夜七時、生徒会室を出た
初秋の風が妙にくすぐったい。そう思わせるのは、隣に彼女がいるからだろう。
「どうしたのー、千早?」
「あ……いや。何でもない」
同級生の女の子に顔を覗かれて、思わず千早は顔を背けた。
不敵な笑みを浮かべるこの女は、
藍色の髪と、ぱっちりとした赤い眼が特徴的だ。右眼の横には小さなホクロがあり、桜色の唇は細く引き締まっていた。
「千早くんって本当素敵よねー、今日もいっぱい仕事手伝ってくれたし♡」
やけに甲高い声を、千早は適当に聞き流した。藤波礼香は完璧な女子だ。文武に秀でており、行儀もよければ容姿もよい。それでいて父親は広告会社の社長を務めており、人脈も幅広い。
よって、この冴えない男にへつらう態度は怪しすぎるにも程があるのだ。
「ありがとね、千早くん♡」
「はいはい……」
出会ったきっかけは単純。千早が生徒会の書記として初めて生徒会室に行った時のこと。
『鈴木くんって男の子だったのー!?』
『えぇ、まぁ……』
誰もいない生徒会室で、藤波副会長はグイグイ千早との距離を詰めた。
『可愛い名前だね♡ 千早って読んでもいーい? ♡』
『……』
ほんの一週間前、シンプルな名前いじりから彼女との交流が始まった。
このやり取り自体は慣れていた。『千早』という名前は女性に間違えられやすい。千早自身もそれを気にしていたりするのだが、──だとしても、美少女が突然自分に擦り寄ってくるのはあまりにも不自然というものだ。
「あのさぁ……藤波さん、前々から怪しいんだよ。何か企んでないか?」
「別に? 企むってなによ。素敵なものは素敵と褒めるよう、お父様から言われてるの」
「……そうかよ」
藤浪はわざとらしく笑った。千早は腑に落ちなかったが、とりあえず頷いておいた。
やがて分かれ道で、藤波は立ち止まった。どうやらここでお別れらしい。
「じゃ、私はここで。また明日ね〜♡」
「……」
千早はその後ろ姿を、見えなくなるまで見ていた。一瞬こちらに鋭く振り返った藤波と目が合った気がしたが、気の所為だろう。
ようやく肩の荷が下りる、と千早は気持ちを少しばかり楽にする。
「……しっかし、
千早はすっかり暗くなった帰り道を、ボソボソと独り言を言いながら歩く。世間では、魔術師同士の戦いが頻発しているという噂だ。安全に学校生活を送れていることが、何よりありがたい。そう思っておこう。……魔術師ほど恐ろしい人種もそう居ない。それは嫌という程知っている。
そんなふうにしていると、やがて自宅への一本道に差し掛かった。
「あーあ、腹減った……ん?」
フラフラと歩いていると、暗闇の中で人が倒れていることに気づく。この辺は街灯がまばらで見通しが悪い。それに加えて電柱の影に隠れていたから、目が悪いと見逃してしまいそうだった。
「マジか」
倒れているのは、袴姿の女の子だった。千早は目をかっぴらいて、その場にしゃがんだ。
「一体、誰がこんな真似を」
その女の子は、右肩から下が真っ赤に染っていた。千早は違和感を覚えた。隣町の衛府市とは違い、千早が住んでいるこの町──柏町《かしわちょう》は魔術とほとんど縁のない土地のはずだ。
しかしこの辺りは車通りも少なく、交通事故というのは考えにくい。
それに、目の前の女の子からはかつて嗅いだことのある匂いがする。それは魔力を宿している人間特有の、きな臭さであった。また、秘めている魔力量も凄まじい。──彼女が魔術師であることは間違いないだろう。
「よいしょ……」
千早は女の子を背中に背負った。非常に呼吸が浅く、今すぐに息を引き取ってもおかしくなかった。救急車などを呼んでいては間に合わないだろう。
ここは、俺がやるしかない。千早は急いで走り出した。
ーーー
「ハァ、ハァ……ただいま、爺ちゃん」
もう生きていない祖父に挨拶をして、千早は古めかしい邸宅の居間へと傷だらけの女の子を運んでいった。
鈴木家の邸宅は非常に広い。場所が住宅街の端の方にある反面、より多くの敷地面積を確保している。
