そのウマ娘、亡霊につき   作:カニ漁船

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覚醒の刻


夢見る少女が走る理由

《始まりましたジャパンカップ!2番人気スペシャルウィークは後方で展開を窺う形を取ります。3番人気モンジューと1番人気グラスワンダーはスペシャルウィークのさらに後方後ろから2人目モンジューその前3人目がグラスワンダーとなります。人気上位3人は後方でレースを展開する模様》

 

 

《グラスワンダーの位置取りは……宝塚記念と同じですね。スペシャルウィークこれは走りづらいでしょう》

 

 

《スペシャルウィークのすぐ後ろでレースを展開するグラスワンダー。これは宝塚記念の再現となるか?》

 

 

 

 

 私はチラリと後方を見ます。

 

 

(モンジューさんは私の後ろについている……。でも、なんというか走りづらそう?なんでだろう?)

 

 

 モンジューさん、レース前は調子良さそうだったのにレースが始まった途端なんだか苦しそうな表情を浮かべていました。あんまり詳しくは見えないですし、見る余裕もないんですけど……疲れた、というよりは見たくない何かを見ているような……そんな感じの表情です。や、やっぱり調子悪かったんでしょうか?

 ……ただ、問題はモンジューさんよりもグラスちゃんです。

 

 

(姿は見えない……多分、宝塚記念の時のように私の真後ろにいる。だって……ッ!)

 

 

 宝塚記念の時のようなプレッシャーを、私の真後ろから感じるから……ッ!加えて、私のペースと全く同じで走ってくるから凄く走りづらい!

 

 

(宝塚記念の時もそうだったけど、本当にキツい!)

 

 

 嫌でも意識せざるを得ませんし、何よりこちらの動きを全部把握されているように動いてくるのが凄く厄介です!体力も余分に消費しますし!

 

 

(でも、平常心平常心……。落ち着いて、対処することが大事。ここで私が取るべき行動は1つ、自分のペースを乱さないこと!)

 

 

 確かにグラスちゃんは私と全く同じペースで動いています。けど、だからといって自分のペースを乱して走ったらそれこそグラスちゃんの思うつぼ!ここは自分のペースを変えずにただ走ります!

 

 

(あの時のようにはいかないよ、グラスちゃん!)

 

 

 もうプレッシャーに飲まれたりしない!っとと、でもグラスちゃんだけじゃなくて他の子も注意しとかないとです。走る相手はグラスちゃん以外にもいますから。虚を突かれて負けるのももうこりごりです。……それにしても。私は後方を確認します。目に飛び込んできたのは、表情が強張っているように見えるモンジューさんの姿。

 

 

「ハァ……ハァ……ッ、Merde!(クソ!)」

 

 

(な、何があったんだろう?)

 

 

 勝負なので気にするのはご法度だと思うんだけど……やっぱり気になっちゃいます。まだ第1コーナーを曲がり終わろうかというところなのに、凄く苦しそう……。

 

 

「何があったんですか、モンジューさん……」

 

 

 私はそう呟いて、第2コーナーへと入っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《最初の1000mを通過しました。最初の1000mのタイムは1分台と平均ペース。上位人気ウマ娘は後方で脚を溜めている展開。それを見越してのこの平均ペースか?》

 

 

《スペシャルウィーク、グラスワンダーは言わずもがなモンジューもまた驚異的な末脚を保持していますからね。逃げウマ娘や先行集団からしたら差を広げておきたいところではないでしょうか?》

 

 

《そんなスペシャルウィーク達は変わらず後方で待機する姿勢を見せている。最後方2番手のモンジューはやや苦しそうか?脚色はまだまだ衰えている様子を見せていないことからスタミナ切れではなさそうです》

 

 

 

 

 ……成程、いい集中力ですねスペちゃん。やはり、宝塚記念の時のようにはいきませんか。わざと宝塚記念と同じ位置取り、同じ作戦を取っていたのですが……。

 

 

(揺さぶりもプレッシャーにもあまり動じた様子を見せずですか)

 

 

 まぁ宝塚記念の時のようにいくとは微塵も思っていませんでしたが。それはレース前のスペちゃんとの会話から分かっていたことです。

 だからといってプレッシャーを弱めるわけにはいきません。私自身の走りに影響の出ない範囲で徹底的に揺さぶり続けます。

 

