別冊星達のミュージアム 創刊号   作:苗根杏

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今回は、飛び入り掲載のかってぃーさんの作品です。代表作は『彩る世界に響く音』や『白花曼珠沙華の如く』などです。
過去作のリバイバルとのことで、4作品をミュージアムに寄贈してくださいました。
2話ずつ掲載していきます。おたのしみに。

かってぃーさんのまえがき
─────────────
求め続けた、あなたの熱。


焦がれて、叶って。

 

 

 嘗ての自分が今の自分を見たら、どう思うだろうか。最近になって、恋は時折そんな事を考えるようになった。昔の、それこそ今の彼女と同じ頃の母と同じ学校(スクール)アイドルになった事は勿論だが、決してそれだけではない。彼女がたったひとりで背負わんとしていた使命(ゆめ)を共に背負おうとしてくれる仲間ができた、などと。以前の彼女が知れば、きっと信じるまい。それどころかそれを許容する自分を糾弾するのではないかと、恋は笑う。

 

 この変化を丸くなったと言うべきか、成長したと言うべきか、或いは弱くなったと言うべきか。恋には分からない。彼女自身の主観ではそれほど変わったという感覚はないし、恐らくそれは自分自身で決められるようなものではないのだろう。だがそれでも、きっと悪いものではないと恋は思う。以前、彼女は自分が嫌いだった。母から託されたものを繋ぎたいと願いながら、それらを取りこぼしそうになってしまう自分が。けれど今はこんな自分でも悪くないと思えるのだから、その変化を良いものと言わず何と言おうか。そしてそうなれたのは決して彼女自身だけの力ではなく、かのんや可可、千砂都、すみれ、更には疎遠になっても尚想い続けてくれた音羽らのお陰だ。そう思えばこそ、恋は彼らに感謝せずにはいられない。過去の回想に今は後悔ではなく笑みが伴うのは、その証明であろう。

 

 ──湯気に乗って鼻腔を突く紅茶の香しい香り。それの発生源たる紅茶はふたつ、恋が両手で持つ盆の上に載せられて、彼女の歩行に合わせて琥珀色の水面が揺れる。それらは葉月家に仕えるメイドのサヤではなく、彼女に習って恋が淹れたものであった。それを手に恋は笑顔を浮かべながら鼻歌など歌っていて、見るからに上機嫌である事が分かる。

 

 だが、それも致し方あるまい。何故なら彼女は先程まで幼馴染であり恩人のひとり、そして今では恋人でもある音羽との逢引をしていて、今、音羽は彼女の部屋で待っているのだから。それもそういう関係になってから彼が葉月邸に来るのは初めての事であるともなれば、心躍らせるのは半ば当然というものであった。

 

 恋と音羽。幼馴染であり親友であった彼らの関係が変容の時を迎えたのは、ほんの数週間前の事であった。スクールアイドルの夢の舞台とも言えるラブライブの地区予選を終えた後に恋の方から想いを告げて、音羽がそれを受け入れた。たったそれだけの事で十年来変わらなかった彼らの関係は恋人というものに変わって、しかしそれは恋にとってはずっと焦がれ続けた願いの成就でもあったのだ。尤も、彼女は自身らの関係を永劫に恋人のままに封じておく気は毛頭ないのだから、未だ真の成就とは言えないのだろうけれど。

 

 上機嫌に、跳ねるような足取りで、同時に紅茶は零さないよう慎重に。自室のドアの前で恋は足を止めると、ひとつ深呼吸をしてからノックをした。──しかし、返事はない。気付かなかったのだろうかともう一度ノックするもやはり返事はなくて、恋は首を傾げた。

 

「音羽くん? 入りますよ?」

 

 念のためそう断りを入れてから盆を片手に持ち替え、ドアノブを捻る。すると何の抵抗もなくドアは開いて、空いた隙間に恋は身体を滑り込ませた。それから肩でドアを押して閉じると部屋の中に視線を巡らせて、気づく。

 

