緑礬の錬金術師   作:ONE DICE TWENTY

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一番怪しい奴が、一番怪しい。


第39話 揺り歩む甘言

 エドワード──では、無かった。

 既のことで踏みとどまった。思い起こされたのだ。彼が外に出たら、誰がどうなるのか。

 ラッシュバレーでの修行を終え、けれど自身では邪魔になるからと、背を押してくれた幼馴染の姿が。

 

 ……もう一つの理由として、あれほど言われていたクロードが、全員を騙して、なんて熱量を持っているとは思えない、という前提条件もあったが。

 

 同じくアルフォンスでもない。彼は少しばかりの幼い部分があれど、その意思は堅固。何よりプライドが然して彼に興味を持たなかったのも大きいだろう。また彼らの父であるホーエンハイムにも、プライドは興味を持たなかった。人情はあってもホーエンハイムは怪物の"側"だ。目の前でどれほどの兵を殺戮しても、悔しそうな顔はすれど動きはしない。

 怪物とはそういうものだ。激情と目的が別々のところにある。

 

 だから──傲慢(プライド)が狙ったのは、彼女だった。

 

 

 

「あんた、あんた! 返事をしな! ──返事をしてくれ!」

「解せませんね」

 

 地。

 に。

 地に──倒れ伏す、クマのような巨体。シグ・カーティス。その身から零れ落ちる赤は、既に相当量に達している。

 

 即死でなかったのは肉厚だったからだろう。

 けれど人間が死に至るには十分な傷。致命傷だった。

 既に軍人はいない。全て殺され、全て食われた。

 

「彼はただの人間でしょう? 何故戦場に連れてきたのですか? ──もしや、肉体の一つで人造人間(私達)に対抗できると──そう思っていましたか? 戦闘に特化した集団でさえも殺し尽くされたというのに」

「……」

「どれほど筋肉を鍛えていようと、銃弾は通ります。剣は入ります。それは人間の限界値ですから、当然に。──ところで、私の身体には厚みというものがありません。影ですからね。無論面の部分にはそれがありますから、剣などで弾かれることもままあるのですが──斬撃が防がれることはそうそうありません」

 

 ゆえに、と。

 倒れたシグの身体に、傲慢(プライド)()()()()入り込む。

 痙攣は、痛みによるものか。

 

「君の夫は死にます。これで動揺するようならば、覚悟が足りませんでしたね。人々が決死を遂げる場で、命を賭ける場で、君たち夫妻の覚悟はあまりにも()()()()だ。エルリック兄弟にはホーエンハイムという因縁がありますからまだわかりますが、君達は違う」

「あん、た……?」

「エルリック兄弟の師である。それだけだ。そして私に一度負けたから、でしたか。その程度の理由で出てきて、その程度の理由に妻が行くならば、なんて理由で付き合って。──やはり真理の扉を開ける……人体錬成を行うような人間は、行動から心の弱さが露呈しますね」

 

 これは挑発だ。

 だから、聞いていなくても聞いていてもどちらでもいい。これでイズミが激昂するのならば目的は達せられるし、それでもと錬成陣を出ないのであれば時間稼ぎが成功する。

 どちらに転んでも、関係が無い。

 

 ゆえに傲慢(プライド)は続ける。

 

「アメストリスは医療大国というわけではありませんから、流産はそれなりの確率で起こります。逆子も珍しくはありませんし、助産師もそう多くはいません。戦争の多さから看護師は多数いますが、血まみれの兵士を見たことはあっても産気づいた母親を見たことは無い、という看護師が過半数を占めるでしょう」

 

 あるいはシン国ならば違ったのかもしれませんが、なんてプライドは独り言ちようとして、むしろあの国は出産時こそ暗殺の狙い目でしょうから、また違う事情があるのでしょうね、なんて自己完結をする。

 

「いるのですよ、君以外にもたくさん。我が子を産めず、抱き留めることのできなかった母親は。あるいは生んだすぐ後に死してしまったり、母親自身の体力不足から子を置いて逝ってしまったり。経済的な理由、あるいは倫理観の欠如から生まれた子供が捨てられる、なんてケースも珍しくはありません」

 

 傲慢(プライド)は見てきた。

 色欲(ラスト)と同じだ。見てきて、見てきた上で見下している。愚かだと思っているし、道化だと思っている。知っているからこそ、理解しているからこそ、下等だと認識している。あるいは、憐憫も、だろうか。

 

