星矢たちは、聖域をアテナの下に取り戻すために、そして、黄金の矢で射抜かれたアテナを救うため黄道十二宮を進んでいた。
星矢が獅子宮に到達した時、アテナに味方してくれるはずだったアイオリアが立ちはだかる。
その様子は明らかにおかしかった。
それでも、星矢はアテナのために先に進まなければならない。
コスモを黄金の領域まで高め、アイオリアを殴り飛ばした。
黄金聖闘士を圧倒し、先に進めるかに思えた。
しかし、起き上がったアイオリアは、今まであった躊躇いが消え、本気で星矢を殺しに掛かる。
「星矢よ、お前は黄金の領域には到達していない。
先ほどまでの俺は、一時的にコスモが弱まっていた事で、光速の20%程度しか出ていなかったのだ」
そう言って、光の軌跡を残しながら星矢を圧倒する。
アイオリアは、教皇の幻朧魔皇拳によって洗脳されていたが、本来の人格が必死に抵抗していたのだ。
しかし、星矢の攻撃を受けたことで魔皇拳の効果が完全に発揮されてしまった。
もはや、自分が死ぬか、誰かが目の前で死ぬまでアイオリアは正気に戻らない。
それが伝説の幻朧魔皇拳の力だった。
「ライトニングボルト!」
「うああぁぁぁ!」
星矢は足を砕かれ、動きを止められてしまった。
次の攻撃を避ける事はできない。
まさに絶体絶命の危機を迎えていた。
洗脳され自分の意思とは無関係に命を賭けた喧嘩をさせられる。
そんな喧嘩にケチを付けるような真似を許せない漢がいた。
花山薫の魂を宿した漢、カシオスである。
「邪魔するぜ」
「カシオス!」
獅子宮に姿を見せたカシオスがアイオリアの前に立つ。
「何のつもりだ?」
魔皇拳によって生み出され、アイオリアの身体を支配している人格も、身体の中に閉じ込められているアイオリア本人の人格も理解できなかった。
この男は何をしにきたのだ?
クロスすら持たぬ雑兵が立っていい場所ではない。
「他人《ひと》の喧嘩に手を出すつもりはなかったが、つまらねぇ真似をした奴がいると聞いてな」
まさか、この男は自分を止めにきたのか?
目の前で誰かが死ぬまで止まらないのだ。
星矢のために自分の命を犠牲にするつもりか!
自分の身体を支配され、何も出来ずに見ていることしか出来ないアイオリアは、自分の前に立つ漢の、雑兵とは思えぬ覚悟を感じ、簡単に支配された自分の不甲斐なさを嘆く。
アイオリアは、カシオスと言う漢を知らなかった。
自分の命を犠牲にする。
たしかに己の矜持を貫くためなら、躊躇いなく捨てるだろう。
だが、無抵抗で命を差し出すような男ではない。
カシオスは、アイオリアをぶん殴って正気に戻そうとしていたのだ。
結果、アイオリアが死んでも後悔などしない。
今、アイオリアの身体を支配している人格が意地を通したのだと、相手の想いを認めるだけだ。
「雑兵ふぜいが!」
クロスすら持たない者の態度が気に入らなかったのか、アイオリアが光速の拳でカシオスを吹き飛ばす。
「星矢よ、貴様の死が少し先に伸びただけだったな」
そう言って星矢に近づいてくるアイオリア。
だが、星矢の顔には笑みが浮かんでいた。
「へっ、アイオリア。
そんな心じゃお前、負けるぜ」
「何を世迷いごとを。
なんの抵抗も出来ずに吹き飛ばされたのを見ていなかったのか?」
「そんな魂の籠らない拳で、カシオスを倒すなんて無理だ」
そんな星矢の確信を肯定するかのように瓦礫の向こうからゆっくりとカシオスが歩いてくる。
その足取りはまったくダメージを感じさせないものだった。
「ばっ、バカな!
技ではないとは言え、光速の拳を受けておきながら立つだと!」
アイオリアは驚愕しているが、不思議なことではない。
聖闘士同士の戦いは、どちらがよりコスモを高められるかによって決まる。
支配され、教皇の命じるままに相手を殺そうとしているだけのアイオリアのコスモは弱く、小さい。
黄金聖闘士の肉体が持つポテンシャルで光速の打撃を繰り出すことは出来るが、そこに込められたコスモでは青銅聖闘士でしかない星矢を砕くことも出来なかったのだ。
そんな速いだけの拳で、カシオスの精神を砕くなど不可能だ。
それは、カシオスと直接拳で語り合ったことのある星矢にとっては当たり前の事だった。
カシオスは、お返しだとでも言うかのように拳をアイオリアに叩きつける。
本能的に腕でガードするアイオリア。
その行動をアイオリア自身が理解できなかった。
ゴールドクロスを纏っているのだ。
クロスすら持たない雑兵の攻撃など、そよ風ほどにも感じないはずなのに。
身体が防御してしまっている。
その本能的な行動は正しかった。
ガードした上から叩きつけられた拳による衝撃は、腕どころか身体の芯まで貫いてきた。
今度はアイオリアが吹き飛ばされ、獅子宮の壁にめり込んでしまう。
アイオリアは、混乱の極地に至っていた。
何故、雑兵ごときの攻撃で黄金聖闘士の俺が吹き飛ばされている?
この身体を貫く衝撃はなんだ?
しかし、アイオリアも黄金聖闘士として幾多の邪悪と戦ってきた闘士だった。
仮初めの人格も、その肉体の経験を共有している。
一瞬で動揺を鎮め、カシオスと向き合う。
「なるほど、たしかにただの雑兵ではない」
アイオリアは、自分の油断を認めコスモを高めていく。
そこに先ほどまでの傲慢な態度は消えていた。
「少しはマシな顔になってきたな」
「ほざくな!