 音羽は、眠っていた。部屋の端に鎮座する巨大な天蓋付のベッドの中央に彼はいて、相当に眠かったのだろうか、布団も掛けず仰向けの体勢で寝息を立てている。その姿に、恋は思わず幼い頃に読んだ絵本に登場する眠り姫を連想した。性別こそ違えど、そのイメージに違和感を抱かせない程にそこにいる音羽は可憐という形容が似合うように、恋には思える。

 

 呼吸に合わせて上下する薄い胸板。柔らかい茶髪の下で閉じられた瞳を彩るのは嫉妬してしまいそうな程に長い睫毛。何か良い夢でも見ているのだろうか、瑞々しい唇は下弦を描いている。そんな少年の姿に、恋は思わず笑みを零した。

 

 紅茶を載せた盆を机に置き、出来る限り足音を立てないようにゆっくりとした足取りで恋はベッドに歩み寄っていく。そうしてひとつ小さな息を吐くと、ベッドサイドに腰を下ろした。僅かに撓んだ骨組みが軋んだ音を立てるも、音羽が目覚める様子はない。その姿があまりにも無防備なものだから、内心に魔が差して、恋はおずおずと音羽へと手を伸ばした。

 

 だが彼女は何も大それた事をしようというのではない。遅々とした伸ばされた指先が少年の頬に触れて、相応の弾力を少女の指に返す。それに反応してか音羽はくすぐったそうに僅かに顔を背けて口をもごもごとさせるが、未だ目覚めの気配は遠い。そんな、何でもない光景。それを前に、恋は己の胸に暖かな気持ちが広がっていくのを自覚する。

 

「音羽くん……」

 

 譫言のように、或いは睦言のように、少女は愛しい人の名を呟く。触れた指先から伝わる微熱はまるで全身に広がっていくかのようで、恋は自身の裡で己を支配する感情が更に加熱するのを認めた。それはさながら眩暈のような、焦がれる程に求める気持ち。彼女はそれに抗う術を知らず、また抗う気もなく、音羽の横に身体を横たわらせた。

 

 総身を包む、使い慣れた布団の感触。だが今は音羽がいる。目の前の、すぐに手が届く距離に。僅かに感じる甘い匂いは彼が使っているシャンプーのそれなのだろうか。彼我の距離は、ともすれば触れ合わずとも体温を感じてしまいそうな程だ。それを認識するだけで、恋の中で熱は際限なく広がっていく。もっと近づきたい、もっと見つめていたい、と熱に浮かされた心が主張する。これまでにない肉薄のためか心臓は早鐘を打っていて、それさえも遠い世界の出来事であるかのようだ。

 

 眠っている音羽は、恋が何をしようと大きな反応を返さないだろう。恋にとってはそれでも良かった。何故なら音羽がこれほどまでにすぐ近くにいるというだけで、彼女はこの上なく満たされているのだから。最早彼女の思慕は常に相手からのレスポンスがなければ飢え枯れてしまうような領域を逸脱しているのだ。

 けれど、もう少し、あと少し。いつの間にか、いや、もうとっくのとうに恋は音羽に夢中になっていて、求める心は止められない。飽きる程に見つめ続ける事はあれど、飽きる事は決してない。それほどまでに、恋の想いは強固であった。

 

 もう一度、熱の籠った声で名前を呟く。それから恋は再度音羽へと手を伸ばそうとして、その刹那、唐突に音羽が動いた。だがそれは何もおかしな事ではなく、寝返りはごく自然な生理現象である。音羽が身じろぎしたその一瞬こそ驚いた恋であったが寝返りによって互いが見つめ合う向きになっている事に気付いて、凍り付いた手を再び彼へと伸ばす。彼の頬に触れるその手付きは慈しむように、或いは包み込むように。その掌を通じて、音羽の体温が恋へと流れ込んでくる。それに呼応するようにして恋の裡で熱は高まり、心音が増す。充足の感慨が、彼女の身体を満たす。

 

 だが、いつまでもそうしていては眠っている音羽の邪魔になってしまうだろう。そう考えた恋は求める気持ちを一時のみ抑えようとする。何も彼らの時間は今だけではなくこれからも続いていくのだ。ならばこれからもこうして共にいる機会はいくらでもあるのだ、と。瞑目し、熱を胸に抱いたまま手を離そうとして────不意に、彼女の手を更に微熱が包んだ。

