緑礬の錬金術師   作:ONE DICE TWENTY

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第26話 兄弟の謂れ

 機械鎧のメッカ、ラッシュバレー。

 エルリック兄弟の幼馴染であり、エドワードの機械鎧技師を務めるウィンリィ・ロックベルが現在修行中であるこの街へ、彼ら兄弟は足を運んでいた。

 偽ヴァルネラを探し出し、ぶっ叩く──という大総統より下された命令、もとい目標は忘れていないが、ホーエンハイムの件とゾンビ騒動から少しばかり時を置いてしまっていた彼女の元へ来た──来たかった、というのが本音であるのだろう。

 

 ラッシュバレーはアトリエGarfiel。技師の名を冠する機械鎧ショップ。

 ウィンリィの師匠である彼の元へ訪れ、彼女の行方を聞いたエドとアルは──愕然とする。

 

「え!? ドミニクさんのところへ?」

「そうよぉ。随分と前に、アタシから教えることはな~んにもなくなっちゃって。天才だとか秀才だとかって言葉も勿論似合うけどぉ~……どこか鬼気迫る感じで、ちょっと心配だったわねぇ」

「それで、今もウィンリィはドミニクさんのところで修行している感じですか?」

「彼が門前払いしてなければ、だケド。あたしとドミニクは別に頻繁に連絡し合う仲、ってわけじゃないからねぇ」

 

 ドミニク。

 にわか景気の谷と呼ばれるほど機械鎧ショップの多いこのラッシュバレーにおいて、それを求める客から遠く離れた崖の上に住む機械鎧技師。

 兄弟の祖母代わりでもあるピナコ・ロックベルの知り合いである他、その凄腕からウィンリィが一度師事をお願いしようとして、ばっさり断られた相手でもある。

 

 そんな彼のところに、ウィンリィが。

 

「……ありがとう、ガーフィールさん。ちょっくら行ってくるわ!」

「ええ、もし修行が行き詰っていたりしたら、アナタのガッツで持ち上げてあげてチョーダイね? あの子、一度詰まるととことん詰まってくタイプだ・し」

「ああ知ってるよ!」

 

 そう、笑顔で。

 かつて渡った山々と谷と橋と云々を越え──着いた先。辿り着いた、ドミニクの家で。

 

 二人は直面することになる。

 今アメストリス全土で起こっている──問題に。

 兄弟はまた──今度は父親がいないときに。

 

 

 

 

 

 

 錬金術を用いて少しばかりのショートカットを図りながら、二人はラッシュバレーで最も高い所にある機械鎧技師の家にやってきた。

 

 やってきて、感じ取る。

 その暗い──悲嘆の雰囲気を。

 

「兄さん」

「わかってる」

 

 近づく。

 近づけば近づく程、静かなのが分かる。

 

 機械鎧技師の家、職人の職場というのは基本的にうるさい。機械鎧は鋼鉄やその他金属をフレームとしているから、形成には必ずと言っていいほど鉄を打つ。鍛冶場がどれだけうるさいか、など説明するまでもないだろう。

 けれど、静かだった。

 誰もいない、ということはない。人の気配はある。

 

 だけど。

 

「……」

 

 逆に、近づいてくるエルリック兄弟の気配に気づいたのだろう。

 ドアが開き、中から人影が出てきた。

 

「リドルさん」

「ああ……誰かと思えば君達か。そうか、ウィンリィちゃんを探しに来たんだね?」

 

 リドル・レコルト。

 兄弟がここに訪れた時に立ち会った奇跡──出産したサテラ・レコルトの夫であり、彼もまた機械鎧技師である。

 けれど、だけど。

 前はにこやかだったリドルの顔も、今は暗い。

 

「ウィンリィちゃんは中で親父の整備を手伝ってるよ。呼んでくるかい?」

「あ……お願いします」

 

 上がって、ではなく。

 呼んでくる。

 

 些細な違いでも、兄弟は感じ取った。中に入ってほしくない──そういう、本当に秘された拒絶の思いを。

 

 そうして、少しばかりの時間を待って。

 出てきたウィンリィは──俯いていて。一歩だろうか、二歩だろうか。

 兄弟が近づいたのか、ウィンリィが近づいたのかさえもわからない。

 

