エルさんが帰った後の、旧理科準備室は、沈黙が支配していました。その原因は、エルさんから聞いた、ファントムさんの
「例外なく強迫性障害を発症させるような代物だから覚悟はしていたが……エル君の言っていることが本当ならば、凄まじい
「ファントム、さん……」
《にわかには、信じ難いわね。ファントムの走る景色が、そんなに恐ろしいものだなんて……》
「普段のファントムさんからは想像もつきませんねぇ」
「……まぁ、2着の子達が辞めていった原因は分かった。ファントム君の
次の、話?なんでしょうか?
「スズカ君。次は君だ」
《私?何を話せばいいのかしら?》
「君は天皇賞でファントム君と競り合っていただろう?それに、なにやら言い合っているようにも見えた。その時の会話を教えてくれないか?」
《……そうね。分かったわ》
スズカさんは一呼吸置いた後、続けます。
《私とファントムはレースの最初の方から競り合っていたわ。正直、レース前から違和感を抱いていたのだけれど……走っていくうちに、疑惑が確信に変わった。この子はファントムじゃないって》
「それは、どうしてですか?」
《ファントムの走りは、普段のあの子からは想像もできないほど傲慢な走りだったの。出走しているウマ娘全てを見下しているかのような、そんな走りをしていたわ》
全てのウマ娘を見下しているような。ファントムさんからは、想像もできないでしょう。でも、私が知っている、もう一人のファントムさんなら……。
”あの野郎ならそう走るだろうね。自分以外のウマ娘を塵と呼ぶような奴だ、傲慢な走りも頷ける”
そして、レース中のファントムさんは、人が変わったような雰囲気になる。つまり、レース中は、常にもう一人のファントムさんが走っているのでしょうか?
「ふむ……カフェから聞いているもう一人のファントム君ならば、そう走るのも頷けるだろう。傲慢なウマ娘らしいからねぇ」
《そうね。その時の私はもう一人のファントムの存在を知らなかった。だから尋ねたの。あなたは誰?って。ファントムじゃない、あなたは誰って》
「そ、それで。ファントムさんはなんて言ったんですか?」
デジタルさんの質問に、スズカさんは少しの沈黙の後答えます。
《……自分がファントムじゃないのはあながち間違いじゃない、元々自分とファントムは違う存在だと、そう言っていたわ》
「成程。つまり、これで解離性同一性障害の線は消えた……ということか。他ならぬ本人が言っているわけだからね」
「……もう一人のファントムさんが、嘘をついている可能性は?」
《それはないわ。私に嘘をつくメリットがないし、何より本人がこれは嘘じゃないと言っていたもの。だから、もう一人のファントムがファントムじゃないのは本当のことだと思うわ》
もう一人のファントムさんと、ファントムさんは別の存在……ですか。それならば、私が見たあの光景も、納得がいきます。2人の髪色が違っていた、その理由も。
「と、なると……もう一人のファントム君の正体だが。……さすがにまだ情報が少ないからねぇ。判断がつけられない……」
「その、もう一人のファントムさんについてですが……」
私は、覚悟を決めて話すことにしました。ファントムさんがフードを脱いだ時に見えた、あの光景を。
「どうしたんだいカフェ?」
「いえ、ファントムさんがフードを脱いだ時に見えた光景について、話しておこうと思いまして」
「あぁ。そう言えばカフェは呆然としていたねぇ。あれからずっと気になっていたんだが……ようやく話してくれるのかい?」
「はい。……実は、ファントムさんがフードを脱いだ時に、もう一人のファントムさんのフードも脱げたんです。私は、てっきり同じ髪色をしていると、思っていました。けど……」
「違ったのかい?」
「……はい。実際に走っているファントムさんの髪色は、赤黒い色。もう一人のファントムさんの髪色は、青白い色をしていました。ファントムさん自身の口から、2人はそっくりだという話を聞いたのに、これは、おかしくないでしょうか?」
タキオンさんは、思考しているのか、黙り込んでいます。
《髪色は含まないとか、そんなオチじゃなくて?》
「ファントムさんは、見た目が瓜二つとまで言い切るほどです。それは、ないと思います」
「……確かに、それは気になるねぇ」
《何がかしら?タキオン》
スズカさんの疑問に、タキオンさんが答えます。
「ファントム君はカフェの言う通り、自分ともう一人のファントム君が瓜二つとまで言い切っていた。見た目は自分にそっくりだとね。なのに、髪色が違うなんていう見分けやすい要素に気づかないなんてことはあるだろうか?」
《それは……確かにそうね。でも、割と気づかないものじゃないかしら?特にファントムに関しては、フードを被っているわけだし》
「さすがに小さい時から常にフードを被っていたわけでもないだろう?気づかないなんてことはないはずだ。自分の髪色なんて、それこそ鏡でも見れば済むぐらい見分けるのは簡単なのだから」
「……とにかく、ファントムさんに、聞いてみる必要があるでしょう。何故、お2人の髪色が違うのか、その理由を」
「もしかしたら、3人目のファントム君がいるかもしれないねぇ。ファントム君も認知していない、3人目の存在が」
もう一人のファントムさんに対する、考察を進めていると、遠慮がちにデジタルさんが手を上げました。どうしたのでしょうか?