しかしこの家を建てた祖父はもうこの世に居ない。三年ほど前だったか。いつもどおり寝たまま、それっきり目を覚まさなかった。ある意味で幸せな死に方だろう。
「安静にしてろよ」
千早は慎重に、女の子を畳の上に寝かせた。薄々気づいてはいたが、彼女は大変美人であった。それこそ藤波嬢には引けを取らないくらいにだ。傷だらけでも、血を流していても、隠しきれぬ美しさがあった。暗くて気が付かなかったが、黒髪に紫と紅のメッシュが入っていた。
そのままでは治癒しづらいので、女の子の袴を脱がせ、下着の上にタオルを掛けた。雪のような肌には所々穴が開いたような傷が見られる。酷い怪我だ。早く、治してやらなければ。
「────」
千早はそっと目を閉じて、横たわる女の子に手をかざした。彼はいわゆる『落ちこぼれ』である。魔術の名門に生まれながら、才能は全くなかった。特に魔力──様々な超現象を起こすために用いる潤滑油のようなもの──の量に至っては、一般人とさして変わらないという醜態を晒していた。
「……そんな俺でも、誰かの役に立てられたら」
千早は結局、魔術師としての力量が足りず家から追放された。
この際落ちこぼれでも構わない。しかし、困っている人の役立たずでは有りたくなかった。
特に酷い右腕の患部に、千早は魔力をこれでもかと言うほど流し込む。
「…………………………ぁ」
すると早速効果が現れたのか、次第に女の子が呼吸を取り戻し始めた。それでも千早は止めない。彼は自らの骨の髄まである全ての力と引き換えに、彼女に意識を取り戻させようとしていたのだ。
「……っ」
もうちょっと。もうちょっとだ。魂を流し込め。その瞳を開けさせるんだ。これだけの美しい女の子に、どんな瞳が備わっているのか。その目で、確かめるんだ。
「…………っ。あぁ、あぁ……」
彼女はうなされているように声を上げた。思わず、千早は魔力の流れを緩めた。しかしまだ目は開いていない。
それは可愛げがありながらも、芯のある声だった。出血は止まり、傷口も閉じている。万一に備え、千早は治療を継続した。
「ん………………ここは……」
その時、女の子はおもむろに目を覚ました。千早は小さくガッツポーズをした。
透き通った黒い目を開くと、体を起こして、真っ赤になった千早の顔を見た。
「…………おぉ」
大変な美少女だった。一瞬見とれそうになった千早だったが、すぐに首を横に振って、彼女の体調を気遣った。
「だ、大丈夫か? きついならまだ横になってても──」
その時、何かが頬をかすめて──グサリ。
遅れて、かすかな風圧と同時に何かが壁に刺さった音が聞こえた。
「……え?」
千早は呆気にとられて、壁に刺さった短剣を見る。現代ではまず見ない古めかしい短剣だったが、千早は反応することすらできなかった。
「敵……か……殺す……!!」
「なんで!? ちょっと待て、落ち着け!!」
いつの間にか立ち上がっていた女の子が、どこからか生成した短剣を複数チラつかせている。タオルがズリ落ち、古風な下着姿を千早に見せつける格好となっていた。
「ま、まず服を着ないと……そうだ! 上の部屋に俺のTシャツが……」
「恍《とぼ》けるな!!」
「うおっ!?」
千早は女の子に短剣を突きつけられ、思わず体を後ろにのけぞった。ここから動けば、自分は殺される。落ちこぼれの少年にも、それくらいのことはわかった。
「……殺す前に、私の体を弄ぼうとしたのだろう! 言っておくが、私は男として育てられた。身体は女でも、心は男だ。その辺を弁えろ」
などと言いながら、なおも下着姿を晒している。しかし短剣を突きつけられている以上、千早は生きた心地がしなかった。
「違う、誤解だ! 俺は君の傷を治そうとしただけだ。そこに邪な気持ちは無い。命が助かる以上に、大切なことなんてあるものか!」
千早は負けじと言い返す。至極正論を述べたつもりだったが、なおも目の前の女の子は引かない。
「そうか……しかし、それは私が望んだことなのか? お前が勝手にやったことだろう。もとより、私は死ぬ気でいた。多少の感謝こそすれど、一方的な恩を売りつけるようなことではない」
