がつけば、あのホル・ホースがいつのまにか意識を失った自分のそばに立っていた。いつもの禁煙パイポのかわりに咥えていたアイスクリームのコーンをバリボリと噛み砕く。
「あれ、アタシ――」
「大丈夫か、お嬢ちゃんよォ……といってもたぶん、直接的に被害を出してくるタイプじゃあない。俺の推理が正しければな。だが、この迷路をどうするかね」
ナイスネイチャが意識を取り戻すと、立ち上がって近くの壁をぺたぺた触るホル・ホース。何をやっているんだ? 迷路ってなんだ?
「迷路って、何を言って? てか、あたし、どうしたんだろ……湯あたりかな、とにかくいかないと」
そう、トレーナーさんを追わないと。置いていかれてしまう。迷惑をかけてしまう。
「…………ま、体験すれば分からぁ」
意味のわからない事をいうホル・ホースを無視して、トレーナーさんを追う。この先を右に曲がり階段を一つ降りれば玄関ホールだ。トレーナーさんが心配して戻ってきていないということは、時間は大して経っていない。きっと、下駄箱あたりで待ってくれているはず――。
「あれ?」
廊下を曲がる。するとそこは小さな軽食コーナーとその向かいにある有料マッサージチェアエリア。そこにまだ、ホルホースもいる。おかしい。どういうことだ?
「な、おかしいだろ?」
思考を読むかのように、ホルホースがナイスネイチャに話しかけた。道を間違えたとかそういうレベルではない。まるで昔のゲームのマップの端に到達した際に、真逆のマップのはしへワープするような現象。おかしい。おかしい。おかしい。物理的にありえない!
「……俺たちはここに閉じ込められてる。迷路は迷ったら左の法則があるよな、手をつきながら壁沿いに歩いたりもしたが……どうやってもここに『戻ってくる』」
「戻ってくるって……そんな、心霊現象みたいな……! ふ、ふしぎなことはトレセン学園にいれば色々あるけど……!」
「おそらく『そういうの』とは別だな。たぶんだがこいつは『スタンド』だ。その証拠に――何回か『ループ』したあとにこんなもんがあった。まあ、見せてもいいだろ。隠せるもんでもないしな」
そう言って、ホル・ホースがある一点を指さす。そちらに方を見ると壁にペンキかなにかで走り書きが書かれていた。
――『TG大学病院には近づくな』
「こ、これって……?」
「さあな、警告だろ。たぶんその相手は俺だ。まったく、厄介な案件を引き受けちまったもんさァ」
「つまりこういうことですか? あなたの『探偵業』が原因で、あたしやトレーナーさんが『なにか』に巻き込まれた――いや、違うな。なにか違う。『TG大学病院』」
異常状況に感情的になりかけたが、『TG大学病院』。それには聞き覚えがある。最近トレーナーさんが『新しい治療法』を提案されている東北の大きな病院のはず。まさか……既に『トレーナーさん』は何かに巻き込まれていて、この『探偵』ホル・ホースはそれを調べている?
「おーおー賢い子だ。しかも冷静。そういうオンナは好きだぜ。俺はオンナを尊敬してるんだ」
「それはどーも……」
「あんまり詳しいことは生憎、いえねーのは心苦しいがよォー。俺は『味方』だぜ……その点については保証していい。なんなら、特別サービスで誓いのキスを」
「そういうのはいいです……」
本当にそういうのはいい。それはいつぞや手にキスされただけでこりごりだ。
「あっそう……やっぱり日本の女の子は身持ちが硬いねぇ! ま、さしあたっての問題はここからどうでるかってことだ」
「……どういう仕組なんですか? 『スタンド』がどうとか言ってましたけど」
「仕組みは俺にもわからん。『スタンド』ってーのは……『心の力』だ。ウマ娘っていうのも『心』や『魂』が大きくその能力に作用するらしいが――そういうオカルトっぽいのとは根本的に異なる。『スタンド』は素質あるものに発現する一種の『才能』なんだよ」
そう言って、ホル・ホースは何かを握るような手の形――いつぞや、『パンティ泥棒』を謎の力で昏倒させたときと同じ構えをして見せる。
「こいつが俺の『スタンド』――
「……特に何も見えませんけど、一体?」
――ドグオン! ガラガラガラガラ
「え」
ふいに大気が動いたかと思うと、休憩スペースの自販機に小さな穴が空いた。しかも……奇妙なのはまるで縫い針がでたり入ったりするように、穴が増えていくのだ。ある程度内部機構が破壊されると、ガラガラとジュース缶が取り出し口に落ちてきて、ホル・ホースはそれを引っ張り出すと、ひとつをぶっきらぼうにナイスネイチャに投げ渡した。
「俺の『スタンド』は
……信じられない言葉だった。が、実際に見せられては信じるしかない。それほど仕込みやら種・仕掛けがあるようにも見えなかったし、フェイクをこの状況でやる意味もなかったからだ。
「とはいえ、今の状況じゃこいつは役に立たない。『スタンド』には基本的に『本体』がいて、そいつをぶちのめせば能力も消える。が、相手は姿を隠して術中にハメるタイプのスタンドだ。最悪、本体は何kmも遠くにいる可能性すらある……お手上げだぜ」
「……」
「お嬢ちゃん?」
「……」
「おい?」
「……」
「まぁ、いきなり『超能力』は実在しますと言われたんだ。ショックを受けるのもわか――」
「あ、これ、脱出できるかも……」
