(どういうことですか……スペちゃん!)
最後の直線で私はスペちゃんに並びました。完全な横並び。ですがそれも時間の問題だと思っていました。
私の方が速い。だから、この横並びもすぐに終わる。そう思っていました。
(何故……何故そのような表情をしているのか……ッ!)
……ですが、ここにきてスペちゃんの様子が変わりました。先程以上に速くなっている!ですがそれ以上に……ッ!
(スペちゃん……!あなたは、この局面で……ッ!)
「何故笑っていられるのですか……ッ!?」
スペちゃんは、とても楽しそうに走っている。まるで走ることを初めて覚えた幼子のような無邪気な笑みをスペちゃんは浮かべていました。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
スペちゃんも限界以上の強さを発揮しているはず。なのに、この最終局面でスペちゃんは笑顔を見せている!何故、どうして!
私は一度思考を変えます。何故この局面で笑みを浮かべ、そして先程以上の速さを発揮しているのか。その理由は、すぐに思い至りました。
(……そういうことですか、スペちゃん。あなたは、走ることを……心の底から楽しんでいるのですね)
そして、それこそがスペちゃんの強さの原動力!どんなに辛くて苦しくても、走ることを心から楽しむことができる……それこそが、スペシャルウィークというウマ娘の強さ!
……あぁ、胸の高鳴りが抑えきれません。楽しい……楽しい、楽しい!
(これほどまでの強敵と戦えることに、興奮が抑えきれません!)
相手にとって不足なし!私も……今この一瞬に全ての力を出し尽くしましょう!
イメージするのは猛く燃え上がる、烈火のように赤く燃える炎……ではない。蒼く静かに……それでいて、赤く燃え上がる烈火よりも熱く静かに燃え滾る蒼炎!
さぁ、勝負をしましょうスぺちゃん……!私の全力とあなたの全力……果たしてどちらが上なのか!
「存分に果たし合おうぞ……ッ!スペシャルウィーク!」
最高のレースを、歴史に刻み込むレースをしましょうか!
……我ながら、自分が情けないな。
”キャハハ!諦めた諦めた!”
”そうそう。最初からアイツには勝てないんだから”
”アイツは特別なウマ娘。私らなんかとは違うんだって”
脚が思うように動かない。切り札も切れない。最後の末脚勝負も……スペシャルウィークとグラスワンダーには届かない。
(忘れられないレースにしようと言っておきながら、私自身がこの様とは……情けないことこの上ないな)
”お前は弱い”
”あなたの才能は塵同然”
”アイツの前に、喰われて終わり”
”ようこそこっちへ。歓迎するよ”
……認めなければならないだろう。
(私は弱い。日本では確か……井の中の蛙大海を知らず、というのだったかな?)
エルコンドルパサーから教えてもらったことだ。私はフランスという井の中から飛び出して世界という大海に乗り込んだ蛙。自分こそが世界最強のウマ娘と、そう思っていた哀れな道化……といったところかな?
成程、確かに私は世界を知らなかった。凱旋門賞でエルコンドルパサーが見せた気高き強さ。目の前で死闘を繰り広げているスペシャルウィークとグラスワンダーの強さ。そして……これまでの私の努力と強さを否定し、絶望的な、隔絶とした強さを見せつけてきたファントムというウマ娘。どれもフランスという井の中では知りえなかったことだ。
……繰り返しになるが、私は弱い。それは事実だ。認めざるを得ないだろう。
”そう、お前は弱い……”
「だが」
それが勝負を諦める理由にはなりえない……ッ!
そうとも。私には弱さがあった。その弱さから目を背けて、自分は強いと誇示し続けてきた。自らの心を奮い立たせるために、このような幻に惑わされないように。
(だが、どうやらそれは違ったらしい)
認めるべきだ。いまだにこの幻を見ているのは私に弱さがあるから。前へ進むために、この弱さを否定するのではない……。前へ進むために必要なのは!
(この弱さを受け入れる!)
この弱さもまた私だ。前へ進むために必要なのは、私自身がこの弱さを否定するのではなくこの弱さを受け入れて、それでもなお勝つという意志を持つことが必要なのだと!そう感じる。
”な、んで……ッ”
「Ne soyez plus confus.(もう惑わされないよ)」
前を走るスペシャルウィークとグラスワンダーとの距離は……およそ3バ身程か。成程……
「C'est juste un bon handicap(丁度いいハンデだ)」
脚にありったけの力を込める。
(すまないねスペシャルウィーク、グラスワンダー。そして、このレースに出走している全てのウマ娘達)
前を見据える。目標は、先頭を走る2人。
(忘れられないレースにしようと言っておきながらこの体たらく……。だが、もう迷わない)
さぁ……ここからは!
