緑礬の錬金術師 作:ONE DICE TWENTY
心を平静に保つ。
心を平静に保つ。
「観測隊より入電! 影の化け物を確認した! 高速でこちらに向かっている!」
心を平静に保つ。
「銃撃隊、陣を固めろ! 決して乱すな、決して崩すなよ!」
心を平静に、保つ。
「敵は閃光弾に弱い! 無駄撃ちをせずに光らせ続けろ! いいな、方向を間違えるなよ!」
心を、平静に、保つ。
「──忘れるな! 我々がすべきは敵を倒すことではない! 鋼の錬金術師を守ることだ! 考えるべきはそのことだ──グ、ギャ!?」
心を……。
「指揮官!? な、地下から、どういうことだ! 対象は地下道しか通れないんじゃなかったのか!?」
「わからん! だが実際に今指揮官が地面から──ぁ」
「閃光弾を投げろ! 一度態勢を立て直せ!」
保つ。
「保てる、わけねぇだろ! オイ、大丈夫かアンタら!」
保てなかった。
"傘"を維持するための錬成陣は酷く簡易なもの。円に四角形を描いただけのそれは、その交点に真理を見た錬金術師が入ることで凄まじいまでの効力を発揮する。つまりは、人柱として、だ。
正方形自体もそこまでの大きさはなく、中心での戦闘音が聞こえるほどの距離でしかない。
ただし、シンプルが故に制約が厳しい。
一つは完全な正方形を保ち続けること。だからエルリック兄弟もイズミ・カーティスもホーエンハイムも動けない。中心で起きている戦いに参加することも出来ず、こうして自分たちを護衛してくれている軍人たちの援護にも向かえない。足元に描かれた半径1m程の錬成陣から一歩も出てはならない。一歩でも出たのなら、あるいは錬成陣が崩れたのなら。そして誰か一人でも死んだのなら──"傘"は崩れ、フラスコの中の小人が侵入する隙を与えてしまう。
もう一つは錬金術を使わないこと。
正確には"傘"を作るために使っている思考リソースを割かない、出力の一切を漏らさないことだ。
錬丹術は大地の流れを読んで遠隔で術を発動させる技術。それを逆利用したものがこの"傘"で、つまり中心から遥か上空を起点に、流れがすべて外側へ分散するような錬丹術を組み上げた。アメストリスの上空で起きる錬成反応は全て外側に流れていく。
フラスコの中の小人そのものが錬成反応の塊であるからこそできる"傘"だ。
だから、エドワード・エルリックは心を平静に保ち、外部の事など一切気にしないでいなければならない。
いなければ、いけなかった。
でも。
「──っ」
見てしまう。
声で、ある程度はわかっていたけれど。
「……おい、大丈夫かよ……」
血があった。
血が流れていた。
あちこちに、ある。
死体が。
四肢が。
途切れることなく閃光弾を投げるだけ。
……そんな楽なことで
そいつは、影の化け物は──今、虐殺を行っていた。
「っ……」
「出るな、エドワード・エルリック!!」
「!」
銃火器が主流のアメストリスではあまり見ることはないが、キング・ブラッドレイを始めとするように、アメストリス式軍隊剣術の使い手はそれなりにいる。だから今、活躍しているのは彼らだった。普段あまり日の目を見ない彼らが、影を剣で弾くことで応戦している。
防戦一方。そんな彼らが叫ぶのだ。
「俺達だって死にたくはない! だが、お前がそこを出たら、俺達の家族が、俺達も、アメストリスの全部が死ぬんだろ!?」
「気にするなとは言わねえ! 無理だろうからな! だが、頼むからあのデケェのを防いでくれ! 俺達にはできないことだ!」
「代わりに俺達は──この化け物を、アンタに近づけさせねーからよ!」
言葉でそう言って、次の瞬間には絶命していく軍人たち。
絶命だ。
一切の容赦はない。影の化け物は人体をバターのように切り裂いて、エドワードに近づかんとする。どれほど剣で防ごうとも──否、防げば防ぐほど、数が増える。全部一つの化け物だから、閃光弾を投げれば一気に消滅させられるが、だからと言って尽きることは無い。
対策していた地下道から。
そしてそれだけではない、何か用水路の類でもあったのだろう、どこぞの地下から影が突き出て、突然人が死ぬ。
「……くそ!」
泣きそうな顔だ、というだろう。
誰が見ても、だ。エドワードは──目の前で死んでいく命に。それも、自分を守って死んでいく命に、何もできない。何もしてやれない。身を挺して庇うことも、得意の錬金術で防ぐことも。
何もできない。
「無様ですね」
「!」
そんな彼に、声がかかる。
まだ戦闘は起きている。その防御網を掻い潜ってか、一本がそこにいる。
「君の力。なんのために身に着けたんですか?」
「……うるせぇ。
