……これは、言葉も出ないな。まさかこれほどの圧勝になるとは。驚天動地とはこのことだろう。
「コングラチュレーションデース!グラース!」
「凄いわね~。まさかこれほどの差をつけて勝つなんて。お姉さんビックリしちゃったわ」
そんな祝福の言葉をグラスワンダーに送っているリギルのメンバーを尻目に、私は人ごみをかき分けてあるウマ娘のもとへと向かう。彼女が所属しているチームは、最前列で応援しているので見つけることは容易だった。
「少しいいかな?ファントム」
「……ルドルフ?どうしたの?」
目的の人物、いつものようにお面とパーカーのフードで自身の顔を隠したウマ娘、ファントムはこちらに向き直った。
「カイチョー!」
テイオーが私を見るなり嬉しそうな表情を浮かべる。慕われていることへの嬉しさ、可愛い後輩の姿に思わず喜色満面の表情を浮かべそうになるが、私は必死に我慢する。
「どうしたの?ファントムに用事?」
「あぁ、聞きたいことがあってね。構わないかい?ファントム」
「……いいよ」
「ありがとう。それでは、早速聞かせてもらおうか」
私は一拍おいて尋ねる。
「グラスワンダーがスペシャルウィークに対して使ったあの技術……アレを教えたのは君だね?」
「……そうだよ。驚いた?」
「驚いた、で済まされるものではないね。まさか、あれほどの効果を発揮するとは。とは言っても……」
「……私もあれほど効くとは思わなかったよ。それだけ、スペちゃんの状態はよろしくなかったってこと」
それはそうだろう。アレは本来、
「ねーねー、カイチョー。アレって何?」
「うん?そうか、テイオー達は知らないのか。アレというのはグラスワンダーがやったある技術のことさ」
「グラスがやった技術?なんかやったのかアイツ?」
「そうだゴールドシップ。グラスワンダーは、スペシャルウィークが
正式な名称があるわけじゃないが……ファントムは確か、
だが、この技術自体はかなり難しい。相手が
「
メジロマックイーンが驚愕の表情を浮かべている。
「そうだ。スペシャルウィークは
「そ、そうだったんですね……」
「君達も、頭の片隅に留めておくといい。有効な手であることは間違いないし、知っていれば対策も容易になる。難易度はかなり高いが……覚えておいて損な技術ではない」
私は、ターフの上で膝をついて項垂れているスペシャルウィークへと視線を向けながら呟く。
「……ここからが試練の時だぞ、スペシャルウィーク」
そう、呟いた。
私は、ターフの上で膝をついて項垂れています。思うのは、今日のレースのこと。
(負けた……。それも、完敗なんてレベルじゃないくらいに……)
大敗、惨敗と呼んでもいいぐらいに負けた。グラスちゃんに、他のみんなに。
(スズカさんに合わせる顔がないよぉ……)
そう思っていると、誰かが私に近づいてくるのが足音で分かりました。私は、顔を上げます。
「スペちゃん」
足音の正体は、グラスちゃんでした。グラスちゃんは、厳しい表情で私を見ています。その表情に、あまりの覇気に私は思わず後ずさりしてしまいます。
少しの沈黙。それを破ったのは、グラスちゃんの言葉。その言葉には、色々な感情が乗っている気がしました。
「スペちゃん。あなたは、どんな気持ちでこのレースを走っていましたか?」
怒り
「あなたは、何を考えてこのレースを走っていましたか?」
失望
「あなたは、どんな風に走っていましたか?」
悲しみ
「あなたは、どれほどの思いでこのレースを走っていましたか?」
憐れみ
「あなたの目に、私は映っていましたか?」
「あ……う……」
色々な感情がこもった言葉を、グラスちゃんは私に投げかけてきました。
「私はこの宝塚記念、絶対に勝つという気概で挑みました。負けたくない、1着でゴールしたい。それは、当然のことでしょう」
それは、私も同じだよグラスちゃん。私も、勝ちたかった。
「でも、それ以上に嬉しかったことがあったんです」
「嬉しかった……こと?」
グラスちゃんは、頷いて続けます。
「スペちゃん。あなたと走れることが、強いあなたと走れることが私は凄く嬉しかった。エルに勝ったあなたと走れることを楽しみにしていました。そして何より……いつも楽しそうに走るあなたと競う景色は……とても素晴らしいものだと思っていました」
私は、グラスちゃんの言葉に黙って耳を傾けます。
「私にとってスペちゃんは憧れでした。そんな憧れの子と一緒のレースで走れるとなって、全力で走るために私は自分が持ちうる全ての手段を使って、このレースへと臨みました」
そこまで言われて、私は気づきます。
「リギルの練習もいくらでも耐えれましたし、本来であればライバルチームであるファントム先輩への師事を受けることも、私には何の抵抗もありませんでした。その理由はただ1つです」
……私は、このレースで何をしていた?
「スペちゃん、あなたにこのレースで勝ちたかったからです。この大舞台であなたと競うために、あなたに万全な私をぶつけるために、そのために私は努力を重ねてきました」
何を考えてこのレースを走っていた……?
「全てはこの宝塚記念で……スペちゃん、あなたに勝つために私は研鑽を積み重ねました。……ですが、それはどうやら私だけだったみたいです」
こんなに、一生懸命な、全力でぶつかってきてくれた相手がいたのに……!
「今一度問いかけましょうスぺちゃん……
あなたの目に、私は映っていましたか?」
とんだ大バカ者じゃないか、私は……ッ!