 気付いた時には彼女はエドワードに抱き着いていて。

 泣きついていて。

 

 三人はレコルト家から少し離れた丘陵の窪みに腰を落ち着けて、少しずつ話を始める。

 近況報告、というよりは。

 

 ──サテラ・レコルトについて、だ。

 

「サテラさんね。最近まで入院してたの」

「あ……」

「うん。エド達が旅立つ前、病院に運ばれたきり、ずっと」

 

 エルリック兄弟がダブリスへ行く前に、サテラは緊急搬送された。

 出産時の母体は激しく体力を消耗するし、出血もする。だから稀に母子のどちらかが衰弱するケースがある。サテラの場合はそれで、生まれてきた子供は健康だったけれど、サテラは意識を失うまでに衰弱してしまっていた。

 ウィンリィの対処は完璧だった。素人にしてはよくやったどころか、産婦人科の先生が褒める程の処置だった。ただ、運が悪かっただけ。

 冬に入る前の時期だったのも悪かったのだろう。渇き、少しばかり寒くなっていた空気がサテラの体力を奪い、そして。

 

「で、でも入院してた、ってことは、最近帰って来た……んだよね?」

「……うん」

「良かった……兄さん?」

 

 エドワードは。

 爪を噛んで、怖い顔をして。

 悔しそうに泣きそうに、苦しそうにつらそうに。

 

 言う。

 

「クソ……そういうことかよ」

「に……兄さん?」

 

 レコルト家を見て、ウィンリィを見る。

 

「……サテラさん。帰ってきてから……様子がおかしくはなかったか?」

「……ようやく赤ちゃんを抱けたのに、"温もりが感じられない"って泣いてた。みんなで囲う食事も"味がしない"って……食事の時には言わなかったけど、後で震えながら、あたしに話してくれた」

 

 そこまで聞けば、アルフォンスだってわかる。

 だって自分がそうだから。

 

「夜が長い、って。眠れない、って。……アルがその身体になった時も、言ってたよね」

「うん……一人の夜は、長い」

「赤ちゃんが夜泣きするから都合がいい、とか……サテラさんは無理に笑ってたけど。やっぱり、赤ちゃんを触った感触もないのは悲しい、って」

 

 エドワード達は知っている。

 それがなんなのか。立ち会ってきたばかりだ。それを調査するために動いている。

 自分たちの身体を取り戻すための旅。

 だけど──同時に。

 

「死んだ、のか」

「……わかんない。サテラさんもそうは言わなかったし、お医者さんの方を訪ねたけど、明言はしてくれなかった」

「っ!」

 

 今アメストリス全土で起こっている騒動。 

 緑礬の錬金術師ヴァルネラが巻き起こした奇跡──悪夢。

 死んだ人間を蘇らせるという禁忌の業。医者の領分も錬金術師の領分も超えたこの行いは、その実更なる業を積んだ上に成り立つものだった。

 

 リオールではロゼが。

 セントラルでも、数多くの市民が、その事実を知って、聞いて、わからされて。

 

 あれだけ賑やかだったセントラルは今、とても静かだ。

 誰もが、どの家庭もが時間を使っている。話し合い、思い出づくり、あるいはどうにか延命できないかと医者を訪ね、首を振られ。

 

 件の緑礬の錬金術師ヴァルネラは、不老不死を謳ったくせに、やはりそれさえも紛い物。焔の錬金術師によって消し炭にされ、そのまま帰ってくることはなかった。

 

 だから──怒りの矛先もないまま、愛する人の死を恐れなくてはならない。

 セントラルはこういう状況で。

 

 それよりも情報の遅い地方は──あるいは、自分がゾンビかもわからないままに、ということなのだろう。

 

 サテラ・レコルトも。

 

「ねぇ、エド」

 

 縋るように。

 縋りつくように。

 

「なんとかならないの? 私、サテラさんのあんな顔……もう見たくないよ……」

 

 エドワードは──。

 

 

 

 

 その夜だ。

 ラッシュバレーの山奥。何もないそこに、二人はいた。

 

 晴天、晴天。月の良く見える晴れ空は、だからこそ無心になれてしまう。

 兄弟はそこに寝転がって、月を、星空を見ていた。

 

