緑礬の錬金術師   作:ONE DICE TWENTY

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第30話 大いなる天命のうねり

「大佐。大佐。マスタング大佐?」

「む……ああ、すまない。眠ってしまっていたようだ」

「ったく、大佐休むってことを覚えてくださいよ。アンタがそれだと、俺達まで休めなくなる」

 

 ロイはふと顔を上げる。

 口の端には湿り気。危ない。もうすぐで涎を垂らしているところだった。

 

 部屋の中を見渡せば、全員が揃っている。

 リザ・ホークアイ中尉、ヴァトー・ファルマン准尉、ケイン・フュリー曹長、ハイマンス・ブレダ少尉とジャン・ハボック少尉。そして親友のマース・ヒューズ……中佐。

 全員がビシッと立って、己の命令を待っている。

 そうだ、そうだ。

 

 確か今から、己は。

 次期大総統としての挨拶を──式典に出かけるのだったか。

 

 立ち上がる。

 けれど、おや、どうしたことだろうか。

 立ち上がれない。

 

「……もしや足が痺れているのですか大佐」

「そのようだ。……おいハボック、突くな! やめろ!」

「へっへっへ、今の大佐は動けないんだ、やりたい放題って──」

 

 立ち上がれない。

 足が動かない。

 目がかすむ。

 ぼやける。

 

 ああ──何故もっと馬鹿になれないのか。気付かなければいいのに。この幸せな毎日の中で、ずっと、一生を過ごせたら──どれほどよかったか。

 

「──オイオイ、また来たのかよロイ・マスタング。折角祈ってやったのによ」

「今度は言い訳は効かんぞ。オマエは"真理"を見た。オマエは世界を知った。──その代価、貰い受ける」

「それと、残念だが肉体は返せねーんだわ。それもうムコウ行ってっからさ。騙されたなぁロイ・マスタング。見事に」

 

 自身にあてがわれた部屋が真白の彼方へと消えていく。

 リザ・ホークアイも、ヴァトー・ファルマンも、ケイン・フュリーも。

 

 残ったものは、目の前の──真っ白な自分と、巨大な扉と。

 その扉に背を預ける"彼"と。

 

 "彼"がムコウ、と指さしたところにいる──。

 

「ハボック! ブレダ!」

 

 走る。

 そこにいた。いたのだ。ハボックはたばこを片手に、顔だけ振り返って、それを真上に投げ捨てて。

 ブレダもまた、吸っていたたばこを口から離し、大きく白煙を吐いてから、それを投げ捨てて。

 

 何故か、何故か、ロイのいる方向とは逆の──"ムコウガワ"へ歩いていく。手を振って、まるでもう今生の別れかのように。

 追いつけない。彼我の距離はどんどん広がっていく。

 

「無理だよ、ロイ・マスタング。そもそもお前らは混線自体してねーんだ、追いつくどころかあっちにすらいけない。アレは俺がいるから見えてる幻みたいなもんだよ」

「それでも、それが真実だとしても、私が諦める理由にはならない! 私は──私は」

「お前は面白いことを言うな、ロイ・マスタング」

 

 目の前に顔があった。

 いつの間にか──走り、二人に追いつかんとするロイの目の前に、真っ白な彼がいた。

 

「お前だろう、二人がああなった原因は。カタマリ、ああそうだな。だが魂は分離していた。あんな状態でも肉体は本人のものだった。だから、何か代価を払い──現世のコイツにでも頼めば良かったんだ。人体錬成などせずに、神医などと呼ばれたコイツに肉体の分離を、生体錬成を頼めば良かった。──だというのにお前は自らを過信し、自らが払えるものならば"なんでもいい"と──"どうなってもいい"、"どうでもいい"と思い上がり、ここへ来た」

 

 それは後悔だった。

 ロイがずっとしている後悔。少し待てばよかったのではないかと。あるいはあのカタマリとなった二人を連れて、クロードのもとへ駈け込めば良かったのではないかと。

 二人の魂は既に剥がされてしまっていたけれど──ゾンビとしてでも、肉体を取り戻してやることはできたのではないか、と。動くことすらままならないアクセサリに身を窶すのではなく、せめて自らの意思で動き、自らの意思で最期を決められる体に戻せたのではないかと。

