巻きに巻きました。
時間の割に短い?…(無言土下座)
「セーリング、ですか…」
ほとんど真夜中まで続いたパーティーから帰ってきた翌日。
久々にぐっすり眠り込んでしまい、目が覚めたのはつい今しがたのこと。旅行とはいえ事前に計画を練っていなかったのが幸いした。そして一足遅く起きてきたところ本日の予定を告げられたというわけだ。兄さんと深雪は海に行ったそうでここにはいない。
「今のところ出港は四時ごろの予定ですが…何か不都合がありましたか?」
歯切れの悪い返事に気を遣ったらしい穂波さんがそう尋ねてくる。
「…僕、船が駄目なんですよね」
そう返すと穂波さんから「あ…」という声が漏れた。珍しいことにどうやら忘れていたらしい。
僕は重度の船酔いを抱えているのだ。かなり昔にニ度ほどヨットなんかに乗る機会があったのだが、いずれもたっぷり魚の餌を提供するはめになった。陸の乗り物は基本舗装された道路を走るからいいが船は乗っている間ずっと波に揺られるからたまったものじゃない。
「すみません、私としたことが失念していました。どうしましょうか…」
こうなると予定を変更するか僕抜きで行くかだろう。けど同乗者の気分を害するのは僕としても心苦しいし、僕のために予定を変えてもらうのも気が引ける。
「あの、差し支えないなら留守番してもいいですか?邪魔になるだろうし、目を汚すことになるでしょうから」
「それは…」
僕の提案はガーディアンとしては受け入れがたいものだったらしい。
「大丈夫ですよ。中学生なんですから、留守番くらいできます。それに自衛できないほど僕は弱くもありませんよ」
「ですが───」
「好きにさせなさい」
冷ややかな声が穂波さんの言葉を遮った。よく陽のあたる居間の、一人用のソファに腰掛けているそいつは目線をこちらに寄越すこともしなかった。
「奥様…」
「…」
自分から口を挟んだくせにそれ以上は何も言わない気らしく、
「…わかりました。ですが、私も残ります」
穂波さんは毅然とした態度で申し出た。そしてあいつの方を見て、文句が出ないのを確認してから僕を見た。深雪とあいつの方は兄さんなら問題ない、と判断したらしい。
「穂波さんがそれで納得できるならいいですけど」
別に一人で…というのは口に出さないでおいた。留守番を強いることへの申し訳なさはあったものの、本人にそれ以上譲る気はなさそうだったから。
西日がさしこむ時間帯になった。
室内から見てもこれほどなら沖へ出ればさぞ綺麗な景色が望めることだろう。…残念ながらそうもいかなかったようだけど。
「では潜水艦を発見したのは偶然だったんだね?」
「はい」
目の前には兄さん、深雪、あいつが国防軍の風間大尉という人とソファに対面に座っている。
海に出た三人は早々に帰ってきた。なんでも所属不明の潜水艦に魚雷を撃たれたという。兄さんのおかげでことなきを得たそうだがこうして聴取に応じているというわけなのだ。ちなみに軍の基地ではなくこの別荘で行われているのはあいつの要望だということだ。
「…」
穂波さんはずっと険しい顔で様子を眺めている。聴取が始まってからずっとこの調子だ。たぶん潜水艦の侵入を許したことや、それを棚に上げて部屋で休んでいた深雪まで呼び出して話を聞くという対応に不満があるのだろう。正直僕も思うところはあるが、それよりも気を引かれることがあった。
それは深雪の意識が兄さんに釘付けになっていること。
その様子を一言で表すなら「感服」。漆黒の瞳は星のような輝きをたたえながらただ一人を映していた。
何があったのか、それ自体は想像に難いことじゃない。三人が無事なのは兄さんが魔法を使ったから。深雪はきっとそれを目の当たりにしたはずだ。
「大尉さん、そろそろよろしいのではなくて?私たちに大尉さんのお役に立てるお話はできないとおもいますよ」
「そうですな。ご協力、感謝します」
ぼうっとしている間に話は終わったようで軍の人たちは玄関に向かっていった。あいつも含め、全員が見送りのために居間を出ていった。
アイデンティティという言葉がある。
自身の存在を定義づけるもの。存在する意味と言い換えてもいいかもしれない。例えば僕にとってのそれは深雪と兄さんだ。
二人の存在がなければ我が家での生活は耐えられなかっただろう。なればこそ、僕は二人に感謝しているし、二人のために生きたいと思うのだ。
「下手に手を出すべきではない」と穂波さんは言った。聞けばなるほど、筋の通った話だ。今の僕が何をしたところで深雪には逆効果だということもわかる。
偶然か必然か、今日一日だけでも効果があったのだからしばらくは今日みたいに二人から離れる時間をつくるのもいいかもしれない───そう理解はしている。
寝返りをうって横向きになる。
僕は邪魔者だ。
