記憶を失った後の私は、エっちゃんに色んなことを教えてもらいながら生きてきた。
『いいか?しっかりトレーニングしろよ』
『……まず、何をすればいいのか分からない。どういうトレーニングをすればいい?』
『ッチ。そうだったな。後で紙に書いておく。それらをしっかりとこなせ。だが、体調に問題があるようだったらすぐに止めろ。言っておくが、嘘は通用しねぇぞ。俺様はお前なんだからな。体調不良なんざすぐに分かる』
『……分かった』
記憶を失って、右も左も分からない私をエっちゃんは導き続けた。
『最低限料理ぐらいはできておけ。できなくて困ることはあっても、できて困ることはないからな』
『……ゆびを切った。どうしよう?わたし』
『平然としてんじゃねぇバカ!さっさと代われ!』
ただ、記憶を失っても大事なことだけは覚えていたのか。それとも心の奥底ではパパとママの教えが残っていたのか……人助けを止めることはなかった。
『……だいじょうぶ?』
『あ、ありがとう……』
『おい、さっさとずらかれ。余計なことを言われる前にな』
『……でも……うん。分かった』
『だ、だれと話してるの?』
『……気にしないで。次からは気をつけてね』
助けた子と別れた後に、エっちゃんは私にその行動を咎めた……というよりは、心配するように告げた。
『おい、なんで助けた?テメェにメリットはねぇだろ』
『……分からない。けど、なんとなく、たすけた方が良いって思った』
『……記憶が戻ったわけじゃねぇのか。ということは、コイツの行動の基盤にでもなってるってことか?ッチ、厄介だな』
『……どうかしたの?』
『何でもねぇ……同じ状況になったら、また同じように助けるのか?テメェは』
エっちゃんの言葉に、私は頷いた。
『……うん。心が、そうした方が良いって思うから。こまってる人をたすけると、心がポカポカするから。きっと、大事なことなんだと思う』
『……』
エっちゃんは目を見開いて驚いた。その後、深く溜息を吐く。
『別にテメェが人助けをしようが構わん。だが……絶対に見返りを求めるな。見返りを求めたら酷い目に遭うからな、だから決して、見返りを求めようとするんじゃねぇぞ』
『……分かった』
記憶のない私が見返りを求めない善行をしていたのは、エっちゃんの教えを守っていたから。感謝されなくてもいい、その行動が誰かのためになるのであればそれだけで十分……そう考えるようになったのは、エっちゃんの教えがあったからだと思う。まぁ、ボランティアの度にエっちゃんはネチネチと責めてたけど。やれ意味はないだの、やれどうせ迫害されるだけだの色々言われたっけな?きっとエっちゃんも心配だったんだと思う。
お面を着け始めたのもこの頃だ。エっちゃんからお面を着けるように言われたことを思い出す。
『いいか?外を出歩く時はこのお面を着けろ』
『……なんで?』
頭に疑問符を浮かべる私にエっちゃんは答える。
『顔を隠しておかないとちょいと面倒なんでね。なぁに、テメェを守るためだ』
『……分かった。わたしがそう言うんなら、間違いないね』
『あぁ。誰もいない時以外は常にお面を着けとけ……これで、大抵の凡愚共はこいつを遠ざけるようになるだろ。それに、成長したら俺様の顔に瓜二つになるかもしれん。そうなればコイツは間違いなく話題になる。それは避けなきゃならねぇからな』
私がお面を着けていた理由はエっちゃんの顔が有名すぎるからってのもある。でもエっちゃんからしたらそれはどうでもいいことだった。自分の顔がバレることなんてどうでもいい。だけど……そのせいで私に危害が及ぶのが嫌だったから。だから私はお面を着けての生活をすることになった。