 

「ん……恋、ちゃん……?」

「あ、音羽くん……起こしてしまいましたか……?」

「うん、そうかも。でも……起きた時に恋ちゃんが隣にいるのは、何だか嬉しいな」

「っ……! もう、音羽くんったら」

 

 寝ぼけ眼のまま音羽が漏らした言葉に、恋の心臓が強く跳ねる。目覚めた時に隣にいてくれるのが嬉しいなどと。それはまるで将来の切望のようでもあって、嬉しいような、恥ずかしいような、そんな形容し難い暖かな感情が恋の胸中を満たす。

 

 そのままどれ程の間、ふたりは見つめ合っていたのだろうか。数分、数十分、或いは数時間。ふたりだけの世界では時間の感覚さえ不確かで、けれどふたりはその不明さえも愛おしく思えた。それどころかいつまでもこのまま見つめ合って、温かさの中で輪郭すら曖昧になっても構わないとさえ恋は感じていて、けれどそんな中で音羽が何か言いづらそうにしている事に気付いた。

 

「音羽くん……? どうしたのですか?」

 

 恋の問いを受けて、驚いた表情を見せる音羽。まさか見抜かれるとは思っていなかったのだろうか。けれど恋からすれば音羽の気持ちはすぐに分かって、その素直さが可愛くて彼女は微笑む。そうして、幾許か。遂に決心した面持ちは、今から柄でもない事を言うのだと宣言するかのようでもあった。

 

「恋ちゃん」

「……はい」

「その……もっと近づいても(抱き締めても)、良いかな?」

 

 あまりにも婉曲的に過ぎる問いであった。けれど音羽にとってはそれで精一杯であったと見えて彼の顔は耳まで紅く、そしてその言葉の真意に気付けない恋ではない。何しろ音羽とは十年以上の付き合いなのだ。それに長い間両者の関係に横たわり続けた障害を乗り越え互いの気持ちを確かめ合った今、恋が音羽の意図に気付けない筈もない。

 

 惜しむ気持ちを振り払って音羽の頬から手を離し、代わりに彼の頭を包むようにして手を伸ばす。言葉にせずともそれだけで恋の答えを悟ったのだろう、音羽は決心するように唾液を呑み下すと、おずおずと手を伸ばして恋の背中に腕を回した。そしてそれに応えるように恋もまた抱擁を返し、抑えきれないとでも言うかのように彼の胸板に頬を押し付ける。立っている状態ではふたりの身長差は殆ど無いために、恋が音羽の胸に埋めるのはこれが初めての事であった。

 

 或いはその行動は音羽にとって全くの不意打ちであったのだろうか、音羽の心拍が早まったのを恋は文字通り肌で感じる。それは彼の生命の証。間違いなく東音羽という少年はここにいるのだという、何よりの証明であった。それは音羽にとっても同様で、恋の心拍に呼応するようにしてその心音が落ち着いていき、幾許かの時を置いて遂にふたりの心臓は完全に同期を果たした。

 

 それはさながら、ふたりの体温が溶け合っていくかのように。全て捧げ合って、受け取って、自己の外殻すらも放棄してひとつになっていくようですらある。焦がれ続けた人が、すぐ近くにいる。熱が、共有される。

 

「恋ちゃん、温かいね」

「はい。音羽くんも……温かいです」

 

 言葉は、それだけ。たったそれだけの遣り取りで、彼らには十分であった。しかしそれは何も、言葉が無くても相手の全てが分かるというのではない。何しろ彼らはその言葉のために互いに傷つけ合い、空回り合ったのだから。だが、それでも。互いに傷つけ合い、その傷を乗り越え、長所も短所も全て知り尽くし合い、それでもなお好きでいられる。故にこそ彼らの慕情はもはや恋情の領域になく、不足なく〝愛〟であった。であれば余計な遣り取りは要らず、互いがそこにいるという事実だけで彼らは幸福に充足する。

 

 彼らの視界の外で、手つかずの紅茶が熱を失っていく。けれど恋と音羽、ふたりの熱は決して冷めぬまま、いつまでも互いの存在を確かめ合うのであった。

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