ナイスネイチャはふいにぽん、と手をうつ。ホル・ホースは口をつけた自販機からでてきたコーラを吹き出し、ゲホゲホとむせた。
「マジ?」
それから。ナイスネイチャはホル・ホースと手をつなぎ、ともに廊下を歩んでいた。最初のように廊下を曲がる。すると、やはりループするように軽食コーナーとマッサージチェアエリアに。壁の『TG大学病院には近づくな』も変わらない。
「お、おい、脱出できるんじゃ?」
「しっ、だまって」
ふたたび、手を繋いだまま廊下を歩む。廊下を曲がる。軽食コーナーとマッサージチェア。『TG大学病院に近づくな』。
「じょ、嬢ちゃんよォ……冗談きついぜ、ヒヒ」
「もう一度」
廊下を進む。曲がる。軽食コーナー。マッサージチェア。『TG大学病院には近づくな』
「もう一度」
「だから、こういうのじゃだめだって――」
廊下を進む。曲がる。壁。すり抜ける。
「あ、あぁ?」
「……やっぱり。見た目の『距離感』が違うんだ」
眼の前には、階下へと続く階段。そこを下れば、あれ、ちょっと遅かったね。探しに行こうかと思ってたよ。といってトレーナーさんが下駄箱のあたりで待っていた。
「……あはは、ホル・ホースさんがトイレに行っちゃって、待っていたんです。一人だと迷うかもしれないと思って」
「あっ、気を使わせてごめん。俺が気をつけておけばよかったね」
この感じ、素早く脱出したためトレーナーさんはとくにおかしいと思っていないようだ。チェックアウトの手続きしといたほうがよかったな。などとぼやき、ちょうどそれを始めたところだ。
「お嬢ちゃん、こいつはどうやって脱出したんだ? どーゆー理屈? マジでどういうわけ?」
「ええとですね、たぶんですが……『見た目の距離感覚を狂わせる』能力だったんじゃないかって思うんです。私たちは曲がり角を曲がったと思い込まされていた。きっとほんのちょっと歩いただけで、曲がり角まで到達したと錯覚、曲がったと錯覚、ほぼほぼその場から動いていないか、あるいは逆に変な方に歩いていて、結果『ループ』した用に感じる。ただそれだけだったんじゃないかと……」
「なるほど?」
「分かってます?」
顎に手を当て、考え込む仕草のホル・ホース。あまりピンときていないのか、いつの間にか咥えていた禁煙パイポが唇の動きで上下に動いている。
「いや、あんまり。まあ『動いたつもりで動いてなかった』のはなんとなくだが、どうやってお嬢ちゃんはそれから脱出したんだ?????」
「『別の感覚』を使ったんです……見た目の感覚が変でも、『聴覚』は別だったみたいで、それで」
ナイスネイチャは資格ではなく、聴覚を使ったのだ。廊下を通じて1階から響いてくる他の客の声、機械の稼働音、フロントの接客する声、足音、外から流れ込んでくる風の音――。感覚が人間以上に鋭敏で、とくに『音』の刺激に敏感な『ウマ耳』を持つナイスネイチャだからこそできた脱出法。
「……ただ、どこかに『本体』がいるんですよね。それを倒さないといけない?」
「いや、たぶんだが……このスタンド使いは『トレーナー』を巻き込みたくないんじゃあねーか? たぶんだが、『トレーナー』と『TG大学病院』の取引が成立してもらわないと困るんだ。だが、『俺』の介入は排除したい。だから『トレーナー』がいると襲ってこない……そもが、まずは『警告』だけってことかもしれん」
「……アタシは?」
「所詮ガキだから告げ口した所でトレーナーも『子どもの誤解』とでも片付ける、ぐらいの考えかもな。それとも、焦って俺に仕掛けようとして巻き込んだか。どちらにせよわからんが」
「………………」
結局のところ、ホル・ホースの読み通りこれ以降なんらかの『攻撃』が行われることはなかった。ナイスネイチャは釈然とせず、トレーナーに今回の出来事を洗いざらい報告しようとも考えたが……同時にトレーナーに知らせることで、それをきっかけに彼がなにか危ないことに巻き込まれてしまうのではないかと恐れて、ついぞそれを言い出せなかった。ホル・ホースがトレーナーにそれを知らせないのも、そういうことなのではないかとアタリがついたからだ。この胡散臭い男は――もしかして、本当に味方で、一般人を巻き込まないように『TG大学病院のなにか』を片付けようとしている?
「今日は楽しかったね。おもったよりも健康ランドっていいところだなあ。今度もまた、行ってみようかな」
「……そうですね」
……本来なら、今回も悩んだ挙句勢いに任せて健康ランドの割引券ならいくらでもありますから、また一緒に、ぐらい言ってしまう局面だったのかもしれない。だが、ナイスネイチャは言えなかった。寧ろ何もトレーナーさんに勘付かれないように、つとめて能面のように穏やかな微笑を作った。
じゃあね。またしばらくリハビリだけど頑張ろう――。そう言ってトレーナーの背が遠ざかる。せめて、曲がり角まで何事もないか。ちゃんと見送って。ナイスネイチャはそれから、既に我関せずとどこかに歩き去ろうとしていたホル・ホースにつかつかと歩み寄って――。その胸ぐらをつかんだ。
「――全部、話してください。いえ、は、話せッ! ホル・ホースさん!」
←To Be Continued
スタンド名:パラレル・ラインズ
本体:不明。
破壊力:なし スピード:なし 射程距離:B
持続力:A 精密動作性:B 成長性:C
感覚を狂わせる能力。狂わせられる感覚は同時に一つまで。