ついに神々による聖域侵攻が始まった。
マルス、アポロン、アベルの3神がそれぞれの闘士を率いて攻め寄せてきた。
姿を消して行方の分からないサターンも何処かのタイミングで参戦するだろう。
火星士《マーシャン》、天闘士《エンジェル》、コロナの聖闘士と歩調を合わせるかのように刻闘士《パラサイト》が参戦しているのだから。
聖域からも黄金聖闘士を筆頭に全ての聖闘士達が迎え討つ。
その中には光牙達、パライストラの生徒の姿もある。
かつてない規模の戦いが始まろうとしている。
そう、まさに史上最大の聖戦の開幕であった。
だが、この戦いにおいてハーデスやポセイドンが参戦する事は叶わなかった。
マルス達3神が地上に降臨し、コスモを荒ぶらせている事で天変地異が誘発されていた。
アテナ達は、地上、海界、冥界において調和を保つことで天変地異を抑えていた。
ハーデスやポセイドンが地上で力を振るえば、調和が乱れ、壊滅的な被害が出る恐れがあるため直接地上に赴くことは出来なかったのだ。
アポロンと天闘士たちは、聖域を進んでいく。
立ち塞がる聖闘士を前に天闘士が足止めし、主人であるアポロンを先へと進ませる。
天闘士と戦う聖闘士の中に魔鈴の姿もあった。
魔鈴は、戦いの中で相手の天闘士に懐かしさを感じていた。
魔鈴が戦っていた仮面の天闘士は、唯一の人間の天闘士であり、魔鈴の生き別れた弟でもあった。
二人は戦いの中で再会したのだった。
姉弟であっても、互いの立場ゆえに戦わなければならない。
アポロンは、人間に対して厳しい態度を取っている。
それは、彼の優しさ故の態度だった。
全ての人間を愛すれば、守りきれずに傷付く事になる。
それだけ、人間はか弱い存在だった。
だから、人間と距離を取っていたのだ。
同時に一度懐に入れた者は大切に扱う。
人間である斗馬を天闘士として迎え入れたくらいだ。
そんなアポロンを先に進ませるために残ったのだ。
相手が姉だからと戦いを止める訳にはいかない。
これは、足止めの為の戦いだった。
だが、いつからか戦いの意味が変わっていく。
姉弟の離れていた時間を埋めるかのようにぶつかり合う。
彼らの戦いは、まるで家族の語らいのようだ。
二人の間を飛び交う拳が、離れていた空白を埋めていく。
今まで、どんな風に過ごしていたのか。
互いの拳から、感情が、想いが伝わって来る。
魔鈴は、安堵していた。
少なくとも、弟は不幸ではなかった。
こうして元気な姿をもう一度見せてくれた。
だが、満足して負けてやるつもりもない。
姉としての意地がある。
それ以上に、
「これでも、あのシャイナに認められた聖闘士だからな。
あいつに勝てなくても、かつてのライバルとして恥ずかしい真似は出来ない!」
シャイナは、聖域の切り札としてアテナの側で護衛を務めている。
自分達を突破されても、最後にアテナの前にシャイナが立ち塞がってくれている。
聖闘士たちが後ろを気にすることなく戦いに集中できているのは、そのお陰だ。
それでも、昔は共に腕を競い合ったのだ。
勝手に友人だとも思っている。
ここで勝ちたいと思うのは、魔鈴の聖闘士としての意地だった。
結局、疲れ果て、互いに立ち上がれなくなるまで殴り合ってしまった。
並んで仰向けになり、空を見上げながら、姉弟は笑っている。
斗馬は、姉と生き別れた時の無力感から人間の弱さに絶望していた。
だから、天闘士として力を求め、神に近づこうとしていたのだ。
そんな斗馬にとって、戦いを楽しいと感じた事は初めてだった。
姉との戦いは、斗馬の心を変えていった。
この感覚がハーデスやポセイドンを変えたのだろう。
なら、この戦いでアポロンも変わる。
そんな予感がしていた。
先に進んだアポロンの前に一人の男が現れた。
それは、人間形態のミューだった。
自らが地上に赴く事ができないハーデスが、カシオスの下に信頼できる部下を送っていたのだ。
ミューは、アポロンに最後まで付き従っていた最強の天闘士を超能力で縛り付ける。
「この先でカシオスが待っている。
今度は、こちらが足止めする番だ。
この男には、私の相手をしてもらう」
「オデュッセウスよ、此奴の相手は任せたぞ」
「はっ、お任せください。
必ずこの男を倒し、追いついてみせます」