それからも、私はエっちゃんの助けを借りながら生きてきた。そのおかげで……今日まで生きてこれたんだ。
俺様の前にいるファントムは、これまでのことを語ってくれた。俺様がファントムにやってきたことを包み隠さず、良いところも悪いところも全部……アイツは語った。
「エっちゃんは私に色んなことを教えてくれた。私に、生きる術を教えてくれた」
「……」
「だから記憶を失くしても、私はエっちゃんを信じ続けることができた。エっちゃんは口は悪いし、人のことすぐ見下すし、自分が一番だって疑わない自信家だけど」
「言い過ぎだろ。全部事実だけどよ」
「エっちゃんは良い子だって、心の中ではちゃんと覚えてた。だからこそ……私はエっちゃんのために頑張ろう、エっちゃんに恩返しをしようって。そう決めてたんだ」
「……記憶を、消した張本人なのにか?」
「それも全部、私のためでしょ?私が壊れないために、私が歪まずに生きられるように。そうするしかなかった。感謝こそすれ、咎める理由にはならないよ」
……確かに、そうかもしれない。だが、俺様がこのまま生きていると……何かやらかしてしまうんじゃないか?今度こそ取り返しのつかない過ちをしてしまうかもしれない。
それだけじゃない。コイツが許したとしても、他の塵共や凡愚共は俺様を許そうとしないだろう。そしたら、ファントムに危害が及んでしまうかもしれない。そう考えたら……ファントムの提案を、一緒に生きるという提案を飲むことができないでいた。
(もう、コイツは俺様に縛られる必要はない。だから、ここで別れることこそが正解なんだ。なのに……)
心の奥底で、またコイツと生きていくのも悪くないと考えている自分がいる。コイツと一緒に、走っていたいと考えてしまう……自分がいる。そんなことは、許されないのに。
どうやってコイツに諦めてもらおう?そんなことを考えている時……俺様を包み込むように、優しく、何かが抱き着いてきた。
「……は?」
誰が抱き着いてきたか?そんなの決まっている。この場には俺様と……ファントムしかいないのだから。
「良いんだよ、エっちゃん。深く考えなくていい。エっちゃんのやりたいようにすればいい」
ファントムは、優しく俺様を抱きしめている。俺様は……ただ呆然としていることしかできない。
なんでこんなことをしているのか?どうしてこんな自分に優しくしてくれるのか?どうして、どうして……。疑問は尽きない。確かに、ファントムに優しくしたかもしれない。だけど、それは結局自分の為で……「確かに自分の為かもしれない」……そんな自分の胸中を見透かすように、ファントムは言葉を紡いだ。
「エっちゃんが自分の為に、私に優しくしてくれたのかもしれない。だけど……私は確かに、そこに愛を感じた」
「……ファントム」
「考えてもみて?本当に利用するためだけだったら……あそこまで、優しくする必要はないんじゃない?」
……あぁ。
「私のために記憶を消す必要も、私の優しさを失わせないために人助けを止めさせなかったのもそう。それに、記憶を消したんだったら、それこそ自分の都合の良いように嘘の記憶を吹き込めばいい。だけど、エっちゃんはそうしなかった。それはきっと、エっちゃんの知ってる優しい私が変わってしまうのが嫌だったから。違う?」
……違わない。
「私は……いろんな人に愛されてきて今を生きている。パパとママから愛されて、サニーさんからも愛されて、スピカのみんなや、カフェさんやタキオン、デジタルや学園のみんなに愛されて……そして何より、エっちゃんからの無償の愛があったからこそ、私は歪まずに生きてこられたんだ」
手は震えるばかりで行き場をなくしている。どうすればいいのか分からない。こいつを抱きしめる資格が、俺様にはあるのだろうか?