 

「それに、なにより──二人に個別で調査へ向かうよう命令したのはオマエだ、ロイ・マスタング」

 

 そうだ。ゾンビ騒動が大規模になる前。ゾンビというものがあると知った直後。せめてツーマンセルを組ませるべきだった。いやフォーマンセルか。

 隊とは支え合ってこそ力を発揮するというのに、ロイは二人を"信じる"などという言葉を用い、ほったらかして──敵の付け入る隙にさせてしまった。

 

「ロイ・マスタング。お前だ、お前なんだよ。諦めるも何も、お前が二人をこんな風にしたんだ。ああ、お前は見えていないのだったか──ほら、特別に見せてやろう。今二人がどんな姿か。お前が今どんな姿なのか」

 

 車椅子に乗り、耳へ直接繋がる機械鎧らしきものをつけた己。

 その根には二人の名前があり。

 

「焔の錬金術師。最高最強の錬金術を習得し、なんでもできる気になったか、愚か者め。数多くを殺し、異空間をも乗り越え、地位を手に入れ、すべてが上手く行くとでも勘違いしたか、道化め。──ロイ・マスタング。忘れるな、お前は──単なる大量殺人者でしかなく、外道でしかないということを、ゆめ忘れるな。──次にそれを忘れた時、今度はオマエの全てを頂くぞ──」

「ん-、全部言われちったか。んじゃ、俺から言えることは一つ! わかってると思うけど──」

 

 引っ張る。

 もうブレダもハボックも見えない。そして真白の己も、"彼"も遠ざかっていく。

 

 ロイが、ロイ自身があの黒い手に引っ張られているからだ。

 

「これ夢だから! あんま気にすんなよ!」

「……あまり台無しになることを言うな」

「えー? 何の代価も無しに真理に来ることができたって勘違いされる方がアレだろ?」

「確かに……そうだが」

 

 

 

 

「大佐。大佐! マスタング大佐!」

「そろそろ流石にやべー時間ですよ、大佐。ブレダ、時計見えるか?」

「ああ、18時だ。ほらほら、アンタが帰らないとみんな帰れねえんですから」

 

 声に──起きる。

 耳元で響く声は、毎日聞いているもの。

 

 目を開けても。

 真っ暗だ。何も見えない。

 

「ん、起きた」

「どうですかい大佐。ハボの声は目覚ましとして最良でしょう。オレも何度うるせぇと思ったことか」

 

 足も動きはしない。

 走ることなどできない。

 

 ロイは一つ溜息を吐いた。

 吐いて。

 

「悪夢を見た」

「へぇ、そりゃどんな?」

「……クロードが出てきた」

「あー。そいつは、疲れそうだ」

 

 あっはっは、なんて笑う二人に、ロイもようやく優しい溜め息が出る。

 そうだ。まだ二人はここにいる。まだ二人は生きている。

 

 だって、アルフォンス・エルリックは生きているのだから──彼らとて。

 

「あ、そうだ大佐。なんか荷物が届いてましたよ。俺じゃ角度的に見えねえんですけど」

「荷物?」

「ちなみにオレも見えねえですね。大佐、気を付けてください。アンタの死角は真上だ。オレもハボも見えない場所」

「ああ……そうだな、気をつけよう。しかし、どこにあるんだその荷物とやらは」

 

 ロイの眼は見えない。

 だから、荷物なんてものが届いても困るだけだ。

 

「え? そこにあるでしょ」

「目の前っすよ目の前──顔を上げた、目の前」

 

 顔上げて。

 そこに──にくの、カタマリが。

 

 

「ッ!!」

「わ、びっくりした……大丈夫ですか大佐。うなされてましたけど……って、汗びっしょりだ」

「フュリーか。……ここは、夢ではないな?」

「え? はい。……え、ホントは夢とか怖い話ですか?」

「今それを経験した。……疲れているらしい。水を一杯貰えるか」

「あ、はい。持ってきます」

 

