緑礬の錬金術師 作:ONE DICE TWENTY
交差するのは影だった。
影──人影と、巨大な影。
疾走する人影は地を駆け、壁を駆け、天井をも駆けて──ソレに肉薄する。
対し、影は人影を絡めとらんと殺到し、鋭利な口と鋭利な体で斬撃を放つ。響くのは金属音だ。
「ッ……中々」
「そちらこそ、老体で随分と激しく動き回るものです」
喧嘩。
大喧嘩だった。
セリムが──つまり、
意見がぶつかり合った時は、大喧嘩をするべき。仮初ではあるものの母親の言う意見だ。そこに中々の正当性があるものと見て、
中々に、初めての経験だ。
自らの本体ともいえる影に普通の靴で乗られることも、特別な鉱石を使っているわけでもない軍刀に攻撃が弾かれる経験も──自らの攻撃、その全てが見極められ、避けられるという経験も。
今まではなかった。同じ
ほら、今だって。
「ふ──」
「……!」
踏み込まれた。
極至近距離まで。影が追いつかず、そのまま容れ物である身体が切り上げを顎に食らって打ち上げられた。
「……やはり頑丈だな、
「渾身の一撃でも僕を壊せないとは、老い過ぎましたね、
本来であれば
初めこそラースと呼ぶ姿勢を崩さなかったプライドも、ラースがセリムセリムと呼んでくるから、面倒になってお父さんに変えた、という経緯はあれど。
他者に話すときの父上でもなく、憤怒でもなく、家族でいる時の呼び名を使うのは。
「しかし……傷つきますね」
「はっはっは、なんだ、傷はついているのか?」
「そっちじゃありませんよ。……お父さん、君に傷ひとつ付けられないことに傷ついているんです」
自身の身体を影にくわえさせて、上からブラッドレイを見下ろして。
彼の身に一切の傷が無いことに溜め息を吐く。
最古の
性能に差があるわけではないはずなんですけどね、なんて肩を竦めて。
「では、そろそろ本気で行くとしましょうか。──お父さん」
「来い、セリム。そうして、父に聞かせてくれ。お前が何をそんなにも怒っているのかをな」
「……あなたが私に参ったと言わせたら、考えてあげます、よ!」
ほぼ無限に湧き出る影と戦うは一人の人間。来年で60になる老人。
けれど──ああ、その戦いは。
どこにも悲壮感というものが見当たらなかった。
ヤバい。
「やばいやばいやばいやばい……僕にあてる集団じゃないだろアレ! ああいうのこそ
ヤバかった。
エンヴィー。それが彼の名であるが、そんなことどうでもいいくらいヤバかった。
走って、走って、走って逃げまくらなければ──人体を分解するスペシャリスト達が、彼をバラバラに分解しに来る。だから逃げる。けれどそれだけではない。突然壁が出来上がっていたり、突然穴が開いたり。
錬金術師を相手にするときと同じ面倒くささがちゃんとある。
イシュヴァールの武僧。
「このエンヴィー様は雑魚狩り専門だって、もうわかってるだろ!? 采配! 采配ミスだって!」
エンヴィー。
その変身能力から暗殺に向いている彼だが──平地で、普通の人間とは到底思えない武僧相手の大立ち回りは──ぶっちゃけ無理である。
もし巨体たる本体になったとて、ヒットアンドアウェイで分解されて終わるだろう。動物になって逃げても何故か位置がバレるし、腹を括って応戦しようものならまたぐちゃぐちゃにされる。
運よく抜け出せたからよかったものの、次に捕まったら終わりだと魂が叫んでいる。
「ズル! ズルだろ! フツウ一対一だろ!? なんだよ18人って!」
「お前らの賢者の石何千何万人分なんだ、そっちのがズルだろ」
「うるさいな! つか、並走して来るなよお前は本当に結局なんなんだよ!」
そんな──逃げるエンヴィーの横を走るは、クロード。
エンヴィーの隠れ潜んでいた場所に辿り着く前に、ポツりとある言葉を漏らした存在でもある。
──"あ、そうそう。イシュヴァール戦役の発端、アメストリス軍将校が子供を撃ったやつね。アレエンヴィーだよ。あんな奴軍人リストに載ってないし"。
焚きつけられた、とわかっていても。
その怒りを抑えることはできなかったのだろう。復讐者たちは──その
武僧の一人がエンヴィーにとびかかる。
