ウィザードが狙ったのは、目を閉じたままのノアと、それを運ぶカシアだった。
「!?」
ノアを抱えて走っていたカシアは、気が動転した。炎の球はすぐそこまで押し寄せていた。今まで何度も見てきた、炎。しかしそれは今までとは比較にならないほど大きかった。
自分を丸ごと飲み込もうかという炎。それを防ぎきれるほどの魔力はもう、残っていない。逃けようとしても、間に合いそうにもなかった。
────であれば、やれることは、一つだけ。
「か、カシア!!」
千早は叫んだ。
気絶したままのノアを、カシアは遠くへと放り投げたのだ。
……死んでもいいや。
最愛の妹が、それで助かるのなら。
「……カシア!!!!!!!!!」
遠くで、千早が、冬町が、叫ぶ。
何度もその名前を呼んだ。
しかし、カシアはそのファイアボールを真正面から食らって、業火の限りを尽くしている。
その事実が、変わることは無かった。
「…………ぁ」
その時、だ。
放り投げられた衝撃で、ノアが目覚めた。
傷だらけで、もう片足はほとんど使い物にならないのに。
目覚めてしまったのだ。
「…………嘘」
目の前で燃え盛る姉を前に、ノアは叫んだ。
「…………………………お姉ちゃん!!!!!」
燃えていて、その顔は見えなかった。
とても熱くて、苦しいはずなのに。
カシアは、何の叫びも上げていない。
「……!!」
ノアは懸命に手を伸ばす。氷が使える、その可能性に賭けた。
しかし、出来なかった。魔力はとっくに失っていた。指先には、ただ生ぬるい水滴だけが付いていたのだ。
「お姉ちゃん……ねぇ……!!」
ノアは懸命に叫んだ。そして泣いた。それを見て、ウィザードは何も言わなかった。
魔術は殺し合いの世界だ。
「…………ぁ」
カシアは地面に倒れた。燃えたまま、動かなくなった。
この世の絶望が、全てそこに詰められていたのだ。
「『水』!!」
それでもノアは骨の髄まで魔力を搾り取り、多量の水をカシアに向かって放射した。努力の甲斐あってか、なんとか鎮火することが出来た。
「…………お姉ちゃん!」
ノアはカシアに駆け寄った。すべてが燃えていた。焦げていた。もはや、見る影もなく。
元気はつらつで、いつも一言多かったお姉ちゃんが。
今は一言も、喋らない。
「……………………あ」
ノアは、焼けきった姉の頬らしき所に触れてみる。
それは生きている人間の感触ではなかった。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ノアは、声にならない叫びを上げて号泣した。無表情な彼女が、誰の目をはばかるでもなく、ただ姉の亡くなった悲しみのために、号泣していた。
思わずそれは、戦場の空気を冷たくした。
「お前…………絶対に許さない!!」
ノアは立ち上がった。燃えた足で、体勢は崩れている。それでも、ぐちゃぐちゃの顔で、ウィザードの目を睨んだ。
氷の魔術は使えない。使えないはずなのに、ウィザードは背筋が凍る思いがした。
彼は今までも多く人を殺してきた。それは警察として魔術師を殺した時。魔術至上主義者として、一般人を殺戮した時。しかしいずれも、ここまでの恐ろしさを感じることは無かった。
「……ペンギンを失った、私と何が違うのか」
「違う!!」
ノアは泣き叫ぶように言った。
しかし、魔力は残っていない。先程カシアの炎を消す時に、全てを費やしたからだ。
「やめろ!! お前が行ってもやられるだけだ!!」
冬町は遠くから体力を振り絞って駆けつけると、ウィザードへと殴り込みに行こうとするノアの両腕を掴んだ。
「行くな!! お前は生きろ!」
「でも……! 私、お姉ちゃんがいなくなったら、もう……!」
遠くで、冬町がノアを必死に食い止めている。
千早は、改めて目の前の敵に向き合うことにした。
「ウィザード!!」
千早は叫ぶと、刀を構えた。
先程、衝撃的なものを目にした。だけど、だけど……何も変わることは無い。
こいつは、俺の手で倒す。
「教えろ。お前、どうしてこんなことをした。ペンギンにも思い入れがあったんだろ」
「…………」
ウィザードは何も言わない。しかし、千早は彼の目を睨み続けた。
奥では、冬町が暴れ回るノアを制止している。正に、地獄のような情景だった。
「……今から語ることは全て独り言だよ」
ウィザードは引きつった表情で、言った。
ーーー
ペンギンは、元はと言えば小学校からの仲でね。
その時の彼は専ら人間としての形をしていたけれども、たしかに異様な空気感を持っていた。
しかしいつからだろう。彼は魔術書を読み漁り、自らを完全なる別次元の物体へと昇華させることを願うようになった。人間よりも高位の存在へと成り上がり、新たなる可能性をそこに見出そうとした──しかし失敗した。その成れの果てが、あのペンギンとしての姿だ。彼は戻れなくなった。理想を追いかけて、下等動物に成り下がった。その頃から、魔術師による事件が多くテレビで取り上げられるようになった。……馬鹿げた話だよ。かつて、私とペンギンは魔術師だと担任に語ったことがある。それから、私たちはクラスメイトに酷く虐められるようになった。担任が彼らに何を言ったのかはわからない。しかし、たしかに暴力や盗難などありとあらゆる屈辱をクラスメイトから浴びせられるようになったのは事実だ。
魔術師の能力は先祖代々受け継がれていくことが多い。私たちは生まれる前から虐げられる運命にあったんだよ。馬鹿げた話だ。やがて私たちは不登校になった。
しかし元クラスメイトからの嫌がらせは後を絶たなかった。実家に実弾が打ち込まれたこともあった。
何が悪い。当時小学生の私たちが、一体何をしたって言うんだ。
私たちはただ、魔術師としての家系に生まれただけなのに……!
