「お願いがあります、ファントム先輩。いつも以上に厳しいトレーニングを積ませてください。宝塚記念で、スペちゃんに勝利するために」
「……Why?」
春の天皇賞が終わってから時が経って、現在宝塚記念まで1ヶ月を切りましたよっと。私はブルボン達と一緒に自主トレをしようと思っていたのですが。突然グラスからそう言われました。とんでもない覇気を添えて。背後に阿修羅が見えそうです。一体何があったんだってばよ。
「次の宝塚記念……負けるわけにはいかなくなりました。特に、スペちゃんだけには」
スペちゃんに対する敵意が半端じゃないですね。
「……一体全体、何があったの?とりあえず、理由を聞かせて」
「も、申し訳ありません!私としたことが……気持ちばかりが急きすぎて」
グラスは恥ずかしさからか頬を赤らめています。可愛いですけどさっきの物々しい雰囲気が忘れられません。よっぽどのことがあったのでしょう。
「実は……」
そう前置きをして、グラスは何があったのかを語ってくれました。
京王杯で無事勝利を収めて、私は宝塚記念へと出走することになりました。その時、興奮していたのを覚えています。
スペちゃん。私達の世代のダービーウマ娘。そんな強い子と闘える日が来た。私にとって対戦を待ち望んでいた相手。そう思うと、胸の高鳴りを抑えることができませんでした。
教室で、早速スペちゃんに宣戦布告をしたのを覚えています。
『スペちゃん、少しいいですか?』
『どうしたの?グラスちゃん』
『スペちゃんは、今度の宝塚記念に出走するんですよね?』
『うん!スズカさんが勝ったレース……、絶対に勝つんだ!』
その時は、闘志十分に感じられたので私も思わず笑みを零したんです。
『フフッ、私も宝塚記念に出走することとなりました。それでは、正々堂々勝負をしましょう?スペちゃん』
『私、負けないよ!……あ、ゴメン、グラスちゃん!私スズカさんのリハビリに付き合わなきゃだから!』
そう言ってスペちゃんは去っていきました。私の胸に少しのもやもやを残して。
『なんでしょう……?スペちゃん、少し様子が……』
その時は気のせいだと思っていました。スペちゃんも絶対勝つと意気込んでいましたので。きっと宝塚記念のことを見ているのだと。そう思っていました。
でも、それからもしばらく、スペちゃんはスズカ先輩のリハビリに良く付き合うようになりました。そして、その姿を見る度に私の中でもやもやは大きくなっていきました。
『……というわけなんだけど、エルはどう思う?』
電話の向こう、エルはすでに海外のレースに出ているので日本にはいません。ただ、向こうの始動戦であるイスパーン賞では無事勝利を収めたみたいで賛辞の言葉を贈りました。
電話の向こうでエルは大笑いしていました。笑い事ではないのですが。
『それ、多分グラスは敵じゃないと思われてるんじゃないデスか?だって、スズカ先輩のリハビリに付き合うぐらいには余裕があるってことだと思いますし』
『……やっぱり、そう思いますか?』
『まぁスペちゃんの性格的にそれはあり得ませんけど。少なくともスペちゃんは宝塚記念の練習とスズカ先輩のリハビリ両方を頑張ってるんデスよね?だったら、それなりに余裕があるってことじゃないデスか?他のことに目を向けているわけデスし。まぁ、スペちゃんのことだからただスズカ先輩の力になりたいってだけかもしれませんけどね』
確かに、そうかもしれませんね。
『……では、何故私のもやもやはおさまらないのでしょうか?』
『多分デスけど、グラスはスペちゃんの眼中にないってことが気に食わないんじゃないデスか?』
『……そんなことはありません』
『えぇ~?本当デスか~?グラスは負けず嫌いデスし、当たっている気がしますけどねぇ。まぁ、大きいレースで勝てば嫌でも眼中に入るんじゃないデスか?確かもう少しで安田記念でしたよね?』
『そうですね。ファントム先輩からも師事をいただいていることだし、勝利を収めてみせましょう』
『……ファントム先輩が師匠のグラスとか恐ろしさがMAXデスね』
『エ~ル~?どういう意味ですか~?』