黄金聖闘士の本気の一撃は、銀河の星々をも砕く。
貴様の精神も肉体ごと砕いてやる」
そう言ってアイオリアは、コスモを最大限にまで高める。
「ライトニングボルト!」
ついにアイオリアが技を放つ。
踏み締めたカシオスの脚が、獅子宮の床を削りながら後退していく。
最初に攻撃を受けた時とは違い、技を受けたにも関わらず、吹き飛ばされもしなかった。
黄金聖闘士の技を受け、それでも立ち続ける姿があった。
「な、なんだと」
自らの本気の技を生身の人間に受けきられた。
そんな事実を前に歴戦の戦士であるアイオリアも動揺を抑えきれずにいた。
カシオスの前世、花山薫の特異性はその精神性にこそあった。
実力だけなら彼以上の男達がいた。
だが、花山薫は、彼にとって曲げられない貫くべき何かを背負った時、本来の実力を遥かに超える力を発揮するのだ。
かつての世界のライバルたちも認めていた精神性が、この世界ではコスモと言う形で前世以上に力を発揮する。
たとえ銀河の星々を砕くことが出来ようと、カシオスの心は砕けない。
それだけの事だった。
カシオスがその両手でアイオリアの突き出した腕を掴む。
次の瞬間
パァン!
乾いた音がした。
アイオリアの二の腕のあたりがズタズタになり、血が流れ落ちていた。
星矢からは、何が起こったのか見えなかった。
しかし、アイオリアには見えていた。
ライトニングボルトを放つために突き出した腕を、カシオスが両手で握ったのだ。
カシオスの両手の間、露出していた部分が凄まじい圧力で締め付けられ、行き場を失った血液が内側から腕を破裂させていた。
常識はずれの握力が可能とする技、いや技とも言えない何かをアイオリアは見ていた。
かつての世界で握撃と呼ばれていた技を受けて、破壊された腕を前に呆然としている。
そんなアイオリアにカシオスが声を掛ける。
「まだ、やるかい?」
茫然自失の状態だったアイオリアにいくらでも攻撃できただろう。
それでも声を掛けたカシオスにアイオリアは屈辱を感じていた。
同時に、この男は決して不意打ちなんて卑怯な真似はしないだろう。
何故かそんな信頼感も持ってしまっていた。
「当然だ!
この程度の傷、聖闘士にとってはかすり傷に過ぎん」
再び構えたアイオリアの顔は、傲慢さが消えた後も残っていた誰かを殺すと言う意志さえも消えていた。
目の前の漢を打ち倒す。
そんな闘士としての意志が宿っていた。
幻朧魔皇拳によって人を殺すためだけに生み出された人格が、戦いの中で目の前の漢に勝ちたいと言う意志を持ち始めた。
それは、闘士としての本能。
目の前に立ちはだかる壁を前にして、乗り越えたい、あるいは突き破って前に進みたいと思うのは闘技者としてあって当然のものだ。
アイオリアの身体に宿った以上、今の人格も闘技者であることから逃れられない。
身体の中に閉じ込められているアイオリアも、カシオスの姿に心が熱くなる。
何故、戦っているのが俺じゃないんだ!
目の前の漢に応えて、さらなる高みに至りたい。
そんな想いが湧き上がってくる。
身体を支配しているアイオリアと閉じ込められているアイオリアの境界線が曖昧になっていく。
アイオリアとカシオスが向き合う。
アイオリアほどの実力者になれば、見るだけで相手の闘志を感じることが出来る。
実際に拳を交えれば、相手の意思や感情といった本質的な部分をイメージとして見ることすら可能だった。
カシオスが拳を振りかぶる。
拳を突き出してくるカシオスの後ろに見えるイメージ、それは何もない真っ白な空間だった。
そのあまりにも純粋で神々しいイメージに、真正面からその攻撃を受け止めたいと思ってしまった。
カシオスの拳が顔にめり込む。
それに耐えて、アイオリアも反撃する。
互いにガードもせずに殴り合う。
殴り合っているはずなのに敵意も憎しみといった負の感情もない、相手を認め、純粋に漢としての器を比べ合うカシオスの喧嘩を前に心が高揚していく。
それを見ていた星矢も、アイオリアに嫉妬していた。
自分があの場所に立っていたかった。
カシオスが相手なら、遥かな高みに立つことが出来るだろうと。
長かったのか短かったのかも分からない激しい殴り合いが終わり、ついにアイオリアが倒れる。
仰向けになり、荒い息をつくアイオリアの顔は、晴れ晴れとしたものだった。
今のアイオリアの中に、支配していた人格も支配されていた人格も存在しない。
戦いの中で、カシオスという漢を越えたい、勝ちたいと言う想いを共有し、その人格が統合されていったのだ。
魔皇拳によって植え付けられた殺意も、真っ白な神々しさすら感じさせるカシオスの拳で浄化されていた。
「完敗だな。
俺の心が弱かった」
「アイオリア、正気に戻ったんだな」
「ああ、すまなかったな星矢。
先に進むといい」
そんな2人を見て、カシオスは喧嘩は終いだと立ち去っていく。
「待ってくれ、カシオス!
このまま力を貸してくれないか?」
「これは、お前たちと教皇の聖域《シマ》を賭けた抗争《ケンカ》だろう?
自分たちのケツは自分たちで持ちな」
そう言ってカシオスは去っていった。
SEEDの執筆も進んでますが、それ以上に花山カシオスの話は筆がノってしまう。
やっぱり花山薫ってキャラは偉大なんだなと感じてます。
誤字修正ありがとうございます。