「……"アルもそうなんだよな"、はナシだよ、兄さん」

「わかってる。今更確認なんか取らなくたって、お前がずっと悩んでるのくらい知ってるよ」

「そっか。僕も知ってるよ。兄さんが、僕をこの身体にしたことを悔やんでいて、僕に恨まれてるんじゃないかー、とか思ってるってこと」

「……恨んじゃいないことも、今はもうわかってる」

 

 エドワードは月に手を伸ばす。

 機械鎧の腕。銀に輝くその腕は、彼が持っていかれた代価だ。

 だけど、禁忌を犯した罪の証たる左足と違って──こちらは弟の魂を取り戻した腕。

 

 それを罪だのと罵ることがどれほど弟を傷つけるかも知っていた。

 だって彼は──アルフォンスは、これだけは、誇りに思ってくれているのだから。

 

「無力だなぁ、オレ達。ここへ来ると毎回そう思わされるぜ」

「……そうだね。サテラさんの出産のときも、今回も。……僕たちには何にもできない」

 

 錬金術。天才。鋼の錬金術師。真理。

 一体それは何だったんだと思うほど──今、無力だ。

 

「こういう時、ヴァルネラさん……クロードさんなら違ったのかな」

「どうだろうなぁ。死んだ人間は蘇らねえ。ソイツを一番わかってるのが、アイツなんじゃねぇの? アイツ自身がそれを覆しているようなもんだけどさ」

「あはは……。不老不死。永遠の命、か」

 

 見た目少年の──ホーエンハイム曰く、「俺以上を生きる何か」。

 軽薄で覇気のない、本気というものが欠片も感じられないあの少年ならば──戦場の神医とさえ謳われたあの少年ならば、この状況をどうにかできるのか。

 

 言っておいて、アルフォンスは。

 聞かれてもやはり、エドワードは。

 

 できないだろう、と感じた。

 

「少なくとも錬金術じゃ、死んだ人間は蘇らせられねえ。……いいや、この世界にある限り、かな」

「"全"は"一"、"一"は"全"、だね。この世界の一個である僕らは、この世界に縛られる」

「この世界の絶対法則なんだ。死者は蘇らない。別にクロードも死んでるわけじゃねえんじゃねえかな。ただ──あり得ないくらい、再生能力が高いだけ。もし本当に、完全に死んだら、クロードだって蘇りはしない。ただ不死だから死なない」

 

 エドワードは自らの額を触る。

 ホーエンハイムに治癒されなくとも、塞がりつつある傷。生物の傷は自然と治癒するものだ。腕と足を失った時のそれも、ロックベル夫妻に手当をしてもらったとはいえ、自然治癒は働いた。

 生きているということだ。多分。

 治ろうとする。元に戻ろうとする。勿論それができない状況、病気、傷は沢山あるのだろうけれど──元に戻ろうとはしているのだろう。

 

 そして、死者達も。

 

「死んだ、か」

「……うん」

「……キッツいなぁ」

 

 覚えている。

 クロードが大総統と茶番をした時、彼に詰め寄った男性を。

 自身の足が崩れ落ちたことに、崩れ落ちてから気づいた彼を。

 

 痛みが無いのだ。

 クロードによれば、感覚が無い。温かみも感じられず、食事もできない。

 

「僕も、ゾンビなのかな」

「……否定してほしいか、アル」

「あはは。どうだろうね。……父さんのおかげで、僕は体を取り戻せることがわかった。僕の身体は生きている。僕の魂はここにある。……僕と彼らは、そこが少しだけ違う」

「生きた魂に、生きた肉体。それを繋げる精神。……だけど、生きた魂と死んだ肉体は結びつかない。……彼らは体を取り戻せない。精神が彼らを結んでくれない」

 

 それは彼らが錬金術師だからこそたどり着ける概念だ。

 普通の人間は、身体さえ治せばいいのだと勘違いする。腐ったのなら取り換えればいい。壊れたのなら直せばいい。

 魂を知らない。精神を知らない。肉体を知らない。

 勿論エドワード達だって全てを理解しているわけではないけれど、それが絶対にできないことくらいはわかる。

 

