(まだです……ッ!まだ、まだ!あの人に追いつくにはまだ足りない!)
日本ダービーも大詰め、最後の直線に入りました。エルは一気にスパートをかけてセイちゃんとキングを抜き去ります。
「うっそ!?エル!?」
「は、速すぎでしょエルさん!だけど、諦めない、諦めないわ!」
だけど、まだです!まだこの程度ではあの人に……、ファントム先輩に追いつけない!もっと、もっと速くならないと!
(慣れない位置取り、早仕掛けでスタミナが大分ヤバいデスけど……ッ!まだまだいけます!まだ、まだ!)
エルは前を見ます。エルの前、先頭を走るファントム先輩の幻影……。それに追いつくために、エルはもっと速くなるんです!
どうしてファントム先輩をここまで意識するのか?その理由は、単純だと思います。あの日の模擬レース、エルはあの人に憧れと恐れを抱きました。
底の見えない強さへの恐怖、本気を出していなかったにも関わらず分かる、あの人が持つスピードへの憧れ、そのどれもがエルにとって尊敬の対象に入るものでした。圧倒的な強さへの憧れ、それを抱かずにはいられませんでした。会長やブライアン先輩がファントム先輩と一緒に走りたがるのも分かります。だって、あの人はそれだけの強さを持っているのだから。
ですが、それと同時にエルはあるイメージを植え付けられました。それは、敗北のイメージです。絶対にこの人には敵わない、どれだけ努力しても届かない。そんなイメージを植え付けられたんデス。そんなの……ッ!
(認められません!アタシは、最速、最高、世界最強になるウマ娘、エルコンドルパサーだから!)
だからこそ、エルはエルの前に走る幻影に追いつくんです!あの人に届くために!
東京レース場の坂を上ります。ここを超えれば……勝てます!アタシは、そう考えていました。
仕掛けどころ……ッ!きっと、ここだというタイミングで私は抜け出すことができました。けど……!
(想定していたよりも、エルちゃんが速い!このままじゃ……ッ!)
追いつけない。そう、考えてしまいます。それに、エルちゃんだけじゃない。前にはまだセイちゃんもいる。もうすぐ坂です。特訓の成果を発揮できれば、きっとセイちゃんは追い抜ける。けど、エルちゃんは?エルちゃんを追い抜くことはできるか?そう言われたら、多分……。
(ッ!ダメダメ!走る前から諦めたらダメ!けっぱるべ!けっぱる……)
だけど、エルちゃんとの差は開いていきます。私も必死に走っているけど、それでも差は無常に開いていってる。
……また、負けちゃうの?皐月賞の時みたいに、また。
(……イヤだ!負けたくない!もうあんな悔しい思いはしたくない!だから、動いて!もっと速く動いてよ!私の脚!)
限界を超えるなら今だ!だから、もっと速く、もっと速く!
だけど、差は一向に縮まらない。セイちゃんとの差はもう少し。だけど、エルちゃんとの差は縮まらない。差は、どれくらいだろうか?きっと5バ身以上はついてるかもしれない。錯覚かもしれないけど、それ以上に差は開いているように感じます。そう考えると、脚は動かなくなりそうでした。
(もう、ダメなの?エルちゃんには、追いつけないの?)
こんなに必死になっているのに追いつけない。もう諦めてしまおうか……?そんな時、ふと、レース前にファントムさんから言われたことを思い出しました。
『……前の子に追いつけなくて苦しい時、辛い時、焦りそうな時。そんな時は、考えてることを一度リセットするのが大事。頭を空っぽにして、ただ前だけを見て走って』
そうだ!こんな時だからこそ、頭を空っぽに!空っぽ、に……。
(それができたら苦労してないべ!?併走してもらった時もできなかったのに!)
う~っ!ヤケクソです!何か、何か別のことを考えましょう!え~っと……。
(そうだ!人参です!ダービーを勝ったら美味しい人参が……ッ!って、なんか違う気がします!?)
だけど、なんとなくおかしくなって気が楽になりました!思わず笑みが零れそうになります。レース中なのに、変な話です。
気が楽になった私は、坂の途中でセイちゃんを追い抜きます。
「クッソぉぉぉ!」
よしっ!セイちゃんは追い抜きました!後は、エルちゃんだけ……ッ!そんな時です。私の目の前の景色が、割れたような錯覚に陥りました。
(ッ!なんだべ?なんか……目の前の景色が……違って見えます!)
