金曜日の昼。五傑の一人である平良に勝利したのも束の間、一眠りしたあとの冬町はやはり怒りに満ち溢れていた。
「『英雄。俺如きに来るか……』阿呆が!! 足りない頭で必死に絞り出した言葉がそれか! 相手の怒りを逆撫でしてどうするのだ!」
「いや、あの……マジすんませんでした」
テーブルをはさんで、千早はひたすら頭を下げていた。冬町は怒りながら、朝ご飯として出された鮭の塩焼きを口に運ぶ。
「大体……もぐもぐ……お前も……鍛錬を怠るから……もぐもぐ」
「飲み込んでから喋れよ! 喉につまらせても知らんぞ!」
「もぐもぐ……しょうがないだろう。千早の作る料理はうまい。こんなにも美味い朝飯は初めてだ」
冬町はかなりご満悦の様子であった。千早もまた褒められて満更でもない表情で頷く。
「それよりも……昨日のあれはなんだ」
「あれって?」
「貴様と平良が相対したときのことだ!」
再び怒り心頭の冬町。こうなったら美味い飯でも止められない。
「まさか仁王立ちで応じるとは──呆れた。お前は命の危険が迫る時、構えの一つも見せんのか。大体、堂々と死を受け入れてどうする。人生は一度きりだぞ! あいつの足にしがみつくくらいの度量を見せてもいいだろうに!」
「でも冬町は二度目の人生じゃ……」
「屁理屈を言うな!!」
「すいません!」
全く、と吐き捨てて冬町は手を合わせる。「ここに置いておく」と言って水道に皿を下げ、洗面所へと消えた。
朝食から続いた説教が終わり、千早はようやく気を楽にする。
「本当に俺のご先祖様は……厄介なもんだ」
皿洗いをしながら、千早は独りごちる。倒れていた彼女を見殺しにしたら、自分は今頃どうなっていただろう。そんな意味のないことを考えてしまう。しかし無責任ではありたくない。どんなに自分が役立たずだとしても、だ。
「もしかしてあいつ……この時代を終わらせられるのかも」
千早が言っているのは、魔術大戦争時代のことだ。魔術で国を支配しようと企む者や、それを阻止しようとする者、特に理由もなく魔術師を狩る者。それぞれの勢力が拮抗し、ある意味バランスのいい情勢ではある。
しかし既に仮面をつけた黒魔術師が不穏な動きを見せているように、国内で大規模な戦闘が起きるのも時間の問題。冬町が自分の元に現れたのは偶然だろうか。いずれにせよ、これから世界が大きく動くことに疑いの余地はないのである。
「千早」
ふと、そんな声がした。洗面所の方からだ。
「んー? どうした……」
水を止めて、千早が振り返った瞬間。
そこには一切の衣服を身に着けず、素っ裸で立っている冬町がいた。
「お、お前、なんで全裸なんだよ!!」
「何を言っている。風呂に入るときは衣服を脱ぐのが常識だろう」
細身ながら鍛え上げられた身体を晒す冬町。千早は思わず洗っていた皿を落とした。
「右の蛇口がお湯で、左が温度調節だ! わかったらさっさといけ! この全裸女が!」
「裸で何が悪いのだ。私は男として育てられたのだぞ」
「男でも全裸で歩き回られたら困るわ! ……まったく、少しは恥ずかしがれよ」
女の子なんだから、と言って千早は皿洗いを再開した。
「……」
しばらく皿と皿とがぶつかる音を聞きながら、冬町は千早を見ていた。やがてしばらく見つめたあと、手で胸を軽く押さえて、風呂場へと消えた。
「ようやく行ったか……」
千早は冬町が風呂場に消えるのを見届けてから、最後の皿を置いた。そして、近くにあった竹刀を取り出した。
そうして、パジャマからジャージに着替え、庭へと躍り出る。
「…………」
千早は竹刀に魔力を流し込もうと試みる。出来たかと思い素振りをしてみるが、魔力量が少し足りず、明らかに迫力不足の、魔術師の道具としては物足りない感じになった。
「やるしかない。毎日、特訓だ」
千早は再び竹刀を構えた。昨日の一件を経て、自分は弱いと再確認できた。冬町が来てからというもの少しは魔力量が増えたが、彼女に比べれば微々たるものだ。
ならば少しでも特訓し、基礎体力を底上げするしかない。千早は気合十分であった。
『プルルル、プルルル……』
すると、置いてあった携帯が鳴った。
学校からだろうか。たしかに今日は平日だ。一応欠席する、と留守電を入れておいたのだが……集中していた状態に水を差された格好になり、千早は少々口を尖らせながらも電話に応じた。
「もしもし。鈴木です──」
『こんにちは。藤波よ』
げっ。
携帯の向こう側から聞こえる声は、何かと苦手な同級生のものであった。
『千早くん──随分と元気そうじゃない?』
「ハハ、アハハ……」
やばい。
むやみに電話に出るんじゃなかった。
『私、千早くんがいないと寂しい〜♡ ねぇー、なんで休んで……』
「……ゲーホゲホ!!」
千早は咳をしている振りをすると、鼻水をすすってから言った。
「ゴメン……普通に具合悪いんだ」
『そ、そうだったんだ……体暖かくして、安静にするのよ』
お大事に、と言って藤波嬢は電話を切った。
会話が終了した瞬間、千早はフーっと息を吹いた。
「あぶねー!!!!!」