 酷い悪夢だ。

 相変わらず下半身は動かず、目も見えない。

 耳は……。

 

「ブレダ? ハボック?」

「ん、なんすか?」

「そう心配そうな声出さなくてもまだ死んでませんよ。つーかオレ達が死んでたらアンタの身体は元に戻るんだ。逆にいえばアンタの身体が戻ってないってことはオレ達は死んでないってことでしょう。あのヴァルネラ、じゃねえ、クロード医師がそういう約束破らねえってアンタも知ってるでしょ」

「……そうか。そうだな」

 

 励まされ、慰められ。

 フュリー曹長が持ってきた水を一気に飲んで──いつもの調子に戻る。

 いつもの調子、といっても……あの、余裕綽々でキザったらしかった頃の"いつも"ではなく──鬼のような、幽鬼のような顔に。

 

「戦況は?」

「それが、ゾンビは全滅で」

「……全滅?」

「味方を含め、ゾンビとされていた存在は全てが活動終了した、と。……今中尉と准尉がツーマンセルで周囲の警戒をしてくれています」

 

 ここはイーストシティの北東、アリビルという村。

 イシュヴァールの地から大量に出てきたイシュヴァール人のゾンビは東部に拡散し、各所で生者を襲った。生者……否、アメストリス人を、だ。その殲滅にロイは出てきていたが──。

 

「鉄板は?」

「今軍が回収中ですよ。……中央軍の無線を今傍受してるんですけど、どうもこのゾンビの活動終了はアメストリス全土で起きてるみたいですね」

「ナチュラルに味方の回線を傍受するのはやめたまえ、フュリー曹長」

「あれ、味方だと思ってるんですか」

「……思ってはいないが。まぁ、いい。私の出番がなくなったというのなら、帰投しよう。各員にそう伝えてくれ」

「え、命令待たなくていんですか?」

「大総統より"すまなかった。今君に送れる言葉はそれだけだ。此度の事が落ち着いたら話し合いたい。応じてくれるかね?"とのお誘いを受けている。──これを遮ることのできる命令など存在しないだろう」

「……了解しました。皆さんに伝えてきます」

 

 アリビルからセントラルへ繋がる汽車はない。

 ので、乗り換えに乗り換えを重ね、イーストシティからまた乗り換えて行く必要がある。

 早く出られるならそれに越したことはないのだ。

 

「……ブレダ、ハボック」

「へい」

「なんですかい」

「お前達……上は見えるか。真上だ」

「あぁ、見えますよ。その辺の調整はアンタの耳に繋がってる機械鎧作ってくれた技師が融通利かせてくれましてね。まぁ大佐の足元だけは見えませんが、マジの全方位見えます」

「オレがいれば、だろ」

「大佐が"お前達"って言ったんだ。主語は俺達でいいだろ」

 

 結局は夢だ。

 ロイが知らない以上の情報は出ない。そういうことだろう。

 

「あ、中尉……と准尉。曹長も。お帰りス」

「ええ、ただいま。……どうかしたの? 大佐、顔色が土だけど」

「土とはなんだ土とは。……少し悪夢を見ただけだ。クロードが出てくる悪夢をな」

「あー」

「あー」

 

 顔を動かす。

 見えない視界は、しかしカタマリなんて映さない。

 

「帰るぞ。大総統と、今後についてを話す。ついてこい」

「言われずとも」

 

 これが、まず。

 一つ目の──うねり。

 

 

 

** + **

 

 

 

 新聞を読むグリード。

 そのあまりの似合わなさに、後ろでドルチェットが噴き出しそうになっているとかは言わなくていいことだろう。

 

「浄火の錬金術師ロイ・マスタング、ついにゾンビの完全掃討に成功する……ねぇ」

「たまたまゾンビの全滅と重なっただけだけど、民衆の目にはそう見えるみたいね」

「英雄か……なぁロア。俺様英雄って言葉似合うと思うか?」

「う……む」

「間があったな」

「間があったわね」

「……グリードさんは英雄ってよりそれに倒される側なんじゃ」

「だよなぁ。俺もそう思う」

 