 

(スペちゃんとモンジューさんの末脚は最重要で警戒すべきですから。2人とも私と互角……下手をすれば、私以上の爆発力を発揮することがあります。特に、スペちゃんは)

 

 

 モンジューさんもあのエルを最後には差し切ったのだからかなりの脚を持っている。だが、そのモンジューさんは……お世辞にも調子がいいとは言えない状態でした。

 私達は後方でレースを展開しています。だからこそ、モンジューさんも近くにいる。けど、そのモンジューさんの表情は……何故か強張っている。そして、その表情には少し見覚えがありました。

 

 

(秋の天皇賞で、エルがしていた表情とそっくり……。何かを過度に恐れている、自分にしか見えていないであろう景色に震えている。そんな表情です)

 

 

 そんなエルは最後の直線でとんでもない末脚を見せてファントム先輩に追いつこうとしていました。結果的に追いつくことはなかったものの、それでも凄い末脚だってことは記憶に新しいです。

 まさかスタミナ切れ?なんてことはないでしょう。だって、まだ1000mを通過したばかり。スタミナが切れるはずがありません。

 

 

(一体何があったのでしょうか?……いえ、敵の心配をしている場合ではありませんね)

 

 

 気にはなりますが、これは真剣勝負。手を抜くわけにはいきません。相手が不調だからと手を抜く行為は同じ競技者として最大級の侮辱ですから。相手も望んでいませんし、何より本気で走っている方々に対して失礼極まりない行為。故に、私は手を抜きません。

 

 

(このレースの最後まで私は私の走りを貫く……。どれほど強大な相手だったとしても……勝つのは私です!)

 

 

 全ては勝利を掴むために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今までこんな日もあった。だが、よりにもよって……ッ。

 

 

(今日がその日になるとはね。私は運に恵まれていないらしい)

 

 

 私の頭に響いてくるのは怨嗟の声。嘆きや悲しみ、そしてこちらを嘲るような、嘲笑しているような声が絶えず響いている。

 

 

”この調子で勝てるわけない”

 

 

”さっさと諦めなよ。いくら努力したってアイツには敵わない”

 

 

”君はもう終わったんだ。君は弱い、強いウマ娘なんかじゃない”

 

 

”凱旋門賞を制したかもしれないけど……それでも上には上がいるんだよ?”

 

 

”アイツがいる以上1着にはなれない。1着になれないのに走る意味なんてない”

 

 

”さっさとレースを中止しなよ。今なら負けて恥をかかずに済むよ?”

 

 

 走るのを諦めろ、勝てるわけがない。そんな声が絶えず響いている。鬱陶しいことこの上ない。だが、私は走るのを止めるつもりはない。

 

 

(私はこの日を楽しみにしていた。友であるエルコンドルパサーが教えてくれた、2人のウマ娘が出走しているこのレースを走る日を……凱旋門賞が終わって以来ずっと心待ちにしていた)

 

 

 凱旋門賞で私と熾烈なデッドヒートを繰り広げたエルコンドルパサー。彼女は強いウマ娘だ。最後の直線でアクシデントにさえ見舞われなければ、なんてことを考えてしまう。そんな彼女が教えてくれた自分と同じくらい強いと断言したウマ娘の内の2人。その2人と戦えるのだから、きっと……凱旋門賞同様忘れられないレースになるだろう。そう思っていた。

 

 

(これは、別の意味で忘れられないレースになりそうだがね……ッ!)

 

 

 私の遥か前方……先頭にはこのレースには出走していないはずのウマ娘が走っているように見える。フードを被った、あの亡霊だ。

 思わず追いつくために脚を使いそうになる。だが、それをすんでのところで思いとどまる。まだだ、まだこのタイミングじゃない。それに、こんなところで脚を使ったら、最後の直線で間違いなく失速する。

 

 

(ただでさえこの景色のせいで余計に消耗している。ここでロングスパートを仕掛けるのは得策じゃない)

 

 

 それにどこで勝負を仕掛けるかはすでに決めてある。だからこそ、強い意志を持って私は自分を律する。

 

 

”無駄な努力だね”

