十六夜神器伝   作:渋川ジュン

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本編
Prologue:決死の脱出


「…………」

 

 暗がりの中で、Hは目を覚ました。

 

 和服に身を包んだ体は柱に括り付けられていて、手足は鎖に縛られていて動けない。

 

 下には幾重にも魔法陣が描かれていて、目の前には一人の男のみがいる。

 

「やぁ、××さん。約150年振りの目覚めはいかがですか?」

 

 敬語口調で話す男は、薄ら笑いを浮かべていた。口から上を覆うように仮面をつけて、素顔を悟られまいとしている。

 

 Hは何が何だかわからず、その紅紫混じりの髪を振り回して、自らを縛る鎖から逃れようとした。

 

「まぁまぁ、落ち着いてください。わっしの言うことを聞くようになったら、すぐに解放してあげますから」

 

 男はそう言うと、ドクロの飾りがついた杖を取り出した。そして、Hの方へとその杖を向ける。

 

「精神懐柔──────」

 

 英称が始まると同時に、その杖から異常なまでの気が放たれた。その形而上的な力がやがて集積し、大きくなっていくと、男は易々とその杖を振った。

 

「もう五人目ですからね。マインドコントロールは100パーセント成功します。──もちろん、自分から『私に従う』という意思を見せてくれれば、それ以上に楽なこともないんですがね」

 

 男はベラベラと喋っていた。もうそろそろ、この作業にも飽きてきた頃合いだ。

 

 英雄を召喚し、一種の洗脳状態にさせ、自分の思いのままに操る。そのための作業は退屈だが、これで優秀なコマが手に入るなら安いものだ。

 

「!」

 

 ところが、Hは歯を食いしばると、全身に強い力を入れ始めた。

 

 男の語りなどそっちのけで、Hはただ、暗闇の中で自らを縛る枷から逃れようとしていたのだ。

 

「おっと、逃げようとしたってそうは行きませんよ。魔力を使えば使うほど、あなたは昏睡状態に陥っていきます」

 

 そうすれば、なおのこと精神懐柔がやりやすくなる──Hの反抗も、男にとっては織り込み済みであった。

 

 その鎖は魔力を逆流させる効果がある。本来出ていくはずの魔力が体の中に取り込まれていくことで機能不全を起こし、その魔術師は意識を失うというわけだ。

 

 しかし、ここからが仮面男の誤算だった。

 

「……!」

 

 Hの力は留まることを知らない。魔力を無効化する鎖を、Hは純粋な力だけで壊そうとする。

 

「うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 小さい体に似つかわしくないほどの巨大な力は、やがて自らを縛る全てを破壊した。

 

「……なんですと」

 

 それまで余裕の笑みを浮かべていた男も、表情を一変させた。

 

 まさか最後の五人目で、しくじってしまうとは……。

 

 Hは鎖を全て引きちぎり、地面の上に降り立った。

 

 その目は、夜鷹(ナイトホーク)の目をしていた。

 

「私を蘇らせたのは貴様か」

 

 毅然とした声で、Hは問うた。彼女が手にする刀には、尋常ではない魔力──つまり、魔術具としての『格』があった。

 

「ええ。そうですよ──」

 

 男は引き攣った笑いを浮かべた。まずい。これは、殺されてもおかしくはない。ましてや昔の英雄はプライドが高い。史上最強の魔術師ともなれば、自尊心もそれ相応に高くなるものなのだろう。

 

 神経を逆撫でする格好になってしまった。

 

「なるほど。では、私に殺されても文句は言えんよな?」

 

 Hは仮面男に刀を仕向ける。その妖気は、引きちぎられた鎖を過剰反応させるほどだった。強すぎる魔力に口を押さえつけられ息が出来なくなったのか、鎖はよりいっそう粉々になった。

 

 男は冷や汗を浮かべながらも、Hの目を見ていた。

 

 誤算もあったが、良かった。この女を最後に召喚したのは正解だった。他の英雄たちの手を借りることが出来る。

 

「命令だ、我が四人の魔術師たちよ。この女を捕らえなさい!!」

 