深雪と兄さんはたぶん二人だけでよくて、僕が余計なことをしていなければこんなに関係が拗れることは起こらなかっただろう。そしてそれ────つまり二人の障害になることは僕のアイデンティティに著しく反することなのだ。
穂波さんは…愛だとか言ってたけど。でも、僕は普段から深雪にそういう接し方をしているつもりだ。それでうまくいっていないのだから、きっとそれは正しくない。
僕は、何もすべきじゃない。
…瞼が重くなってきた。
まったくもって腹立たしいことに、こんなにも頭を悩ませていても眠気には抗えない。それが現実からの逃げだと、一時のものに過ぎないと、わかっていても。
目を閉じた。
情けない、と靄のかかった頭でそう思う。亜夜子に大丈夫だと言ったばかりなのに、たった一日でこの有様。でも亜夜子はもう、帰ってしまっている。電話なんかして、余計な心配をかけるわけにはいかない。布団を頭からかぶった。
二人の邪魔をしない。今僕ができるのはそれだけだ。だから、いつか何が変わって三人仲良く過ごせるようになるまでは。それまでは、もう少しこの微睡みにすがっていよう。
色々とあった翌日、朝食の席。
私はスクランブルエッグを口に運びながら昨日のことを思い出していた。
やっぱり兄は底知れない人だ。
どうやったのか真っ先にあの潜水艇を見つけて、魚雷の対処までしてみせた。それもCADもなしに、だ。私はといえば何もできなかった。
兄は私より強いのではないだろうかとさえ思う。いえ、ボディーガードが警護対象より強くて危険への対応が速いと考えれば当然のことだけれど…。
私も客観的に見ればかなり優秀な部類の魔法師のはずなのに。あの人はそれををやすやすと打ち破ってしまいそうな雰囲気があった。
「深雪さんはどう思いますか?」
不意にお母様に話を振られる。
「えっと…すみません、ぼうっとしていました」
「本日の予定として琉球舞踊の観覧はどうかという話をしていたんですよ」
返事をすると桜井さんが嫌な顔ひとつせずにそう教えてくれた。壁にかかったディスプレイをみるとなるほど、公演の案内が映し出されている。
「私も面白そうだと思います」
素直に思ったことを返すと桜井さんは頷いた。
「ではお車の手配を。ただ…」
言い淀んだ桜井さんは視線を兄と倫也のほうに滑らせた。
「この公演は女性限定なんです」
言われてみれば確かに案内にもそう書いてある。
「そう…」
お母様は少し考えてから兄と倫也の方を見た。
「達也、確か昨日の大尉さんに基地に誘われていたわね?いい機会だから見学して来なさい」
「わかりました」
「倫也、あなたも達也について行きなさい」
「…言われなくても」
兄も倫也も無表情にそう答えた。倫也がお母様に対して無愛想なのはいつものことなのでだれも気に留めなかった。それよりも…
「あの、お母様!」
気づけば私は声をあげていた。
「私も…に、兄さん達と、一緒に行ってもいいですか?」
基地に到着すると訓練場に案内された。今はロープ昇降の訓練、それも魔法を使用してのものが行われている。思っていたより魔法師が多いあたりそこは国境最前線ということなのだろう。
隣で同じように訓練の様子を見ている兄を窺う。少しだけ追及してきたお母様を誤魔化して意気揚々とついてきたはいいものの、今のところは何かするでもなく本当にただ見学しているだけ。なんだか随分と拍子抜けだった。
そんなことを考えているうちにロープの訓練が終わって今度は組手が始まった。私は武道を習ったことがないので本当に何もわからない。しばらく何を感じるでもなく組手を眺めていると風間大尉が兄に声をかけた。
「司波君、見ているだけではつまらないだろう?組手に参加してみないか?」
「そうですね…」
兄は一瞬だけこちらを見てから「せっかくですからお願いします」と答えた。
…もしかして私に気を遣ったのだろうか。そう思い至った途端、肩がずしりと重くなった。
基地に招待されていたのは兄だ。私ではない。それに私がついていくことが決まった時、兄は今日一日───少なくとも形式上は───私の兄として振る舞うことをお母様に許されていた。だから今くらいもっと自由になれるはずなのに。兄は今もただの同行者でしかない私を優先してくれた。そのことがひどく申し訳なかった。
けれど同時に、少しだけ期待している私がいた。
もしかするとまた兄の大立ち回りが見られるかもしれない、と。
そして私の期待はすぐに現実のものとなった。
兄は大人、それも軍人を続けて三人相手にして苦もなく勝利して見せたのだった。
・倫也
確固たる『理想の自分』を持っているがゆえに現実とのギャップに苦しむ。自分が二人の邪魔になっていると感じている。実際のところ二人の関係は原作よりいいので勘違い。
・深雪
さすおにの片鱗を見せ始めているが、お兄様を意識するあまり倫也のことを忘れている。
はい、短くてすみません。でも自分なりにそろそろ見せ場が来ないとやばいと思った次第でして…いや自分のせいなんですが。