それから、私とペンギンは魔術警察に入った。魔術師が唯一魔術師であることを許されるのが、魔術警察という場所だ。しかしそこでは、自分を虐めていたはずの一般人を守る仕事ばかり。魔術師を街中で駆逐しても、一切感謝はされず、ゴミを見るような目で見られる。
……理解出来ん。何故、一般人よりも優位なはずの私たちが、そんな目を向けられなければならない。
許せない。どうして、私たちがお前たちを守らなくちゃいけないんだ。
それから、私とペンギンはトラスト本部に秘密で高名な魔術師を多く狩るようになった。それは治安維持の為じゃない。魔力供給が行えるペンギンに、魔力を沢山溜めさせるためだ。そうすれば、一般人への復讐の準備が整えられる。
……すると、ある日のことだ。いつもの様に魔術師を狩ろうとしていると、ある二人の男女に出会った。
それが十文字と春蘭との出会いだった。彼らは中途半端な田舎町で一般人を殺戮している最中だった。まともな結界も張らず、彼らは暴れ回っていた。
ふとした好奇心から、私は尋ねた。
「一般人は嫌いか?」とね。
すると、彼らは何を隠すでもなく首を縦に振った。私は同盟を持ちかけた。二つ返事で彼らは承諾した。似た者同士だからね、私たちはすぐに連携を深めることが出来た。
ウィンウィンだった。こちらとしても、共鳴してくれる仲間が増えることは嬉しい。向こう側としても、魔力の供給源を獲得し、なおかつトラストの情報をすっぽ抜くことが出来るようになったのは実に好都合だっただろう。
それから、私たちはいくつかの町を壊した。泣き叫ぶ一般人たちを殺害していくのは、本当に痛快だったよ。特に私とペンギンを虐げていた者たちを殺した夜は、興奮して眠れなかった。
無論、全ては一般人への憎しみからだ。奴らは弱いくせに、魔術師を迫害する。理解不能だ。
バカらしかった。だからこそ──幼い頃から行動を共にしてきた──大切な
ーーー
「どうせなら、二人とも殺したかった」
「…………」
秋風が吹き抜ける中、千早はウィザードの軽妙な語りを、ただ黙って聞いていた。
「少年」
ウィザードは燃える廃屋を背にして、語った。
「私は魔術師のくせに一般人に肩入れする、君のことが理解できない」
「…………そうかよ」
千早は曖昧な返答をした。
反応を見るに、一定の理解は得られただろうか。ウィザードはそう思っていた。
しかし、千早は我慢ならなかったのか、なんと鼻で笑った。
「お前、随分と頭が悪いんだな」
「!?」
このガキ────今、なんと?