「あ、あにょお……先程から、なにやらファントムさんが複数人いらっしゃるみたいな会話をしてますけどぉ……どういうことです?もしかして、デジたんが知らないだけで一般常識だったりしますか?」
「「……あっ」」
《そういえば、説明するのを忘れていたわね……》
……色々と疑問は出てきましたが、とりあえずデジタルさんにファントムさんのことについて説明することにしました。
「なるほど……つまり、ファントムさんには幽霊のようにつき纏っているもう一人のファントムさんなる人物がいると。そういうことですか?」
「大雑把に言えばそうなるねぇ」
軽い説明をして、デジタルさんは納得したように頷いています。
「ふむふむ。では、あのお話もしておくべきでしょうか?」
《あのお話?》
「あ、はい。実はファントムさんってフクキタルさんの占いの常連客なんですよ。なのでしょっちゅうフクキタルさんの占いのところにいるんですけど……実は、ひと悶着起こしたことがありまして」
「フクキタル君の占いの常連客……にわかには信じがたいねぇ」
《本当のことよタキオン。フクキタルも言っていたわ》
それは、なんというか、珍しいですね。
「ひと悶着、とは?」
「あ、はい。フクキタルさんがファントムさんには悪霊が憑いているーなんて言ったことがあるんですよ」
「それだけかい?別に当たらずとも遠からずだろう?」
「そ、それがですねぇ……ファントムさん、そう言ったフクキタルさんの胸倉を掴んだらしいんですよ。温厚なファントムさんが怒りを滲ませていたので、凄く珍しいなって」
《あのファントムが?……ちょっと、信じられないわね》
「で、でもファントムさん本人も予想外の行動だったみたいで。少し固まった後すぐに離してフクキタルさんに土下座していましたよ。もの凄い焦った様子で。だから、ファントムさんの前でそのもう一人のファントムさん?を悪霊呼ばわりするのは止めた方がよろしいかと」
……謎が深まりますね。ファントムさんにとってのNGワード、なのでしょうか?
《……じゃあ、もう一人のファントムが言っていたことも本当のことなのかしら》
「ん?どういうことだい?スズカ君」
《もう一人のファントムが言っていたの。自分にはある目的があるって。その目的に、ファントムは自分の意思で協力しているって言っていたわ》
”あんな奴の目的に!?絶対ろくでもないことじゃん!なんであんないい子が協力してるのさ!?”