「なぁ、アル」

「なぁに、兄さん」

「オレ達に何ができると思う?」

「うーん、そうだなぁ。まず、戦闘は……多分大総統と大佐とかの方が強いでしょ?」

「いきなり挫けさせるんじゃねえよ。……医療技術はクロードが段違いに上だ。錬金術そのものも、ホーエンハイムに劣ってる。なんならアームストロング少佐にだって勝ててねぇだろ、多分」

「そもそも師匠(せんせい)に勝てないからなぁ。……あ、卑怯さとかは?」

「あぁ、ズル賢さなら負けねぇか。……勝ってもあんま嬉しかねぇが」

「機械鎧の整備はウィンリィに勝てないし、鍛冶の技術は……そもそも無いね、僕らには」

 

 星空は広い。

 ここは山の上だから、遮るものがなくて、だから余計に広い。

 満天、とはこういう時に使う言葉だろう。

 

「オレ達は、何にもない。何にもできねえ」

「うん」

「じゃあ敵はどうだ。人造人間(ホムンクルス)とかいうの。あぁブラッドレイのオッサンはなしで」

「まだラストさんにしか会ったこと無いからわからないけど、少なくとも僕たちよりはすごくて強いんじゃない?」

「だなぁ。人造人間(ホムンクルス)って言葉自体が強そうだ」

「あはは、何それ」

 

 言葉はマイナスなのに、二人には──少しずつ笑顔が増えていく。

 何故だろう。今、とても。

 

「偽ヴァルネラさん。ただの人間なのかな」

「錬金術師ではあるんじゃねえの? んで多分一人じゃない、複数人だ。じゃねえと20万人のネームプレートなんざ作ってらんねえよ」

「工場があるんじゃない?」

「工場があるとして、どーやって20万人の名前作るんだよ。一々型を鋳造すんのか?」

「あ。……確かに。じゃあ全部手作りなのかな」

「大変な作業だろうなぁ」

「僕だったら気が遠くなりそう」

「じゃあそこも負けてるか」

 

 今、とても──エルリック兄弟は前向きだった。

 何故だろう。何故だろう。

 

 何故って。

 

「んじゃ今どん底だ。アル。アルフォンス」

「そうだね、兄さん。今僕ら、どん底だ。この世界の誰よりも下にいる」

「なら這い上がるしかねぇよな。上しかないなら──あとは昇るだけだ。はは、真理なんてモンを見たせいで勘違いしてたぜ。オレは、オレ達は何にもできねえガキなんだ。錬金術は使えるけど、使えるだけ。必要な時に必要なモンを作り出せるわけでもないし、誰かが困ってる時に手を差し伸べることもできない」

「うん。僕らはずっと自分ばっかり見てて、周囲を見れてなかった。下には誰もいなくて、みーんな上か前にいる。追いつかないと、置いて行かれちゃうね」

 

 エドワード達は──「っし」と起き上がる。

 起き上がって。

 

 そこに、サテラがいることに、ようやく気付いた。

 

「っ……」

「ふふ……ごめんなさい。あなた達兄弟の一念発起、勝手に聞いちゃって」

 

 一気にバツの悪い顔になるエドワードに、けれどサテラは優しく笑う。

 その顔に──憂いはない。

 

「あ、その……」

「ありがとう、二人とも。あなた達の今の会話を聞いて、私もようやく吹っ切れることができたみたい。ごめんなさいね、ウィンリィちゃんに……弱音を吐いちゃって。そのせいで彼女、酷く悩んでいたみたいで……優しい子ね、本当に」

「……うん。ウィンリィは、本当に優しい」

 

 風が吹く。

 山風だ。それは強く強く──あるいはどこぞの不老不死の言う"天命"に近いものだったにも関わらず、兄弟ははっきりと聞いた。

 

「死のうと、思っているの」

「……なんでかは、聞いておきたい」

「止めないの?」

「わかんねぇから聞きたいんだ。……死者が死に帰るのを、止めていいか。オレにはわかんねえ」

 

 エドワードが俯いて言えば。

 サテラはにこりと笑う。

 

「凄いのね。その歳で、そこまで考えて。私がそのくらいの歳だった時は……リドルにスパナを投げて遊んでいたわ」

「ウィンリィと同タイプだ……」

「う、頭の傷がッ」

 

 クスクスと笑いながら、サテラは続ける。

 

