ブラック・ブレットー暗殺生業晴らし人ー 作:バロックス(駄犬
千寿夏世は七海と八洲許が住んでいると言われているアパートへとやって来ていた。最初は他人の家で寝泊りするという事に遠慮をしていた夏世ではあったが、自宅前まで来てしまったらもう引き下がる事は出来ない。
「楽しみだね」
と七海が数分ほど前に言ってたのを思い出して、考えることがある。
・・・そう言えば、人の家でお泊りするなんて初めてのことでしたね。
いつもは将監と一緒に居ることが当たり前だったか、慣れないこをすることは酷く緊張するものなのだと夏世は理解する。暫くすると、彼女が言うアパートが見えてきた。
「はーい着いたよ夏世ちん! ここが我らが住まう城ッ 山根荘(やまねそう)だよ!」
「・・・・」
見据えた先にあるアパートを見て、夏世は唖然。取り敢えず頭に浮かんだ言葉が『ボロい』の一言だった。赤色だったのであろうその屋根のペンキは剥がれかけて、変色しているし、恐らくクリーム色であったであろう壁は色の塗り直しが全く行われていなかったのか、黒い汚れが残されたままだ。おまけに、薄く汚れた字で看板のアパート名は最初の『山』と『根』としか書かれていない。
駐車場スペースはそれなりにあるが月で5000円という値段は高いのか。
「ちょっと聞きたいことがあるのですが」
「なんだい夏世ちん」
「ここの家賃は?」
「敷金礼金無しで三万ジャストだよッ」
・・・なるほど、東京エリアでは恐ろしい程の破格の家賃なのですね。
自分の住んでいる場所が冗談ではないくらいにマシに見えてくる場所だとさえ思った。一介の公務員であればもう少しマシな場所に住むことは出来るのかもしれない、だが値段以外に職場にここからの方が近いという理由でもあるのだろうか。
一階の丁度真ん中辺りになるだろうか、103号室とガムテープで貼り付けられた札の扉を前にして二人は止まる。やがて七海が扉を開けると手を夏世の前に突き出して止めた。
「じゃあちょっとだけ待っててねハイスピードに『お掃除』終わらせてくるからッ」
「はぁ」
今日の休憩室にやってきた男の真似ではないが、そう言って七海は扉を閉める。その後、けたましい騒音が部屋の中から聞こえてくるが、気にしたら負けなのだと夏世は扉を背に寄りかかった。
●
場所は戻り、暗闇の路地にて二人の男が異様な雰囲気を纏い、対峙していた。
「まだ生きてたのかよ、蛭子影胤(ひるこかげたね)・・・」
忌々しげにそう吐き捨てた八洲許が睨みつけるよう視線を影胤に向けると目の前のシルクハット、仮面を被った男、影胤は不気味な笑い声で応える。
「君こそ、変わりないようだね・・・・おや、少し老けたかな? 八洲許刑事」
大きなお世話だ、と八洲許は返すと煙草を取り出してライターで火をつけようとするが。
・・・チッ、湿気てやがる。
最近上司の田中のいびりでストレスマッハだったためか煙草を吸う機会が多くなっていたのは事実だ。ライターの石が無くなるのはもう少しだろうとは思ってはいたが、このタイミングで火が着かないのはとても恥ずかしい。
「・・・火が無いのかい?」
「ちょ! その仮面で顔近づけるなッ 気色悪い!」
それを見た影胤が二三歩ほど歩いて近寄るが、それを八洲許は極度の嫌悪感を表した。
「人の好意はありがたく受け取るべきだよ」