 彼は強欲である。

 フラスコの中の小人をボコして殺した後、ドルチェット達と合流、やることもなくなったので各地を放浪していたところ、ラッシュバレーに程近いセノタイムという村が大量のゾンビに襲われている場面に遭遇。正義の味方を気取るつもりはないが、見過ごすのもまぁ気分が良くないということで殲滅したら、お礼に家までくれたのでそこを拠点にした。

 南部最北端の地ではあるが気候はダブリスにほど近く、料理もダブリスと似通っていたためにこれを気に入り、時折襲い来るゾンビから村を守っていたら、結構な日にちが経っていた。

 そんな次第。

 

「ただいま戻りましタ」

「ん、おお。戻ったか嬢ちゃん。どうだった?」

「はイ、やはりゾンビと呼ばれていたものは全ていなくなっていまス。ただし、ゾンビに埋め込まれていた鉄板は地面に置き去りにされていテ……どうやらまだそれに魂が残ったままのようでス」

「……ひでぇ話だな。じゃあそいつらずっとそこにいんのか」

「クロードさんの話によれバ、拒絶反応が出るまデ、だそうですガ……それでも長い間雨風に晒されながラ、動けない日々を過ごすのだと思いまス……」

 

 ドルチェットとマーテルとロアは互いに互いを見る。

 そして。

 

「ああ、行ってきていいぜ」

「まだなんも言ってねえですよ」

「お前らが元軍人で、欠片程度の良識が残っちまってることも知ってるし、それを捨てようと努力してんのも知ってる。でも無理だ。軍人になる時点で守りてえとか救いてえとか、すげぇもん抱えてたんだろ? そんなお前らが、何のかかわりもない奴だとしても、ただ拾うだけで救いに成んならそれくらいは……とかって考えるのくらいわかんだよ」

「グリードさん……」

「ほれ、行ってこい。強欲(俺様)の下に居続けるんなら、お前らもそろそろ強欲にならねえとなぁ」

「……うむ。行ってこよう」

「あ、では私モ」

「嬢ちゃんはこっちだ」

「エ!?」

 

 三人が出ていく。

 良識ねェ、なんて悪ぶりながら、今まで読んでいた新聞を投げ捨てたグリードは、顎だけでメイを対面に座らせた。

 

「どう見る。俺はこんな体だが、錬金術はからっきしだ」

「私もでス」

「まぁまぁ、錬丹術師としての意見だよ。……こんだけのゾンビを作った理由と、今後起きるかもしれねえこと。何が思いつく?」

「……まず、ゾンビを作った理由でスが……恐らくは各地に魂を配置するためでショウ」

「配置……錬金術の記号、ってやつか」

「はイ。ゾンビにした理由は勝手に動いてくれるかラ。あるいは誰かが運んでくれるかラ。それぞれの故郷に帰ろうとすルゾンビたちは、その"魂定着の陣"が描かれた鉄板を各地に運ビ、そして一斉に活動終了しまス」

「なるほど。決められた時間、決められた場所にその"魂定着の陣"とやらが落ちるわけだ」

「無論、今のドルチェットさんたちのようニ、回収する人も多くいるでしょウ。それを込みで──それでもいイという計算でやっているのだとしたラ」

「流石に無理だな。アメストリス全土駆け巡ったって全部の陣を消すのは無理だ」

「はイ。……もし、この国で何かが起こるのなら……これが予兆なら。錬成陣の描陣までは、既に終わってしまっていると考えた方がいいでス」

 

 つまり──後は発動するだけ、と。

 