『ケッ!?そ、それじゃあエルはこの辺で失礼するデース!』
そうしてエルとの電話は終えました。終わった頃には、もやもやも少しは晴れていたんです。そうだ、安田記念を勝てばスペちゃんも少しは私を見てくれるかもしれない。そう思って私はより一層気合を入れました。
ですが、それは大きな間違いだったと気づかされました。
無事に安田記念で勝利を収めて、私は少しは変わるかもしれないと思ってスペちゃんの様子を観察していたんです。ですが……。
『ゴメン!これからスズカさんのリハビリに付き合わなきゃだから!』
『スズカさんのところに行かなきゃいけないからしばらくランチは一緒にできないんだ、ごめんねみんな!』
『フムフム……あっ!これスズカさんのリハビリに役立ちそうです!』
教室ではリハビリの本を読み漁り、いつでもどこでもスズカさんと一緒にいる姿を見かけます。いつもだったら、微笑ましいで済まされるのですが……。
『宝塚記念……もう、1ヶ月もありませんが……』
まるで、宝塚記念のことを少しも考えていないように見えて、ちっとも微笑ましく思えませんでした。
それは、練習でも一緒らしく。たまにスピカの練習をファントム先輩経由で教えてもらっていたのですが……。
『……スペちゃん?あぁ、まあ練習頑張ってるんじゃない?スズカにべったりだけど』
『そう……ですか……』
『……そうだ。グラス、安田記念勝利おめでとう。頑張ったね』
そうしてファントム先輩は私の頭を撫でてくれました。私は嬉しさを隠し切ることができず耳と尻尾を忙しなく動かしていたのを覚えています。……ちょっと余計な情報が混ざりましたね。
そして、決定的だったのはスズカ先輩とのランチに無理矢理ついていった時。
『スズカさん!宝塚記念の間は少しお世話できませんけど、帰ってきたらまた一緒にトレーニングしましょうね!』
私は、我慢できずについ言ってしまったんです。
『……私、一応安田記念を勝ったんですけど』
私の言葉に、スペちゃんは驚いた表情を浮かべていました。……え?もしかして、知らなかった?
『本当!?おめでとうグラスちゃん!』
仮にも対戦相手。その相手の前走がどうなったかを知らないなんて……。私は、急激に心が冷え込んでいるのを感じました。そして、痛感したんです。
あぁ、私はこの子の眼中にないのだと。取るに足らない相手だと、そう思われているのだと
……何たる傲慢、何たる不遜。しかし、それを表に出すわけにはいきません。
それでもと、念のために聞いてみたんです。宝塚記念のことを。
『あの、スペちゃん?スペちゃんは、宝塚記念のこと考えてますよね?』
その質問に、スペちゃんはキョトンとした表情を浮かべていました。
『へ?勿論考えてるよ!去年のスズカさんみたいに、カッコよく走るんだ!』
『……』
その答えを聞いた瞬間、私の心は氷点下まで下がりました。次いで、烈火のごとく燃え盛ります。心の中に湧き上がるこの感情は、間違えようがないでしょう。
怒り。目の前の勝負を見ていない怒り、敵だと思われていない怒り、他の出走者すら見ていないことに対する怒り、どこまでも浮ついたその態度に対する怒り、そして何より……ここまできてもまだスズカ先輩のことを案じる余裕すら見せていることに対する、怒り。
ですが、頭は極めて冷静でした。考えることはただ1つ。スペちゃん、あなたを次の宝塚記念で……
「切り伏せる。そう心に誓いました」
「「「……」」」
「大きなレースを前にあの余裕……スペちゃんは、余程の強さを身につけているのでしょう。なので、私も後れを取るわけにはいきません。ファントム先輩、今以上のトレーニングをお願いします」
「……ちょっと、整理させて」
「?はい」
私は溜息を吐いて、心の中で愚痴ります。
(ここまでいってると、いよいよ救いようがありませんねぇ……)
そりゃあグラスだってぶち切れますよ。だって宝塚記念まで後1ヶ月もありませんよ?そんな時期なのに、いまだにスズカのリハビリにべったりなうえスズカの身を案じる余裕すらあるんですから。加えて、宝塚記念をスズカのようにカッコよく走りたい?