アポロンは、ミューの相手を部下に任せて、カシオスの下へと向かう。
相手は、あのハーデスを下した漢。
恐怖がないと言えば嘘になる。
だが、アポロンにも男としての意地がある。
人間が神殺しの力を手にしつつある今、妹を守るために戦える漢になる。
そう決意して、聖域に来たのだ。
徒党を組んでは意味がない。
自分一人の力で立ち向かわなければならないのだ。
アポロンがカシオスの下へ向かう姿を見届けた後、オデュッセウスはミューの超能力を弾き返した。
「ふっ、元より足止めが我らの役目。
アポロン様がこの場を離れるまで大人しくしていただけの事。
その程度の力では、足止めすら出来んぞ!」
「カシオスと言う漢と戦えば、アポロンも変わるだろう。
私も変わったのだ。
もう、戦闘形態となる事に忌避はない!」
今の人間形態では勝てる相手ではないと感じ取ったミューは、戦闘形態へと変身する。
悍ましい化け物の姿に変わる事への躊躇はなかった。
そして、その心の変化は、身体にまで影響を及ぼしていた。
かつての戦闘形態は、確かに悍ましい怪物と言える姿だった。
だが、今、友の為に立ち塞がるミューの姿は怪物と呼ばれるような姿ではなかった。
それは、威厳や気品すら感じさせる蝶の騎士とでも言うべきか。
もう、魔物としてのミューはいない。
ここにいるのは、己が仕える神の命を受け、友の為に戦う漢だった。
その気高い魂がパピヨンの冥衣の形にすら変化を齎したのだ。
ミューもまた、カシオスとの戦いを経て成長していた。
最強の天闘士を相手に互角以上に戦い、釘付けにする。
カシオスとアポロンが心行くまで戦えるように。
カシオスの前にアポロンが立つ。
その鋭い視線がアポロンを貫く。
まるで、自分の中の弱さを見透かされているように感じる。
アポロンが迷いを振り切るかのように、神としての力を全力で振るう。
神としての権能による太陽の如き熱を持った衝撃波がカシオスを襲う。
神の力が吹き荒れた後、カシオスは無傷で立っていた。
アポロンにとって信じられない結果だった。
自分は確かに神としての力を全力で放った。
カシオスをこれで倒せるとは思っていなかったが、無傷で済むはずがなかった。
アポロンは、己を鍛えてきた。
神でありながら、弱さを克服しようと初めて強くなる為に努力した。
そんな自分の全力が効きすらしなかったのだ。
呆然としたアポロンは、カシオスに殴り飛ばされていた。
「何故だ?
確かにハーデスに比べれば、神としての格は一歩劣る。
だが、それほど大きな差は無いはずだ!
何故、効かない!?」
「最後に一歩を踏み込む勇気が無いからだ。
そんな腰が引けた攻撃に想いは乗らねえよ」
「なっ!」
やはり、カシオスには全てを見抜かれていたようだ。
虚勢を張るためにアテナの力すら無に等しいなどと嘯いていたが、拳に全てを込めて、深く踏み込む事が出来なかった。
だからこそ思う。
ここで踏み込めなければ、何のために努力したのだ?
自分の臆病さを克服するために、ここに立っているのだ。
もう自分を誤魔化すのは止める。
妹を守るためにハーデスの前に立てなかった、嘗ての自分を変えたいと思ったのだ。
神としてではない。
男として、妹達の前では頼りになる兄でいたい。
自分の中にあるのは、そんなちっぽけな意地だった。
その意地を通すために聖域に来た。
アポロンが拳を強く握る。
心から勇気を搾り出して、それを全て拳に込めて踏み込む。
それは、今までで一番の踏み込みであった。
深く、力強い踏み込みから繰り出された拳がカシオスに突き刺さる。
カシオスが大きく仰け反り、身体ごと後方に押し戻される。
「やりゃあ、出来るじゃねえか」
殴られたカシオスの顔には笑みが浮かんでいた。
かつての自分が範馬勇次郎に対する恐怖を克服したように、目の前の男は勇気を持って踏み込んで見せたのだ。
こいつは、俺の前で漢を見せた。
なら、それに応えなけりゃ漢が廃る。
カシオスも深く踏み込み、アポロンを殴る。
吹き飛ばされたアポロンだったが、その心からは今まで感じた事のない感情が溢れ出てきた。
恐怖を克服した歓喜ではない。
殴り飛ばされた屈辱からの怒りでもない。
なんとも形容し難い、熱い想いが尽きる事なく溢れ出てくる。
この衝動を目の前の漢にぶつけたい!