分解の腕。それは──直前に
「チョーシ乗ってんじゃ──ぎゃああああああ!?」
「同胞よ。先に行く。また共に、イシュヴァラの腕に抱かれよう──」
その、腹に突き刺さった腕を掴んで、分解と再構築を短期間に繰り返す。これもまたクロードが
「ク、ソが! クソ人間が──死ぬのが怖くないのかよ!」
「あっはっは、どうだよエンヴィー。ああいう手合いは不老不死よか怖いだろ。俺も恐い!」
死なない存在と、死ぬのが怖くない存在。
前者の意味が分からない奴はともかく、後者はエンヴィーにとって手玉に取りやすい手合いだったはずだった。「死ぬことくらい覚悟している」という奴ほどちょっとしたことで揺らぎやすい。
あのロイ・マスタングなんて本当にいい例だ。鬼気迫る表情が一瞬にして呆けるさまは最高だった。アレの女だというリザ・ホークアイに、今度はもっとエゲつないことをしたらどうなるのだろうと──楽しみで楽しみで仕方がない。
仕方がなかったのに。
「こ、んなところで──死んでたまるか! おいマルコー!」
「っ!」
何もやみくもに逃げていたわけではない。
目的地があったのだ。彼──ティム・マルコーの位置に向かうために。
「き、キンブリー!」
「はぁ……今度はイシュヴァールの武僧ですか。それも、私を殺した面子じゃないですか……そろそろネクロマンサーの真似事をやめてみる気はありませんか、ティム・マルコー医師。時間外労働が過ぎますよ」
「え、あ……」
「マルコー! いいからあいつらをやれ!」
「……本当に……美しくない。死んだ人間を蘇らせるのも、死んだ人間が光を掴むのも、死にゆく定めにある者が死者を用いて生を掴まんとするのも──人間を見下しているくせに、人間に助けを乞う
ぶつくさ文句を言いながら──地面より這い出たゾルフ・J・キンブリーが紅蓮を引き起こす。
その傍らにいるのは賢者の石を持ったティム・マルコー。「へっ」と笑い、エンヴィーは茂みへと姿を隠す。
「紅蓮の錬金術師──!」
「ああ、分解ですか。しかし残念、今の私の身体、ほぼ粘土のようなものなので、人体破壊は効きませんよ。まったく、私の肉体損壊を治癒しきれなくなったからと言って、こんなもので補強するとは……」
「ガ──」
分解。
腕がキンブリーに当たれども、血が噴き出ることは無い。
そのまま武僧はキンブリーに腹を触れられ──爆発四散した。
衣服だ。
衣服が爆発物に変換されたのだ。
「……緑礬の錬金術師ヴァルネラ。アナタ、見ているだけですか。治さなくていいので?」
「ん? なんで治す必要があるんだよ」
「ふむ……成程、特に必要はありませんね。申し訳ない、起きたばかりで寝ぼけていたようです」
「あー、低血圧?」
「フ、低血圧どころか、血など巡っていませんよ。この土人形に私が張り付いていられるのは、賢者の石の力ですから」
連鎖的に爆発が起こる。
地面も、壁も、エンヴィーが逃げ込んだ茂みも──すべてが爆発し、破裂する。
勿論隣で話していたクロードも爆発四散するも、すぐに再生した。
「……ね?」
「へぇ、粘土に賢者の石流して血液みたいにしてんのか。よく考えつくな。そんでもって、魂定着の陣は常にティム・マルコーが操ってるから自由意志は利かない、と。今の全方位爆破もティム・マルコーだけは避けてて……いや器用なもんだよ」
「お褒めに与り恐悦至極……と言いたいところですが、そろそろ飽きて来ました。アナタ、緑礬とかいうあらゆるものを結晶化する錬金術を使いましたね。アレで私を殺してくださいませんか?」
「ん-、武僧が全員散ったら考えてやるよ」
「そうですか……。はぁ」
本当の本当に嫌だ、というような溜息を吐くキンブリー。
彼の美学、美醜観念において──今の自分はあまりにも美しくない。ので、とっとと死んでしまいたい。
それを許さないのがティム・マルコーで、命令しているのが
……せめてティム・マルコー医師の考えで動かされているのならやる気も出ましたが、彼はただ街一つを人質として取られているだけ。敵を殺すことに意思はなく、怯えながら命令するだけ……と。
なんて。
溜め息もでようというものである。