「!」

 

 男はそう叫んだ。すると、洞窟のようだった部屋の両側から、何者かが壁を突き抜けてきた。

 

 Hは焦燥した。いくら自分が魔術に長けているとはいえ、自分と同格の魔術師四人と真正面からやり合うほど驕ってはいない。

 

 ならば、ここから逃げるのが先決──そう決めたHは、突如として天井に穴を開け、そのまま上に逃げていった。

 

「……ありゃ。上に行ってしまいましたねぇ」

 

「追います、△△様」

 

 仮面男の命令に応じて、二人の男女が逃げ出したHのあとを追った。

 

「くっ……来るか」

 

 Hは後ろから追ってくる魔術師の気を感じると、舌打ちした。

 

 簡単には逃げ切らせてくれまいか。図らずも、自分はとんでもない監獄に乗り込んでいたようだ。

 

 Hは更に加速しながら、地上への道を突き抜けていった。やがて音速の域に達しようかというところで、Hは地上に出た。

 

「…………ふぅ」

 

 大きな建物の敷地内にたどり着いた。見渡す限り、辺りには森林が広がっている。奴らから逃げ切るには、あまりに視界が悪い。

 

 しかしHは決心した。そのまま、宛もなく逃げようとしたのだ。

 

「待て!」

 

 すると、追いついてきたらしい女の声が、Hの声にも届いた。

 

「……何だ」

 

「今すぐ戻れ。お前は私たちの計画に必要だ」

 

 無口な男に代わって、金髪の女がそう言った。騎士のような格好をしていて、身体は引き締まっているが顔は幼く見える。

 

 マインドコントロール下に置かれているからか、あの仮面男への忠誠度は高そうだ。厄介な追っ手の存在に、Hは舌を巻いた。

 

「拒否する。私がそれに協力する義務などない」

 

「そうか。協力しないと言うのなら……力でねじ伏せるのみだ!」

 

 女はそう言うと、立ち止まっているHの元へ高速で移動し、その剣を振り下ろした。Hもまた、力をいっぱいに込めて、その一撃を受け切った。

 

「消え失せろ、ジャップ……」

 

 髭の男は女の方に気を取られているHに向かって、その剣を一閃した。しかし、その太刀筋は完全に読まれていた。

 

「……なんのそのッ!」

 

 Hは男の剣を楽々受け流すと、彼らの足元に煙幕を投げた。

 

「ゲホッゲホッ……奴め、どこに行った!?」

 

 女はむせながら、必死にHを捉えようとした。だが煙はもくもくと広がり、ただでさえ悪い視界を更に悪くする。

 

 その隙に、Hは森林の闇に消えようとした。

 

 しかし、髭の男が逃さない。

 

Ríete como un loco(狂ったように笑え)

 

 長剣に黒い光が差し込んだ。刹那、逃げようとするHの背中に、その斬撃が叩き込まれる! 

 

「おっと────」

 

 しかしHは上手く体を捻ってかわすと、その勢いを活かして男にカウンターを浴びせた。

 

「!」

 

 その刀はまともに男の体を捉えようとしていた。しかし、金髪の女も黙ってはいない。横から出てくると、白馬色の剣で間一髪、その攻撃を受け切った。

 

 結果、Hの反撃は封じられることとなる。

 

「まさか、そこから体をひねって反撃に転じるとは──随分と芸があるではないか」

 

「馬鹿言え、骨もあるぞ。しょうもない奴に魂を奪われた、貴様らとは違ってな!」

 

 Hは一流の魔術師を前に、余裕の笑みを浮かべた。すると、彼女の向こう側に先程の仮面男が現れる。

 

「あらら〜……。随分時間がかかっていると思ったら。もう二人はどこへ行ったんでしょうねぇ」

 

 忠誠心がないにも程があるでしょう、と仮面の男は肩を落とした。その後も、二人の剣士はなんとかHに致命傷を与えんと戦場を奔走していた。

 

 すると、髭の男が振りかぶったところに、Hの反応が遅れた。

 