千早は冷や汗をダラダラと流して言った。もし藤波嬢に冬町の存在が知られたらシャレにならない。そうなれば魔術師の名門出身とバレたり、とにかく絶対にいい事にはならないと思われる。
とはいえ……胸糞悪い。他人を騙すのは死ぬほど気持ちが悪いことだと知り、千早は罪悪感に駆られた。
「…………ふぅ」
千早は深呼吸をしてから、竹刀を握った。冬町は長風呂だと言っていたから、もうしばらくは己の研鑽に打ち込めそうだ。学校は一旦休み、いつか来る戦いに備えるべく──千早は特訓を始めた。
ーーー
「風呂上がったぞ、千早」
「お、おう」
ホカホカの状態で出てきた冬町は、かしこまって座る千早にそう言った。
「……なんだ。妙に汗をかいているが」
「さ、さぁ? そんなことより、冬町は何か訊きたいこととかないのか」
明らか不自然に誤魔化そうとする千早。冬町は目を細めたが、やがて腰を下ろして言った。
「では、千早。聞かせてもらおうか」
「何を?」
「この時代の魔術師についてだ。勿論、平和だとは微塵も思わんが」
テーブルを挟んで、冬町はそんなことを言った。
「あぁ。……残念ながら平和じゃない」
「だろうな」
「この時代の魔術師たちは血気盛んだ。天下を取ろうと夢見る魔術師と、それを阻止したい魔術警察──『トラスト』が毎日毎日争ってる」
千早はお茶に口をつけたあと、更に続けて話した。
「特に隣町の『衛府市』は酷いもんだ。あそこに住んでる一般人が気の毒でならない。最近はSNSも普及して魔術の秘匿も何もあったもんじゃないしな。冬町の時代がどうだったのかは知らんが、恐怖で市民の方たちは生きた心地がしないだろうな」
「なるほど──」
冬町はしばし頭の中を整理した後、口を開いた。
「覇権争いか……庶民が困っているのなら、それはとても看過できんな」
「げっ」
「ここで活躍してこそ、現世に蘇った意味があるというものだろう?」
よし決めた、と言って冬町は立ち上がった。
「千早。お前は私の身の世話をしてくれ。私はこの時代で天下を取る! そして庶民の平和を取り戻そう!」
「ダメだ。冬町」
間髪入れずにそう断ったのは、千早だった。
「……何故だ?」
「忘れてるかもしれないが、俺は十六夜家、いや、魔術の世界から逃げた卑怯者だ。今更、魔術師として世間に顔向けすることはできない。それこそ、虫が良すぎるってもんだ」
「そんなことはないだろう。昨日の晩、『困っている人を放ってられるか』と私を助けた時に言っていたではないか。今も一緒だ。お前は、今困っている庶民を放っていられるのか」
「でも、俺は……俺のような弱者が戦場に繰り出せば、すぐに殺されてしまうだろう。それに」
「千早!」
ガチャン。テーブルに身を乗り出し、冬町は千早の胸ぐらをつかんだ。端に置いてあった皿が揺れて落ちそうになる。
「出来るかできないかで物事を決めるな! 問題はお前にそれをやる覚悟があるかどうかだろう!」
「……!」
冬町がまくし立てる。しかし、千早は何も言わない。
「ハッ、見損なったぞ千早。実力だけでなく志も低かったとは」
冬町は手を離すと、おもむろに立ち上がった。そして洗濯してあった袴をTシャツの上から羽織ると、ドアの方へと向かっていく。
「ちょ、ちょっと待て!」
「短い間世話になった。覚悟の無いやつを連れて行くほど私もお人好しでない」
そして去り際に深く礼をして、冬町は千早の邸宅を後にした。
千早は慌てて追いかけたが、外に出た時にはすでに、冬町は近くにいなかった。
「…………」
覚悟のない自分を、まざまざと見せつけられた。千早は、そこから動くことが出来なかった。
いや、忘れよう。今までのことは。これで元通りになるだけだ。魔術とは無縁の、平和な暮らしに戻るだけなのだから。
「俺は落ちこぼれだ。今更戦場に行ったところで、野垂れ死にするだけ……」
自分に言い聞かせるように、千早は繰り返しつぶやく。
なんて情けない。しかし仕方ない。
自分には本当に実力が無いのだから。
「それにしても勝手な行動ばかり……勝手に期待して失望した、俺の親みたいだ」
もう顔も覚えちゃいない。自分には一切見向きもせず、魔術師としての才があった兄ばかり寵愛した親のことなど。
もう、どうでもいいのだ。自分は一般人として生きる。そのためにこの邸宅に引っ越してきたのだから。
「…………」
────不意に思い出した。
あの時、抱きしめてくれた彼女の温もりを。
泣いてるように笑っていた、冬町の表情を。
「クソ」
……クソ!
「どうして俺は弱いんだ。どうして、どうして……」
千早は扉に強く拳を叩きつけた。
冬町を助けた時だってそう。彼女を見殺しにすることだってできた。救急車を呼んで行政に任せることだってできたはずだ。
しかしそうはしなかった。本当は、彼女を助け、そうしたことで自分に起きる何かに『期待』していたんじゃないか。
「クソ………………!!」
千早は一人、ドアにもたれかかって泣いた。後悔しても遅い。現実は甘くない。痛みを伴わない経験に、さして大きな意味はなかったのだ。