駅の改札を通ってレース場へと向かう。
(結局……来て、しまいましたわね)
本当は来る気なんてなかった。綺麗さっぱり諦めるためにも、中山レース場に来る気なんてこれっぽっちもなかった。けれど……。
『有マ記念絶対に見に来てほしい。そこでボクは奇跡を起こしてみせる。奇跡を起こして……キミがもう一度立ち上がるための脚を、明日に希望を見出すための一歩を踏み出す勇気を。ボクがキミに捧げるよ』
『キミはボクを待っていてくれた。だからこそ、今度はボクがキミを待つ番だ』
テイオーの言葉が、忘れられなかった。心のどこかで引っかかって、もやもやして……。結局、わたくしはここへと足を運んでしまった。
「でも……やっぱり怖いですわ……」
もし、奇跡なんて起きなかったら。テイオーが負けてしまったら。そう考えてしまったら……レース場へと足を踏み入れることができなかった。
無論、テイオーのことは信じている。だけど……それでもし、テイオーが負けるようなことがあってしまったら。わたくしは……どうすればよいのでしょうか?
思わず左足を撫でる。不治の病を発症したこの脚。今日は調子が良い日らしい。全くと言っていいほど痛みはない。まるで、元々かかっていなかったみたいに。
……けど、着実にわたくしを蝕み続けている。そんな気がしている。
「……そろそろ始まった頃でしょうか?」
もう有マ記念は発走しているかもしれない。そんな時間だ。わたくしは……一歩を踏み出す勇気が、出せずにいる。
《さぁ第2コーナーを抜けて向こう正面に入りました14人!現在先頭を走るのはメジロパーマー、ヴァイスストーンが2番手、3番手はジャパンカップ覇者レリックアース!4番手には有マ記念1番人気のビワハヤヒデが控えています!その後ろ5番手6番手にはウイニングチケットとライスシャワーがいる!久々トウカイテイオーはその後ろ7番手の位置だ!8番手はペラ、パーメントビ、ナイスネイチャ、デュオプリベン、シュプールムーバーと続きます!最後方はアベックドリームとマチカネタンホイザ!大方の予想通りメジロ家の逃げウマ娘メジロパーマーが先頭でペースを作る展開ですね》
《そうですね。ですが今年は14人がほぼ10バ身以内に収まっていますからね。この先誰が上がってくるか分かりませんよ》
《前回の有マ記念はメジロパーマーが逃げ切り勝ちを収めました!昨年も出走していたメンバーからすれば同じ轍は踏みたくないところ!果たしてどういった展開を迎えるのか!》
テイオーは7番手。可もなく不可もなくといった位置ですね。
「テイオー勝てるかな……」
「さすがに厳しいだろ。1年のブランク、普通勝てねぇって」
「完走してくれるだけでも嬉しいだろ。というか、もう一度走る姿が見れるだけでも満足だって」
「それに今回はビワハヤヒデもいるからな~。余計に無理だろ」
聞き耳を立てていますが、やはりテイオーの勝利は信じられないといった様子。完走できるだけでも御の字、といったところでしょうか?
「……」
ルドルフがやけにそわそわしていますね。
「……そんなに心配?テイオーのこと」
「うっ」
「……さっきからソワソワしすぎだよ。もっとどっしりと構えてみたら?」
「そ、そうは言うがな……」
「……ま、気持ちは分かるけどね」
ですが出走している以上、私達にできることはテイオーの勝利を信じることだけです。それ以外にテイオーの力になれる方法は……存在しません。
「……そう、だな。我々が慌てていてもしょうがない。勝負の行く末を、見守ることしかできない」
「……そういうこと。とは言っても……状況は芳しくないけどね」
「あぁ……ビワハヤヒデは脚を残している。メジロパーマーの大逃げを機能させず、他のウマ娘の動きを把握し続けいつでも抜け出せるように準備をしている」
「……自分の必勝パターンに持ち込もうとしている。それが決まれば……ほぼ終わり」
「ほぼ終わり……完全には、終わりじゃない」
「……そう」
私はテイオーを見つめます。テイオーは7番手で追走している。
”ハッ。奇跡に縋らなきゃ勝てねぇってのは空しいもんだな”
「……」
”もう分かってんだろ?あのクソガキの走りは全盛期からは程遠い。無様なもんだ。あんだけ足掻いてた割にはこの程度。もう終わったも同然だろ”
「……そうでもないよ」
”……あ゛ぁ゛?”