「私は君の事を知っていますよ、エドワード・エルリック。君の性格も、君の大事な人も、君の目的も」
「なん……何がいいてぇ」
「君はアレを見て我慢することなどできないでしょう。確かに今私は君を挑発していますが、私がこれをしなかったからといって、君はその錬成陣を出た。むしろ今こうして話している間の分止めてあげているとも言えますね」
「だから、何が言いてえんだてめェ」
図星だった。
今にも、出て行くところだった。
兵士たちの懇願を聞いても、それでも──それが嫌で。
「──
「……お前、なんでそんなことまで……」
「君達もサンプルケースだった、というだけのことです。私はこの国における
アメストリス全土に身を伸ばせる彼にとっては、何も。
母を喜ばせたい一心で、母が笑ってくれるからという理由だけで錬金術を修め尽くした天才兄弟。注目しないわけがない。着目しないわけがない。
知らない方がおかしい。
「だから、全部知った上で言います。無様ですね、鋼の錬金術師」
「挑発には」
「挑発しますよ。──まぁ、見ていてください。貴方の手の届くところにある人々の命が、無為に、何の価値もなく消えていく様を。今さっき君に声をかけた彼らの名前、君は知らないでしょう。軍人さん、憲兵さん、兵士さん。君は基本的に彼らをそうとしか呼びませんからね」
「──っ」
「ちなみに私は彼らの名前、全て覚えていますよ。必要でしたから」
「必要……?」
挑発だ。
挑発でしかない。耳を貸す必要自体が無い。
なのに、その次の言葉は、するりとエドワードの中に入って来た。
「ええ、必要です。よく挨拶をしましたからね。名前を覚えておくだけで評判が上がるんですよ。──セリム・ブラッドレイの」
「セリム……? なんで……大総統の息子の名前が、ここで出てくるんだよ」
「
「は、あ?」
「
おかしな話だった。
だって、それなら。
そんな重大なことならば。
言っていた。あの二人は。
「嘘吐けよ……んなこと」
「あり得ない、ですか? フフ、弟の言葉を借りるのはなんだかおかしな話ですが、ここで突き付けてみるのも面白いでしょう。──あり得ないなんてことはあり得ません。現に私の父は
「な──ら、ブラッドレイ夫人は……まさかエンヴィーか?」
「は?」
あり得ないなんてことはあり得ない。
そうだ。考えてみれば当然だ。キング・ブラッドレイが
そしてそれを言わなかったあの二人は。
「っぷ、あははは!」
「……そんなにおかしいかよ。こんな簡単なことにも気付けなかった道化が、ってか?」
「ああ、いえ。想像したらおかしくなってしまって。すみません、今の君を笑ったわけではないですよ」
素直な謝罪。無邪気な笑い。
それに一瞬どぎまぎする。けれど、エドワードは頭を振るう。コイツは敵だ。今、今まさに兵士らの虐殺をしている敵。倒すべき、殺すべき敵。
「母上は普通の人間ですよ。流石に全員こちらが用意した人間となると、怪しむ者が大勢出てきてしまいますので」
「……じゃあ、騙してんのか。あんな……優しそうな人を」
「──……はい。そうなりますね」
そこにあった間は。
「さて、これで挑発はおしまいです。どうでしたか?」
「……どうもこうも、ねぇよ」
「ああ、そうですか。やはり挑発の経験が少ないせいか、子供の演技より上手くできませんでしたね。次の相手にはもう少し上手くやってみます」
「次の……って」
「勿論、他の三人ですよ。君が一番挑発に乗りやすいと思って、初心者向けだと考えたのですが、中々難しいですね」
影が引いていく。
今。
今、エドワードを殺せばそれでよかったのに、影は退いていく。
何故って。
もう、やることはやったからだ。
「最後に一つ──これは言っておきましょうか。行儀よく、ね」
しっかりと植え付けた。
しっかりと植わってしまった──疑念。
「ごちそうさまでした」
「──!」
バッとエドワードが周囲を見れば。振り返れば。
そこには、何もない丘陵地帯が広がっていた。
四肢も、死体も、肉片も、血液さえない──何もない周囲。
「何もできないアナタは、そこで何もせずにじっとしていてください。──"傘"などというものを壊す前に、アナタたちは全滅しますから──そこでずっと、ずっと、心の平静を保っておくといいですよ、エドワード・エルリック」
そして、影も。
──消えた。
「……ダメだ、考えるな」
考えるな。
可能性。何故言わなかったのか。何故作戦会議時に──いや、もっと前から知らせなかったのか。
セリム・ブラッドレイが
今まさに──数多の兵士の命を奪い、食らい尽くした者だというのなら。
「考えるな!」
キング・ブラッドレイ。
そしてクロードは──本当に味方か?