立ち上がったアポロンの目には、神としての傲慢さも、それに隠された弱さもなかった。
ただ目の前の相手に自分の全てをぶつけたい。
そんな太陽のように燃え盛る熱だけが宿っていた。
カシオスが裾を掴み、破りながら脱ぎ捨てる。
褌姿になったのだ。
アポロンも知っていた。
これは、カシオスが相手を認め、本気で喧嘩をする時の姿だと。
その事実がアポロンの心を更に熱くさせる。
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
全身に力が入る。
身体の内側から溢れ出る衝動を抑えきれないとばかりに叫び、カシオスへと踏み込む。
カシオスも迎え撃つ。
熱く燃え上がるコスモ、そのままに激しい打撃戦が繰り広げられていく。
今のアポロンですら、何度も殴り飛ばされる。
その度に立ち上がり、向かっていくが、跳ね返される。
ハーデスすら下したカシオスの壁は、厚く、高かった。
それでも諦められない。
一度でいい。
この漢に勝って、頼れる兄の背中をアテナに見せたい。
その想いがアポロンを駆り立てる。
勝利への道を模索させる。
どれほど全力でぶつかってもカシオスと言う壁は砕けない。
そんな絶望的な状況でも、アポロンの戦闘センスが勝利へのか細い道を導き出していた。
「太陽のように燃え上がれ、俺のコスモ!」
アポロンの全てを込めた拳がカシオスの拳を捉え、砕いていた。
「俺の力では、お前の身体を砕く事は出来ない。
だが、全てを込めれば拳だけなら砕くことが出来るようだな」
それは、ある意味、自爆であった。
確かにカシオスの拳は砕けた。
だが、アポロンの拳も砕けている。
全てを拳に込めて、それでも相打ちが精一杯。
そして、それでもカシオスは止まらない。
砕けた拳を握る。
砕けた拳のままに再び殴りつけようとしている。
「なんと言う漢だ。
ならば、何度でも砕いてやる!」
カシオスの拳を今度は肘で迎え撃つ。
アポロンは感じていた。
拳と肘を犠牲にしてカシオスの拳を完全に破壊した感触を。
最初の激突も相打ちではなかった。
カシオスの拳を砕けはしたが、打ち負けてアポロンの拳は完全に砕けてしまっていた。
だから、二度目は肘を使ったのだ。
犠牲は大きかったが、それだけの価値はあった。
これでカシオスの右拳は使えなくなった。
後一手、それが上手くいけば勝利を手繰り寄せられる。
アポロンは、深く集中していく。
そんなアポロンにカシオスが拳を振るう。
それは、やはり左拳だった。
(狙い通りだ!)
アポロンがその拳を躱す。
そのまま、左腕に飛び付き、足と手を使い締め上げる。
そう、この戦いで初めて関節技《サブミッション》が使われたのだ。
アポロンは、格闘技に習熟している訳ではない。
だが、相手が左しか使わないと分かっているなら、その左腕を捕える事が出来るだけのセンスがあった。
小手先の技に頼らないカシオスは、拳を振り切っていた。
アポロンは、その伸び切った腕の関節を折った。
地面に降り立ったアポロンは、勝ちを確信していた。
右拳は、完全に砕かれている。
左腕は、肘関節を壊した。
(よし、これで俺の勝ち・・・)
そんなアポロンの顔に拳が叩きつけられた。
完全に砕かれた右拳。
それでもなお、構わず叩きつけてきたのだ。
吹き飛ばされたアポロンは、何が起きたのか直ぐには理解できなかった。
だが、身体に刻まれたダメージは明確に伝えていた。
拳を砕かれたくらいでは、カシオスは止められなかったのだと。
そう理解したアポロンには、もう立ち上がる力は残されていなかった。
「惜しかったな。
ガラスの一枚でも口に含んでおけば良かったな」
「?
どう言う事だ?」
「最後に殴られた時に丁度いい気付けになっただろうって事だ」
「なんだ!それは!?」
「喧嘩のためにそこまでする馬鹿も何処かにいるって事だ」
アポロンは、衝撃を受けていた。
カシオスの様子から実際にそんな真似をした奴がいたのだろう。
「俺の負けだな。
闘技者としては、まだまだ未熟だったようだ」
人間は、弱く脆いと思っていた。
だが、それは間違いだったのだろう。
いや、大多数の人間が弱いのは間違いない。
戦いに生きる者たちの覚悟が神々の理解すら超えているのだ。
アポロンの中には、熱が残り、燻っている。
自分は今日、闘技者として歩き始めた。
まだまだ、彼らに比べれば未熟だ。
だが、この熱がある限り、自分は戦えるだろう。
「あんたは、組長《アテナ》の兄貴なんだろう?
なら、次は遊びに来たらいい」
ハーデスが変わった訳が、今なら理解できる。
今までの聖戦は、地上の覇権を賭けた、ただの殺し合いだった。
それは、尊厳すら奪うだけの戦い。
だが、この漢の戦い《喧嘩》は違う。
互いに傷付けあったのに、相手に対して絆のようなものを感じている。
ああ、悪くない気分だ。
「そうだな。
ハーデスとは、酒を酌み交わしているそうじゃないか。
次は、酒に付き合ってもらおうか」
「いい酒を用意しておく」
思わず笑っていた。
これほど朗らかに笑えたのは初めてだった。
新たな関係を築く事が出来る戦いもあると知った。
アポロンもまた、人間を認めるようになったのだった。