確かに全盛期の走りには程遠いかもしれません。ですが。
「……奇跡はきっと起きる。奇跡を信じて、行動する者の元に等しく訪れる。テイオーは奇跡が起きるのを待っているんじゃない。自分の手で起こすために頑張っている。だからこそ……テイオーはきっと、奇跡を起こせる」
”……あぁくだらねぇくだらねぇ。ま、あのクソガキの無様な姿ぐらいは見といてやるよ”
なんだかんだ目にかけてるんですね。そんなことはいいつつも、ちょっとは期待してるんじゃないですか?
”ほざけ。ぶっ飛ばすぞテメェ。怪我した塵に期待なんかするわけねぇだろ”
おぉこわ。
さて、踏ん張りどころですよテイオー。……頑張れ。
《さぁここから誰が仕掛けていくのでしょうか?レースはいよいよ第3コーナーに入ります。先頭は依然メジロパーマー!そこから2番手ビワハヤヒデ、ビワハヤヒデは2番手に上がってきた。3番手の位置で様子を窺うのはウイニングチケット。その内4番手トウカイテイオー、最内にレリックアース。6番手にナイスネイチャ、7番手にライスシャワーとヴァイスストーンが並んでいます》
走っているみんなの思いが伝わってくるみたいだった。
(みんなの勝ちたいって思いが伝わってくる……今まであんまり意識してこなかったけど、みんな必死になって走っているんだ)
そりゃそうだ。誰だって負けたくない。勝ちたいって思うのは当然だ。一杯トレーニングして、一杯レースの勉強して。勝つために全力を尽くしに来ている。頑張ってきたのは何もボクだけじゃない。みんなそれぞれ頑張っているんだ。
けど、ボクだってその気持ちは負けてない。みんなよりも勝ちたいって気持ちでいる!だからこそ、今こうして目の前を見据えて脚を動かしている!
(そういや、結局
今のボクは
ビワハヤヒデは……あれだけの実力を持っているんだ。だからきっと使えるはず。つまりは、ボクは
(厳しいなぁ本当!でも……負けるわけにはいかない!)
「絶対に……、絶対に……ッ!」
勝つんだ。そう思いながらボクは気合を入れなおす。もうそろそろ第4コーナーだ。ここできっと……ッ!?
「……フッ!」
瞬間、ビワハヤヒデの圧が増した。周りに
(ここでキミは仕掛けるよね、ビワハヤヒデ!)
ビワハヤヒデが加速する。その加速は……予想以上だった。
《レースは第4コーナーに差し掛かります!ビワハヤヒデとウイニングチケット新世代を担うBNWの2人がじわじわと上がっている!レリックアースも動いているか!……おぉっと!ここでビワハヤヒデが仕掛けた!菊花賞ウマ娘のビワハヤヒデ!グングンとスピードを上げていく!》
《第4コーナーのここで仕掛けましたか!これは……ビワハヤヒデの勝ちパターンですね!》
《そして今ビワハヤヒデがメジロパーマーを躱した!ビワハヤヒデ先頭!ビワハヤヒデが先頭だ!やはり強い1番人気ビワハヤヒデ!果たして彼女についていけるウマ娘はいるのかどうか!?ライスシャワーか、ナイスネイチャか、ウイニングチケットはどうだ!?レリックアースもいるぞ!果たしてビワハヤヒデの勝利の方程式を崩せるウマ娘はいるのか!?》
あぁ、速いなぁ。凄く、凄く速い。全盛期のボクでも、追いつけるか分からないぐらい速いや。やっぱり、ビワハヤヒデは強い。
(……もんか)
でも……それがどうした?
(離されるもんか……)
確かに全盛期のボクよりも速いし、強いかもしれない。けれど……!
「離されるもんか……ッ!」
それが、諦める理由にはなりえない!