昼間のはずなのに、夜空が広がっている。東京レース場にいたはずなのに、目の前には草原が広がっている。流れ星が降っている景色が、眼前に広がっていました。
ここはどこだろう?いつの間にこんなところを走っていたんだろう?そんな疑問が浮かぶよりも前に……ッ!
(身体が、すごく軽い!これなら……ッ!)
「いける!勝負です、エルちゃん!」
私は、全身全霊をもって駆け出します!坂を上り終わった、エルちゃんの姿を捉えました!これなら追いつける!今の私なら、絶対に追いつけます!
「ヤァァァァァァ!」
「ッ!?スぺちゃん!?」
残り200m!追いつきました!そして、一気に躱します!後は、ゴールに向かって突っ走るだけです!
「スペちゃぁぁぁぁん!」
「「スぺせんぱーい!頑張ってくださぁぁぁい!」」
「後もう少しだよー!頑張れー!スぺちゃーん!」
「ぶちかませぇぇぇぇ!スペェェェェェ!」
「スペシャルウィークさん!頑張ってくださいまし!」
スピカのみなさんが応援してくれています!身体の奥から、どんどん力が湧いてきます!この応援に応えるためにも……ッ!
「勝ちます!」
私は、さらにスピードを上げました!
さて、第4コーナーを回ってエルが先頭を取ったわけですが。これはスぺちゃんちょっとまずいですね。仕掛けのタイミング、いつもならベストなタイミングだったんですが……。
「クソッ!エルコンドルパサーが思ったよりも速い!これじゃあ……ッ!」
「なに諦めてんのよバカトレーナー!まずはスぺ先輩を応援するのが先でしょ!」
「スカーレットの言う通りだよ!頑張れー!スぺちゃーん!」
エルのスピードが上がってますね。ちょっと苦しそうです。……おや?後ろのスぺちゃんの様子が、ちょっと変わりましたね。
《先頭を走るのは依然としてエルコンドルパサー!これは凄い脚だ!?後続との差が開いていく!これが〈怪鳥〉エルコンドルパサーの実力か!後ろの子達は追いつくことができるのか!?もうすぐ坂を上り終わるぞ!》
《初めての位置取りと早仕掛けが心配されましたが、その気持ちが吹き飛ぶほどの見事な走りですね。後続は……ッ!これは!?》
《?どうされましたか……っとぉ!?これは……ッ!スペシャルウィーク!スペシャルウィークだ!後方からスペシャルウィークが物凄い脚で上がってきた!先頭エルコンドルパサーとの差をグングン詰めていく!これは物凄い脚!一気に並んで……ッ!?並ばない並ばない並ばせない!スペシャルウィークがエルコンドルパサーを一気に躱した!残り200mを切って先頭はスペシャルウィークだ!》
もう目に見えて変わりましたね。スぺちゃんの走りが、明らかに変わりました。何より、スぺちゃんはさっきの苦しい表情から一転して今度は楽しそうに走っています。
……ふむ。
”良いじゃねぇか棒立ち娘ぇ……ッ!そうだ、それでこそ喰いがいがあるってもんだよなぁ!”
もう一人の私が昂っていますね。
”面白れぇレースになればそれでいい。だが、ここまで面白くなるとはなぁ!”
まぁ、気持ちは分からなくもないです。
”踏み入れたか、棒立ち娘ぇ!”
スぺちゃんが、
「限界……ッ!超えやがった!」
「スペちゃぁぁぁぁん!」
「「スぺせんぱーい!頑張ってくださぁぁぁい!」」
「後もう少しだよー!頑張れー!スぺちゃーん!」
「ぶちかませェェェェ!スペェェェェェ!」
「スペシャルウィークさん!頑張ってくださいまし!」
スピカのみんなの声援を聞きながら、私は呟きます。
「……これで、また1つ果実がなった。でも、まだ未成熟。まだまだ、成長の余地がある」
私の呟きは、この熱狂では誰にも聞こえることはなかったでしょう。ですが、まだですよもう一人の私。
”あぁ?どういう意味だ?”
「……果実は、もう1つ実をつけるかもしれない」
”おいおいマジか!?そいつは喰いがいがあるなぁおい!”
私の視線の先。そこにはエルがいます。さて、どうスぺちゃんに対抗しますか?