そう言うと煙草の近くで指を鳴らす。 軽快な音を響かせると同時に、八洲許の煙草から火が点いた。 ミスターマリックもびっくりな手品である。
「・・・お前、マジシャンなれよ」
「格好だけに、なかなか様になっているがお断りだ・・・こう見えても今重要な仕事をしているからね」
ヒヒ、と薄気味悪い声を漏らして彼はシルクハットの唾を指で掴んだ。
「我が友よ。 5、6年ぶりの再会だが、今でも君の気持ちに変わりはないようだね・・・娘さんは元気かい?」
「すこぶる元気だ。 お前んトコの娘は? たしか四人くらいいたろ」
ああ、と八洲許の問いに、なんかそう言えばいたな、というような気づき方をした影胤は右手の人差指を一本だけ立てた。
「あの後、四人から一人になったよ」
「・・・何をしたかは聞かないでおいてやる。 聞いたところで、ロクな答えが帰ってこないだろうが」
呆れたような聞くだけ無駄だと考えた八洲許はそれ以上その答えを詮索することは無かった。
ところで、と八洲許が影胤に問う。
「まだ諦めてねぇのか? 七海のこと」
ああ、そうだとも。と影胤は両の手を広げて言う。
「私の見立て通りなら、彼女は立派な『狂犬』になる素質を秘めている。 だが酷い飼い主の御陰でまだ彼女はチワワだ」
電車が近くを通り過ぎていく、その通りに差し込まれた電車の光が二人を照らし、妖しい光り方をする瞳が八洲許を見つめていた。
「彼女は力の正しい使い方を知らないのだよ八洲許刑事。 呪われた子供達のあの力は神より授かれし選ばれた力なのだ。 もっと衝動的に、楽しむように扱わなければならない・・・彼女に足りないのは狂気だよ」
続けて彼は腰を低くして言うのだ。 ねっとりと、まとわりつくような口調で。
「”邪魔する奴は皆死んじゃえ!私に歯向かう奴は皆殺しだ!”っていうくらいの可愛い、狂気がねッ!!」
「・・・・・」
心底むかつく奴だ。と八洲許は心の中で思いながら、彼は大きく肺に紫煙を溜めて、数秒後に影胤に向けてスモークブレス。もわん、と影胤の周りを紫煙が漂う。
「ヘビースモーカーも大概にしたまえ。 知っているかい? 君くらいの年頃の男性が一番恐れているのは喫煙による肺ガンだ」
紫煙を当てられて、むせることもせず影胤のまさかの体を気遣った忠告に八洲許は呆気にとられた。
「俺の身体心配してくれるの? ハレルヤ仮面」
「その名はやめたまえ。私がネタキャラになってしまうだろう」
「いや、お前その姿でネタキャラじゃないって言い張るのは無理あるだろオイ」
タキシードにシルクハットと仮面。 これでマントなんて付けてたらどこのタキシード仮面だと突っ込まれるようなその姿に八洲許は初対面の時から『あ、コイツネタキャラ臭する』と思っていたりする。5、6年位前の話とは言え懐かしい話だ。
「話を戻すが、彼女の『復讐』を・・・君はまだ手伝っているのかい?」
『復讐』、その単語に八洲許の動きが止まった。影胤は話を強制的に本筋に戻すことができてる手応えを感じて肩を震わせる。
「まだ分からないのかい? 彼女の復讐の道は、儚くも辛い、地獄への道だ。 復讐の真実に彼女が辿り着いた時、その『絶望』に彼女の心は耐えられるのかな?」
「何を言い出すかと思ったら・・・」
八洲許は煙草を吸い、紫煙を空へと向かって吐き出して続けた。
「そうならねぇよう、俺がいるんだ」
「ヒヒ、とても楽しみだよ。 八洲許刑事・・・それでこそ、彼女を『こちら』に引き込む事にやり甲斐があると言うものだ」