「……出走している子達をバカにしているようにしか思えない」
”実際バカにしてんだろ。あの塵に勝ちたいとか、この塵には負けたくないとかならともかく……憧れの人みたいに走りたいって。ガキかアイツは”
しかも、仮にも出走相手の前走がどうだったかすら知らないってどうなんです?普通調べるでしょうよこの時期なら。どこまで浮ついてんですかスペちゃん。アンタって子は。
「正直に白状すると、私はスペちゃんが羨ましかったんです。私はお世辞にも身体が頑丈とは言えませんから……身体が頑丈なスペちゃんが羨ましかった」
まぁ確かにスペちゃんは大きな怪我をしていませんね。
「怪我もあってスペちゃんとの対戦機会に中々恵まれず……今度の宝塚記念で、やっとそれが叶ったんです。なのに……」
「ステータス『憐憫』。肝心のスペシャルウィークさんはグラスさんを見ていないと」
「それはちょっと……可哀想だね」
ブルボン達もグラスに同調しています。いやまぁ、そりゃそうですよとしか。対戦を待ち望んでいたライバルがいたのにそのライバルは出走すらしていないウマ娘のことを考えているんですから。もうね、グラスが不憫でなりません。よよよ。
「それで、どうでしょうか?ファントム先輩。厳しいトレーニング……してくださいますか?」
「……正直に言っていい?」
「はい。覚悟はできています」
そうですか。では遠慮なく言いましょう。
「……このままいっても、グラスが普通に勝つよ。だって、スペちゃんあんまり成長してないし」
私がそう言った瞬間、グラスの圧が増しました。表情こそ笑顔ですけど、圧がヤバいですね。分かることはただ1つ、滅茶苦茶怒ってるということ。
「それは、どういう意味ですか?まさかスペちゃん、私なら練習しなくても勝てるとでも?」
「……普通に練習はしてるよ。でも、成長速度的にはグラスの方が圧倒的に上。加えてスペちゃんはスズカのリハビリに付きっきり。練習もグラスに比べたら全然だよ」
「……あらあら、そうなのですか。フフフッ」
ヤバいですね。グラス山が大噴火起こしそうです。近隣住民は避難のご用意を。
「……そして、現在もその状況は変わらず」
「……」
グラスの目が据わりましたね。
「……ファントム先輩は、スペちゃんが宝塚記念をどう考えていると思われますか?」
……言いたくないですけど、正直にぶっちゃけますか。
「……強いていうなら、スズカみたいに走りたいって考えてると思うよ。対戦相手のことを考えずに」
「……ッ!」
あ、噴火しましたね。完全にキレてるのが目に見えて分かります。あまりの覇気にブルボン達は震えてますよ。修羅でも顕現しました?ってぐらいにオーラがヤバいですね。
「目の前の勝負を蔑ろにするその姿勢……ッ、到底許される所業ではありません……ッ!目の前の相手も見ずに、勝利を掴めるはずがあろうものかッ!ましてや、憧れの人物のように走ろうなど不届き千万ッ!」
「ステータス『恐怖』。ガクガクブルブル」
「ぐ、グラスさん怖いよぉ……」
「……そう思うなら、グラスが成敗してあげれば?私も手伝うし」
「……よろしいのですか?仮にも、チームの後輩のはずですが」
「……別に。今のスペちゃんは、ちょっと痛い目を見ないと分からないから。私とスズカの助言もあんまり響いてないみたいだし」
あ、しまった。思わず口を滑らして……。
「……ほう?ファントム先輩のみならず、スズカ先輩の助言すら聞き流すとは」
……やっちゃたZE。
その日は怒りに燃えるグラスを宥めるのに必死でした。いやぁ、口は災いの元って本当ですねぇ。
ちゃっかり安田記念を勝ってるグラスとイスパーン賞を勝ってるエルであった。