聖域、巨蟹宮にて蟹座《キャンサー》のデスマスクは、侵入してきた青銅聖闘士、ドラゴンの紫龍を積尸気冥界波によって黄泉比良坂に叩き込んでいた。
「ふはっはっはっはっ!
所詮は青銅聖闘士、容易いものだったな」
自らの行いに否定的な言葉を話していたが、力がなければ無意味なのだ。
生意気な事を言っていたが、弱者の戯言に過ぎなかった。
デスマスクは、紫龍の無様さを高らかに笑っている。
そんなデスマスクの前に男が現れた。
教皇が獅子座《レオ》のアイオリアを洗脳したと聞いて、獅子宮に向かう途中のカシオスだった。
「雑兵が俺の巨蟹宮に何の用だ」
クロスも纏わぬカシオスの姿に、デスマスクは雑兵だと判断していた。
事実、カシオスの聖域での身分は雑兵なので間違ってはいない。
「別にあんたに用はない。
アイオリアに用があってな」
「アイオリアの所にだぁ?
何の用か知らんが、さっさと行け。
雑兵が俺の巨蟹宮にいつまでも土足でいるんじゃねえ!」
カシオスにとって、デスマスクの小物じみた態度は興味をなくすのに十分なものだった。
獅子宮に向けて先に進もうとするカシオスだが、見過ごせないものを見つけてしまった。
「女、子供の顔が浮かび上がってるな」
そう、巨蟹宮の壁や床に浮かぶデスマスクが過去に殺した者の顔の中に女や子供の苦しそうな顔がある事に気付いたのだ。
「ああ、悪を懲らしめるためにまきぞえになったガキどもの事だな。
地上で正義を成す俺の役に立ったのだから、そいつらの命にも価値が出たってものだ」
そう言って笑うデスマスク。
その顔に拳が突き刺さる。
吹き飛ばされていくデスマスクにカシオスは冷たい視線を向けていた。
カシオスの前世である花山薫は極道だ。
当然、命のやり取りは日常だった。
だが、そんな中にも仁義がある。
カタギの人間には手を出さない。
そういった美学《ポリシー》を持って生きてきた。
それでも巻き込まれる者は出てしまう。
だから、極道は日陰者なのだ。
だが、デスマスクは女、子供を巻き込んでおきながら自らを正義だと言ったのだ。
それは、カシオスにとって見逃すことの出来ないものだった。
「アイオリアの所に行く前に、野暮用が出来ちまったな」
これは、カシオスにとって心を熱くさせる喧嘩ではない。
だが、目の前の男を小物だからと見逃すつもりは、もうなかった。
殴られ、吹き飛ばされたデスマスクは激昂していた。
「おのれ!雑兵風情がこの俺を殴りやがったな!
貴様もさっきの紫龍と同じ輩か」
聖闘士ですらないカシオスに殴られたのがよほど頭にきていたのか、凄まじい勢いでコスモを高めていく。
そして、
「てめえも冥界に行きやがれ!