美しくないし面白くないし楽しみもない。それでいて眠れず働かされ続け、目的が達されたら意識を奪われて。
これがブラック企業という奴ですか、なんて独り言ちる。
ゾルフ・J・キンブリーは死んでいる。
──正確に言えば、此度アメストリス全土に巻き起こったゾンビ騒動と同じ。あるいは走りとでもいうべき存在だ。
武僧、及び緑礬の錬金術師ヴァルネラとの戦いによって焼死体一歩手前まで行ったキンブリーは、その魂を剥がされ、死亡した肉体を綺麗な状態まで戻された上で、この中に入った。
他のゾンビと違うのは構造と使役。放逐されたゾンビと違って使役者たるティム・マルコー医師がいることと、その肉体に賢者の石が流れ続けていること。
これにより錬金術の威力や射程が上がり、さらには使役されていながらも高度な思考、会話ができる──という、嬉しいのか嬉しくないのかよくわからない仕様になっている。成り立っている。
文字通りの粘土細工。そこに生死の音はなく、悲鳴ですらない賢者の石が流れるだけの容れ物。
分解されようが貫かれようが元に戻る。痛みはない。あるように誤認させられていた頃もあったが、邪魔になるだけだと判断されて消された。体の感触もないままに動き続けるゴーレムだ。
「時に、緑礬の錬金術師。アナタ、不老不死でしたね」
「ん? おう」
「私、この身体になってから生の実感というものがありません。刺されても分解されても千切れても直る──
「あー。まぁ慣れない内はちょっとキモいかもな」
「ということは、アナタもそういう気分ではあるのですか?」
「いやぁ、俺はホラ、不老不死だから。人形とは違うよ。フツーに痛いしフツーに苦しい。けどまぁ、痛いって思わなければ痛くないし、苦しいって思わなければ苦しくない。なら苦痛に思わない方が得ってモンでショ」
「つまり──痛いと思えば痛く思えると」
「おん。ちょい頑張ってみ? 心なんて案外力業でどーにかなるもんだぜ?」
会話──とは裏腹に、壮絶にして凄絶、凄惨な光景が広がっている。
最強かに思われた
隙が無いのだ。本人は全く別のところに意識を割いているのに、戦闘に余念がない。
「……無理ですね。私には難しい……」
「おーん……あー、お前さ、それ欲しいか? あー、だから、痛覚」
「できるのなら。これがないと、戦闘に臨場感がありませんので」
「そうか。んじゃ、代価は」
「では、私の魂を。この戦闘、私が勝つにせよ負けるにせよ──アナタに魂を差し出します。ですからどうか、ひと時ばかりの
「おう、ノータイムで魂差し出す奴はブリッグズの少将以来だ。んじゃま」
クロードがキンブリーの胸骨に手を当てる。
発動するのは生体錬成だ。胸、首元に手を突き入れて行われるその蛮行は、けれど彼の腕が抜き放たれた時──キンブリーの眼に光を宿らせていた。
「ああ──ああ、ああ! これです、これですよ! 痛み──私の身体が悲鳴を上げている。血液の代わりに通る賢者の石が痛みを発している。損壊した肉体が軋む……叫ぶ! そして、そして──なんと懐かしきか、心臓の音。なんと美しきか、怨嗟の声! ──この世界で最も醜きアナタに、畏敬と、感謝の念を。そして」
大爆発だ。
すべてを巻き込む爆発は、キンブリーの足元で起こり──それはあらゆるものを巻き込む。
避けるとか外すとか、ない。
だから当然、ティム・マルコーも。
「肌の焼ける感覚、音。肉のこそげ落ちる音──忌むべき声、復讐の炎。イシュヴァールの亡霊よ、私を見なさい。私を、私だけを見なさい──私こそがあなた達の命を奪った……もっとも多くを奪った者!」
勿論キンブリーだって無傷じゃない。
だから、それがいい、と。
彼は声高らかに笑う。
「さぁ──向かって来てください。私を殺すために! 私を滅するために──世界を救うために!!」
言われずともだった。
言われなくともだった。
爆発を避けることさえしない。足をもがれようと、片腕に成ろうと、
「──ならば、ここで死なないのは──流石に美しくないでしょう!」
故に。
最後にキンブリー自身が自らの頭に手を当てて、直後彼の身体から光が漏れ出でる。