「……考えるな。考えるな。ダメだ。オレは……オレがここを動けば、全部が無駄になる。挑発だ。そもそもおかしいじゃないか、セリム・ブラッドレイは五歳の……養子で、血のつながりはなくて、利発で……いや、だから……アイツは知らないはずがない。違う、それじゃねえ。そっちに繋げるな。……考えろ。おかしい。おかしいと思え」
上空。
"傘"が少しずつ傾き始めていることに、エドワードは気づけない。
錬金術は思念を送って発動するもの。
ならばその思考が掻き乱された時。
「考えるな考えるな考えるな思考を止めろ……オレの役割を思い出せ、エドワード・エルリック!」
今、中心部でみんなが戦っている。
ここからでも見える。巨大な化け物が。
皆の努力は、"傘"の崩壊で水泡に帰す。考えてはいけない。
──その時、無線が入った。
隣の頂点を担う、ホーエンハイムからのもの。
エドワードは、それに。
打つ。打つ。打ち付ける。
クロードのただの拳。膂力は人並み、筋力は多少。体は子供であるから重心は低く堅固、同じく子供であるから軽く浮きやすい。
ただし触れたら、賢者の石のエネルギーをごっそりと持っていく拳。
「ふん、貴様中々動けるな。不老不死であることだけにかまけた堕落者ではなかったのか」
「アレェ、俺ブリッグズでもそこそこ戦ったよな? あの時は確かに医者としてだったけど、最後にはスロウス相手に大立ち回りしたはずだけど」
「見ておらんから、知らん!」
斬撃というよりは剣撃だ。斬ることを目的としていないそれは
踏み込むはクロード。人間には絶対に無理な上体の捻りは、彼が不老不死であればこそ。自身をも傷つけるが故に禁止されるような武術における禁術も、再生する彼ならばノーリスクで行える。
打ち付ける。
手甲も剣もない。ただ──賢者の石を主源とする
対し、ラストは爪を下ろす。爪を薙ぐ。
わかる。戦闘技術の経験はあちらが上だ。クロードもオリヴィエも、どちらもが違う理由で達人なのだろう。前者は年数で、後者は圧倒的な才能と努力で。
それに対し、たかだか80年前から、しかも見様見真似で始めただけのラストの「努力」では対抗できない。一対一ならば話はまだ違っただろう。撃つことを迷う中衛との二対一でも適応できた。
だが、この二対一は無理だ。
なんせ互いが互いの攻撃で傷つくことを考慮していない。当たってしまっても関係の無い不老不死と、万が一当たってしまったら即座に治す生体錬成。オリヴィエもそれを承知で極至近距離での戦闘を行っているし、正直クロードの拳が当たった程度でどうにかなるオリヴィエの肉体ではない。
分が悪い。
ちゃんと分が悪い。ラストがそうなるために、様々なリスクを承知でオリヴィエが呼び出したのだと、理解できる。
「ハ──ははっ、なんだ、マジになって戦うのも中々に楽しいモンだな。300年前くらいのシンを思い出すよ。いきなり皇帝が首斬ってきてさ、あーこりゃもう居られないなって思って逃げた時、それはもう大乱闘になったもんだ。別に無視して逃げても良かったんだけどさ、ロン家の連中が"最終試験だ! 今までの教え、その代価を払え、ブシュダイレン!"とか言ってくるからついつい乗っかっちまって」
「老人の昔語り程聞くに堪えんものはないな」
「アンタ実は俺の事嫌いだろ」
斬る。突く。
ラストは中距離を得意とするタイプだ。彼女の持つ最強の矛はグリードのそれと似た特性があれど、彼女は防御ができない。硬化を使えない以上、自身に向かう攻撃もその矛で弾くしかない。しかしながらラストの腕は二本で、指は五指ずつのみ。
多を制するには余りに足りない。
だから、学びがあった。
「む……」
「ん?」
ラストの長所はその爪の貫通力と伸縮性だ。
指一本を普通の剣のように扱うこともできるが、爪、あるいは指の根元が女性のそれである以上、威力には期待できない。五指を束ねたところでそれは同じ。
ならば参考にすべきは剣撃ではなく──突きの方。
「ほう……貴様、
オリヴィエがたまに行うそれ。
的確に急所を狙い、ブレず、外さず、弱点となるはずの伸びきった腕は剣を持っていない方の手に持った小銃でカバーする、その動き。
腕を伸ばさなければ突きができない人間より楽に攻撃ができる。伸縮自在だからすぐに別の行動に移れるし、同じ要領で銃撃のように扱うこともできる。