「発動者は誰だと思う? あぁ、俺達人造人間(ホムンクルス)は錬金術は使えねえぞ」

「この鉄板を作った者、あるいは彼らが御している何者か。あるいは──」

「"親父殿"、か」

「……死んだ人間は蘇りませン。けど、今回の騒動を見るト」

「何かしらの手段で"親父殿"の魂がどっかにいて、俺が殺したのは肉体だけ、ってか?」

「わかりませン。私はその"親父殿"サンを見ていないのデ」

「……チ、殺す前に嬢ちゃんに見せるべきだったな。……今から嬢ちゃんをセントラルに連れてくってのはアリか。親父殿のいた場所だ、痕跡くらいはあんだろ」

 

 そこへ、当然というかなんというか。

 

「オレらも一緒に行きますよ、グリードさん!」

「うむ」

「わーってるわーってる。つか誰が置いてくかよ。仲間だろ」

 

 だから、これが。

 二つ目のうねり。

 

 

** + **

 

 

 そして三つ目は、当然。

 

「っし、行くかぁ!」

 

 フラメルの十字架を背負い、赤いコートを羽織る少年。

 巨大な鎧がその隣に立ち。

 反対側に、スリッパの主婦が立つ。

 

 その後ろには──熊。のような主婦の夫。

 

「……兄さん兄さん。やっぱり僕が真ん中の方がバランス良くない?」

「いや、私が真ん中でアルとあんたが両脇、エドは……まぁその辺にいればいいだろう」

「扱い雑ゥ!」

 

 この四人である。

 

 

 

 

 さて、時は少し遡る。いやかなりかもしれない。かなり遡って、ゾンビ騒動が流行り、エルリック兄弟がラッシュバレーでレコルト家の悲嘆を見た後の話だ。

 その後彼らはリゼンブールに向かい、ピナコやロックベル夫妻の安全を確認。その後向かった先が、ダブリスだった。

 

 ダブリス。

 そう、師匠のもとへ行ったのだ。

 

「……そうかい。まったく、人の死を弄ぶ連中ばっかだねぇ、この世界は」

「……はい」

 

 そうして、師匠……彼女、イズミ・カーティスに体験したことを話した。

 話して。

 

「幸いにして、なんていうべきじゃないのはわかってるが……私の前に子供が出てくることはなかったよ」

「オレ達の母さんも、出て来ませんでした」

「……突き付けられた気分ではあったさ。今いるゾンビっていうのは、生きた人間から魂を剥がして、それを死体にくっつけた存在だと私は踏んでいる。つまり」

「完全に死んだ人間は絶対に戻らない……ですよね」

「ああ。ま、そうじゃなかったらアメストリス建国から500年くらいの死骸全員が起き上がってパンッパンになっちまってただろうからね」

「考えるだけで恐ろしいですね、それは……」

 

 故に。

 トリシャ・エルリックも、名をつける予定だったカーティス夫妻の子も。

 確実に死んでいると──裏付けされたわけだ。わかっていたことだったけれど。

 遠回しに突き付けられて、少しだけ揺らいだ。

 

「そういえば、ヴァルネラが国家資格剥奪されたそうじゃないか。今回のゾンビ騒動で」

「あ……はい。これを起こしたのがヴァルネラ医師で……」

「ああいや、そういう嘘は良いんだ。……成程、こんな内々にあっても話せないってことは、軍……それも将官クラスから口止めを受けているね?」

「……う」

「まさか、大総統キング・ブラッドレイかい?」

「あ、いやー」

 

 ──なお、これはイズミ・カーティスの推理力がズバ抜けている、とかではない。無論錬金術師故頭は良いのだが、もうこれは本当に単純にエドワード達がわかりやすいだけだ。二人がごまかしをするときどうするかも知っているし、対象を下げて誤魔化す場合と上げて誤魔化す場合の区別まで声色でわかる。

 

「参ったね」

「ええと、何がですか?」

「アイツが国家錬金術師なら、いつか訴えてやろうと思ってたんだ。年若い女の同意も得ずに服をはだけさせ、中を弄った──ってね。少年の姿で油断させた、とかも加えてやろうと思ってた」