積尸気冥界波!」
先程の紫龍に続いて、カシオスまでもその肉体ごと黄泉比良坂へと飛ばしてしまった。
デスマスクの完全勝利かに思われた。
しかし、デスマスクの顔には何か気に入らないと言う表情を見せていた。
「ちっ、何処の何奴か知らないが邪魔が入ったか。
紫龍が黄泉比良坂の手前で落ちていやがる」
そう、デスマスクは紫龍を冥界に飛ばした時に外部から妨害を受けた事に気付いていた。
そのため、紫龍が黄泉比良坂を登る事なく現世に戻ろうとしている気配を感じたのだ。
「まあいい、この俺自らが引導を渡しに行ってやる。
冥界までは妨害も出来まい」
そう言って、デスマスクは冥界に向かっていった。
聖域、聖闘士養成機関『パライストラ』校長室
どうも、パライストラ新聞部です。
今日は、パライストラの校長にして天秤座《ライブラ》の黄金聖闘士でもある紫龍先生に話を聞かせていただける事になりました。
「それでは、さっそく話を聞いていきたいと思います。
紫龍先生、よろしくお願いします」
「はい、よろしく」
「今日は聖域で、もはや伝説となっているカシオスさんの戦いについて詳しく聞きたいと思います」
「そうだな、最も有名なのはハーデスとの戦いだが、あの戦いの詳細はすでに広まっている。
今日は、私が初めてカシオスと言う漢を知った時の話をしよう」
そう言って、紫龍先生は懐かしそうに過去を話し始めた。
「当時、アテナを救うために黄道十二宮に挑んでいた私は、巨蟹宮でデスマスクに冥界へ飛ばされてしまった。
冥界の地でデスマスクに追い詰められて、黄泉比良坂の穴に落とされようとしていたんだ」
黄泉比良坂の大穴で紫龍は追い詰められていた。
穴の淵に手をかけて、かろうじて落下を免れている状態だ。
だが、それも長くは持たないだろう。
デスマスクがその手を踏みつけているのだから。
そのデスマスクに、過去に殺された亡者たちが群がる。
デスマスクの非道な行いによる犠牲者たちだった。
彼らの恨み、辛みの念は凄まじく、見ているだけの紫龍すら怖気付くほどのものだった。
そんな亡者たちの反乱にデスマスクも最初は驚いていたが、すぐに落ち着きを取り戻す。
この冥界において自分に敵う者などいない。
「うっとうしいわ、この亡者どもが!」
デスマスクは、纏わりついてきた亡者たちを吹き飛ばした。
自らにあれ程の負の感情をぶつけられたのに、その精神は揺るぎもしなかった。
絶対的な強者の自負。
強さこそが正義であると言うデスマスクの信念が感じられた。
「くっ、何という強靭な精神力。
これが黄金聖闘士の強さなのか」
紫龍も認めざるを得ないと思ってしまった。
デスマスクの在り方は気に入らないが、正義のための戦いでどれほどの犠牲を出しても決して後悔しない強靭な精神力に、これも強さの一つなのかと思ったのだ。
「紫龍先生にも、そんな風に思う時があったんですね」
「はははっ、私も昔は若かったんだ。
あんなものが強さではないとすぐに見せつけられたよ。
そう、カシオスが現れたんだ」
亡者を蹴散らし、紫龍を穴に落とそうと近づくデスマスク。
紫龍が絶体絶命の危機を迎えた時、その漢は現れた。
足音がゆっくりと近づいて来る。
その音に気付いた二人が視線を向ける。
そこには、クロスも纏わぬ巨漢の男が堂々と歩いてくる姿があった。
「なんだ、あの雑兵も冥界のどこかに落ちてたのか?
奴を飛ばした時に妨害は感じなかったんだがな」
デスマスクに動揺はない。
いまさら雑兵が一人来ようが何の脅威でもないからだ。
それは、紫龍も同じだった。
近づいて来たのが聖闘士ではないと分かって、先程の亡者たちのように蹴散らされると思っていた。
「ふん、ちょうどいい。
この俺を殴った事を後悔させてやる。
俺の手で黄泉比良坂の大穴に投げ落としてやろう!」
冥界で圧倒的なアドバンテージがあるデスマスクは、紫龍を殺すことを後回しにする余裕があった。
カシオスがデスマスクの前に立つ。
二人はすでに互いの間合いに入っていた。
デスマスクの拳がカシオスの顔に突き刺さる。
(気持っちいいぃぃーーー!!)
デスマスクの連打がカシオスを打ち続ける。
デスマスクの顔には愉悦が浮かんでいた。
この圧倒的な力で相手をぶちのめす感覚。
しかも、正義の名の下に堂々と行えるのだ。
(黄金聖闘士ってサイコーーー!!)
デスマスクは、カシオスをサンドバッグにすることに夢中で気付かない。
黄金聖闘士に殴られ続けているカシオスが揺らいでいない事の不自然さに。
デスマスクがようやくその不自然さに気付き、殴る手を止めた。
そのデスマスクの顔にカシオスの拳がめり込む。
デスマスクが遥か後方に吹き飛ばされ、転がっていく。
「馬鹿な!この俺が吹き飛ばされるだと?