確かにビワハヤヒデの勝利の方程式は完璧だ。メジロパーマーを内に閉じ込め、尚且つ自分は第4コーナーで早めのスパートとコーナーを利用して先頭に立つ。ボク達後続はメジロパーマーを外から躱すしかなくなるし、最短経路の内を使うことを封じられた。しかも全員脚を消耗している中で、自分だけは余力を残していた。だからこそ、残りの距離は
……ボクはビワハヤヒデが開けた進路を使う。現状使える最短経路はここしかない。
(ファントムからは、ビワハヤヒデのペースに持ち込まれたらほぼ負けって言われてたっけ?)
まぁ、それが共通認識だと思う。もう誰もビワハヤヒデに追いつけないって考えるだろうね。……だったら!
(ボクがビワハヤヒデの勝利の方程式を崩す!ボクが……力でビワハヤヒデを上回るしかないんだ!)
もう余計なことは考えないようにする。目の前にいるビワハヤヒデだけに集中することにした。
(絶対に負けない……!絶対に、絶対に……!もう諦めたりなんてするもんか!)
……ここまで、来てしまいました。
(あと少し歩みを進めれば、レースが見えるところまで来た……)
だけど、その歩みは止まってしまった。頭をよぎるのは……悪いことばかり。
もしテイオーが負けていたら?
もしテイオーが力尽きていたら?
奇跡なんて……起こらないのだとしたら?
そんなことばかりが頭に思い浮かんでしまう。そして、そんな考えが思い浮かぶたびに……わたくしの脚は、すくんでしまう。歩みを止めてしまっていました。
(それに……あの日の光景が、どうしてもフラッシュバックしてしまいます)
春の天皇賞のあの日。自分の走りを喰われてしまったあの日。圧倒的な力の差を見せつけられた……忘れたくても忘れられない、あの日。
奇跡を起こせたところで無意味なんじゃないか?どんなに頑張っても無駄なものは無駄なんじゃないだろうか?そんな考えばかりが頭によぎってしまいます。……わたくしも落ちぶれたものですわね。
(テイオーに偉そうなことを言っておきながら、わたくし自身はこの体たらく……。滑稽なものですわね。本当に……無様ですわ)
『何度でも言うけど、マックイーンは本当に強いよ。ここまで弱みを見せずに頑張ってきたんだから。本当に強い。君は……無様なんかじゃない』
そんな時。テイオーの言葉が頭をよぎります。
『マックイーン。君はボクと同じだ。きっと、悪いことが重なりすぎて。諦めることが正解なんだって。そう思っちゃってるんだよ』
『ファントムの走りを見て、何度も何度も骨折して……ボクは諦めることが正解なんだって。ここで終わった方が良いんだって考えた。実際一度そうしようと思ってたし』
『でも、ボクは前を向くことができた。みんなの支えがあったからこそ、ボクは前を向くことができたんだ』
テイオーは、度重なる骨折で一度折れてしまいました。ですが、みなさんの支えがあったからこそ。この有マ記念に出走することが叶ったと。そう言ってました。そして、折れたわたくしに……テイオーは、雨が降る中誓いました。
『あの日君は言った。奇跡は、それを望み奮起する者の元に必ず来るって。だからさ……』
『ボクは奇跡を起こしてみせるよ。今度の有マ記念を、1着でゴールしてみせる。だから……もう一度、立ち上がろうよマックイーン』
有マを1着でゴールしてみせると。奇跡を起こしてみせると。そう……誓いました。
「……。ッく」
どうしても怖い。現実を突きつけられるのが、テイオーが負ける姿を見るのが怖い。でも……勇気を振り絞って、わたくしは中山レース場へと足を踏み入れます。
大勢のファンの方が詰め寄っている。歓声が響き渡っている。そんな状態で、どうにかしてターフへと視線を向けて……ようやくレースを見ることが叶いました。
「……え?」
思わず声が漏れ出る。信じがたい光景だった。
負けていると思った。現実は非情だって、そう思っていた。けれどテイオーは……。
「ハァ……ッ!ハァ……ッ!」
「てい、おー……っ?」
テイオーは、2番手の位置。先頭を走るビワハヤヒデさんを、残り1バ身というところまで追い詰めていた。残りの距離は──200m。
トウカイテイオーはただ走る。友の為、自分の勝利のために。