現実が、受け入れられませんでした。
「ハァ……ッ!ハァ……ッ!」
『お嬢様は……繋靭帯炎を発症しておられます。今後のレースに出走することは厳しいかと』
(わたくしは、まだ走れます!まだ、諦めたりしません!)
きっと、悪い夢や冗談だとも思いました。
「う、く……ッ!まだ、まだわたくしは……ッ!」
『あなたはもう十分に頑張りました。メジロ家にとっての悲願である天皇賞の盾……あなたは見事に取ってくれましたね。他のレースでも、優秀な成績を修めました。だからこそ……もう、終わりにしましょう』
(テイオーと再戦して、ファントムさんにリベンジして……。まだ、まだわたくしにはやるべきことがたくさんあるのです!なのに、なのに……ッ!)
でも、夢や冗談なんかじゃなくて。
「あぐぅっ!」
メジロ家専用のレース場。雨が降りしきる中、わたくしは痛みに耐えかねてターフに倒れ込む。もう何度目か分かりません。ジャージはすでに泥だらけ、汚れてない箇所を探す方が厳しい状態。
「なんで……どうして、ですの……?どうして、わたくしなんですの……ッ!」
まだ、まだやりたいこと沢山あるのに。成さねばならぬことが、ありますのに……ッ!
「動いて……動いてくださいまし!この程度で終わるわけにはいきません!メジロ家の誇りを取り戻すためにも……こんなところで!」
どれだけ願っても、どれだけ叫んでも変わりません。わたくしの左足は……痛みを訴え続けている。もうこれ以上は無駄だとばかりに、走ることを諦めろと言わんばかりに……左足は痛み続けています。
(……あぁ。そう、なのですね)
「は、はは……あはは……」
どんなに叫んでも、願っても変わらない。そう認識した瞬間……わたくしの中からふと何かが抜けていくような感覚に陥りました。
(もう、わたくしの復帰は叶わない……)
「あはは……っ」
笑うしかない。周りの方々が見たら、さぞわたくしの姿は滑稽に見えるでしょう。
何がファントムさんにリベンジだ。元の状態でも勝てないのに、こんな状態でリベンジしたところで……勝てっこない。
「あはは……っ!」
(そう、そうなのですね……)
最初っからそうだったのだ。ファントムさんにはどう足掻いたって勝てない。どんなに努力を重ねても……あのようなものを見せられたら、勝てっこないって。本当は分かっていたはずなのに……。それでも、みっともなく足掻いて、テイオーも無理矢理復帰させて……。
「わたくしは……わたくしは……」
「わたくしが、どうかしたの?マックイーン」
わたくし以外の声がした。驚いて、振り向く。そこに立っていたのは……
「どうしたのさ?雨の中カッパも着ないで練習して。風邪引いちゃうよ?」
わたくしのライバルで、お互いに高め合った……テイオーでした。
きっかけは、些細なことだった。マックイーン用に買ったお土産が思ったより賞味期限早かったからとか、そんな理由だった気がする。
メジロ家への道は覚えてたし、辿り着くのは比較的楽だった。門は閉まってたけど……鍵はかけられてなかったしまぁ入ってもいいでしょってことで勝手に入った。後で怒られるだろうけど。
「お邪魔しま~す……って、あれ?じいやさん?」
「……トウカイテイオー様」
じいやさんは浮かない表情……というよりは、沈痛な面もちをしていた。なにか、辛いことがあったような。そんな表情。
「何かあったの?じいやさん。すっごく辛そうな表情してるよ?」
じいやさんはボクの言葉に渋面を作った。言うべきか、言わないでおくか迷っているような。でも、結局は言うことにしたのかその重い口を開いた。
「お嬢様が……繋靭帯炎を発症しました」
「……えっ?」
「治療には1年、たとえ回復しても再発の可能性が非常に高い病気でございます。骨折と違い、すぐに走れなくなるわけではありませんが……踏み込むたびにお嬢様の患部には激痛が走り、最悪の場合は歩行すら困難になると……そう、診断されました」
じいやさんからその言葉を聞いた時、凄く驚いた。その病気の名前は、知っていたから。屈腱炎と並ぶウマ娘にとっての不治の病。それにマックイーンが……かかった?