「言ったでしょ?私はボランティアが……無償の愛って言葉が大好きなの。パパとママが教えてくれて、エっちゃんやサニーさん、みんなが私にくれたもの」
……深く考える必要は、ないのかもしれない。だから、最後に確認しておきたいことがある。
「……きっと、これからも苦労をかけるぞ?」
「良いよ。楽しいことや苦しいこと、辛いことや嬉しいこと。全部半分こして生きていこ」
「俺様に恨みを抱いている奴はたくさんいる。お前にも批判が飛ぶかもしれねぇ」
「構わない。それこそ今更だもの。成長した私は、気にしないよ」
「また、誰かに迷惑をかけるかもしれねぇ。それでも……良いのか?」
「そしたら、一緒にごめんなさいしてあげる。全然いいよ。エっちゃんのためなら苦じゃないから」
……最後に、1つだけ。
「……俺は、お前と一緒に……生きてもいいのか?」
ファントムは、俺様を力強く抱きしめて……答えた。
「勿論!これからも、よろしくね……エクリプス!全部ぜ~んぶ、半分こにして生きていこう!」
……あぁ、そうか。生きてていいのかとか、迷惑をかけてもいいのかとか。そういう細かいことは考えなくてもいいんだ。コイツは……俺様の全部を許容してくれる。
きっと、これからも迷惑をかけてしまうだろう。生きづらさを感じさせてしまうかもしれない、苦労を掛けるのは目に見えている。だけど……ファントムは、それを全部ひっくるめて俺様を許してくれるんだ。俺と……一緒に生きていこうって、言ってくれてるんだ……ッ!
「おまえって、ほんっとう……わっけ分かんねぇなぁ……ッ!」
ファントムを強く抱きしめる。目からは涙が止まらない。こんな涙は……いつぶりだろうか?感情がぐちゃぐちゃで、泣きじゃくるしかなかった。
「エっちゃん……これからも、よろしくね?」
「あぁ……、あぁ……ッ!」
ファントムの言葉に、何度も何度も頷く。心が軽くなる。今までのしかかっていた重しが、全部なくなったかのような気分だった。
それからは泣いた。泣いている俺を、ファントムは抱きしめてくれていた。そこには確かな温もりがあって……俺は、ようやく救われたような気がした。
……なぁ、三女神。もし、もしお前らが
朝、目を覚ました。目覚ましが鳴るよりも早く。眠い目を擦って、朝練の準備をします。
「おはよう、スぺちゃん。よく眠れたかしら?」
「おふぁようございま~す……スズカさぁん……」
「あらあら。まだまだ寝坊助さんね」
スズカさんの苦笑い気味の声を聞きながら準備を済ませて、寮を出ました。その途中でみなさんと合流します。
「おっはよー!スぺちゃん、スズカ!」
「おはようございます。今日も良い朝ですわね」
「スカーレット!どっちが早く練習場に着くか勝負しようじゃねぇか!」
「上等よバカウオッカ!アタシが1番なんだから!」
「朝から仲良いなお前ら」
「「仲良くない!!」」
「おはようみんな。今日も一日頑張りましょうか」
「おはようございますみなさん!それにしても……やっぱりこの時間に起きるのはキツイです~……」
「我慢しろスぺ。まだまだ、頑張らなきゃいけない時だからな!」
まだ陽が完全に昇ってません。空が白み始めた時間から朝練です。でも、頑張らないと!ファントムさんだって、頑張ってるでしょうから!
みんなで練習場に向かうと……?あれ、もう誰かいますね。誰でしょ……ッ!?
「ね、ねぇあれって……ッ!」
「あぁ、スカーレット!あのフォーム……間違いねぇ!」
そのウマ娘さんは、
「……ふぅ、エっちゃん。さすがにブランクあるからきつくない?」
「この声って……!」
「えぇ!間違いありませんわ、テイオー!」
「ハッ、だったらさっさとブランクが無くなるくらいまで走り続けろ。2週間以上無駄にしてたんだからな!休んでる暇はねぇぞ!」
「ハハッ!アイツもちゃんといるのかよ!らしいっちゃらしいけどな!」
思わずこっちも明るくなるような、優しい性格と、傲慢さを感じつつも、少し棘が無くなったような性格で、交互に喋っています。まるで、2つの人格があるかのように!
「帰ってきたのね……ッ!」
「はい!きっと……目を覚ましたんですよ!スズカさん!」
その人は、私達に気づいてこちらを振り向きます。
「ったく!心配かけさせやがって……!」
トレーナーさんは、そうは言いつつも嬉しそうに、目に涙を浮かべながらそのウマ娘さんを見ます。
そのウマ娘さんに向かって、私達は走り出す──
「「「おかえりなさい!ファントム(さん/姉御)!!」」」
ファントムさんは、屈託のない笑顔で私達と挨拶を交わした。
「ただいま!みんな!」
次回、最終回。