「けれど君は、人体錬成に手を出した。知識があったから、技術があったから、は言い訳には使えませんよ。錬金術を習えば人体錬成が禁忌とされていることなど見習いでもわかる。禁忌だと知っていて手を出すのは"仕方のないこと"ではなく"甘えと心の弱さ"が原因です。君は受け入れられなかったからここにいる。イズミ・カーティス。君は覚悟が無かったから、ここにいる」

 

 そして、と続ける。

 

「そして──今、また。覚悟の甘さが、君の大切な人を失わせる」

 

 ぐるり、ずるり。

 影が貫く。厚みのない影が、シグの身体を少しずつ、丁寧に。その浅く荒い息は、彼がまだ生きている証拠であり。

 

「もしかして──"彼"のせいだ、とか思っていますか? 甘さへの罰であるはずの内臓を治し、代価も取らなかった彼。アレがいたせいで、君は"自身は恵まれているのだ"と勘違いしたとか──」

「そんなことはない!! そんな……そんな、甘っちょろい考えは、絶対にない」

「……そうですか。では、そこまで覚悟が決まっているのであれば──どうぞそこで耐えていてください。この世で最も大切な人が、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──光が、溢れる。

 

「使いましたね。──これで、傘は──ああ、けれど、どの道──」

 

 閃光弾だ。

 地面から生えるようにして作られたそれは、手を合わせたイズミによる錬成物。その光で影は消える。蒸発するように、存在を保てなくなる。

 

 錬金術を使ってはならない。

 シンプルな制約が、破られる。頭上で、傘が傾くのが分かった。

 

「──時間切れです、錬金術師」

 

 イズミがシグを抱き寄せんとするよりも、先に。

 

 すべてが黒に染まった。

 

 

** - **

 

 

 エドワードは無線機を取る。

 ホーエンハイムからの通信。エドワードの心が折れていないかを確認するためと思われたそれは、けれど全く別の話だった。

 

「なんだよホーエンハイ」

 ──"今すぐ錬金術で地面に大穴を開けろ! 土を掘り返すでもいい、今すぐにだ!"

 

 その剣幕に体が竦む。

 初めて聞く声だった。あのクセルクセスでの冷たい態度とも違う──本当に焦った声。

 

「どういう……説明しろ! ホーエンハイム!」

 ──"アイツめ、俺達の味方じゃなかったんだ! アイツが教えてきたのは半分だけだった! 気付くべきだった、何が傘だ、クソ、間に合わない!"

「説明しろっつってんだろ!?」

 

 地震。まただ。地響き、地鳴りだけに思われていたそれは、確実な震動を以てこの地を揺らしている。

 

 心、なしか。

 地面が、傾いてさえいるような──。

 

 ──"地下だ! 地下にも同じ、空と同じ錬成陣が作られている! これは半球じゃなくて、球体なんだよ!"

「だから、説明し……」

 

 エドワード・エルリックは14歳の子供だ。

 子供でありながら、真理を見て帰ってこられる天才だ。そもそも人体錬成に学術書だけで辿り着けることが普通ではない。

 感情制御は子供でも、思考は天才。天才的に回る。

 

「あれが……錬成陣だとしたら」

 

 

 

 

 中央での戦いは苛烈さを極めていた。

 キング・ブラッドレイ、グリードによる攻撃はエンヴィーへと的確なダメージを与えるも、エンヴィーからの抵抗も激しく、アレックス・ルイ・アームストロングやフー、リン・ヤオらに少なくないダメージが入っている。

 今ここに"生体錬成の権威"はおらず、シン国の錬丹術師も存在しない。

 

「……」

「どうした、エンヴィー。疲れたのかね?」

 

 このまま暴れ続けたら、少なくとも人間は潰し切れる。

 そんな段階で──エンヴィーは、暴れるのをやめた。やめて、空を見上げる。

 

「……終わりだよ、もう。わかるだろ? 太陽がそろそろ全部食われちまうんだ」

「それをただの自然現象として終わらせるために、私はここにいる」

「だから、それが無理だから言ってんだよ、憤怒(ラース)。──全部意味がなくなるんだ。俺達の遊びも、アンタらの抵抗も、虚しく──全部が無に帰す」

 

 地震。

 否、隆起までしている。大陸移動でも起きたのかと勘違いする程の揺れ。

 

 その視界に、彼らの視界に──べたり、と張り付く黒い手が見えた。

 

 べたり、べたりべたりべたりべたり。

 せっかく晴れた空がまた黒くなっていく。そして空を仰ぎ見て、ようやく気付くのだろう。

 なにか──文字のようなものが、未だ中空に刻まれ続けていることに。

 