「ウィンリィちゃんにはね、誤魔化したけど……私、覚えているの。──自分が死んだ夜のこと」

「……!」

「静かな夜だった。お義父さんも夫も、ちょうど来てくれていたパニーニャも帰って、お医者さんもいない一人の時間になって──その時、雷が鳴って。それが最期だった。私ったら、雷に驚いて死んでしまったみたい」

「……雷」

「ええ、そう。雨も降っていなかったのにね。でもね、不思議なことに、私は死んだ自分を少しの間見ていたの。幽霊になってて……けれど、見回りにきた看護師さんがすぐに私に気付いてくれて、名前を呼ばれた時には、意識を失っていたわ。それで、起きてみたら」

「……生き返っていた」

「ええ、そう」

 

 二人は似たような話を聞いたことがある。あった。

 それは二人の師匠の話。そしてロゼの話でもある。自分を見下ろす霊魂状態。そして光。

 

 この要素だけで、二人の顔を難しくさせるには十二分だった。

 

「でも……この身体は、苦しいの」

「苦しい……どこか痛むんですか?」

「いいえ。どころか痛みは全くなくて。転んで膝をすりむいても、ドアに手を挟んでも……何にも感じない」

「……」

「……」

「そうじゃなくて──心が苦しいの。自分の赤ちゃんを抱いて、体温が感じられなかった時。夫と抱き合って、抱きしめられた感触が無かった時。お義父さんの仕事を手伝って、火を熱く感じられなかった時。……そういう時に、苦しくなった。ああ、私の居場所はここじゃないんだ、って、強く、強く」

 

 エドワードは見る。

 アルフォンスが拳を握り締めていることを。その拳が震えていることを。

 奥歯を噛み締めて、見る。

 

「呼吸ができないの。ふふふ、息ができなくて苦しい、じゃないのよ。──息を吸って、吐く。それができないの。喋れているのに、深呼吸ができない。真似事はできるのよ? でもそれは人間の真似事だ、って──どうしても、自分自身が冷めた目で見ていて」

「……ダメ、ですか。人間の真似事じゃ」

「アル……?」

「ダメ、かな。少なくとも私はダメだった。私は、こんな山奥に住んでいるのに、自然を感じられない。たくさんの家族と一緒にいるのに、家族を感じられない。こんな綺麗な世界に生きているのに──」

「世界を、感じられない」

 

 アルフォンスが言の葉の先を取る。

 そして、しっかり立ち上がって──サテラの前に行く。前に行って、跪いて。

 

「どう……したの?」

「サテラさん」

「……」

「少しだけ事情は違うけど……僕も、そうなんです」

「どういう」

 

 アルフォンスが鎧の兜を取る。

 取って見せる。

 

 中身を。

 空っぽの中身を。

 

「……え」

「僕には身体が無い。錬金術で兄さんが魂をこの鎧に縫い留めてくれているから、辛うじて世界に在れるだけの存在だ。感触もない。眠れない。暖かさも感じない。風の息吹も、暑さも、水の冷たさも、息苦しさも何もない」

 

 空洞だ。

 夜だからさらに、真っ暗闇の空洞。

 

「でも僕は、死にたいとは思わない!」

「……」

「僕は兄さんと一緒にどうにかして体を取り戻す。そういう目標があります。夢があります。でも、だから死にたいと思わないわけじゃない。──僕は兄さんと一緒にこの世界にいたい。僕はウィンリィが作る新しい機械鎧を見てみたい。兄さんが、ウィンリィが幸せになって、父さん達も、ううん、僕が知り合った人すべてが──生きていく世界に、僕もいたい。だから、死にたくない!」

 

 アルフォンスは兜を戻す。

 戻して言う。

 

「だからお願いします。お願いだから、お願いだから」

「──お願いだから、死のうと思ってる、なんて言わないでくれ」

 

 声は。

 アルフォンスのものじゃなかった。

 

 目元に涙の痕を残しながら、サテラの後ろに現れたのはリドルだ。

 無理矢理拭い去ったのだろう。けれどまた、溢れてきている。

 

「ごめん。君の悩みに気付けなかった。僕は君が帰って来たことが嬉しくて、喜んで──パーティにしようなんて言って、君が暗い顔をしていたから、元気づけようと毎日毎日君といろんなことをしようとして」