「Je vais vous montrer la capacité la plus forte de l'Europe !(見せてやろう、欧州最強の実力を!)」
私の、舞台だ!
亡霊の景色は消え去った。前を走る亡霊の幻影もいつの間にか消えている。ならば不安要素は何ひとつとしてない。勝利のために、私は前を見据えて走り続ける!その景色の先……
”──おめでとう”
”──もう大丈夫だな”
優しそうに微笑む、全てを包み込む海のように青い髪をしたウマ娘と、厳しいながらも確かな優しさを感じる鹿毛のウマ娘の姿を幻視した。
《さぁ残り200m!残り200でスペシャルウィークが息を吹き返す!グラスワンダーを抜かせない!グラスワンダーは内から抜かそうと躍起になっている!しかし強い強い!これがスペシャルウィークの本領だ!そしてスペシャルウィークの外から……!大外からモンジューも飛んできた!》
《最後はスペシャルウィークとグラスワンダーの一騎打ちになると思っていましたが……これが凱旋門賞ウマ娘の意地でしょう!やはりこのウマ娘も強い!》
《モンジューが追い上げてきた!残り200を切ったところでモンジューが追い上げてきた!その差をグングン縮めてきている!しかしスペシャルウィーク!スペシャルウィークも驚異の粘り!スペシャルウィークグラスワンダーモンジューこの3人での争いになったジャパンカップ!残り100を切りました!》
東京レース場に応援の声が響き渡る。それぞれの応援しているウマ娘の名前を叫びながら、決着が着くその瞬間をこの目で見ようと釘付けになっている。
《スペシャルウィークグラスワンダーモンジューが横並びになった!さぁモンジューがまとめて差し切るか!?大外からモンジューが追い上げる!》
「嘘だろモンジュー!?」
「クッソー!負けないでくれー、スペシャルウィークぅぅぅ!」
「グラスワンダー!世代最強はお前だって見せつけてやれぇぇぇ!」
「いっけーモンジュー!世界の強さを見せつけろぉぉぉ!」
スペシャルウィークとグラスワンダー、そしてモンジュー。3人が横並びになる。そこから抜け出したのは……
《しかしスペシャルウィーク!スペシャルウィークだ!スペシャルウィークが最後は抜け出したゴォォォォォォルイィィィィィィィン!最後はスペシャルウィークの粘り勝ち!グラスワンダーとモンジューをまとめて下したスペシャルウィーク!〈日本総大将〉は彼女だったスペシャルウィーク1着ゥゥゥゥゥゥ!2着はクビ差でグラスワンダァァァァァ!3着はアタマ差でモンジュゥゥゥゥ!》
東京レース場を静寂が支配する。観客は、目の前の現実を受け入れるのに時間がかかっていた。そして、スペシャルウィークが1着という事実に気づいたその時
「「「ウオオオオォォォォォォォォォォ!!!」」」
東京レース場に、割れんばかりの大歓声と祝福の声が響き渡った。
例年以上に強豪ぞろいとなったジャパンカップ。制したのは──
ターフの上で膝をついている。あの景色は……もう見えません。
(……ッ!そうだ、レースは!?)
私は掲示板を見ます。1着のところにあったのは……私の番号……ッ!ということはッ!
「私……勝ったんだ!やったぁぁぁぁぁ!」
思わずガッツポーズしちゃいました!
「凄かったぞぉぉぉ!スペシャルウィークー!」
「よくやったスペー!」
「お前が日本一だー!」
「「「スーペ!スーペ!スーペ!」」」
わわわっ!私の名前の大合唱です!と、とりあえず手を振っておきましょう!
「みなさーん!ありがとうございまーす!私、勝ちましたよー!」
そうやってファンの人達に手を振っていると……
「おめでとうございます、スペちゃん」
「おめデトう、スペシャルウィーク」
「グラスちゃん!モンジューさん!」
グラスちゃんとモンジューさんが私の勝利を祝福してくれました!
