『零式 夢幻凌駕』
『白夜』
お互いの矜持がぶつかり合うこの瞬間。鈴木家など一瞬で吹っ飛んでしまいそうなほどの衝撃。魔力と魔力が波を起こして、辺りの気全てを揺らしている。
「!?」
千早は目を見張った。
勝者は、いなかった。
お互いの繰り出した大技は、時の止まるが如く完全に相殺されたのである!
「……おいおい、十六夜。やるじゃねぇか」
「お前こそ。今のは確かに効いた」
軽口を叩いてから、二人は再びぶつかり合う。英雄同士の戦い。そこに際限などないように思えた。少なくとも、その時の千早には。
「では……行くぞ!!」
冬町は再び平良へと迫った。実は先程の大技、『白夜』はそれほど魔力量を多く必要としない技なのだが、平良の『零式 夢幻凌駕』に関しては一撃必殺である為非常に多くの魔力を消費していた。
よって、あの技を相殺された時点で、平良はかなり厳しい状況となることがある程度予想出来ていたのである。
であれば、冬町にとっては好都合。積極的に技を打ちやすくなる為、攻めに転じられるようになる。先程までの拮抗状態からは一転、冬町がより手数を増やして、平良を押し始めた。
「クッ……!」
気づけば防戦一方になり、やがて平良は力でも押し負けるようになった。刀と剣とがぶつかり合うたびに、赤髪の体躯が後ろに押されていく。結界の外に押し出されないように、銀庭の角で足を踏ん張るのがせめてもの抵抗だった。
「ぐはっ……!」
そして、妖気を纏った刃が、平良の腹をまともに捉えた。耐久性に優れるその鎧を正面からぶった斬り、肉体を深くえぐった。
「…………ッ」
騎士の表情が歪んでいく。主はもう、このフィールド内にいない。しかし自分を信頼して彼は去ったのだ。絶対に負けるわけには行かない。
「強い」
千早は呟く。誰がどう見ても、冬町が押している。しかも余力を残しているようにも見える。
千早は何をするでもなくただ呆然とその戦いを見つめていた。自分の拾った女の子は、こんなにも強かったのか。冬町は自分より何回りも大きい男を圧倒している。こうなれば大剣はただの鉄塊だ。
「クソ……もうお前はもういい!」
千早は安心しきっていた。心の中でどこか、「自分は狙われないだろう」と高をくくっていた──いや、そう思い込むことで狂いそうな心をなんとか繋ぎ止めていたのかもしれない。
「き、貴様! どこへ行く────!」
髪だけでなく全身も真っ赤に染まった平良は、最後の力を振り絞って冬町の射程から逃れると、加速し、遥か遠くにいる千早のところまで到達した。
「え……?」
「せめてお前だけでも──消えろ、雑魚」
千早は本能的に死を悟った。巨大な壁のような大男を前に、体がキビキビ動くほど命知らずではない。
平良はその大剣を振り上げた。今までに体験したことのない殺意と魔力に、少年はおしっこをちびりそうになった。
「あ……ぁ」
何か声を張り上げようとするが、掠れた音のみが喉の先からこぼれ落ちるだけだ。千早は考える。死にたくない。しかしそう思えば思うほど、確かな「死」が迫ってくるようで。
千早は己の慢心を認めた。そして、次のような腐れ言を吐いたのである。
「え、英雄が俺如きに来るか。この卑怯者ッ!!」
汗をダラダラと流し、ワイシャツは透けている。顔は引きつり、足はわなわな震えている。
それでも、千早は睨んでいた。目の前の困難から目を背け、自分を殺めようとしている英雄の目を。
「あ……?」
一瞬。ほんの一瞬、平良の動きが止まった。そして、一度振り上げた剣を下ろした。
額には汗が浮かび、目には怒りの火が灯る。
こいつ、この俺に向かって今なんと──
「……この雑魚が!! 潰れろ────!」
平良は我慢ならなかった。小僧風情が、この俺に向かって妄言を吐いたか。ならば死ね。平良は大剣を振り上げた。しっかりと殺意を込めて。
せめてお前だけでも──失せ────!
「────貴様がなッ!」
その声の主は、言わずもがなであった。一閃。確かな輝きを纏った一撃が、
「……!!」
無防備な剣士の背中を、斜めに深く、深く斬りつけた。赤髪は大量の流血にうめき声を上げる。
「ぁ…………」
やがて、平良は地面に膝をついた。すぐに顔面から倒れなかったのは、剣士としての矜持が働いたからだろうか。
「…………この気分も……………………二度目か」
絞り出すような声で、平良はそう言った。血を吐くと、うつ伏せになって地面に沈んだ。渦巻くような魔力の流れが、止まった。
嵐が、過ぎ去ったのである。
「千早……」
低い声で名前を呼ばれる。千早は体をびくっと震わせると、慌てて冬町の方を見た。
冬町は鬼の形相をしていた。紅く染まった刀を鞘に仕舞うと、千早の胸ぐらをつかんだ。
「この馬鹿者が!! 何故準備を怠った。お前も狙われる立場にあると、十分わかっていただろうに!」
「ご、ごめん──」
千早は訳もわからず頭を下げた。恥ずかしかった。冬町が守ってくれなかったら、自分は間違いなく死んでいた──先程は気が動転して、どうやって切り抜けたか。全く覚えていない。
冬町は鬼の形相でまくし立てた後──千早の胸にかけていた手を放した。そして、柔らかい腕を彼の背中に回す。
「生きていて良かったッ……! 本当にっ……!」
溢れんばかりの涙を流しながら、冬町は千早の身体を強く抱きしめたのだ。
「冬町……」
千早は釣られるように腕を回した。彼女の頬に伝う涙をそっと拭う。彼女は泣いている。自分より遥かに大きい男をその強さと勇気を持って倒した。そんな強い彼女が泣いている。
泣いて、いるんだ。
「ごめん。冬町……ありがとう」
「間に合ってよかった。……一瞬でお前を救えるはずの私にとって、振り切られたとわかったその瞬間だけは……あまりにも長かった」
体を放す。顔を真っ赤にしている冬町を見て、千早はもう一度抱き締めたくなった。
いや……俺は抱き締めたんじゃない。抱き締められたんだ──。
「生きてるのが奇跡なくらいだ」
千早は自らの手に視線を落とす。たしかに生きている。手はある。足も。身体も。
「冬町も、女の子なんだな」
「ど、どういう意味だ」
「嬉しいときは笑って、悲しいときは泣くんだろ。今の冬町、めっちゃくちゃ女の子っぽい」
何を言ってるんだ、と言って冬町は苦笑する。そうだ。千早は、一つ勘違いしていることがある。
「……日が昇ってきたぞ」
冬町は東の空を指差した。千早もまた朝焼けを見上げる。その青混じりの緋色に心を委ねた。
そう。冬町は悲しくて泣いていたのではない。
千早を助けることができた。嬉しかった。だから、泣いたのだ。