「積方球体錬成陣。数学の話じゃないぜ? 僕だって理論だのなんだのを理解してるわけじゃないしね」

 

 誰もがつんのめるほどに、地が大きく揺れた。

 そのまま、這いつくばらなければならないほどに揺れは大きくなる。

 

「空に刻まれた魂で作られた文字。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──アメストリスの基本葬制は土葬である。

 故にイシュヴァール戦役でも、ゾンビ騒動でも、あらゆる場面において死した者は土葬された。埋められた。

 だからこそそれらは、人々の知らぬ間に土壌中を下降する。薄く、広く敷かれた賢者の石を纏い、アメストリスの地下へ地下へ、地下深くへと刻み付けられる。最下部は、より地下で死んだ粘土細工の賢者の石を。

 

「これをフラスコとし、どの角度から見ても意味を抽出できる、真理を内包する錬成陣が完成する」

 

 故の最終段階だ。

 別に良かったのだ。誰がどこにいても。誰がどこで何をしていても。

 黒い空を見上げるばかりで下に目をやらない人間を、人造人間(ホムンクルス)達は理解していたから。

 

 黒が。

 黒が、落ちる。

 

 黒が、満ちる。

 今まで大地に流していた錬成反応が、大地を伝ってこの球体を、アメストリス全土を覆う球体を染め尽くす。

 

「天気予報、天気予報。今日は黒い雨が降るでしょう。傘を持っていても危険です──何故なら、洪水警報もあとで出るんで」

 

 憤怒(ラース)の目の前。

 嫉妬(エンヴィー)の足元に降り立ったのは──金髪金眼の少年。

 

 真人。

 

「クロー……」

 

 そこは中心だった。

 エンヴィーが暴れていた場所。──あるいは、ずっと守っていた場所。

 

「チェックメイトだ。指し手は俺じゃねーけどな」

 

 黒。

 

 

** - **

 

 

 重い。

 苦しい。息ができない。

 

 黒はまるで水のようだった。黒い水のようで、けれど水とは決定的に違うのが、その重さだ。

 重い。体に圧し掛かる重さは体力を軽々奪い、この場にいる全員の膝を突かせる。

 

 ただ二人を除いて。

 

「どうした、人造人間(ホムンクルス)。動きから精彩が欠けてきたぞ」

「ふふ……アナタも、足元が覚束なくなっているわ」

 

 オリヴィエとラスト。

 リザもメイも這いつくばった中で、二人だけがまだ円舞に興じている。

 

 オリヴィエは左肩、右脇腹に貫通した穴が開いている。

 対してラストに怪我はない。怪我はないが──。ボロ、と。肌が、身体が、ボロボロと崩れつつあるのが見て取れた。

 

「なんだ、限界か?」

「……タイムリミットよ。お父様が──降誕するの。ああ、けれど──最期の最期まで、共に踊ってはくれないかしら」

「その崩れ行く身体で、か?」

「今尚アナタを殺し得る身体で、よ」

「──いいだろう」

 

 重いはずだ。

 苦しいはずだ。オリヴィエだって単なる人間。シグ・カーティスより細身で、武僧より筋肉質ではなく、鎧の類も身に付けてはいない。

 それでも──その剣は鋭い。

 ボロボロと錬成反応と共に崩れて行くラストに対し、何の躊躇もなく剣を振る。時間を経るにつれ速さのかけていくオリヴィエに対し、何の気後れもなく爪を薙ぐ。

 

 二人は。

 

「──!」

「……幕、引き、ね」

 

 崩れ落ちる。

 それは肉体を維持できなくなったラストが、だ。十七万の命は、未だ十六万を割るに至っていない。それでもこうやって崩れ去ったのは──。

 

「嘘を吐いていたわけではないわ……お父様が、私たちを回収するのよ。元はお父様の感情である私達を、一度自分の中に取り込む。──だから私たちは、消える」

「……ふん。貴様の父親への忠誠を私は否定はしないが……ロクでもない父親だな」

「ええ……世間からみたら、いいえ、人間から見たら……そう、なのでしょう」

 

 腰は砕けるように割れ、胸部が、腕が、身体の全てがザァと消滅していく。

 

 崩れ落ちる。

 ──だから、オリヴィエも。

 

 ラストの決死の一撃は、当たっていたのだ。

 心臓を狙ったそれは、僅かに逸れて──オリヴィエの身体の中心を貫いていた。それでも十分、致命傷だった。

 

「勝負がつかなかったのは──悔しいけれど。自分よりも良い女に殺されるのなら──それも悪くはないのでしょうね」

「何を言う。……貴様らの勝ちだろう、この状況は」

「ええ、そう。私がたとえあなた達の前に姿を現さずとも……私たちは、勝っていた。だから」

 