取り入れない理由はない。それが鍛え上げられた剣術であるのならば、どれほど合理的でどれほど効率的かなど、考えるべくもなし。
「へぇ、なんでだ?」
「何が、かしら」
その問いがオリヴィエでなくラストに向けられたものだとわかった理由は何だろうか。
顔をこちらに向けているから、ではない。そんなもの戦闘中なら当然だ。
──声が優しいものだったから、かもしれない。
「もうすぐすべての意味がなくなる。全てが消える。上のアイツが降ってきたら、そりゃそうなるだろう。そんでそれはお前らも同じだ、
切り結ぶ。打つ。突く。
確実に、確実にラストの命は削れて行っている。最も注意すべきクロードの拳は極力避けているから減った量など雀の涙も良い所だが──それでも圧されている。
当然だろう。相手は"生体錬成の権威"でもあるのだ。オリヴィエが負う傷は、メイ・チャンが施していた時よりもさらに早く治療される。一撃で命を奪うまでいかないと無理だと思わせるくらいの速度で。
そしてそんな火力をラストは持っていない。
今。
ラストたちの動きを"視て"、尋常ではない速度で"慣れて"行っているリザ・ホークアイも参戦するのならば。今までは医療に徹していたメイ・チャンが攻撃に転ずるというのならば。
押し切られるだろう。
賢者の石を破壊するその拳に捉えられ、たかだか十七万の命は即座に消費されるのだろう。
「──恐いからよ」
答えた。クロードの口角が上がる。ぐにゃりと、にやりと。
けれどそれは愉悦ではなく、歓喜だ。彼は時たま、それを見せる。
「私は恐い。恐ろしい。死ぬことが──怖い」
「死ぬための計画を進めているってのにか!」
咆えるような問い。
答えが分かった上で、その問答を楽しむクロードの、悪い悪い顔。
「私の運命は私が決める。私が私の命をお父様のために使うこと──そこに何の躊躇いもないわ。当然でしょう。私たちはそのために産み落とされ、私たちはそのために今までを存在してきたのだから」
「篤い忠誠だな。それほど価値のある者なのか、そのお父様とやらは」
「父親よ? ──理由はただそれだけ。決意と覚悟の意味付けに、複雑な理由は必要かしら」
「いや──不要だ。家族か、十分な理由だったな」
殺される。
傷つけられる。
それが怖い。死ぬことが怖い。何がおかしい。何が矛盾している。
「私の命は私の意思で使うわ。──だから、貴方達に奪われないために私は成長する。学習する。私は今、死に行く恐怖に抗うために、矜持を踏み潰して……貴方達に勝つわ。目的を遂行するためにね」
「上等だ
ハ、と。
その要求に更なる笑みを浮かべるクロード。
「いいのかよ、まだ十六万ちょい残ってるはずだぜ?」
「問題ない。貴様は代価を支払い終え、たった今不要になった。不要なものが戦場にいては邪魔だ。消えろ。そして──ホークアイ! と、そっちの!」
バックステップ。
言われるままにクロードが離脱する。そして入れ替わるようにリザが、メイ・チャンが。
「もう慣れたな──慣れていなくとも、多少の誤射ならば構わん! 共に戦え、マスタングの部下!」
「サポートに徹しマス。ブシュダイレン程とは行きまセンが、錬丹術師としテ最良の行イを」
「いいや、お前も戦え。私への治療など戦いが終わった後で良い。医者の心持ちでいるのならば戦場から出て行け」
「……! では、心置きなクやらせてもらいマス!」
入る。
戦場が元に戻った。
敵に塩を送ったどころの話ではない。それでも、オリヴィエとラストは
互いの生存のために。互いの信念のために、だ。
──その、頭上。
求め、喘ぎ、それを手に入れんと手を伸ばす黒の巨体。本来引き戻しにかかるはずの黒い手は役割を果たさず、これを防ぐ"傘"に、大きな衝撃を与える。
殴ったのだ。殴っているのだ。黒い手が、巨人に手を貸すかのように。
それによって、なのだろうか。別の理由か。"傘"がガクンと、傾いた。
有効だと判断したか、黒は連打を始める。地響き。"傘"を打つ震動がここまで響いているのか──巨大地震をも思わせる震えが戦いの最中にある彼らを襲う。
余裕がある
どこかやるせないように。
次に起こることがわかる、というかのように。
──計画は最終段階にあった。だから、たとえ邪魔をされようとも、何がどうなろうとも。
たとえ"傘"が壊れずとも、
前書きが無い方が逆に不穏