それは彼の身体が粘土細工であればこそ。
自らの全てを爆発物に変えて──。
「というわけだ、ティム・マルコー」
「……戦場の神医ヴァルネラ、か」
「キンブリーの魂は貰った。だからあの人形はもう動かない。よってお前の契約は破棄され──お前が必死に守らんとしていた村は地図の上から消されるだろう」
「……」
まだ、まだ終わっていないと、エンヴィーを追いかけて行った
残ったあと6人が。あっはっは、いやぁ大健闘だよキンブリー。
「……と思ったら、なるほど。アンタもゾンビなのか」
「と……とっくの、昔にな……」
「エドワード・エルリックが来たあとか?」
「! ……まさか、全て知っていたのか?」
まぁ、簡単な話だ。
俺のせいで十分な"生きた人間"が確保できなくなった軍上層部が何をするか、何を考えるか。
節約だ。
賢者の石の製法。それは
何百人もの人間を賢者の石にする、など効率が悪すぎる。だからもっと少ない人数で、そして──できるのなら、一人から何回も採れたら最高だと。
そういう考えに至るのもおかしくはない。
「そうしてお前たちはまず、魂の切り分けについて研究させられた」
「あ……あぁ、そうだ。一人の魂を切り刻む研究。先に
「が、失敗した。なんでかって、
爆発によって。
ごろり、と転がった──ティム・マルコーの首。
それがまだ、喋っている。
「だから、アプローチを変えたんだ。……果たして人の魂とは、どこに宿るのか。心臓か、脳か、目か、手か、──それとも全身か。それを調べるために私たちは被検体を切り刻んだ」
「結果、どこにあった?」
「……全身だったよ。だから私たちは、被検体を切り分けて使うことにした。それが最も効率が良かったんだ」
でも、それでも。
戦場の神医ヴァルネラのせいで、どんどん材料が減っていく。
「効果が薄くとも賢者の石。どうでもよかったんだ、増幅器としての能力なんて。賢者の石さえ作れたらあとはどうでもよかった。だから──上は私達研究チームの手足も切り刻もうとしてきたよ。……すぐに私は逃げたが、果たして皆がどうなったのかを私は知らない」
「単純に人間を五分の一にして作って一人分の賢者の石。腕一本で五分の一賢者の石を作るノウハウを手に入れたわけだ」
「……そうだ。そしてそれは、意外なことに軍上層部に……いや、今にして思えば、
逃げて、町医者をやっている最中に軍人に見つかって──
エドワードらに話をした直後。
そうして打ち込まれるは研究結果。
名前の彫られた鉄板。
それはつまり、魂を乗せるに必要な人間の最小単位。
「名前は、これがその者であることを指すために必要だった。──残された研究チームは、指や手足、眼球を失いながらも指示に従い続け……最初の被験者として、私を指定したそうだ。逃げた私をな……」
「ちなみにその研究チームは?」
「……これだよ」
そう言って──首の無い身体が見せてくるのは、プレパラートとどっこいどっこいくらいの薄さの赤い板。
削りに削られ、研究も出来なくなった時点で賢者の石の材料にされたか。
「一度使えば割れて壊れる。……戦場の神医ヴァルネラ。私はもうすぐ死ぬ。だからその前にお願いしたいんだ」
「代価次第だな」
「……イシュヴァールの地。かつてアメストリス軍がテントを張っていた場所の地下深くに、実験場がある。そこは放棄されたままになっている……気休めなのはわかっているが──」
「供養してくれ、って?」
「ああ」
「……俺は葬儀屋じゃねーんだけど」
「だが、不老不死だろう。……多くの死を、看取って来たんじゃないのか?」
……まぁ、俺達がドラクマの血の紋をズラしたせいで、イシュヴァールの無念が本当の無念となったんだ。少しくらいのサービス残業はしてやるかぁ。
キンブリーの身体に触れる。ティム・マルコーの身体に触れる。
そして、中の賢者の石を一気に使い切る。
「……代価は……情報、だ」
「おん?」
「お前を騙った……金歯の、医者。──降らせる、気」
「ああ、わかってるよ。気付いてる」
「なら──あんしんして」
倒れる。
倒れた。
……さて、あとはエンヴィーがどーなったか、かねぇ。