「……えーと」

「が、国家錬金術師じゃなくなっちまうと足取りが辿れない。それに縛りが無いから簡単に逃げられてしまう……何かないものかね、アイツを縛っておけるもの。人と人とのしがらみでも物理的な拘束でもいいんだが」

 

 まだ。

 まだ恨んでいるらしかった。

 

 とまぁ、そんな折である。

 

「……ん?」

「む」

 

 どすん、どすん、と。

 何か大きなものが跳ねる音。それは少しずつ近づいてきていて──同時に悲鳴も上がっている。

 この閑静なダブリスで悲鳴が上がれば位置くらいすぐに特定できる。

 

 どすん、どすん、と。

 どすん、どすん、どすん、と。

 ──それは、程近い場所で止まった。止まって。

 

「ちょ、うわ!? 何してるんだ!」

「ッ、メイスン!?」

 

 様子を窺おうと待機していたら、悲鳴が上がったのだ。

 今度は知り合いの、だから、肉屋の従業員のメイスンから。

 

 すぐに外に出る四人。

 

「……!」

「コイツ、大佐が戦ったっていう……!?」

 

 顔の半分を黒いもので固められ、目にはセメントが入り込んでいて。

 けれど、鼻と口と──いや、巨大な──真理の扉を彷彿とさせる目のようなものがついた裂け目を持った、化け物。

 

 それが肉を貪り食っていた。

 商品だ。だからメイスンがその化け物を殴ろうとするのは当然だった。

 

「ジャマ゛、ずるなぁぁああ゛あ゛!」

「──え」

 

 飛ぶ。

 いや、消える。

 メイスンの棍棒が、その握り手だけを残して、綺麗さっぱりと。そして、家の屋根も。

 

「肉、にぐ……にぐ……、……おんな゛の゛、にく゛ゥ」

「メイスン、下がりな! ソイツはダメだ、アンタに相手できる奴じゃない!」

「お゛ん゛な゛ぁ゛!!」

 

 この場における女性は一人だけ。

 商品の肉を貪り食っていた化け物は、女性──イズミに狙いを変える。

 

師匠(せんせい)!」

「あんた、メイスンと、近隣住民へ避難勧告! ゾンビが暴れてるとでも言えばいいよ! んでエドとアル! ──西の工業地帯に誘い込むから、援護!」

「はい!」

 

 化け物の腹の裂け目が開く。

 それを見極め、イズミが大きく横に転がった。

 

 直後、地面に大穴が開く。

 

「──この化け物との距離が5mくらいで半径4mほどの範囲が消滅する。範囲はあの裂け目の眼の部分から放射状に広がってるから、彼我の距離が離れたら離れるほど広くなって危険!」

 

 つまり──。

 

「踏み込んで、」

師匠(せんせい)、あぶねぇッ!」

 

 グーだ。

 エドワードの作った拳がソレにあたる。

 

 ソレ──何か、真っ黒な影のようなもの。

 

「チ……邪魔しないでくれますか。守ってあげようと思ったんですよ?」

「んな鋭利極まりねぇ歯ァ付けといて守るも何もねえだろ! なんだお前ら!」

「に゛ぐううううう!!」

 

 消滅する。

 イズミは避けたが──影の一部が。

 

「……兄を食らうとは、暴食(グラトニー)。随分偉くなりましたね」

「にぐ……よ、ごせ゛ぇぇええ!」

「長期間の絶食により理性が完全に飛びましたか。……やはりダメですね。人柱三人を食らい殺そうとするのも、身の隠匿もせずに跳ね回るのも理解ができない……。幼い幼いとは言いますが、110年の時があって何が幼いだ。まったく、ラストにはこれから教育というものも担当してもらう必要が」

「にぐうううううううううぅぅぁあああ!!」

 

 また、イズミを狙った見えない攻撃。

 それはぶつぶつ言葉を発していた影の化け物の顔らしき部分を捉え、消し飛ばす。

 