でも、なんとか冷静を保つように考える。じいやさんには、もっと気がかりな何かがあるんじゃないか?まだ聞くべきことがある。そう考えて、ボクは何とか冷静を保つ。
「本当に、それだけなんですか?じいやさん。まだ、気がかりな何かがあるんじゃないですか?」
「……鋭いですね、テイオー様」
じいやさんは観念したように。全てのことを暴露してくれた。
「繋靭帯炎を発症した……それを聞いたマックイーンお嬢様は、まだ終われないと。まだ諦めるわけにはいかないと……無茶なトレーニングを重ねるようになりました。最早、我々の言葉は届いていないのか制止の声も振り切るぐらいに」
「そんな……」
「ゴールドシップ様も、止めようとしました。ですがマックイーンお嬢様は……お嬢様は……っ!」
「……止まらなかったんだね」
じいやさんは涙を浮かべながら頷く。あのゴルシの制止すらも振り切るなんて……おかしいよ、マックイーン。
「……そのマックイーンは?」
「……今は、まだメジロ家の療養施設にいるはずです。そこでゆっくりとお休みになっていると思われ……?」
言葉の途中でじいやさんが持っている携帯から着信が鳴った。嫌な予感が頭をよぎる。じいやさんは震える手で携帯を取った。
「……もしもし?……なに!?お嬢様がまたいなくなった!?おそらく練習場に……!分かった、私もすぐにむか……っ!」
その言葉を聞いた時にはもう駆け出していた。ボクはマックイーンがいるであろう場所に向かって走り出す。
(マックイーン……っ!)
途中で雨が降ってきた。でも関係ない。そんなのは些細な問題だ。ボクは走る。マックイーンのところに向かって。
走って、走って。ようやく着いた。そこでボクが目にしたのは……練習場で呆然と立ち尽くしながら乾いた笑いをしているマックイーンの姿だった。
「あはは……っ!」
……凄く、痛々しかった。
「わたくしは……わたくしは……」
「わたくしが、どうかしたの?マックイーン」
ボクはマックイーンに声を掛ける。見ていられなかったから。いつも自信に満ち溢れていて、気高い姿を見せていたマックイーンの痛々しい姿が、見てられなかった。
「どうしたのさ?雨の中カッパも着ないで練習して。風邪引いちゃうよ?」
「テイオー……」
マックイーンは驚いたような表情でボクを見る。なんでここにいるの?とか、どうしてここが?みたいな。そんな感情が入り混じってるんじゃないかって思うような。
いつものマックイーンだったら取り繕うような場面だった。だって、マックイーンは滅多に弱みを見せないから。でも……そんな余裕がないくらい追い詰められているのか、それとももう諦めがついたのか……。マックイーンは変わらなかった。
「じいやさんから諸々の事情は聴いたよ」
「……」
「繋靭帯炎、なんだってね」
マックイーンの顔が強張った。それでも、ボクは構わず続ける。
「やっぱ運命とか、神様とかって意地悪だよね。どうしてボク達からファントムに挑戦する機会を奪おうとするのかな?よく分かんないや」
マックイーンのためにも明るい調子で続ける。でもあんまり効果はないみたい。なら、直球で聞こう。マックイーンは……これからどうするつもりなのか?
「……マックイーンは、これからどうするつもり?まだ、諦めない?」
「……」
「繋靭帯炎を発症しても、治らないわけじゃない。再発の可能性は凄く高いけど、それでも……」
「諦めますわ。綺麗さっぱり。わたくしは……ここで終わりなんですの」
マックイーンはボクの言葉を遮ってそう答えた。その表情は穏やかに見えて、凄く苦しそうで。諦めたくないのに諦めざるを得なくて。辛い決断をしたような表情だった。……そっか、君も……ボクと同じになっちゃったか。
「メジロ家の誇りを取り戻すために……強いわたくしを取り戻すために……その一心で、頑張ってきました。春の天皇賞で、ファントムさんに負けて以降」
「……うん」
「無茶なトレーニングを積もうとも考えましたが、ゴールドシップさんやじいやに止められて。なんとかここまで頑張ってきました」
「そうだね。マックイーンは凄く頑張ってた」
「それはひとえに……あなたとまた闘うため。レースの舞台で競い合うために。そして何より……ファントムさんに勝つために。そうすれば失った誇りを取り戻せる、強いわたくしになれる……そう考えた結果ですわ」
「……マックイーンは今のままでも強いよ。気にしすぎじゃない?」
ボクの言葉にマックイーンは笑った。
「ご冗談を。今のわたくしは強さからは程遠いですわ」