「そうだよ。俺が勝手にやったことだ。だから、気にするな。……でも、本当に助かってよかった」
千早があまりにも噛み締めるように言うのだから、ムッ……と女の子は洩らしてから、その短剣を取り下げた。
そして、小声で呟いた。
「…………感謝する」
ふん、と女の子はそっぽを向く。どうやら誤解は解けたらしい。命拾いした、と千早はほっと胸を撫で下ろす。
「とりあえず、まだ安静にしててくれ。傷は完治してない。傷口が開いてしまうかも──」
「どこの馬の骨かもわからん奴に体の心配をされることほど不快なことはない。私はとく失せる。探すな」
女の子はそう言うと、開いていた窓から外に飛び出そうと走り出した。まともな服を着ていないのに、なんてクレイジーな行動だ。
「ま、待てって!」
「……!」
しかし完全に傷が癒えていなかったのか、彼女は大したことない段差に足を引っ掛けて、盛大に転んだ。これには思わず千早も驚いた。
「だ、大丈夫か!」
「くっ…………」
彼女は躓いた右足を抑えながら、やがて意を決したのか、千早の方を見て言った。
「……認めよう。私は傷だらけだ。無礼を承知で申し出るが、良ければ、暫くここに残っても良いだろうか。邪魔ならすぐに消えるし、用が済んだら私からここを去ろう。どうだ?」
座ったまま、千早の方をまっすぐと見つめる女の子。その瞳には、先程までとはまた違った色が見えていた。
「そっちがいいなら……わかった。とりあえず、何か服を持ってくる。待ってろ!」
千早は早口でそう言うと、急いで二階へと上がった。美少女の下着姿をまざまざと見せつけられ、とても会話どころでは無かったのだ。
「これは……女の子には似合わないか。なら、これは……」
彼女に似合う服を探しながら、千早はあの女の子のことを思う。
……下着姿なのに、本当に恥じらう様子もなかったな。
本当に変わった子だ。
「あの、Tシャツと短パンを持ってきたんだけど……」
千早はすっかり元気になった女の子を見て、安心した。そして、自らの服を手渡す。
「不思議な形だな……どれ、着てみよう」
猫のイラストがプリントされた白いTシャツに袖を通すと、女の子は満足そうに頷いた。
「おお、なんて楽なんだ。お前は変わった服を持っているんだな」
「誰でも持ってるぞ」
千早は苦笑した。古風な格好といい、今の反応といい、やはり遠い昔から来た人間なのだろうか。疑問に思いながら、椅子につくよう促した。
女の子は頷くと、ゆさゆさと体を揺らし、座布団の上に正座した。彼女には凄みがある。見るものすべてを圧倒するような、そんな所作をしていた。
「えっと、まずは自己紹介を」
千早は一息つくと、自分のTシャツを着た珍妙な女の子に向かって口を開いた。
「俺は鈴木千早。君が魔術師だから言えるけど、これでも魔術をかじってて……」
「冬町」
女の子は独り言のように、自らの名前を呟いた。セリフの途中で遮られた千早も、これには面食らってしまう。
「冬町……?」
「そうだ。お前には聞きたいことが山ほどある。まず明治の新政府はどうなっている。それから先程の貧弱な治療はなんだ。あと蜜串間の主は元気にしているか。それから──」
「質問が多いな! えっと、明治時代は百年以上前、とっくの昔に終わった。貧弱なのは俺にはほとんど魔力が無いからだ。みつく……誰だ。知らん」
一通り答えたあと、千早は反芻した。
「えっと、とりあえずよろしくな。冬町……さんだっけ」
「
千早は一瞬うなずきかけたところで、顔を上げた。
「十六夜……!?」
額に浮かんだ汗を拭った。動揺を抑えるように、震えた手で茶飲みに口をつける。どうして……どうしてだ。
「名字をもう一回、言ってくれるか」
「十六夜。一六の夜と書いて十六夜だ」
冬町はにべもなくそう言い放つ。やはりそうだ。自らの、かつての名字と同じ。千早の顔がみるみる青ざめていた。
もしかして、この女の子は……自分のご先祖さまなのか?
