「今夜、一杯どうかしら?」
「おハナさん……」
そんな誘い文句で、俺はおハナさんといきつけのバーに飲みに行くことになった。正直、ありがたい誘いだったのは間違いねぇ。飲まなきゃ……今の現実を受け止めきれそうになかったからだ。
「「……」」
お互いに無言のままグラスに注がれた酒を飲む。最初に沈黙を破ったのは……おハナさんの方だった。
「テイオー、本気でスピカを辞める気みたいね」
「……どこで知ったんだ?」
「ウチのルドルフと会話しているところを偶然……ね」
「……そっか」
まぁ、いずれ分かることだ。それが早かったか遅かったかだけのこと。
テイオーの心は、折れてしまった。ファントムという高すぎる壁、常に自分につき纏う骨折のリスク、そして……
「今回のテイオーの怪我は深刻だ。治ったところで、また元のように走れるかは分からねぇ。医者からはそう診断されたよ」
「そう……。元のように走れなかったら、テイオーが目標にしていたファントムには……」
「勝てない。アイツは、そう思っちまったんだろうな」
万全の状態でも勝てるかどうかわからない相手。そんな相手に、全力を出さずに勝てと言われたら無理だとアイツは判断したんだろう。その判断を間違っているとは、俺には言えねぇ。
「アイツがまだやりたい、走りたい、気持ちが折れてなかったら……俺も最大限のサポートをするつもりだった。けど、アイツの心は折れちまったんだ。本人の気持ちが折れてるのに、それを無理に走らせようだなんて……そんな残酷なこと、俺にはできなかった」
「……難しい話ね」
「けど……どうしても考えちまう。またアイツがターフの上で走っている姿を。ダービーで大外の不利を背負いながらも勝利したあの時の姿が……目に焼き付いて離れてねぇ」
「……」
「心のどこかでまだテイオーが走るところを見たい。例え万全な状態じゃなくてもいい、アイツがまた走ってるところを見たい……どうしても、そう思っちまうんだ」
おハナさんは黙って俺の話を聞いている。
「けど、アイツはもう受け入れちまった。だから無理強いはできねぇ。せめて少しでも気持ちが残ってたら、話は別だけどな」
「……スピカのみんなにはなんていうつもり?」
「俺から言うさ。それが俺のトレーナーとしての責任だ。ひっそりなんて終わらせねぇ、盛大に見送って、アイツの花道を飾ってやる」
グラスが空になったので、マスターに再度注文をする。そんな時。
「マスター。同じのを2つ。それと、彼の支払いは全部私につけて頂戴」
「おハナさん……」
「奢るわよ」
おハナさんはそれだけ言った。そこから先は、お互いの担当ウマ娘の話に花を咲かせることになった。
「何だって!?テイオーがもう走れない!?」
朝一の部室。俺はみんなにテイオーのことを説明した。テイオーが最近来ていない理由、アイツの怪我が思ったより深刻であること、治ったところで元のように走れるかは分からないということ、それを受けて、テイオーは走ることを諦めてしまったこと。それを全部スピカのメンバーに説明した。何故かファントムはいなかったが、アイツにも後日説明をするつもりだ。
「そんな……そんなことって……」
「つれぇだろうなテイオー……」
「レースに出れないんだもの。それに、目標にしてたファントム先輩にだってもうリベンジできないんだから……」
みんなは沈痛な面もちをしている。だが、スペとマックイーンだけは違っていた。
「治りますよ!」
「スぺ……」
「いっぱい食べて!いっぱい休んで!そしたらきっと……きっと治りますよ!」
スぺの気持ちは痛いほどに分かる。でも、テイオー自身がもう受け入れてしまった。だから、どうしようもないのかもしれない。
そんな時、部室の扉を開けて誰かが中に入ってくる。入ってきたのは……テイオーだった。
「朝なら、誰もいないと思ったんだけどな……。まぁ、ファントムがいないだけでも良かったかな?」
みんなが口々に心配する言葉をテイオーにかけている。アイツの心に響いているのかは分からない。けど、テイオーがきたのは好都合だ。
「テイオー。1つ提案があるんだ」
「何さトレーナー?そんなに改まって」
「9月にある秋のファン大感謝祭。そこでステージをやらないか?」
「え?」
「今まで応援してくれたファンのみんなに、お前の声を届けてやってほしいんだ。受けてくれるか?」
「……いいよ」
俺にできるのはこれぐらいだ。後は、アイツのステージのプログラムを考えなくちゃならねぇ。
「あ、アタシも!それぐらいは手伝わせてよ!」
「俺も手伝う!」