 ラストが手を伸ばす。

 その胸の中心にあった、宝石のような賢者の石が、ぐずぐずと溶けていくのを感じながら。

 

「私の最期が──アナタみたいな人間で、本当に良かった。さようなら、オリヴィエ・ミラ・アームストロング……」

「……嫌味にしか聞こえんな。ふん。……その嫌味、確と受け取った。後生覚えておくことにする」

 

 そう、消滅したラストを見送って。

 

 オリヴィエもまた、膝を突く。剣を突き立てて這いつくばることだけは防がんとするも、重く重くのしかかる黒は彼女の抵抗を許さない。

 血が噴き出る。体にいくつも穴が開いているのだ。そして中心の穴は、あまりにも。

 

 そんな彼女の足に触れる存在があった。

 

「……」

「治し、まス……じっと、していテ……くださイ」

 

 メイ・チャン。

 医者としてでなく、遠隔錬成を用いてラストと戦った同志。

 

「いや、いい」

「……今度ばかりハ、ダメでス……それは放っておいたラ、死ぬ傷でス」

()()()()()()()()

「え──」

 

 オリヴィエは。

 

「私は負けた。敗衄した将は潔く消えるべきだ。何、ブリッグズは頭がいなくとも動ける兵団。その一人一人が将となれるよう鍛え上げてきた。──ならば私は」

 

 大きく、血を吐いて。

 

「ならば私は──ブリッグズの峰より少し高い所から、奴らの働きを見届ける必要があるだろう」

 

 メイにはわかる。

 彼女は閾を越えた。──もう、助からない。

 

「代わりに弟を頼む。あの愚弟は、未だ何も成し遂げていない。──ここで死ぬには、まだ……いや。今のはナシだ」

「え、えっ?」

「奴は一人でなんとかできる。そうでなければ、戦場から逃げ帰ってもなおアームストロングを名乗るような男にはなるまい。──貴様のその力は、貴様や、マスタングの部下を守るために使ってやれ」

 

 言って、言い放って。

 ラストが消えた場所に、大きく身を下ろす。

 

 そうして、目を瞑って。

 

 そのまま。

 

 

 

 

 まるで首を垂れるかのように這いつくばる人間を見て、エンヴィーは溜息を吐いた。

 つまらない終幕だ。

 結局人間はその程度だった。お父様という圧倒的な力にひれ伏すしかない存在。ラストもプライドもなんだか余程人間が強い存在である、というかのように準備をしていたから、アテられてエンヴィーもかつてないほどの準備をしたというのに──コレだ。

 

 なぁんだ、と。

 そう思うのも致し方ことないだろう。

 

 黒は当然、エンヴィーの身体も溶かしていく。

 生まれた所に帰るだけだ。この巨大で醜悪な体も、この面倒な世界からも。なくなるし、いなくなる。

 

「なぁ、どんな気持ちなんだ? 人間に味方して、結局何にもできずに散っていくのってさ」

「オイオイ嫉妬(エンヴィー)。人間に煽り甲斐がなくなったからって、今度は俺達が標的ってか? がっはっは、良い性格してんなぁ!」

「……特に思うことなどない。結局は父の方が上手だった。それだけだろう。人間の味方とは、我ながら随分と血迷ったものだとは思うが。……敷かれたレールが突然無くなって、とりあえず何かをしてみたいと思った時──目の前にいたのが妻だった。それが原因だろうな」

「まったく……私は君を恨んでいますよ、憤怒(ラース)

「おお、傲慢(プライド)も来たか。勢揃い……じゃねえか。色欲(ラスト)は」

「先に逝きました。彼女は賢者の石の残数が少なかったので」

 

 中心にいる金髪金眼とか関係なく、人造人間(ホムンクルス)らが集合する。

 全員、その身を崩していて。

 それでもするのは世間話に近い。死ぬから何を恐れる、ではない。目的が達成されるから、あるいはそうなることを予見していたから──恐怖が無いだけだ。

 

「ってことは次は僕か、強欲(グリード)か……。ちぇ、そういう順番ならもう少し節約しておくべきだった」

「がっはっは、全くだ。俺様なんか何度無駄に死んだことかって話だよ。──つーわけだ、ドルチェット、マーテル、ロア。──すまねェな、先に逝く」

 

 残された三人は、声も出せない。

 単なる合成獣(キメラ)ではこの重圧の中、喉を振るわせることさえできないのだ。

 

 ただ、その言葉をしっかり聞いて。

 