「そっか……」
少しの沈黙。そして、マックイーンが懺悔するように言葉を紡ぐ。
「……あの日以降、夢を見ますの。ファントムさんの
そう言うマックイーンの身体は、震えていた。余程恐ろしい光景だった、そんなことが想像できるぐらいには。
(……なにを見せられたのか、そして……ファントムの
「でも、悪夢に怯える日々はもう終わりですわ……。わたくしはもう、綺麗さっぱり諦めるつもりですもの」
「マックイーン……」
「そもそも、最初っからそうするべきでしたわ。何をやっても、どんなに足掻いても……ファントムさんには勝てないのですから」
(マックイーン、君はやっぱり……)
マックイーンはきっと、あの日からずっと囚われていたんだ。
……でも、それもここまで。繋靭帯炎を発症して、なんとか繋ぎ止めていた心が……諦めない気持ちが、折れてしまった。ボクと、ファントムと対戦したみんなと同じように。
「笑いたければ笑いなさいな、テイオー。あなたとの約束も果たせない……ファントムさんへのリベンジの気持ちすら無くなってしまった……無様なわたくしを」
「……笑えるわけないでしょ。何度でも言うけど、マックイーンは本当に強いよ。ここまで弱みを見せずに頑張ってきたんだから。本当に強い。君は……無様なんかじゃない」
マックイーンにボクの言葉は届いているのか分からない。でも、マックイーンが無様だなんてことだけは決してない。それだけは伝えたかった。
「マックイーン。君はボクと同じだ。きっと、悪いことが重なりすぎて。諦めることが正解なんだって。そう思っちゃってるんだよ」
「……テイオー。何を」
「でも、ボクは前を向くことができた。みんなの支えがあったからこそ、ボクは前を向くことができたんだ」
ボクはマックイーンの下へと歩み寄る。マックイーンは……逃げなかった。
「マックイーン……もう一度、頑張ろうよ。ボクと同じように」
「……無理ですわ。もう、無理なんですの」
「どうして?繋靭帯炎は再発する可能性が高いだけ。二度と走れないって決まったわけじゃない。少しでも可能性があるのなら……」
ボクの言葉を遮って、マックイーンが怒声を上げる。
「無理なんですのよ!どんなに頑張ったって、どんなに足搔いたって!こんな状態でファントムさんに勝てるはずありませんわ!」
「……」
本当に、同じことを考えるなぁボク達。ボクも、自暴自棄になった時にそう言ったっけ?
「あなただってそう思ったでしょう!?ファントムさんの強さを見たあなたなら、わたくしと同じことを考えたはずです!」
「……そうだね。一緒のことを考えてたよ」
「だったら!」
「でも、それでも諦めないって誓ったんだ」
マックイーンは驚いた表情を見せる。ボクは……マックイーンを説得する。
「ファントムの走りを見て、何度も何度も骨折して……ボクは諦めることが正解なんだって。ここで終わった方が良いんだって考えた。実際一度そうしようと思ってたし」
「……なら」
「元のように走れない……それは、すっごく怖いことだよね?辛いことだよね?ボクにはマックイーンの気持ちが痛いほど分かるよ。だって、ボク自身がそうなってるんだから」
「なら!どうして!」
「決まってるよ。マックイーンやみんなが支えてくれるから。だからボクはまた立ち上がろうって決めたんだ」
「っ!」
「諦めようとしていたボクを必死に説得して、最後まで諦めなくて……。奇跡なんて起きるはずがない、この先一生ファントムに勝てないんだって思ってるボクを、みんなは必死に説得してくれた」
みんながいたからこそ今のボクがいる。それを教えるためにボクはマックイーンを説得する。
「そして……マックイーンも見たよね?ツインターボ師匠のあの大逃げを」
「……えぇ。モニター越しですが」
「凄いよね。ブルボンやライス相手に、ツインターボ師匠は逃げ切っちゃったんだ。勝てっこない、奇跡でも起きない限り無理。そう言われてたのにさ、師匠は最後まで諦めなかった。だからこそ、あのオールカマーで師匠は奇跡を起こせたんだ」
「それが、なんですの?」
「あの日君は言った。奇跡は、それを望み奮起する者の元に必ず来るって。だからさ……」
ボクはマックイーンがもう一度立ち上がるために誓う。
「ボクは奇跡を起こしてみせるよ。今度の有マ記念を、1着でゴールしてみせる。だから……もう一度、立ち上がろうよマックイーン」
前に言われた時は勝てっこないって言った。その有マ記念で勝つことを……ボクは誓う。
テイオーの言葉にマックイーンは?