いっとくが、と不敵に笑った影胤に八洲許は指を差しながら詰め寄るのだ。 仮面の鼻先までに煙草の点火している部分が迫る。
「七海にお前が変な事は吹き込むのは『ルール違反』だ。 そんな事したら昔みたく、また娘を襲っちゃうぞ俺」
「昔の彼女達とは違って、最後の一人は私の想像を超えた逸材となったのだ。 昔の君を凌ぐ程の実力があるといっても過言ではない、ましてや、老いて衰えた、そして『その体』でイニシエーターとの戦闘・・・2、3分も持つのかな?」
「・・・そうだなぁ、昔みたく無理は効かねぇし、筋肉も体力も衰えた・・だが―――」
挑発に似た言葉に八洲許は笑って対応するが次第に笑みが消え失せ、殺意を込めた瞳を影胤に向けて彼は言う。
「来るなら来てみやがれ・・・全員叩き殺してやるッ」
「・・・おお、怖い怖い。勿論、あの時決めた『ルール』を破るつもりはないよ。だがその『ルール』が適用されるのは私だけであって、娘には何も意味は持たないはずだ」
八洲許に対して背を向けて、影胤は首を捻って八洲許を視線に収めてから言うのだ。
「近いうちに娘を紹介しよう。 あれからどれくらい成長したのか・・・実に見ものだ」
「姑息な手を・・・」
舌打ちする気も失せたか、八洲許は頭を掻いてその場を立ち去るように背を向ける。数歩ほど歩いた時か、後ろで影胤の声が聞こえた。
「また会おう、八洲許刑事」
「・・・俺は出来ればお前とは二度と会いたくねぇぜ」
振り返ることもなく、二人は歩き出した。影胤は闇に溶けるように暗闇奥底へ、八洲許は七海たちが待っているであろう自分の居場所へと。
そして人の居なくなった路地にて小さく震えるように、ゴミ箱が動き出す。 閉じられていた蓋がパカっとサザエさん風に開けられるとそこから人が現れる。相良美濃と伊堵里 墨だ。
「ちょ、ちょっと墨さん・・・今の会話ってどういうことなのさ」
「お、俺に聞くなよ美濃。 10年くらいやっちゃんと会ってねぇんだから、知らねぇやつらと付き合いが増えることくらいあるんだろうよ、だがあの仮面野郎は間違いなく、裏の人間だ」
身に纏った雰囲気で分かる。自分もそこまで衰えてはいないと確信していたその隣で、美濃が提案してみせた。
「あの仮面の人・・・尾けてみようか?」
「バカ言え、お前なんてすぐブッ殺されちまうぞ」
それほどまでに、あの男は危険だという事を美濃はまだ分かっていない。あの時、彼女がこの場に一人であったのなら間違いなくあの仮面の男を尾行しただろう、そして無残なまでに殺されてしまっていただろう。
「やっちゃん、オメェ一体・・・どうしちまったんだぃ」
墨のその疑問に答えてくれる者など、誰も居なかった。
●
七海静香は鼻息荒く、部屋の惨状を見渡して何故かファイティングポーズを取っていた。理由は酷く簡単で、このアパートでは八洲許が頻繁に掃除をしてくれないため、たまに七海が掃除をするのだが、この前に墨が遊びに来て飲み会を繰り広げて行ったのでその時のゴミがまだ残っているのである。
「うわ臭い・・・酒臭い・・・昨日のビールとかまだ缶に入ってるし・・」
とてもじゃないが人をあげられるようなスペースはない。七海は意を決して掃除に取り掛かる・・・が、その前に。
「えーっとまず最初は・・・」