 ざぁ、と彼が消滅したことを──理解した。

 

「あれ? つーか、賢者の石の量で言ったら憤怒(ラース)が一番じゃないとおかしくないか? お前、一個しかないんだろ?」

「確かにそうですね。憤怒(ラース)、君は何故消えていないのですか?」

「肉体は人間だからではないかね? お前たちは賢者の石を核にした人造のソレだが、私の肉体は人間のもの。崩しやすさで言えばお前たちの方が上だろう」

「あー、そういう。……んじゃ、先行くよ。お父様の気紛れでまた産み落とされたら、そん時はよろしく」

「記憶が引き継がれることはありません……ああ、もう行きましたか」

 

 エンヴィーは、自ら賢者の石を舌先に出して、それを崩して。

 伴い──15mもの巨体が、一瞬で塵と化す。

 

「……それで、傲慢(プライド)。お前は私の何を恨んでいるというのかね」

「それを言うには、ここには少し聞き手が多すぎます。──そこの不老不死。代価を払いますので、音の遮断を行うことはできますか?」

「ん~。まぁ、もういいんじゃね? どうせ全部死ぬんだし、どんだけ聞いてたって関係ないだろ。死に行くお前らの出せる代価が適当なものだとは思えないし」

「……それもそうですね」

 

 不老不死だけが、なんでもないかのように立っている重圧の底。

 深海を思わせる圧力が人間たちにかかり──その身を軋ませていく。

 

「君、何故母上を妻に選んだんですか?」

「……今更だな。何か不満があったのかね?」

「ええ、不満しかありません。何故──もっと嫌味な、誰からも嫌われるような女性にしなかったのですか?」

 

 ブラッドレイ夫人はキング・ブラッドレイ自らが選んだ妻だ。

 アレを妻に、と選んだ。愛恋ではない。キング・ブラッドレイ自身が選んだのだ。

 

「そんな者を母親にしたかったのか、セリム」

 

 ピクりと反応するのは、ロイやアレックスら軍人だ。

 その一切を気にせず、二人は会話をする。

 

「ええ。そういう母が良かった。厭味ったらしくて、好ける要素が一つも無くて──見殺しにしても、罪悪感の欠片も沸かないような、そんな人なら……ラストに変な忠告をさせることもなかったでしょう」

 

 言葉は、裏がある。

 だから憤怒(ラース)は、というよりブラッドレイは、笑うしかなかった。

 

 笑って、そこにいる不老不死にでも自慢がしたくなった。

 

「はっはっは、──どうだ、クロード。今の言葉の意味が分かるかね?」

「今の母上は嫌味の一つも言わない、好きになる所しかなくて、見殺しにするのが苦しくて苦しくて堪らないから、あの人を選んで欲しくなかった。恨んでいる、あんな素敵な人を母親にしたことを」

「うむ、正確な翻訳だな」

「……もう最後ですけど、食べますよ、あなたたち」

 

 嫌ってくれたらよかった。

 嫌いになれたらよかった。"品行方正なよい子"を演じたのは傲慢(プライド)だけど、それでもセリムを嫌うような、あるいは関心を持たないような──権力にしか興味の無い女性なら。今まで見てきた有象無象と同じ、自らの格を、立場を勘違いし、思い上がって過ぎたるを求めるような人間なら。

 どれほど、良かったか。

 どれほど──楽だったか。

 

 この黒は。

 お父様は、ここだけではない、アメストリス全土に降り注いでいる。溜まっている。

 当然、大総統府で二人の無事を祈り、待っている夫人も──溺れ、苦しんでいることだろう。

 

 それが。

 それが。

 それが──あまりにも、苦しい。

 

 心苦しい。

 

「恨みますよ──憤怒(ラース)。お父さん。君があの人を妻に選んだことを、私は一生、一生恨み続けます。たとえお父様のもと、生まれ変わることができたとしても──ずっと」

「はっはっは──ああ。私もアレも、セリム。お前のことを忘れはせんよ。──さらばだ、我が最愛の息子よ」

「……はい。さようなら、お父さん、お母さん」

 

 消える。

 あれだけの範囲にいた影の化け物も、そして地下にいた容れ物──セリムも。

 

 消えて、残った。

 二人だけが、残った。

 

「んじゃ、答え合わせの時間と行こうじゃねえの、ブラッドレイ」

「……なんだ、気付いていたのか。つくづく思い通りにならん奴だな」

「あっはっは、言っただろ。好きに裏切れ、ってよ。なぁ」

 

 

 一拍。

 

 

「──フラスコの中の小人よ」

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