「──決めました。暴食(グラトニー)、君は私が食べます」

「よごぜ、肉、にぐ、にぐ……おん゛な゛のに゛く゛ぅぅうう!」

「さっき言ったことは忘れろエド! こいつ、理性が無さそうに見えて範囲を絞れる! 速度での反応は無理だがあくまでこいつが向いている方向にしか来ない! 正面に立つな、わかったね!?」

「この状況で冷静すぎんだろあの人……」

「言ってる場合じゃないよ、兄さん! ──ごめんなさいシグさん、ちょっと使います!」

 

 アルフォンスが掴んだのは、商品棚の肉。ステーキ用のそれの端っこを掴んで、回転をかけての投擲──それは見事なコントロールで化け物こと暴食(グラトニー)の鼻先を掠め、影の化け物にべちゃっと張り付く。

 

「ォォォオオオオオ!!」

「……いくら食べられたところでさしたる問題にはなりませんが、うざったらしいですね」

 

 口が開く。

 グラトニーの、ではなく影の化け物の、だ。

 

 それはグラトニーの腹を掴み──放り投げて一呑みで終わらせようとして。

 

「口を閉じな!」

 

 両脇から挟み込むようにして作られた石の手により不発に。さらには、グラトニーの攻撃で地面ごと消し飛ばされる。

 

「……何故グラトニーの味方を?」

「何言ってんだい。アンタらどっちもが化け物だろう」

「ああ……まぁそうですが。まったく、人間は括るのが好きですね。無論、括りにするのならば彼、アルフォンス・エルリックも化け物に入れるべきだと思いますが」

「ンだと!?」

「そうでしょう。中身が空洞の鎧。骨格も無ければ繋がってさえいない部分もある。目には怪しい光が灯り、眼球もないのに周囲が見えている。──これが化け物でなくてなんですか」

「にぃぃぃいいいいぐぅうぅうううううううう!」

「……うるさいですね。君がいるとお話の一つもできません。早く食べられてくれませんか?」

 

 グラトニーの裂け目が──エドワードを向く。

 急な方向転換だった。今の今までイズミだけを狙っていたから、油断していた。

 

「肉!」

「人柱は食べてはいけません」

「邪魔するな……プライドオオオオオオ!!」

「……!」

 

 何層にも重なった影がエドワードに向かう攻撃を防ぐ。

 かなりえぐり取られたようではあったが、防ぐことはできたらしい。それくらいの強度がある、ということだ。

 

「君、私が傲慢(プライド)だと……兄だとわかった上でそうしているのですか。──暴走しているのなら仕方がない、と見逃す案も考えていましたが、気が変わりました」

 

 ビチビチと。

 ギチギチと。

 

 それは暗闇から現れる。街灯を伝い、屋根を伝い、道路を伝い──空を覆い。

 一瞬にして、イズミとエルリック兄弟をも縛る。

 

「っ、ぐ!?」

「くそ……硬い!」

「ええ、硬いです。ので暴れないでください。怪我をされても治す者が今いないので」

「チ……く、しょう……!」

「あの、だから暴れないでください。今回は君たち人間に何かしに来たわけじゃないんです。先ほどイズミ・カーティスに当たりそうになったのは、あくまでグラトニーの攻撃から守るため。信じてください……と言って無理なのはわかりますが、……いえ、いいです。とっととグラトニーを食べて、私は退散します」

 

 ぐるりと、影がグラトニーへ巻き付く。

 連発。全てを消し飛ばすその攻撃をグラトニーが連発せども、無理だった。消し飛ばしても消し飛ばしても──影の方が、多い。

 

「最期に一つだけ聞いておきましょう、グラトニー。──どうしてラストのもとを離れたのですか? 君は彼女を慕っていたはず」

「……だって」

 

 濁音入り混じる声とは──違う。

 裂け目は開いたままだが、声はその幼いものに戻って。

 

「……ラスト、優しくなくなっちゃった。もう、おでも、エンヴィーも……道具みたいにしか、おもってない」

「それは、当然では? 私たちは本当の家族ではないのですから」

「ううん、前はやさしかった! でも、それを、そ゛れ゛を──がえだ、かえた、変えた変えた変えた──あいツ゛が!」

 