ここでは、クロスなど何の役にも立たないは・・ず」
デスマスクは言いながら気付いた。
カシオスがクロスなど最初から纏っていないことに。
だから、自分もカシオスを雑兵だと断じた。
最初から己が身一つで戦っているのだ。
そう、巨蟹宮で殴り飛ばされた時から。
クロスはコスモを込めなければただの丈夫なプロテクターに過ぎない。
聖闘士の戦いで、その圧倒的な攻撃力から身を守るのはクロスそのものではない。
込められたコスモを使い、クロスが身体全体を覆うバリアのようなものを形成する。
だから、相手の技を受けても露出した顔だけがダメージを受けると言ったことがないのだ。
なのに巨蟹宮でも冥界でもデスマスクは痛みを感じた。
クロスすら持たない雑兵が、その身一つで黄金聖闘士にダメージを通したのだ。
「貴様、何者だ!
何故、紫龍たちに味方する?」
デスマスクもカシオスが只者ではないと理解した。
デスマスクから油断も慢心も消えていた。
「別にそいつの味方じゃねぇ。
あんたが気に入らないだけだ」
「俺が気に入らないだと。
そんな事で黄金聖闘士に刃向かうと言うのか?」
「俺たちは、暴力の中でしか生きられない日陰者だ。
あんたはカタギの者を手にかけておきながら正義を騙った」
「何を言っている!
俺は地上を守るために悪と戦って来た。
戦争だって、女や子供を避けて爆弾を落としているわけではあるまい!」
「そうだな、だから俺たちみたいな奴が正義を名乗るのは気に入らない」
「なっ!」
デスマスクは戸惑っていた。
今までも自分の行いを否定し、デスマスクを悪と断じる者たちはいた。
そいつらは、デスマスクを否定する自分たちこそが正義だと主張していた。
だから、強さこそが正義と言う自分の信念で叩き潰すことで己の正しさを証明してきたのだ。
だが、カシオスは自らもまた悪の側にいるのだと言っている。
その在り方は、キャンサーの心を揺さぶった。
カシオスの拳がアッパーカットのような形でデスマスクに迫る。
だが、デスマスクも黄金聖闘士として悪と戦い続けてきた闘士だ。
こんな工夫も技術もない単純な攻撃を食らうわけがない。
デスマスクは突き上げられる拳に左足で乗り、後方へと飛び退く。
その技量はさすが黄金聖闘士と言うべきものだった。
デスマスクは優雅さを感じさせる程の身のこなしで着地した。
にも関わらず、デスマスクは態勢を崩してしまった。
見ると、デスマスクの左足はひしゃげていた。
そこにゴールドクロスのフットパーツはなかった。
地面にゴールドクロスのパーツが転がる音がする。
カシオスの拳の衝撃でフットパーツが飛ばされたのか?
いや、そんなはずはない。
クロスは神話の時代に神の手で造られたのだ。
その最高峰であるゴールドクロスが、たかがそれしきの事で外れるような雑な造りのはずがない。
デスマスクは混乱していた。
何故、足が砕けている?
自分を守るはずのゴールドクロスはどうした?
そんなデスマスクに再びカシオスの拳が迫る。
デスマスクもなんとか身を守ろうと左腕でガードする。
そして、デスマスクも何が起きているのか理解した。
カシオスの拳の前にアームパーツが勝手に外れたのだ。
生身を晒した腕が、カシオスの拳でへし折られる。
「ぐあぁ!
クロスが勝手に外れるだと!?」
一部のパーツだけではなかった。
デスマスクの身体を覆っていた全てのパーツが外れて飛んでいく。
キャンサーのゴールドクロスは空中でオブジェ形態に戻り、佇んでいた。
その姿は、自らの行いを後悔しているようだった。
「何をしている、キャンサークロス!
さっさと戻れ!」
デスマスクの言葉に何の反応も返さない。
「キャンサークロスは、お前を見限ったんだ」
キャンサークロスの気持ちを理解できた紫龍が声をかける。
「クロスが俺を見限っただと?」
「ああ、俺も一時はあんたの心の強さを認めようとしていた。
だが、その男の自らを悪と断じる姿を見て、それが間違いだったと気付かされた。
だから分かる、キャンサークロスもお前の強さを認めていた過ちに気付いたんだ」
「なんだとぉ!」
そんなデスマスクの前にカシオスが立つ。
キャンサークロスに見放されたことで、デスマスクはカシオスと生身で対することになったのだ。
カシオスが拳を握る。
「お、俺の負けだぁぁぁぁ!」
デスマスクの叫びが響く。
「頼む、見逃してくれぇ!