七海が最初に向かった場所はタンスの引き出しだった。引き出しから取り出したのは四角形の黒い箱だ。その中には、イニシエーターなどが使用する侵食率抑制剤が入っている。七海はこれを取りに来たのだ。
・・・もしこれが夏世ちゃんにバレたらどうなっちゃうんだろ。
抑制剤が入っているその箱をもって、七海は考える。もし自分の素性が、『呪われた子供』だという事が露見したら夏世はどんな顔をするだろう。ましてや人を殺している『晴らし人』だという事も知られてしまったら、彼女はどういう顔をするだろうか。
以前、七海は18地区の商店街で店の果物を盗んだ呪われた子供に遭遇した事がある。その子供が呪われた子供だと分かったのは、特徴的な紅い目を見たからだ。その子を捉えようと大人たちは必死だったし、何より隣に居たクラスメイトが、恐怖し、畏怖の眼差しを向けていたのを七海は複雑な心境で見ていた。
やはり怖がられるだろうか。その時のクラスメイトと同じ顔をする夏世を想像して、七海は顔を横に振って小さい脚立を取り出して屋根の一枚を外すとその箱を屋根裏へと置いた。
・・・大丈夫。バレなきゃ犯罪じゃないって這い寄る混沌さんも言ってたし、この場所はちっとやそっとじゃ見つからない場所ッ 夏世ちゃんに分かるはずが―――――。
「七海さん、気になったのですが・・・やはり手伝いましょうか?」
「にょわっ!!」
扉を開けた夏世の声に驚愕した七海が足を滑らせて脚立から落下した。大きな音に何事かと上がった夏世は居間にまでやって来る。
「あうぅ・・・」
「生きてるようですね、安心しました」
流石に畳の上に落ちたからと言って死にはしないだろう、と七海は身を起こしながら辺りを見渡した。幸いにも落ちる前に天井の板は戻していたので夏世に天井裏の存在を悟られることは無かった。
「それにしても、随分と・・・アレですねぇ。まるでどこかのテレビでネタにされそうなゴミ屋敷一歩手前と言ったところでしょうか」
部屋の惨状を見てあからさまに”うわぁ”と言う声を漏らしながら夏世は倒れている七海に手を伸ばす。周りのビール缶にまだビールが残っているからかその酒臭さに華を袖で抑えながら七海の手を掴んで引き上げた。
「いやぁ、見苦しい所を見せちゃった・・・ちょっと昨日、勇次が友達と飲んでたから散らかったままなんだ」
「ええ、大抵見れば分かります・・・ではさっそく掃除に取り掛かるとしましょう」
え?ときょとんとした七海が夏世の肩を掴んだ。
「い、いいんだよ夏世ちん! お客さんなんだからドガーッと座ってて! そこらへん!そこらへんの空いているスペースに座ってて! 一人で!一人でスマブラやってていいから!」
いいえ、と目の前の夏世は毅然とした態度で言った。
「二人ならすぐ終わるはずです。それに、一人でパーティゲームをやらせるなんて、なかなか鬼畜な案を出してくれます。私はそこまで上級者じゃありません」
・・・アレ?夏世ちんの目が凄い事になってるよ?
別に色が変わったとかそんなのではなく、散らかっている部屋に対する視線が明らかに獲物を狩るような目をしていたからだ。もしかしたら、かなり綺麗好きなのもかもしれない。そう考えていると既に家のゴミ袋を手に取り、散らかるゴミを集め始めた。しっかりとアルミ缶とスチール缶、ペットボトルのキャップとラベルもゴミ袋毎に分別してみせる彼女はまさに、
・・・お嫁さんッ 最高にお嫁さんしてるよ夏世ちん!