怒られて当たり前だ。目の前の相手を見ずに、私はスズカさんのことしか考えてなかった。呆れられて当然だ。レース中もスズカさんのことしか考えてなかった。失望されて当然だ。スズカさんが勝ったから私もこのレースを勝ちたい、その程度の思いで私は走っていたのだから。
しかも、私はレースで負けて……何を考えていた?スズカさんに申し訳ない?バカも休み休み言ってほしい。
(グラスちゃんは……ッ、こんなにも一生懸命に私に向かってきてくれたのに……ッ!)
私は……スズカさんのことしか考えてなかった!
グラスちゃんだけじゃない、他の子だってそうだ。どんな理由があっても、このレースで勝つために全力を尽くしてきたに違いない。そんな時、私は何をしていた?
『ゴメン!これからスズカさんのリハビリに付き合わなきゃだから!』
『スズカさんのところに行かなきゃいけないからしばらくランチは一緒にできないんだ、ごめんねみんな!』
『フムフム……あっ!これスズカさんのリハビリに役立ちそうです!』
スズカさんの後をついて回って
『スペちゃんは宝塚記念を控えているでしょう?だから、私のリハビリに付き合うよりも自分の練習をした方がいいんじゃないかしら?』
『……スペちゃん、スズカのリハビリに付き合うのもいいけど、自分の練習も忘れないでね』
ファントムさんやスズカさんに忠告されても気にも留めないで、練習を疎かにして……ッ!負けて当たり前じゃないですかッ!
しかも、さっき私はなんて考えていた?私も、グラスちゃんと同じ?
(全然同じなんかじゃないッ!グラスちゃんはこんなに一生懸命だったのに、私は全然向き合えてなかった!グラスちゃんにも、他の子にも!)
今日私が走っていた相手はスズカさんじゃない、グラスちゃん達だ。対戦相手を見ずに、私はスズカさんのように勝ちたいとしか考えてなかった。憧れの人みたいに勝ちたい。そんな、子供のような考えで私は今日のレースを走っていた。
……自分のことながら呆れてしまう。そんな気持ちで、レースになんて勝てっこない。
「ふぐ、ぅ……ッ!う、うぅ……ッ!」
涙が止まらない。負けたことが悔しくて、自分自身が情けなくて、グラスちゃん達に申し訳なくて。涙が止まらなかった。私は、ターフの上で声を押し殺して泣く。
表情は見えないけど、グラスちゃんは私を見下ろしながら告げました。
「……次のレースで相まみえる時、その時は、今度こそ全力で勝負しに来てください。スペちゃん……私を、失望させないでくださいね」
そういいながら、グラスちゃんは歩いていきました。どんどん足音が遠ざかっていきます。
「うぅ……っ、うわ、ぁ……あぁ……ッ!」
私は、声を押し殺して泣くことが止めれませんでした。
学園の、寮へと戻ってきた私を出迎えたのは、スズカさんでした。
「スペちゃ……ッ!」
「……ただいまです、スズカさん」
いつもなら、きっと笑顔で挨拶をしていたと思います。でも、今の私には……そんな気力もないし、資格もないと思います。
スズカさんは、凄く驚いた表情をしている。当たり前かもしれません。今の私は、多分凄く酷い表情をしているでしょうから。
「……スペちゃん、ちょっと」
スズカさんの言葉を遮って、私は部屋に荷物だけおいて扉に手を掛けます。
「……ごめんなさい。今は、1人になりたいんです」
情けなさから、申し訳なさから。スズカさんから一刻も早く離れるために私は足早に部屋を飛び出します。
「ま、待って!スペちゃん!」
後ろからスズカさんの呼び止める声が聞こえてもお構いなしに、私は寮を飛び出しました。
走って、走って、走って。私は遠く離れた位置にある公園にたどり着きました。大樹のウロは、行く気になれなかった。叫ぶ気にもならなかったから。
公園のベンチに座って、私は今日のことを振り返ります。
「アハハ……。今思い返しても、酷かったな」
スズカさんのことしか考えてなくて
「こんな私じゃ、グラスちゃんに失望されて当たり前だよね……」
スズカさんのためにと走って
「スズカさんもきっと、幻滅してるよ……」
その結果、大惨敗を喫した。
終盤失速した理由も今なら分かる。
「レースに集中できていなかったから……」
ファントムさんやトレーナーさんにも前に言われたような気がする。勝負に置いてメンタルは重要な要素だって。メンタルの差が、勝負を左右することだってあるって言ってました。
「こんなメンタルじゃあ……負けて当たり前だよ……」
年明けから3連勝をして、驕っていた。春の天皇賞を勝って、天狗になっていた。宝塚記念もきっと勝てる。だから大丈夫。そんな、根拠もない自信を抱いていた。
……あぁ、ダメだ。また涙が出てきた。止めないと……止めないと。でも……
「ふぐ……、ぅう……。なんで、私は……ッ」
後悔したって、もう遅いのに。涙は、止まらない。
公園のベンチで1人泣いていると、誰かが近づいてくる足音がした。
「……スペちゃん?どうしたの?」
その人は、いつものようにお面をつけていて、フードを被っていて。夜ということも相まって、不審者にしか見えない格好をした人。でも、声で分かります。
「ファントム、さん……」
「……こんな夜に珍しいね、スペちゃん」
ファントムさんは、そういいました。
ファントムはスペちゃんになにを言う?