信じられません。もう、誰もエルに追いつけないと思っていました。後はこのまま前を走る幻影に追いつくだけ。そう思って、いました。……けど。
(いつの間に……来たんデスか!?スぺちゃん!)
いつの間にか上がってきていたスぺちゃんに、エルは追い抜かれてしまいました。
……いえ!まだです!まだ、まだ負けてない!ここから挽回すれば……ッ!そう思い、必死に脚を動かします!だけど。
(ッ、全然追いつけない!?なんで、どうして!?)
スぺちゃんとの差は一向に縮まりません。残り100mに差し掛かろうとしています。このままだとエルは負ける。負けたら……どうなる?
分からない。けど、トレーナーに怒られることは確実だ。勝手なことばかりしてきたから。ファントム先輩に追いつくためにと言って、無茶なトレーニングを積んだから。それに、作戦だって無視した。ファントム先輩を想定した位置取りをして、結果この様だ。スぺちゃんに追いつけずに終わる。
何がファントム先輩に勝つだ。こんな様で、勝てるわけがない。もういい。なんだか疲れてしまった。
(きっと、グラスも怒るでしょうね……。こんな走りを見せちゃったら……)
差は縮まらない。スタミナも空っぽだ。脚も残ってない。このまま、諦め……
……られる、わけ、ないだろ!
もう100mしかない?違う!
(まだ、100mもある!それだけあれば、この程度の差、挽回できます!)
スタミナはもう残ってない?違う!
(身体からかき集めれば、100mを全力で走れるだけのスタミナはある!そうでしょう?アタシ!)
脚は残ってない?違う!
(勝手に限界を作ってんじゃありません、アタシの思考!まだまだイケるはずデス!)
ファントム先輩に勝つ?違う!今はそんなことどうでもいい!今アタシが勝つべきなのは……エルコンドルパサーが戦うべきなのは!
「勝負デェェェェェェス!スぺちゃん!」
スぺちゃん!あなたです!
その時です。エルの景色が一変しました。東京レース場じゃない、どこか別の場所。不思議な、懐かしさを感じる場所。ここはどこだろう?そう疑問を抱く前に、エルの視界に何かが映ります。
……間違いありません!あれは、マンボ!エルが寮長に内緒で飼ってる、エルの相棒!どうしてこんなところに!?いえ、それよりも……!
(さっきまで感じてた疲れが嘘みたいに身体が軽い!これなら、行けます!)
そう思うと、マンボはエルを先導するように飛んでいました。えぇ、分かりますよ、マンボ!あなたが示すその道が……ッ!
「ワタシの……ッ!ビクトリーロードデスね!」
残り100m!スぺちゃんとの差を縮めます!そして、完全に並びました!
「さぁ!決着をつけましょう、スぺちゃん!」
「望むところだよ、エルちゃん!」
不安な気持ちはどこかへいきました!あるのは、勝ちたいって気持ちと楽しいって気持ちだけ!さぁ!最後に勝って笑うのは……
「私だよ!」「エルでーす!」
《残り200を切って先頭はスペシャルウィーク!エルコンドルパサーちょっと厳しいか!?エルコンドルパサー必死に粘るが追いつけない!エルコンドルパサーはここまでか!?》
《これだけの末脚を隠し持っているとは……ッ!スペシャルウィーク、見事という他ないでしょう!ですが……ッ!やはりエルコンドルパサーもここでは終わりませんね!》
《おぉっと!?エルコンドルパサーが息を吹き返す!エルコンドルパサーが最後の根性を見せる!エルコンドルパサーが今度は逆に差し返す!エルコンドルパサーがスペシャルウィークを内から差し返す!しかしスペシャルウィークも負けじと粘る!スペシャルウィークが外からエルコンドルパサーを躱す!残り100m!これは接戦だ!大接戦だ!どちらが勝つのか全く分かりません!》
《いやはや……ッ!どっちが勝っても全くおかしくありません!》
《内のエルコンドルパサーか!?外のスペシャルウィークか!?どっちが勝つのか!どちらに軍配が上がるのか!?内か!?外か!?ゴールは目前だ!横並び!完全な横並びでエルコンドルパサーとスペシャルウィークの2人が突っ込んでくる!どっちだ!どっちだ!?どっちだぁぁぁぁぁぁぁ!?そして今、並んでゴォォォォルイィィィィィン!》
勝利の女神は誰に微笑むか?