という事は私が旦那さんか、と、何ともだらしない旦那だなと妄想していると何もしないで突っ立っていた自分に夏世はゴミ袋を手渡した。
「さぁ七海さん、ここからが本番です。私は掃除機を掛けますので、七海さんは天井隅に存在する蜘蛛の巣の撤去をお願いします・・・あ、台所にも酒瓶が転がってますね、今日は刑事さんが戻ってくるまで大掃除です」
「か、夏世ちん・・・なんか手馴れてるね」
「ええ、慣れてますから」
そこには歴戦の主婦、千寿夏世の姿があった。
―――――一時間後。
六畳の間にドライヤーの音が響いている。 赤のドライヤーを手にして髪を乾かしているのは夏世だ。
「へぇ、家ではお掃除の殆ど夏世ちんがやるんだ。 凄いね」
「ええ、最初は手間取っていたのですが、慣れてしまえば簡単な物です・・・あと将監さんは脳みそまで筋肉で出来ているので、家事洗濯は得意ではないようです」
難しい話だなぁ、とパジャマを着ながら七海は腕を組んだ。時間が経って、掃除がひと段落した所で二人はお風呂を済ませた。湯船に浸かりながら、夏世の白い肌がとても印象的だったのを覚えている。
今しがた髪を乾かしていた所だ。先ほどとは変わって、部屋は酒の缶やらゴミで散乱していた場所とは思えないほどのスッキリした状態となっていた。家具やゴミ箱の位置、本棚の並び方、天井の蜘蛛の巣などを取払ったその部屋はとても築23年のアパートのそれとは思えない。夏世の掃除の技術にも驚いた。明らかにおばあちゃんの知恵袋的な掃除の仕方とか、エアコンの掃除の仕方も知っていたのは最早脱帽もの。
そんな彼女に、七海は冷蔵庫から奥にしまっていたアイスを取り出すと、居間のちゃぶ台前にちょこんと座っている夏世の前に置き、そっとテレビのスイッチを押した。画面が光って数秒後、時間的にもニュースが流れてくる。だが聞こえるのはテレビの音だけで、夏世はひたすら押し黙っていた。
「あんれ? 夏世ちん、どうしたの?」
「・・・・・」
差し出されたアイスを夏世がじっと見つめていたのを気にしたか、七海が首を傾げる。目の前の夏世は表情こそは変わらないのだが、何かに戸惑っているようだった。やがて視線を七海からずらすと渡されたアイスをそっと七海の方へと返した。
「迷惑じゃ・・ありませんでしたか」
「へ?」
口も同じく”へ”の字にしている七海に夏世は続ける。
「今更ですが、ちょっと失礼だったと思いました。 家の掃除とか、お風呂とかも借りてしまったし・・・」
本当に今更だな、と夏世は自分で思う。家での掃除を頻繁に行っていた為か、七海の家の惨状を目の当たりにしてつい癖で熱が入ってしまった。その後で風呂も自然な流れで借りてしまったわけだが、今日初めて会った分際でここまで馴れ馴れしくなってしまった自分を恥じる。
「やはり、今からでも帰ります。終電に乗れば、夜中辺りには家に着くと思うので」
立ち上がろうとしてちゃぶ台に手を置いた時だった。その手を掴む手がある。それは七海のものだ。
「いいんだよ夏世ちん」
その表情を見て、夏世は何を思ったのだろうか、思わず呆気にとられてしまった。今日の行動パターンを見る限り、どこでも陽気な笑顔を絶やさない彼女はこの場面でもそういう笑みを浮かべると思っていたのだが、夏世の予想とは裏腹に、彼女は悲しみを帯びた、砕けた笑みを浮かべていたのだ。
「これはさ、実は・・・私の我が儘なんだよ」
「わが、まま・・・?」
うん、と夏世の問に七海が頷いてみせた。
「私の名前って、変だなとは思わなかった? ほら、”八洲許勇次”の娘なのに、七海静香なんだよ?」
「それは・・・」
正直、警察署で八洲許に会って牛丼屋で七海の紹介をされた時から気になってはいた。だが、ある程度理解のある物ならこの手の話題にはあまり口を出すことはNGだ。そう思っていたからこそ、夏世は何も聞いていなかった。
「色々とごちゃごちゃしてるから省くんだけど、私さ、ガストレア大戦が終わって親が死んじゃって勇次に引き取られたんだ。その後、勇次に連れられて行ったのがその人の実家・・・今は13地区にあるんだよ」
