──トレセン学園には謎に包まれていたウマ娘がいた。
誰であれ、大小の差はあれど隠しておきたい秘密というものはある。友達ならば、その秘密を知りたいという感情もあるだろう。その秘密を知ろうとするか、それとも知らずとも友達として接するか……その行動は、個人の嗜好によって変わる。
トレセン学園に所属しているあるウマ娘は、何もかもが異質だった。フードとお面で素顔を隠したウマ娘、過去の経歴、素顔……その他一切の詳細が分からないウマ娘。理事長である秋川やよいと他数名の手引きによってある日ふらりと転入してきた彼女は、全てが謎に包まれていた。
170cmの身長に、出るとこは出て引き締まっているところは引き締まっている……普通であれば街中の人の目を思わず惹いてしまうような、そんな風貌をしていた。もっとも、彼女が目を惹く理由は素顔を徹底的に隠すスタイルのせいなのだが。どんな時でもフードを外すことはなく、素顔を見た者は誰もいないともっぱらの噂だ。……まぁ、たまに。本当にたまにだがフードを外す時があるらしいのだが。
彼女について分かる点と言えば、尻尾の色から赤黒い髪色であったという点。また時折お面の下から覗かせる瞳は、猛禽類を思わせるような金色の双眸をしていたということだけだ。
彼女の生活態度も目立つ。あまり誰かに絡むということはなく、1人で過ごすことが多かった。友人は少なからずおり、自分を慕ってくれている後輩と一緒に自主トレをしていることもあったが、基本的に自分から積極的に関りにいくことはなかった。そんな彼女はボランティア活動が好きなようで、週に1回は必ず地域のボランティア活動に参加していたという証言がある。
だが、それ以上に彼女には目立つことがあった。それは、虚空に向かって話しかけているという点である。彼女の友人曰く、
「通常は知覚できない、幽霊と会話をしている」
との証言はあるものの、傍から見れば誰もいないところで1人で会話をしているのだから不気味なことこの上ない風景だった。それは学園外でも変わらない。彼女は、誰もいないところで会話をするウマ娘。だからこそ、周りの人々は彼女を不気味がり、近寄ろうとしなかった。
レースの強さはどうだったのか?確かに不気味なウマ娘だが、じゃあレースの実力はどうだったのかという話になる。結論から言うと……彼女の強さは圧倒的だった。彼女のレースは全てが圧倒的であり、比較対象になるようなウマ娘は
ほぼ全てのレースで大差勝ち。唯一大差勝ちじゃなかったレースも2つだけ。しかもその内1つは体調が思わしくない状態での出走だったため、大差勝ちを逃したのはたったの1回だけだ。だがそのレースでも彼女は圧倒的な強さを見せつけたのである。
顔を地面すれすれまで近づける超前傾姿勢。荒々しくも神々しさを感じるその走り。スタートこそ苦手だが、圧倒的なスピードで瞬く間にハナを奪い、そのまま先頭を走って勝利を収める。彼女のレースは、さながら行軍のようだった。終始彼女が圧倒的なペースで駆け抜けてレースが終わる。先頭が変わることは一度もなかった。余談だが、彼女は走る時もライブの時も素顔を隠すスタイルは変わらない。ここまで徹底するのはもはや珍しいの域を越えていた。
そして、彼女のレースには特筆すべき点がある。それは……彼女と一緒に走ったウマ娘は心を折られて走るのを止めてしまうという点だ。最終的には復帰したそうだが、彼女と同じレースで走ったウマ娘……特に2着に入ったウマ娘は彼女の走りに心を折られて走るのを一時止めてしまったという話が広がっていた。
素顔のない幽霊、亡霊のようなその出で立ちから、彼女は〈ターフの亡霊〉と呼ばれていた。また、彼女の名前はファントムであり、それにちなんでつけられたとも言われている。彼女は幽霊であり、あの世にウマ娘の魂を持っていくために現世に現れた……なんていう、バカバカしい与太話も生まれたのだが。それだけ彼女の存在が謎だったとも言える。
謎に包まれていた彼女が、お面を外し素顔を晒した時があった。その時、人々の目に映ったのは……かつて存在した伝説のウマ娘、エクリプスと瓜二つの顔、姿だったのである。そう、彼女はまさしく亡霊だったと言える。過去から現世に蘇った、エクリプスの亡霊……それこそが、ファントムの正体だと。人々は揶揄した。
エクリプスは人々に告げる。