 

 

”どうあがいても勝てないのにね”

 

 

”無駄無駄。諦めなよ”

 

 

(……ッ)

 

 

 私は勝利を諦めない。私は欧州最強……あの凱旋門賞をも制したモンジューだ。世界最強の私なら、強い私ならば、この景色を振り払うことができる。できるはずだ。そう自分に強く言い聞かせる。

 

 

「Ça ne va pas dans ton sens, fantôme !(お前の思い通りにはいかないぞ、亡霊!)」

 

 

 気合を入れ直す。勝負は第3コーナーへと差し掛かろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《残り1000mを切ってまもなく第3コーナーへと差し掛かります!まだにらみ合いが続いている状態!果たして最初に仕掛け、均衡を破るのはどのウマ娘か!》

 

 

 ……ッ!仕掛けるなら、今!

 

 

「ッ!ここ!」

 

 

 私は勝負を仕掛けます!きっと、ここが勝負所!

 

 

 

 

《おぉっと!ここでスペシャルウィークが仕掛けた!スペシャルウィークが上がってくる!均衡を破ったのはスペシャルウィーク……》

 

 

 

 

 これは早仕掛け!でも……ッ!

 

 

「想定内です」

 

 

「……ッ!」

 

 

 ッ!やっぱり、モンジューさんとグラスちゃんには見透かされていた!

 

 

 

 

《そしてグラスワンダーとモンジューもスペシャルウィークが抜け出したのとほぼ同時!ほぼ同時に勝負を仕掛けた!やはりこの3人での争いになるかジャパンカップ!ひとつ、またひとつと順位を上げていっている!》

 

 

《しかしグラスワンダーもモンジューも見事ですね。まるでスペシャルウィークの抜け出すタイミングが完全に分かっていたのかというほど、同じタイミングでした》

 

 

《序盤からスペシャルウィークを徹底マークしていた2人!さぁスペシャルウィークどう対応するか!ケヤキを越えて、縦長に広がっていた集団が詰まってくる!横並び横並び!》

 

 

 

 

 私は必死に脚を動かします。けど……ッ!

 

 

(2人とも速い!このペースのままじゃ……追い抜かれる!)

 

 

 なら、ここは領域(ゾーン)を切ります!

 

 

「ッやぁぁぁぁぁ!」

 

 

 ダービーの時のような景色、私が自分の実力を、一番発揮できる舞台!自分の中の持てる力を全て使っていると実感できている……なのに!

 

 

(全然引き離せないッ!それどころか……どんどん差が縮まってきてる!?)

 

 

 グラスちゃんは私に追いついてきている!私の全力をもってしても、グラスちゃんはまだ追いつくことができる!

 

 

「それがあなたの全力ですか?スペちゃん。ならばこの勝負……私が貰いますッ!」

 

 

 それと同時、グラスちゃんが急加速して!?

 

 

(速い!?このままだと、追いつかれる!)

 

 

 

 

 

 

 

《残り400を切ろうとしている!ここでグラスワンダーがスペシャルウィークを追い上げる!スペシャルウィーク必死に粘る!しかしグラスワンダーがじりじりと差を詰めてきている!やはり怖い!やはりこのウマ娘は怖い不死鳥(グラスワンダー)!宝塚記念の再現となるか!?》

 

 

《モンジューは思ったように伸びてこないですね。やはり調子落ちしていたのでしょうか?》

 

 

 

 

 私は、また負けるんでしょうか?

 

 

(全力で走っている……、それを証明するようにダービーの時や集中している時に見えるあの夜空の草原が広がっている!自分でも、速いって実感できてる!なのに……ッ!)

 

 

 それでもグラスちゃんには届かない……ッ!気づけば、グラスちゃんは私に並んでいました。そして、グラスちゃんの呟きが聞こえました。

 

 

「……諦めるのであれば、それもまた良し。日本一の称号は……私がいただきます」

 

 

 ……ッ!日本一。お母ちゃんや、スピカのみなさんとした約束……ッ!