 

 けれど。

 

「それは──君にとって、苦痛だった」

「そんなことは」

「感触が無い。そんなこと知らなかった。味がわからない。知らなかった。知ろうともしなかった。──知ろうとしたら、してたら、わかってたはずだ。ラッシュバレーには君以外にも"還って来た人達"が大勢いる。少しでも聞けばよかった。気を付けるべきこととか、悩みとか。でも僕は、僕が嬉しいことにかまけて──君を蔑ろにした」

 

 寄って、リドルはサテラを抱きしめる。

 その感触が無いと、体温がわからないと聞いた上で抱きしめる。

 潰れないように、けれど強く。

 

「でも、お願いだから──死ぬなんて言わないでくれ。自ら死ぬなんて、嫌だ。僕は君を失いたくない。今から酷いことを言う。今から呪いの言葉を言う。聞いてくれるかい、サテラ」

「……なに、あなた」

「僕は君に死んでほしくない。いなくなってほしくない。──君が苦しくても、君が世界から疎外感を覚えていても──僕は最期の最期まで、君と一緒に居たい。僕は君が好きだ。僕は家族が大好きだ。──お願いだ、サテラ。死なないでくれ。君の苦痛をわかった上で、僕はサテラを愛している」

 

 そうして、だから、当然のように二人はキスを。

 

「夜中にやかましい。近所迷惑だ」

 

 できなかった。

 リドルの側頭にスパナが突き刺さったからだ。

 

「お、お義父さん!?」

「近所って、ここ山奥、アイタ!?」

「──仕方ねえことは仕方ねえ。どうしようもねぇこともどうしようもねぇ。だが、少なくとも自分が生んだモンの行方くらい、最後まで見届けてやれ。最後まで見届けられないんだとしても、最後になるまで見届けてやれよ。母親の在り方なんざ知らねえが、職人の家に嫁いだんだ。それくらい覚悟しておけ」

 

 それだけ言って。

 ふん、と鼻を鳴らしながら、ドミニクは踵を返す。

 

 その目じりには、しっかりと。

 

「……あなた」

「さ、遮られたけど。サテラ、だから僕は」

「帰りましょう。今誰も赤ちゃんを見ていないなんて、あっちゃいけないことだもの」

「……」

「なぁに? もう一度スパナ欲しい?」

「欲しくない! ……うん、帰ろうか。あぁ、エドワード君たちも寒いから──って、アレ?」

 

 リドルは周囲を見渡す。

 そういえば途中から、エルリック兄弟の姿が見えなくなっていた。

 

「ありがとう」

「え?」

「いいえ、なんでもないわ。ほら、赤ちゃんが泣いているかも。お義父さんじゃ絶対あやせないから、早く戻らないと」

「……うん。帰ろうか」

 

 帰っていく。

 二人は、無愛想な父の背を追い、自らの生んだ命のもとへ。

 

 

 

 そんな「明らかに良いムード」に耐えきれなくなった初心な少年二人は、稜線を切った反対側で息を潜めていた。もうキスのあたりで無理だった。というか自分たちがいて良い雰囲気じゃないと頭のアンテナで察したので逃げるように隠れた。

 

「……ありがとう、だってさ。オレ達なんかしたっけ」

「何にも。僕も似た体だからって見せつけただけかな」

「……でもできることはあったなぁ」

「ね」

 

 どん底にいて、誰にも、何にも勝てなくて。

 なんでもない子供二人。

 

 でも──なにもできないことはない。

 

 

 そしてそれは、さらにさらに隠れた場所で、全部を聞いていた少女も同じ。

 

 

 

 

 

「新しい腕?」

「ええ。ここでの修行中にね、作ってみたの。足はまだだけど……」

「へー。……今着けられるのか?」

「着けてくれるの?」

「たりめーだろ。オレはお前を信頼してんだ。お前が下手な仕事しないことくらいわかってる。新作でも……新作だからこそ、すげーもん作るってな」

「……うん!」

 

 そんな。

 幼馴染の──兄と、どちらも明言はしていないけれど、絶対両想いな二人を見て。

 

 ああ、やっぱりこの世界にまだいたい、と思う弟の図であった。

 

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