生身でそんな拳を受けたら死んでしまう。
これからは心を入れ替えて真面目に生きてく。
だから、許してぇ」
デスマスクは恥も外聞も投げ捨てて、涙すら流しながら命乞いを始めた。
その余りに必死な様子に紫龍すらもデスマスクに対する軽蔑を感じていた。
カシオスもこんな男に殴る価値もないと判断したのか背中を向けて去ろうとした。
「馬鹿め!油断したな!」
なんと、デスマスクがカシオスの背中に組み付いて首に腕を回していた。
裸絞めが完全に入っていた。
「あの時は完全にカシオスの負けだと思っていた。
命乞いに油断して背を向けたカシオスのミスだったと」
「それで、どうなったんですか?」
「君もパライストラに所属して闘技を学んでいるなら分かるだろう?
完全に入った裸絞めは外せない。
いや、外す技がないと言うべきか」
「はい、ではカシオスさんはどうやって外したんですか?」
デスマスクは勝ちを確信していた。
この男がどれほど強かろうと、この態勢になった以上何もできない。
このまま締め殺してやる。
デスマスクが更に力を入れて締め上げようとした時。
ブチっと言う何かが引きちぎられる音が響いた。
「ぎぃやぁぁぁーーー!」
紫龍は確かに見ていた。
カシオスがデスマスクの太ももをつねっていたのを。
「カシオスはデスマスクの太ももの肉をつねって引きちぎっていたんだ。
カシオスの握力だから出来ることだ、これは技とは言えない」
「凄いですね。
どれだけの握力があれば、そんなことが出来るのか想像も付きません」
「カシオスは痛みで離れたデスマスクの右足を両手で握っていた。
凄まじい握力で行き場を失った血液が、握られた部分を内側から破裂させた。
今では握撃と呼ばれているね。
もちろん、これも技とは言えない」
もはやデスマスクは完全に死に体だった。
両足は潰され、左腕もへし折られている。
なによりも心が折られていた。
そんなデスマスクにとどめを刺そうとカシオスが近づくが、そこに横槍が入った。
先程、デスマスクに蹴散らされた亡者たちが再び群がってきたのだ。
亡者たちはデスマスクの身体を担ぎ上げて黄泉比良坂の大穴に向かっていく。
デスマスクも必死に抵抗するが、身体は満身創痍、心も折れているためコスモも高められずに抵抗できないでいる。
亡者の一部がカシオスの前に立ちはだかっていた。
あんたの喧嘩に横槍を入れたのは申し訳ない。
だが、デスマスクへの復讐だけは譲れない。
そこには、亡者から感じるはずのない強い意志があった。
彼らは悪ではなかった。
デスマスクの戦いに巻き込まれ、大切な誰かを守れなかった者たちだ。
自分たちの手でデスマスクにケジメを付けさせたかったのだ。
カシオスは自らの前に立ってまで意地を通そうとする彼らを認めた。
もともと心を躍らせるような喧嘩ではなかった。
亡者たちはデスマスクを担ぎ上げたまま、自分たちごと大穴の中へと落ちていった。
「さて、野暮用も済んだ。
さっさと行くか」
カシオスは獅子宮への向かうために去っていった。
紫龍はその背中に背負った任侠立ちを見送りながら、カシオスと言う漢の強さに憧れを抱いていた。
「これが、私が初めて見たカシオスの戦いだった」
「紫龍先生、ありがとうございました。
カシオスさんと戦った人はみんなカッコいい人達だと思ってましたが、そうでない人も居たんですね」
「カシオスの美学に反した故にぶつかった、珍しい例だろうね」
こうして、新聞部の取材は終了した。
パライストラは今日も平和だった。
意外と長くなってしまった。
新しくインタビュー形式に挑戦してみました。