 

 

「……嫌だッ」

 

 

「……?」

 

 

「嫌だッ!私は……まだ諦めない!最後の一分一秒まで絶対に諦めない!私はもう……絶対に諦めない!」

 

 

「……フフッ!その心意気や良し!それでこそ、私が戦いたかったスペちゃんです!」

 

 

 けど、このままいったら間違いなく負ける!そんなのは嫌だ!日本一のウマ娘になるためにも……みんなの応援に答えるためにも!私は絶対に……ッ?

 

 

(みんなの……ため?)

 

 

 そう考えて、私はふと考えます。どうしてこんなに必死になって走っているのか?どうしてここまで負けたくないのか?その理由を。

 頭に思い浮かんだのは、あの日サニーさんと交わした会話。

 

 

『本当に辛い時、本当に苦しい時、強大なライバル達に立ち向かっている時……そんな時は考えていることを一度リセットしてみるの。頭を空っぽにして、その時一番最初に思い浮かんだものが……あなたの走る理由になるんじゃないかしら?』

 

 

(頭を、空っぽに……)

 

 

 考えていることをリセットする。そして、私の中に思い浮かんできたのは……。

 

 

(お母ちゃん……スピカのみんな……トレーナーさん……ファンのみなさんの、笑顔……)

 

 

 お母ちゃん達は、私に向かって応援の言葉を投げかけてくれます。

 

 

『けっぱれスペ!日本一のウマ娘になるんだよ!』

 

 

『勝手なことかもしれねぇが……俺に夢を見せてくれ、スペ!俺の、俺達の夢も背負って、楽しんで走ってこい!』

 

 

『スペちゃん頑張ってね!絶対絶対、1着取ってきてよ!』

 

 

『スペ先輩!カッケェレース、見せてくださいね!』

 

 

『スペ先輩が勝つところ、アタシ一番に見ますね!』

 

 

『ご武運を、スペシャルウィークさん。相手は強大ですが、それでもスペシャルウィークさんなら勝てると信じています。お任せしましたわ』

 

 

『気合で負けんじゃねーぞスペ!気合だー!』

 

 

『スペちゃん。自分を信じて、自分ができる最高の走りを見せてきて。そして、今度こそ一緒のレースで走りましょう?約束よ』

 

 

『頑張ってきてねスペちゃん。応援してるよ』

 

 

 そして、ファンの人達は今も私に応援の言葉をくれている。

 

 

「頑張れー!スペシャルウィーク!」

 

 

「頑張ってー!」

 

 

「俺達に夢を見せてくれー!」

 

 

 その応援の言葉を聞くと、胸がポカポカして……ッ!

 

 

(あぁ……そうか。そういうことだったんですね!)

 

 

 難しく考える必要はなかった!凄く、凄く単純なことだったんだ!私がどうして走るのか、どうして強くなりたいのか。それは、すっごくすっごく簡単なことだったんだ!

 

 

「はぁ……っはぁ……っ!」

 

 

「スペちゃ……!?」

 

 

 ファンの人達が私の勝利に夢を見てくれている!チームのみんなが私の勝利を信じている!トレーナーさんが私の勝利を願っている!お母ちゃんが、私が日本一のウマ娘になる姿を見たいと思っている!

 私の背中にはたくさんの願いや夢が集っている!誰かに期待されるのが、誰かのために走れるのが、私は凄く嬉しいんだ!

 

 

(ファントムさん見つけました!私が強くなりたい理由……走る理由!私は……!)

 

 

 私に期待してくれる、夢を見てくれる人達のために、みんなのために!私は、走ります!

 そうすると、景色に変化が訪れました。夜空から星が落ちてきて……そのひとつひとつが、私に集まってきてくれています。

 ひとつ、またひとつ集まるたびに身体からどんどん力が湧き上がる!これはきっと……みんなの夢!私という、スペシャルウィークというウマ娘に期待してくれて、夢を見てくれている人達の思い!その思いが、私の力になります!

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……ッ!」

 

 

 凄く苦しいはずなのに、凄く辛いはずなのに。どうしてでしょう……!

 

 

(走るのが、すっごく楽しい!)

 

 

 いつまでもこの感覚を味わいたい!お母ちゃん、トレーナーさん、スピカやファンのみなさん、そして、スズカさんッ!私は今、走るのが凄く楽しいです!




日本一の夢を見る少女から日本一の夢を見せる総大将へ

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