ファントムさんが、もう一人のファントムさんの目的に協力している?それも、自分の意思で?その目的が、何なのかは分かりません。ですが……。
「もう一人のファントムさんの性格的に、良くない事なのは、間違いないですね」
《そうね。私もそう思ってる。だから、余計に不思議なの。そんな計画に、どうしてファントムが協力しているのか》
「も、もう一人のファントムさんってそんな酷い人物なんですか?デジたんはちょっとしかお話聞いてないので分からないんですけど」
「傲慢不遜、自分以外のウマ娘を塵と呼ぶ、あまつさえトレーナーさえも凡愚と吐き捨てているらしい。そんなウマ娘が立てる計画が、良いものだと思うかい?デジタル君」
「あ、スゥー」
デジタルさんは、察したのか、それ以上は何も言いませんでした。それが、正解だと思います。
《それにしても……謎は深まるばかりね》
「そうだねぇ……。ファントム君ともう一人のファントム君の髪色が違う理由、ファントム君の
「……そういえば、デジタルさんに聞きたいことが」
「ヒュ、な、何でしょうか!?デジたんに聞きたいことがあれば何なりと!」
別に、そう難しいことではありません。
「ファントムさんが、1人でボランティア活動をされていると、話していましたね?」
「へ?あ、あぁそうですね。基本ファントムさん1人でボランティア活動をして、集めたものをたづなさんが回収して運営に渡している感じです」
「それは、どうしてですか?ファントムさんは、嫌われているんですか?」
私の疑問に、デジタルさんは勢いよく首を横に振ります。
「いいいい、いえいえ!そんな滅相もない!運営の人はむしろファントムさんのおかげでボランティアの人手が増えて大助かりしていると言ってましたよ!」
《じゃあ、どうして1人でやっているのかしら?》
デジタルさんは、少し言いにくそうにした後、答えます。
「どうもみなさん、接し方が分からないみたいでしてぇ……。そんな空気を察したのか、ファントムさんが進んで1人でやるようになったんですよぉ……。だから別に、嫌われてるとかではないです」
接し方が、分からない……ですか。それは、なんとも言えませんね。ボランティアに参加している人達が悪いとも、言えませんし。
「まぁ、その話は今は置いておこう。デジタル君、私からも君に尋ねておきたいことがある」
「ななな、なんでしょうか!?」
「これまでの話を聞いて、ファントム君の調査に協力する気はあるかい?勿論、協力しないという選択肢もある。それは君の自由だ」
「う、う~ん……」
デジタルさんは、悩んでいます。少しの時間、悩んだ後、結論が出たのか、デジタルさんは答えます。
「……乗りかかった船です。不肖このアグネスデジタル、ファントムさんの調査にご協力しますよ!」
デジタルさんがそう答えると、タキオンさんはデジタルさんの手を掴んで感謝していました。それを受けて、デジタルさんは奇声を上げます。
「いやぁ助かるよ!君の情報収集能力があれば百人力だ!頼りにしているよ、デジタル君!」
「ああああぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁ!!タキオンしゃんのおててがあたしの手をぉぉぉぉぉぉ!や、柔らかい!いいにおいする!こ、こんなのぉ……ッ!アフゥン」
《デジタル、倒れたわね……》
まぁ、デジタルさんには刺激が強かったのでしょう。合掌です。あ、なんかデジタルさんっぽい霊が見えますね。
”あ、あれ!?カフェさんが2人!?”
「……その子は、私のお友だちです」
……その後。なんとか復活したデジタルさんは今まで以上にファントムさんの聞き込みを強化すると宣言して去っていきました。足早に。
スズカさんも、そろそろ誰かがお見舞いに来るだろうからと通話を切り、私とタキオンさんも、旧理科準備室を後にしました。それにしても、謎は深まるばかりですね。いつか、あなたの全てを知る時が来るのでしょうか?ファントムさん。
カフェ達がファントムのことについて話している、同時刻の理事長室。理事長秘書である駿川たづなは秋川やよい理事長に尋ねる。
「理事長、少しよろしいでしょうか?」
「問題なしッ!どうしたのだ、たづなよ?」
「……最近、ファントムさんを調べ回っている生徒達がいることをご存じでしょうか?」
「熟知ッ!アグネスタキオン、並びにそれを中心とした生徒達のことだなッ!無論ッ、把握している!」
「どう対応されますか?」
駿川たづなは、鋭い目つきで秋川やよいに問いかける。秋川やよいは、しばしの間考える素振りを見せた後、結論を出した。
「……黙認ッ。今はまだ泳がせておこう。だが、時と場合によっては」
「……警告なさると」
「肯定ッ。そして、見極める必要あるだろう」
秋川やよいは、窓からの景色を見下ろしながら続ける。
「彼女達がファントム君の仮面の下の真実を知って、ファントム君とどう接するのかを。それ次第で、我々の出方は変わるッ」
「……承知しました。それでは、そのようにいたします」
「頼んだぞッ!たづなよ!」
そんな会話が、繰り広げられていた。
今話で出てきた謎
・ファントムの領域
・青白い髪をしたファントムの正体
・ファントムともう一人のファントムの関係性、並びに2人の目的
・ファントムがもう一人のファントムに協力する理由
・ファントムにとってのNGワード?〈悪霊〉
・理事長達はファントムの謎について知っている?知った上で隠そうとしている?
今までの謎
・経歴や素性、過去のこと(一切不明)
・仮面の下の素顔
……謎が増えまくってる。そしてファントム以外からの信頼度が0のもう一人のファントムであった。