「……ま、テイオーの花道だ。アタシも真面目にやらせてもらうぜ」
「テイオーさぁん……」
「ありがとね、みんな」
それにしても、ファントムはどこに行ったんだ?アイツが連絡もなしに朝練に来ないなんて珍しいんだが……。
「テイオー」
「……ごめんねマックイーン。一緒にファントムに勝とうって言ったのに、ボクの方から降りちゃってさ」
「わたくしは走り続けますわ。あなたがどうなろうとも……ファントムさんに勝利するためにわたくしは走るのを諦めません」
「うん。良いんじゃないかな?頑張ってね、マックイーン」
「……失礼しますわ」
……正直、マックイーンも危うい。テイオー自身気づいているのかは分からないが、マックイーンもオーバーワークしている節がある。それをゴールドシップやメジロ家の使用人経由で教えてもらっていた。それに、出ていく時のアイツの表情。何か良くない決意をしている表情だった。
「ゴールドシップ」
「はいよ。全くもーみんな揃ってゴルシちゃん使いが荒いんだから~……ま、やるだけやってみる」
「……頼んだ」
とにもかくにも、まずはテイオーの花道を飾るためのステージを考える必要があるだろう。さて、と。頑張りますかね。
あれから、月日が流れるのを早く感じた。ダブルジェットに宣戦布告の紙を扉に貼られてたり、関屋記念を勝ったブルボンがライスとオールカマーで対戦することになったと報告を受けたりと、まぁ色々とあった。
今はトレーナーに提案されたボクの引退ミニライブ。そのためのダンスレッスンをしている。
「よっ、ほっ。うん、よし!痛くない!これなら……大丈夫かな?」
それにしても、みんなボクのために色々と頑張ってくれている。だから、とびっきりのステージにしないと!……でも、気がかりなことが1つある。それは、ファントムの存在。
ボクはあの日以降ファントムに不思議なほど会わなかった。一応、スピカの練習には来ているらしいから体調には問題ないみたいなんだけど。そういえば部室に荷物を取りに行った日の朝も珍しくいなかったな。いつもだったら朝練でいるはずなのに。
……まぁいいか。顔合わせづらいし、会わない方がボクにとっても好都合だ。
「それにしても、マックイーンもカイチョーも、ボクが自分達の前からいなくなるのがその時になってみないと分からない……か」
それだけ、ボクに期待してくれているのかもしれない。でも、ボクはもう諦めた。マックイーンに勝つことも、ファントムに勝つことも、皇帝を越えた帝王になることも。だからもう、マックイーン達の前からいなくなるのは確定的だ。
「もう少しトレーニングして「探したぞ!テイオー!」……君か、ダブルジェット」
「ツインターボ!1つもあってないじゃん!」
誰かと思ったら、ダブルジェットだった。そういえば、ボクの寮の部屋の扉に挑戦状って書かれた紙を貼りつけてたな。ちょっとイラっとしたのを思い出す。
「……挑戦状、見てくれた?いつ勝負してくれるの?」
ボクはもう走らない。それは学園でもう噂になっていること。ダブルジェットが知らないはずがないんだ。だって、ネイチャも知ってることだから。ネイチャ経由でこの子も知っているはずなんだ。
「ターボ今度のオールカマーに出るんだ!イクノも出るし、ライスとか、ブルボンとかも出る!凄いんだよ!」
「あぁ……知ってるよ」
凄く豪華なメンバーで、スーパーGⅡなんて呼ばれてるぐらいだし。
「だからそこで勝負だテイオー!ターボが逃げ切って勝ってやるもんね!」
ダブルジェットは純粋な目でそう宣言してくる。その目が眩しくて……凄く苛々した。
「無理だよ。もう出走登録は過ぎてるし……それにボクはもう走らないって決めたんだ。だからキミと勝負することはないよ」
少し強い口調でダブルジェットの言葉に答える。ダブルジェットは、驚いたような表情を浮かべていた。
「え!?な、なんで!?勝負しようって言ったじゃん!」
「なんでって言われても……」
「じゃあじゃあ!オールカマーで勝ったら!オールカマーで勝ったら今度こそ勝負!約束してよ!」
「そんな約束できないってば」
苛々するな本当……!もうボクは諦めたのに、そんな風に勝手なこと言わないでよ。
「やだやだ!ターボと勝負!次もターボが逃げ切って勝つから!だからターボと勝負してよ!」
「知らないよそんなの。それにボクはもう走らないって決めたんだ。勝負は諦めてよ」
「何それ変なの!諦めてるってテイオーっぽくない!前にターボに言ってた言葉は嘘だったの!?」
何が分かるんだよ……!ボクの辛さとか分からないくせに……!