「隙あり」

 

 男が放った一撃が、Hの右腕いとも容易く捉えた。致命傷になりうる、そんな一振りだった。

 

「!」

 

 Hは顔を歪めた。利き手の損傷は致命的だ。傷を負った瞬間から、刀がやたらと重く感じられるようになった。

 

「ほう……やるじゃないですか」

 

 仮面男は頷いた。しかし、その口元は緩まない。

 

 まず、自分たちのアジトを離れ、地上に釣り出されているこの状況が芳しくなかった。たとえかつての英雄がこの現代に召喚されたという情報が何者かによってバレたとしても、アジトの場所だけは絶対に外部に漏らしてはいけない。

 

 そうなると、この女に不完全とはいえ、精神懐柔を掛けられたのは良かった。これで仮にHがどこかで生き残ったとしても、このアジトでのやり取りは綺麗さっぱり記憶から抜け落ちるはずだ。

 

「……ッ」

 

 そして、やはり二人の剣士は後手に回っていた。Hはとてつもなく強い。召喚直後にこれほどの力を見せてくれるのなら、万全の状態ならどれほど強いのだろう。彼女を下僕にできなかったのは本当に悔やまれる。

 

 だが、何もかもを手に入れることは出来ない。実際、二人の英雄は疲労困憊で、このままだと泥試合になるのは確実である。そうなると、結界も張っていないこの状況で、アジトの場所が何者かによってバラされるリスクが高まる────

 

 これは退くべきか──仮面男は、彼らに声をかけようとした。その時だ。

 

「くっ…………やむを得ん! 『強制転移』──────」

 

 すると、攻撃に耐えかねたHが自ら撤退を選択しようとしていた。仮面男としては実に好都合だった。彼女がここを去るのであればそれ以上こちら側の消耗を避けられるし、移動系の魔術は体への負担が尋常でないため、仮にHが転移後世間に放り出されたとしても、弱体化に期待できる。

 

 それに、自分には四人も英雄のコマがあれば十分だ。

 

「引きますよ、二人とも」

 

 脱出しようとするHに食ってかかろうとしていた金髪の女は、驚いたような表情で振り返った。

 

「何故ですか! 奴は右腕を怪我しています。奴を捕まえるのに、これ以上ないチャンスだと言うのに!」

 

「大丈夫です。去るもの追わず、来る者拒まずということですよ。わっしとしては、君らがいてくれるだけで十分なのでねぇ」

 

 仮面男が諭したことで、女は渋々後ろに下がった。髭の男もまた、無言で剣を鞘に収めた。

 

 彼らが手を引いたことで、Hはなんとか『強制転移』で脱出することが出来る運びになった。

 

 しかし、魔力を使い果たしたその体は既にボロボロだった。おまけに右腕を負傷し、まさに満身創痍。その上体に負担のかかる『強制転移』をするとなれば──数時間後、生きていられるか怪しい。

 

 だがHは可能性に賭けていた。逃げることが出来ずに捕まり、得体の知れない男の奴隷と化すよりは、逃げて一人で死ぬほうがむしろ本望であった。

 

 元より自分が願った二度目の生ではない。大切な人もいない。

 

 どうにでもなれ。Hは強制転移を使用し、仮面男たちの前から消えた。

 

「…………」

 

 しばらく時間が経ったあと、Hはなんでもない住宅街に降り立った。しかし、地面に足をつけた瞬間、彼女は自分の体が崩れていく感覚がした。

 

 体に力が入らない。右腕は尚更だ。

 

 自分は死にかけなのだと、この瞬間に気づく。

 

 ──構わない。誰かの傀儡となるよりは、独りでひっそりと死ぬ。それでいい。

 

 やがてHは意識を失い、歩道に倒れ込んだ。

 

 

 ────しかしこの決断が世界の運命を変えた。先程の戦いは、これから始まる時代の前哨戦のようなものであった。

 

 果たして血みどろの戦いの末に、栄光を手にするのは誰なのか。

 

『十六夜神器伝』が、始まる。

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