 最大限、とはこれをいうのだろう。

 裂け目はぐるりと、ぎょろりと開き、グラトニーの身体を覆いつくすにまで至る。

 あの裂け目の外の牙が範囲を決めているのであれば──身体を覆い尽くしたら。

 

 全方位に──。

 

「これは……まずい」

「ゆ゛るざんそ゛……ゆ゛る゛さ゛ん゛ぞ、クロ゛ォォォオオト゛ォォオオオオオ゛!!」

「そこまでですよ。──さようなら、暴食(グラトニー)

 

 ザクッと。

 グラトニーの身体が切れる。半分ではない。ぶつ切り、細切れ。

 影は影ゆえに合わさってもぶつからず、その斬撃は全方位よりグラトニーに集中する。一瞬にしてすり潰されたグラトニーは、けれど復活しようとする。賢者の石より──その赤い石より。

 

「なんだい、あれは」

「……あれが、人造人間(ホムンクルス)

 

 真っ黒な空間で。 

 赤きティンクトゥラが、命の、魂の輝きを放ち、その肉体を再生せんと脈動し。

 

「もし、次に生まれることがあれば、もう少し賢く生きるように。──兄からの助言です」

 

 その石ごと飲み込まれ、包み込まれ、砕き割られ。

 

 消えた。

 ──消えた。

 

 

 

 

 影が解ける。

 

「……」

「では、弟が失礼しました。人柱の皆さんは──怪我などしないようにお願いします」

「ま、待て……アンタはなんなんだ。お前は……」

「ああ、私も人造人間(ホムンクルス)ですよ。名を傲慢(プライド)

「人間には……どうやっても見えないが」

「あはは、人間らしい体がセントラルにいますからね。こちらの身体は……説明が難しいですが、まぁそういうことです。それでは」

 

 言って、影が引いていく。

 目と口だけの化け物は、影の化け物は。

 

 ──もう、いない。

 

「……よし、エドワード」

「なんですか、師匠(せんせい)

「とりあえずこの惨状をどうにかしようか。朝までに直すよ!」

 

 惨状。

 ぽっかり空いた深い穴。消し飛ばされた屋根。商品棚もぐちゃぐちゃで、街灯も折れている部分がある。

 

「そういえば、シグさん達は大丈夫だったのかな……」

「大丈夫大丈夫。メイスンも大丈夫。だから──働く!」

「……へーい」

 

 三人が、手を合わせる。

 真理を見た錬金術師三人。その威力、精度、影響範囲はすさまじい。こんな補修など一瞬だろう。

 

 だけど。

 

「手も足も出なかった」

「ああ。……世の中は広い、とか言ってる場合じゃないんだろう?」

「はい……あ、じゃなくて」

「セントラルに本体がいる、っつってたな。ご丁寧によ」

 

 この三人──アルフォンスを含めて──負けず嫌いである。

 

「行くか、セントラル」

「でも……いいの? 捜索は」

「セントラルにいると睨んでる!」

 

 各人事情があったとはいえ──誰も偽ヴァルネラを探すことなく、その全員がセントラルへ戻る。

 

「エド。私達もついて行かせてもらう。文句は言わせないよ」

「……ちなみに理由とかは」

「色々あるが──どうにも嫌な予感がする。そんだけさ」

 

 本来であれば、身体が弱いから、という理由で行く気を起こさなかった彼女も。

 健康体であるが故に、拳をバチンとぶち当ててて。

 

 

 

 そうして、そうして。

 ゾンビ騒動が終息した後が、冒頭となるわけである。

 

「──鋼の錬金術師一行、出発!」

「あの、師匠(せんせい)

「ん?」

「やっぱり遠出なので、スリッパはちょっと……」

「……やっぱりかい?」

「イズミ。旅行用の靴は買ったはずだ」

「ちなみに師匠(せんせい)、オレもスリッパの人の隣歩くの嫌です」

「お前はうるさいよデザインセンス地の底のクセに」

 

 これが、三つ目のうねり。

 

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