「あれ?刑事さんのお嫁さんは実家で暮らしてるんですか? 夫婦なのに?」
それはね、と七海はタンスの上に置かれた写真立てに視線を移す。四人の人物が写っていた。真ん中に八洲許、その足元に抱きつくように七海、その横には並ぶように女性と老婆の姿があった。
「あまりにも勇次がお仕事できなくて、おばちゃんが怒っちゃってさ。 ”婿殿には成果を上げるまではここでは暮らさせません”って追い出されちゃった――――それで、その家に連れてこられた時に私言われたんだ」
――――『厄介者』、『邪魔者』、『無用のお荷物』
その時、七海静香はそう呼ばれていたのを思い出した。あの頃はまだ6歳だったか、漸く紅い目の制御や、白い髪の毛が落ち着いて正体を隠す事を前提で実家に連れて行ってくれた時だ。
だが現在、八洲許家は八洲許勇次の給料と年金だけで暮らしているような物だ。八洲許の嫁は稼ぎには出ていないのでその生活はギリギリであったと言えるだろう。なので、七海を引き取ると言う意味合いで連れて行ったときに、八洲許の妻と伯母は猛烈に反対した。それはもう一人食費が掛かってただでさえギリギリな生活が更に厳しいものに。
「それで明らかに腫れ物みたいな目で見られたよ。〝勝手に住んで御免なさい”とか、〝迷惑かけてごめなさい”なんていつも思ってた・・・当然だよね、いきなりやって来て、今日からここで暮らしますって言うんだもん。不躾にも程があるよ」
だからさ、と七海は落ち着いた表情で言う。
「なんとなくだけど、夏世ちんの気持ちわかっちゃうんだよ。 その、なんでだろうな・・・一緒にしちゃいけないんだけど、私にしたらそんな夏世ちん見てたら―――」
放っておけなくて、と七海は俯く彼女を見て夏世は分かった事があった。
・・・そうか、この子は・・・優しいんだ。
底知れず、お人好しとも取れるその行動。だが、それが夏世にとってどれほど救われたか。七海は知らない。一見、同情されているようにも見える。だがそんな言葉が霞んでしまえるほどのこの手の温もり。この温もりこそ、七海静香の心そのものだと、千寿夏世は感じ取る。だが一つ気になる違和感があった。
自分は知っている、この温もりの手を持つ者を。
握られたその手に、どこか覚えがあった。いつ頃だっただろうか、そんなに前ではなかった気がする。七海のように、面と向かって自分の手を握るのではなく、不器用で、自分に背中だけを見せ、ただひたすら力強く手を引いていくそんな人物が、たしか居た気がする。
―――俺たちは、正しいんだッ!
・・・将監、さん。
握られたその手に、今は署の方で身動きできないであろう自身のプロモーターの事を夏世は思い出していた。常に道具になれと言っていた彼。道具になれば、与えられる『痛み』も、『悲しみ』もない。道具として『扱われる』という事は、夏世の頭の中で『守られる』という言葉に置き換えられた。 その言葉を、イルカの因子を持つ夏世はその理由を理解できてしまったのである。
しかし彼女は言葉で分かってはいても心のどこかで、その意味を受け入れられないでいた。だが、それを否定すれば、自分は必要とされなくなるだろう。相棒と認識してくれる将監からも、『使えない道具』として捨てられてしまうだろう。
「・・・・ッッ」
思わず目を逸らして、夏世は自分が、既に踏み込んではいけない領域に入り込んだ者なのだと言い聞かせた。もう、将監の命令で人を殺めてしまっている。自分は陽の目を見るのに値しない人間だ。いや、人間ではないのかもしれない。この本性を知ったら、例え菩薩の心を持つ人間でも卑下の瞳を向けるはずだ。
「・・・七海さん」
だが、せめてこの目の前の少女、こんな自分に優しく接してくれた七海静香の心は裏切らないようにしよう。この少女の顔を悲しませることだけはしたくない。
「ありがとう」
夏世は今作れる精一杯の笑顔で七海の手を握り返した。
●
「・・・ん?」
影胤との予期せぬ遭遇から何事もなく話を済ませ、七海達が待つ山根荘に帰還した八洲許は部屋を開けて思わず目を疑った。
・・・あれ? 家、間違えたかな?