「テイオー言ってたじゃん!どんな苦境でも……」
「キミになにが分かるのさ!」
「ひっ!」
ダブルジェットは驚いてる。それぐらい大きな声をだした。でも、この子は強く言わないと分からない。だからボクも、声を大にして続ける。
「ダメなものはダメなんだよ!頑張ったって、どうあがいたってファントムには勝てない!それを認める辛さが、キミには分かるの!?」
「知らない!そんなの知らないもん!ターボの知ってるテイオーだったら、どんな苦境に立たされたって諦めない!だって、テイオー自身がそう言ってたもん!100回負けても、101回目に勝てばいい!たとえ怪我しても、その度に立ち上がって強くなる!ターボの知ってるテイオーだったらそうするもん!」
あぁ、そんなことも言ったっけ。でも、どうでもいいや。そもそもの話、この子はオールカマーを勝つって言ってるけど。
「……ライスも出るし、あのブルボンも出るんでしょ?キミの大逃げじゃあ、ブルボンのラップ逃げには勝てない。2人だけじゃない。G1級のウマ娘も出走する。キミが逃げ切れるわけないよ」
それだけ言うと、ダブルジェットはボクに向かって叫んだ。それはまるで、勝つことを諦めていない子供のような駄々で。
「ターボ勝つから!絶対絶対逃げ切って勝つから!テイオーのあんぽんたーん!」
そんな捨て台詞を吐いて、ダブルジェットは去っていった。……やっといってくれた。
「わん、つー。わん、つー……」
ダンストレーニングを再開する。でも……心のどこかで、ダブルジェットの言葉が引っかかっていた。
……ふむ。テイオーとターボの会話を盗み聞きしていましたが。
”で?何する気だテメェは”
「……うまくいけば、テイオーが復活しつつメンバーが1人増えるかもしれない」
”……あっそ”
いつまでも拗ねないでほしいんですけどね。さて、ターボが去った方へといきますか。
そうして歩いていって……やがて彼女はカノープスの部室であろう場所へと入っていきました。聞き耳を立てましょうそうしましょう。
「……ターボやるもん!テイオーの前で絶対絶対逃げ切って勝ってやる!諦めなければやれること見せてやるんだ!」
「……それ、無理かもね」
「な、なんで!?」
「オールカマーの日と感謝祭の日は被っています。それに感謝祭はテイオーさんのミニライブ、欠席するわけにはいかないでしょう」
「テイオーはターボの走りを見られないよ?」
「え~!?何とかしてよトレーナー!」
「な、何とかといわれても……」
「やだやだ!ターボの走りをテイオーに見せるんだ!」
う~ん、どうやら四苦八苦している様子。ただ、その後の会話でなんとかターボの走りを見せる算段はついたようですが……別の問題が浮上してきたようで。
「……でも、オールカマーにはブルボンも出走するんでしょ?厳しくない?」
「そうですね。ターボさんの大逃げとブルボンさんのラップ逃げは相性は最悪といっても過言ではありません。今のままだと……厳しい戦いになるでしょう」
「それでも!ターボは逃げて勝つんだ!相手が誰でも、ターボが逃げ切って勝ってやる!走る前から諦めたりしないもん!」
ふむ。その意気や良し。ならば、ここは1つ私が協力しましょう。
「でも、どうやって……」
「……私が協力する」
カノープスのみなさんが私を見て驚いた表情を浮かべていますね。サプライズ大成功。なんちゃって。
「ふ、ファントムさん!?ま、まさか今の会話を聞いて……」
「いや、それよりも協力って?」
「……言葉通りの意味。ターボ、次のオールカマー……勝ちたい?」
「うん!ターボの走りを見せて、テイオーの目を覚まさせてやるんだ!テイオーに諦めなんて似合わない!だから、諦めなきゃやれるとこをターボが見せるんだ!」
「……そう。じゃあ、これからオールカマーまでの間私が協力する。いいかな?カノープスのトレーナーさん」
「……ファントムさん程のウマ娘が協力してくれるのはこちらとしてはありがたい限りですが、よろしいのですか?」
「……構わない。それに、どちらかといえばターボを利用するような形になるんだから、こっちの方が申し訳ない」
「テイオーさんのため、ですか……」
私は頷きます。カノープスのトレーナーさんは、最終的に私の言葉を承諾しました。
「……それじゃあ、オールカマーまでの間よろしくね。ターボ」
「うん!よろしくなファントム!」
待っていてくださいテイオー。きっと、もう一度。あなたを走る気にさせてみせますよ!
ターボ魔改造計画。