「どうした?」
「冗談だろ、おい。お前……十六夜の……」
千早は戦慄していた。
目の前の少女はどうにも古風な格好をしているとは思っていた。言葉遣いも古臭く、おまけに『明治の新政府』について訊いてくる始末。
そんな彼女が、かつて自分がいた名門『十六夜家』の人間であったとしたら──ある意味、辻褄が合う。
しかしそれを信じたくはなかった。むしろボケであって欲しいとさえ思っていた。
頭を抱える千早を他所に、冬町は平然とした態度で答えた。
「先からそうだと言っている。私は十六夜冬町。それ以外の何物でもない! それにしても、見たことのない家具に見たことのない服……お前は南蛮人か? はたまた、紅毛人か──」
「俺も、十六夜家の人間だ」
「……へ?」
千早が溢したその言葉に、冬町は思わず素で反応してしまう。打ち明けてもよいのだろうか。しかし今言わなければ、一生言い出せないような気がして。
「正確に言うと、十六夜家『だった』。才能がなくて、追放されたからな」
尊敬する対象でもあり憎たらしくもある、先祖。おそらく彼女はこれを信じてはくれないだろう。嘘だ、と一蹴されるかもしれない。
しかしそれでもいい。隠し事は自分に後味の良くないものを残す。それなら、真実を告げてしまって結構だ。
「────ほう」
すると彼女は何を思ったのか、こう言った。
「──いやはや、驚いた。この世界は未来で、お前は私の子孫だというわけか?」
あくまで彼女は明るく努めて、そんなことを言った。豪快に笑うその姿は、先程までの冷酷で古風な戦士としてのイメージとは一線を画すものであった。
「運命とは数奇なものだな。私が文字通り血みどろになって手に入れた新時代はとうの昔に終焉を迎えていたか。はは、気に入ったぞ千早。いつの時代も生きている者にしか作れないものだな」
「な、何が言いたい?」
これは認めてくれているのだろうか。起き上がるなりすぐに俺を殺そうとした女の子が、朗らかに笑っている──?
冬町はいつの間にか正座を崩し、あぐらをかいていた。シュッとした体に奇抜なヘアカラーが、どこか現代人のようにも重なって見えて。
「俄然私はこの時代に興味が湧いてきた。まずは洗いざらい、聞かせてもらうとしよう」
冬町は千早の回答を求めていない。ただ一方的に物事を決めているだけだ。
もちろん千早も嫌というわけではないが、かと言って乗り気でもない。第一、魔術の世界からは一歩引いた(引かされた)人間だ。遥か昔に存在した魔術師に半永久的に居候されるなど溜まったものではない。
「待て。俺に何を期待しているのか知らんが、あまり長居されるのは困──」
「お前には何も期待していない。期待しているのはこの世界だ。どれ、高みの見物としよう」
冬町はそう言うと、そのまま横になった。疲れていたのだろうか。違う時代から来て、肉体的にもかなり堪えているはずだ。仕方ない。
「……ふふ」
しかし彼女は笑っていた。何に対してかはわからないが、とにかく笑っている。
「拾ってくれたのがお前でよかった。少しでも歯車が狂っていたら、私は死んでいただろうから」
そう言うと、冬町は目を閉じた。
「ちょっと待て。何勝手に寝ようとしてるんだ」
「………………」
「寝てるフリすんじゃねぇ!」
全く……と呟きながら、千早はタンスから大きな布団を出した。寝転がった冬町を転がして、無理やり寝床につかせる。
「世話の焼けるご先祖様だ、ったく」
時代は千変万化。冬町のようなかつての人間が、どうして現代に現れたのだろうか。
──お前には何も期待していない。
──拾ってくれたのがお前でよかった。
「……なんなんだよ、もう」
わけもわからず、千早は床に身を放り投げたのであった。