「この時代のウマ娘を全て喰らい、俺様こそがウマ娘の頂点であると証明する」
それこそが、自分がこの時代に蘇った理由だと告げた。
そんな彼女に立ち向かった、15人のウマ娘達。その15人の手によって、エクリプスという名の亡霊は打倒された。伝説が、終わりを告げた瞬間である。
ファントムの正体が現世に蘇ったエクリプス本人……という話は、残念ながら正確ではない。より正確に言うならば、ある1人の少女に憑依する形でエクリプスは現世に蘇ったのである。エクリプスが憑依したそのウマ娘の名前はファントム。ボランティアが好きな、人助けが好きなごく普通の優しい少女である。
ファントムは一度、死の淵に立たされた。ホテルの火災に巻き込まれ、生存は絶望的な状況に追いやられた……そんな時に、彼女はエクリプスに助けられる形でその命をつないだ。以降彼女は、エクリプスの目的を叶えるために奔走することになる。
全ての話をまとめると、ファントムが亡霊と呼ばれるのはあながち間違いではない。経緯や理由はどうであれ、死んだはずのエクリプスが生者であるファントムの力を借りて現世に侵攻し、危害を加えようとしてたのは間違いのない事実なのだから。だからこそ、ファントムが亡霊というのは間違いではなかった……これまでは。
──亡霊と呼ばれた彼女はもういない。今の
──イギリスのサンダウンレース場は熱狂の渦に包まれていた。所狭しと人々がレースを観戦しており、ウマ娘達を応援している。
本日のメインレースはG1、エクリプスステークス。中距離最強を決める戦いに、あるウマ娘が出走しようとしていた。
《さぁやってまいりました本日のメインレース、エクリプスステークス!会場のボルテージはMAXだ!まさに熱狂の渦に包まれているぞサンダウンレース場!天候は晴れ、芝の状態はGood to Firm!走るのには絶好のコンディションだ!これはウマ娘達も気持ちよく走れることは間違いない!》
人々はウマ娘が入場してくるのを見守る。そして……あるウマ娘が入場してきた時、会場に大歓声が湧き上がった。サンダウンレース場が揺れたと錯覚するほどの大歓声が上がる。その声を受けて……そのウマ娘は、屈託のない笑顔で手を大きく振っていた。
「みんなー!ありがとー!応援よろしくねー!」
だがそれも一瞬のこと。すぐに不機嫌そうな表情に切り替わる。
「日本語で言ってもしょうがねぇだろ。わかりゃしねぇよ」
そしてまた表情が切り替わる。今度は抗議するようなふくれっ面。
「良いじゃん別に!こーいうのは気持ちだよ気持ち!」
一人百面相状態だった。その様子に、観客は微笑ましいものを見る目で彼女を見る。
彼女はウォーミングアップを始めた。他のウマ娘はそんな彼女を睨んでいる。睨んでいると言っても、そこに負の感情はない。あくまでライバルだから……これから一緒に走る相手、競う相手として、彼女を見ている。
ウォーミングアップを終えたウマ娘達はゲートに入る。彼女は……いつもの大外枠だった。
赤黒い髪にところどころ青白いメッシュが入ったセミロングのウルフカットを揺らしながら上機嫌に跳ねている。猛禽類のような金色の瞳と、優しさを感じる銀色の瞳のオッドアイからは楽しみだという感情が伝わってきそうだった。そして彼女のトレードマークでもある……炎のように揺らめいている白い流星。
《サンダウンレース場は満杯状態!それも仕方のないことでしょう!なんてったって……!日本からあのウマ娘が!かつて存在した伝説が!このレースに出走するわけですから!そりゃあ盛り上がらないわけがないでしょう!公式戦無敗!敗北したのは日本のトレセン学園で行われた非公式のレース1回のみ!それ以外の全てで勝利を収めてきた伝説のウマ娘!かつては〈ターフの亡霊〉と呼ばれていた彼女……いや!もうその呼び名はふさわしくないでしょう!》
彼女はゲートに入る。実況は──声高にその名を告げた。
《このエクリプスステークス!ダントツの1番人気!〈
大外枠の彼女──ファントムは、不敵な笑みを浮かべる。
「さぁ、ぶっちぎるよエっちゃん!」
「当たり前だ!俺様達の力を見せてやろうぜファントム!」
ゲートが開く。出遅れはない。ウマ娘達が一斉に駆け出した。
──亡霊と呼ばれた彼女は、今日もどこかで楽しく走っている。
あとがきは活動報告にて