「最後の直線……躱せると思ったのですが。やはり強いですねスペちゃんは」
「えへへ。そうだグラスちゃん。ちょっといいかな?」
「?はい?どうしましたスペちゃん?」
私は不思議そうな表情を浮かべているグラスちゃんを真っ直ぐに見据えて……頭を下げます。
「す、スペちゃん?」
「グラスちゃん。改めて……宝塚記念の時はゴメン。あの時の私、凄く浮ついてたから……グラスちゃんに怒られても仕方ないレースをしたと思ってる」
「スペちゃん……」
「だから、今日は絶対に負けないぞって気持ちで挑ませてもらった。全力でぶつからせてもらった。グラスちゃん……今日の私はどうだった?」
私の言葉に、グラスちゃんは微笑みながら答えました。
「勿論、最高のレースでした。熱く……滾る……最高の勝負でした。このような勝負ができて、私は本当に幸せです。スペちゃん……次もまた、熱く滾るような勝負をしましょうね?」
グラスちゃんは私に手を差し出してきます。私はその手を、強く握りました。
「うん!次もまた最高に楽しいレースにしようね、グラスちゃん!」
私はグラスちゃんにそう言って、次はモンジューさんを見据えます。モンジューさんは、私を見て頭を下げてッ!?
「ど、どうしたんですかモンジューさん!?」
「いや、不甲斐ナい姿を見セてしマった……ソう思っタのさ」
「不甲斐ない姿?」
モンジューさんは頷いて続けます。
「忘れラれなイレースにシようト言っテおキながら、調子を崩しテしまうとハね……。全ク不甲斐ない」
「そ、そんな!?最後の末脚……本当に凄かったです!」
「えぇ。下手をしたら、こちらも差し切られそうな勢いでした」
「そウ言っテもラエると嬉しイよ」
モンジューさんは私達を真っ直ぐに見据えて……今度は柔らかな笑みを浮かべました。
「とてモ楽シいレースだッた。日本ニ来て……本当に良カったよ」
「モンジューさん……はいッ!すっごく楽しいレースでした!また一緒に走りましょう!」
「今度は、私達がフランスに赴くかもしれませんね」
「ソの時ハ歓迎すルよ。エルコンドルパサー共々……ね。勿論、負ケるつもリハない」
私達はモンジューさんとも固く握手を交わしました!それと同時に、再度大きな歓声が響き渡りました!
ただ、次の瞬間モンジューさんが私達の手を思いっきり引っ張りました。
「わっ!?も、モンジューさん?」
「ど、どうしたんですか?」
戸惑っている私とグラスちゃんをよそに、他の人に聞こえないように私達に耳打ちしてきます。
「……君達ハ、ファントムとイうウマ娘と親シいんだっタね?」
ファントムさん?
「確かに、そうですけど……」
「ファントム先輩にはよくしてもらっていますが……それが、何か?」
モンジューさんは厳しい目つきで、私達に警告するように告げます。
「彼女にハ気をつケた方が良い。彼女ニは……おそラく君達にハ見せテイない裏の顔ガある」
「裏の……」
「顔……?」
モンジューさんはこくりと頷きました。
「そシて、ソの裏の顔は凶悪ソのもノだ。他者の走りヲ否定し、潰スためニ走る……そノヨうな走りをするウマ娘ダ。私モ……下手をスれば、海外カら来たウマ娘ハ全員彼女の餌食になっタだろウ」
「「ッ!?」」
そ、そんな……ファントムさんが、他のウマ娘を否定するような走りを……?潰すための走りをしているなんて……。あの、優しいファントムさんが?
「……たダ、付き合イは君達ノ方が長い。私ノ言葉を嘘ダと思ウかもしレないだロう」
……確かに、ちょっと信じられないです。それはグラスちゃんも同じみたいで、言っていることが理解できないという表情をしていました。
「だが、現実としテ私はソの裏の顔ト走った。ソして……私のこレマでの努力を全て否定されタ」
「ッ!?もしかして、モンジューさんが調子を落としていたのって……ッ!」
モンジューさんは再度頷きました。う、嘘ですよね……ファントムさんが、そんなこと……。それに、一緒に走っただけでそんなことが本当に可能なんでしょうか?でも、よく考えれば模擬レースを一緒に走ったことがあるエルちゃんは強迫観念に囚われていたらしいし……。
悪いことばかり考えていると、モンジューさんは安心させるような笑顔で続けます。
「タだ、どウやら君達が関わっテいるファントムとは別人カもしれなイね。君達の反応カらもヨく分かる。彼女ハ君達に優しク接していルのダと」
「「……」」
「すマない、忘レてクれ。それト、君達の尊敬スる先輩を侮辱するよウナ真似をしてスまなかッた」
モンジューさんは別れの言葉を告げて去っていきます。私達は、呆然と立ち尽くして……ファントムさんのいる場所を見ます。
私の勝利を祝福するように、ファントムさんは拍手をしていました。いつもの優しいファントムさんと変わりません。けど、それが酷く不気味に見えてきて……。
疑問はつきません。ファントムさん……
「あなたは……何者なんですか?」
思わず、そう呟いてしまいました。
ジャパンカップ決着。それと同時に湧き上がる疑問。