彼が扉を開けて視界に飛び込んできたのは綺麗に掃除された玄関に、整えられた靴だった。 赤のスポーツタイプの靴は七海で、その横にある靴は夏世のものだろう。
一度中に入らず、扉を閉めて部屋番号を確認する「103」。確かに自分の部屋だ。幻覚だと思って左端の部屋から順にその部屋番号を確認したが紛れもなく自分の部屋だ。
「・・・おお」
もう一度扉を開けて、今度は目の前に広がるありとあらゆる部分に目をやった。そこでようやく、炊飯器の隣に先日買い置きしてたインスタント食品が積まれているのを見てここは自分の家だと確信した。
とにかく、とても綺麗だった。冷蔵庫の中身は整頓されてるし、台所のシンクはハイターを使用したか、塩素の臭いがまだ漂っている。その為に換気扇が稼働もしていた。生ゴミ臭いゴミ箱の中にあったダークマター達も片付けられている。
「なんてこった・・・こんなの、俺の家じゃねぇッ!!」
八洲許には一人暮らしをする上で決めていた事があった。如何に他人と暮らそうが、どんな時でも己の自由気ままなその生活スタイルは貫くのだと。だから家の掃除も自分で勝手に好きな時にやり、配置替えも己で決める。それを崩されることは彼のプライドが許さない。
恐らく七海や夏世たちによるものだろう。居間へと踏み込み、一発殴ってやろうかという勢いでその場所へと向かう八洲許だったが。
「オゥ・・・」
静まり返ったその空間。 視界に入ってきたのは二人の少女だ。 部屋から何も音がしないから予想はしていたが、七海と夏世は既に布団で眠りに入っていた。部屋には八洲許と七海の布団しかないので二人で一枚の布団を使用している。
二人を起こさないように、そろりそろり、と足を忍ばせて荷物を置く。居間にも彼女たちの手が回っており、配置や部屋の臭いもすべて一新されていた。
「こ、この香りは・・・ミッチーだな!? さてはアイツ等、コンビニで買ってきたか」
この家には本来無かったはずの『フェブリーズ』という消臭剤が置かれていた。ちなみに『ミッチー』とはその商品のCMに出てくるイメージキャラなのだが、七海が画面を見て『ミッチー!腹黒!ミッチー!』と連呼していたので八洲許もそう覚えたのだ。
それは、さて置いて。
・・・なんとか、正体バレずにやり過ごせたようだな。
寝息を立てている二人を見る限り、お互いに正体を隠せたようだ。もしバレていたらこの部屋は唐突な修羅場と化していたかもしれない。それが避けれたことは幸いだった。
誰にでも人あたりの良いのが七海の良い所だと、八洲許は理解している。だから初対面の美濃に対しても簡単に打ち解けられたし、仲間になる事が出来た。
だが、それは七海が内心で寂しさから来る『心の隙間を埋める行為』ではないかと八洲許は考える。実はこう見えても七海は寂しがり屋だ。彼女を引き取って数年、獣耳が引っ込むまでは人前には勿論出せなかったし、その後の実家でも嫁や伯母からは煙たがられていた。今はその関係は改善はされたが、その間は彼女には酷く寂しい思いをさせてしまった。彼女のお人好しとも取れるその行為はその自分の心の隙間を作ってしまった過去が原因で生まれているのかもしれない。
「このまま何も起きずに終ればいいんだが・・・」
コートを壁に掛けて、静かに眠る二人を見て八洲許はそう呟くのだった。
バリアンの面白き盾「おのれ影胤、姑息な手を・・・」(サルガッソの灯台を墓地に送りながら)
腹黒いブドウの人「でもそうすれば舞さんは振り向いてくれるんですよね!?」ミツザネェ!!
あれ、もう夏世ちん正ヒロイン化してるんじゃねコレ。