「魔術師は人間から忌み嫌われて当然だ。それぐらいの覚悟もない奴が、魔術師を名乗るなよ」
千早はため息をついて言った。そうだ。こいつの言っていることは全くもって理解できない。
復讐を言い訳にして、関係ない一般人をも手にかけている。それはただのテロだ。
「き、貴様……!」
「そもそも、別次元の物体になることを目指したらペンギンになっただ? イソップ童話でもそんなアホは描かれねえだろうなぁ」
千早の煽りに、ウィザードは眉をつりあげた。
「……貴様ァ! 私とあいつの苦労を……そんな安い言葉で片付けおって!!」
「魔術師のくせに感情論かよ。……まぁいい。どんな奴でも、誰かの物語では悪役だ」
「……失せろ!!」
千早がそう語ったところで、ウィザードの怒りは頂点に達した。どでかい炎の球を作り出し、千早に向かって放つ。
「……おっと」
千早はウィザードの炎を少ない動きで交わすと、微笑を浮かべて言った。
「ワンパターンだな。迷いがあると見えるぞ!」
「小癪な」
ウィザードは舌打ちすると、その拳に魔力を込めた。左手で炎を放ち、千早が避けた先に距離を詰めた。
自らが出せる炎の全てを拳に込める。そうして、千早の頬へとその拳を放つ!
「……ッ」
しかし拳を食らったまま、千早は耐えた。そして、そのまま十六夜神器を構えた。
「あれは……」
遠くで冬町が唸る。
それは刀ではない。もうひとつの武器、狼の形をした神器──見た目通り、その名は『狼』。
ニホンオオカミの頭部がモチーフとなっており、その開いた口の中には大きな銃口のようなものがある。
「…………くらえ!!」
千早はそれに賭けていた。
十六夜神器『狼』は、多量の魔力を高圧縮エネルギーに変換し対象に向かって一直線にぶっぱなす、そんな武器であった。
もちろん千早は使い方を知らない。しかし、その扱い方を本能的に理解した。彼は、十六夜の人間だから。それぐらいの事は説明がなくともわかった。
「うおおおおおおおおお!!」
刹那。本能のままに発せられたその波動。
狼が吠えた。
炎の拳を喰らいながら、千早は『狼』をぶっぱなす。まさに肉を切らせて骨を経つ────その要領で。
「!」
千早を殴るその拳に体重を乗せていたウィザードは、当然避けられるはずもなく。その波動は男の身体を一直線に貫いた。
「……がはッ!!」
紫の閃光が、ウィザードの全てを覆った時。結界は既に消えていた。
冬町とノアは思わず、その眩しさに目を瞑った。瞑った時に、ノアの目からは血涙が流れた。
「……………………ッ」
ウィザードの胸の辺りが真紅に染っていた。
一方、千早は肩で息をしながら、『狼』を構えて言った。
「……そろそろ終わりと行こうぜ、ウィザード!」
少し離れて、千早が『狼』を赤い外套の方へと向ける。魔力の残量的に、次の一発が最後になるだろう。
これで仕留めきれなければ、俺は死ぬ────。
「雑魚のくせに……大口を叩きおって!!」
しかしウィザードはやり場のない怒りに満ち溢れていた。『狼』を避けることなど微塵も考えず、ありったけの力を炎に注ぐ。
魔術師の両親へ、私を産んだ怒りを。一般人どもへ、私たちをコケにした怒りを。
全て、その手に込めた。相手が波動を放ってくるというのなら、こちらも応戦させてもらう。
「道具に頼るだけの餓鬼が!! 地獄を見せてやる──」
赤いZの男は全てをその大技にかけた。
まだ誰にも食らわせたことのない最強の技。十文字や春蘭はおろか、ペンギンもその存在を知らない。
「
その概形は、千早の『狼』と同じだ。ただ中身が高圧縮のエネルギーなのか、燃えたぎるような炎なのかという違い。
千早は焦燥していた。十文字の時に感じた、いやそれ以上の魔力量。
しかしこちらも負けていられない。少し向こう側で、冬町が自分の傷なんてそっちのけで、無言で俺のために魔力を残してくれている。
カシアは、どうしようもない俺の代わりにノアを守った。
ノアは、手強い魔術師相手に二回も大金星を上げた。
俺は、色んな人に支えられている──もう後戻りはできない!
「道具に頼るだけの餓鬼がァ!! 燃え尽きろ、あの女のようにな!!」
ウィザードが遠くから吠える。構えた両手には、炎が今にも発射されそうな勢いで渦巻いている。
やがて、千早の皮膚の一片すら燃やしつくそうかという炎柱が、両手から勢いよく放たれた。
「……!」
千早とて、魔術師であったのははるか昔の話だ。
久しぶりに魔術を使い、そして、その残酷さを思い出した。
しかし最後に大事なことは至ってシンプルな事だと思い出した。
「仲間を、自分を、信じること────」
ただそれだけが、最後に自分の背中を押した!
「十六夜神器──────────────────『狼』!」
刹那、かつて日本に生息していたニホンオオカミの叫びが。現在の今、この瞬間に、響き渡ろうとしていた。