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「そういう笑顔も浮かべられるんだな」
それは、皮肉でもあり、純粋な驚きでもあった。
彼とは僅かな付き合いではあるが、私の彼への印象は寡黙な仕事人だ。それこそ機械のように為すべきことをなし、その顔に感情を浮かべる事などほとんどなかったのだ。
そんな男が珍しく笑みを浮かべていた。
口角を上げて、歯を見せて、大声を張り上げるような笑いではない。まるで、自分の子供でも見るような慈愛に満ちた微笑みだった。
「……誰だって、自分の料理をあんなに美味しそうに食べてくれたら嬉しいだろ?」
彼は、私の顔を見て少しだけ呆気に取られた後、恥ずかしそうに顔を背ける。
視線の先には子供たちがいた。紛争に巻き込まれ、家も親もいない。そんな彼ら彼女らが、今この瞬間だけは幸せそうな笑みを浮かべていた。
限られた食料、不十分な厨房設備でよくあれだけの料理を作る。それでいて、明日以降のことも考えながら献立を考えているのだから恐れ入る。
「料理人にでもなった方が良かったんじゃないのか?」
冗談めかすように言うと、彼は小さく首を振る。
「一度は考えたこともあるけど、それだけだと駄目なんだ」
彼は遠くを見る。まるで、ここではないどこかを見つめているようだった。
「オレは、正義の味方になりたいんだ」
「正義の味方? ヒーロー?」
あまりに予想外の答えで、私は思わず聞き返してしまう。私の彼に抱いている印象とあまりに符号しない。
彼は合理的で、職人肌で、大人としての落ち着きがあり、現実的な人だと思っていた。
──それこそ、必要に迫られれば、目の前で食事を楽しんでいる子供たちと同じ年齢くらいの少年兵を、眉一つ動かすことなく殺せるくらいには。
「……意味がわからない」
口をついて言葉が出てくる。
彼のことが少しも理解できない。
彼の行動は常に合理的であり、そこに一切の矛盾がない。だからこそ、彼の言動に嘘を感じさせない。だというのに、人助けという、合理的とは程遠いことを行動原理としているという。
機械的に人を殺せる冷たさと、見ず知らずの人間の幸せを自分の喜びのように笑える人間的な暖かさが同居している。
本当に理解不能だった。気味が悪くすらある。
「……そうだよな」
しかし、目の前の男は、そんな反応も慣れたものなのか、特に気に留める様子もなく小さく笑みを浮かべる。
その反応に、自分でもよく分からないが、妙に腹が立ってしまった。自分は彼のことを理解しようとしてるのに、向こうは理解なんてする必要がないと突き放されているようで。
「どうかしたか?」
「……なんでもない」
無意識のうちに睨んでしまっていたようだ。彼が不思議そうにこちらを見ていた。誤魔化すように首を振って、話を続ける。
「もっと大人だと思ってたよ。まさか、あんたの口から、正義の味方なんて聞くことになるとは思わなかった」
「意外か?」
「ああ、全く似合わないね。それに、叶いっこない夢だよ」
自然と語気が強くなる。別に喧嘩を売っているつもりはないのだが、なぜか苛立っている自分がいた。
「この世の中に、正義のヒーローが悪の親玉を倒してめでたしめでたしで終わる様な単純な問題なんてはないだろう? 互いに引けない事情があって、譲れないものがあるから他者を踏み躙る。結局は殺し合いになるだけだ」
吐き捨てるように言い切る。それは、自分に向けた言葉でもあった。
この世界に、理想や正しさだけではどうにもならないことは山とある。自分を汚し、現実と向き合う覚悟の無い者には何も守れはしない。それが現実だ。
「あんたは自分のやってることが正義の味方だって胸を張って言えるのか?」
「……胸を張っては言えないだろうな」
苦笑いをしながら答える彼を見て、チクリと罪悪感が胸に刺さった。短い付き合いだが、彼がどれだけ周りの為に体を張り続け、手を汚し続けてきたのかは見てきた。
その行為には、多くの葛藤があったはずだ。それでもなお、彼は折れることなく、弱みを見せることなく、戦い続けてきた。
その行動にケチをつける資格など誰にあろうか。少なくとも、彼に助けられたことのある私がしていいことではないだろう。
「……ごめん、子供達の前で話すことじゃなかったな」
「構わないさ。それに、言ってることは間違ってないと思う」
彼はそう言い、自分の手をじっと見つめる。傷だらけで、マメが出来ては潰れ、硬くなった手だった。そこには、きっと数え切れないほどの命を奪ってきたのであろう痕跡が残っている。
「……理想に手を伸ばせば伸ばすほど、自分の小ささを思い知る。綺麗事だけで世界は回ってくれない。結局俺のしていることは、俺が肩入れしている相手を生かす為に他者を切り捨てているだけなのかもしれない」
それでも、と彼は続ける。
「ここで、足を止めたら永遠に届かないことだけは確かだ」
「……どこに続いてるかも分からないのに、歩き続けるんだ」
彼は私の問いに、何の躊躇いもなく首肯する。
バカだなと思った。その道行の果てがどこに繋がっているのかは分からないが、その道中が茨の道であることだけは分かっている。
足を進める度に、その身を刻む傷は増えていく。それを知って尚、彼は進み続けていくのだ。どこに続くかも知れない道を。
何が彼を歩ませるのか、その根底にあるものは一体なんなのか。私には想像もつかない。だけど、これだけは分かる。彼は、ただ自分の信じたものに従っているのだろう。邪念など入る余地が一切無く、ただひたすらに前を向いている。
──それが、ほんの少しだけ羨ましくあった。
「……悪いけど、あんたのことは、何一つ理解できない」
私は彼に背を向ける。これ以上この場にいたら、余計なことまで言ってしまいそうだった。
それでも耐え切れず、一つだけ付け加える。
「けれど、もしこの世に、正義の味方なんて存在があるなら、それはきっとあんたみたいなバカじゃないとなれないんだろうと思う」
それだけ言って、私は足早にその場を去ろうとする。自分でもよく分からないが、少しでも早く彼から離れたかった。
嫌悪感からではないと思う。自分でも分からないこの感情に、少しでも目を背けていたかった。
「……ありがとうな」
頭にポンと手が乗せられる。ゴツゴツとして、傷だらけで、それでいて暖かい手だった。
女性の頭に気安く触れるなと、文句を言いたかったはずなのに、彼の顔を見たら何も言えなかった。笑っていた。子供達に向けているのと同じ慈愛に満ちた微笑みだった。
「……子供扱いはやめて。あと、髪が乱れるから頭撫でないで」
ようやく絞り出せたのは、そんな可愛げのない言葉だけだった。言葉と裏腹に、振り払うこともせず、されるがままにしているが他意はない。
「悪い。配慮が足りなかったな。次からはしない」
彼が苦笑しながら離れる。彼の手の温もりが消えたことに、少し寂しさを感じてしまうのは気のせいだと自分に言い聞かせる。
後ろめたさを振り払うように、今度は振り返ることなく歩みを進めた。
◇◆◇
「……あんたも、泣けるんだな」
それは、皮肉であった。
彼が、鉄でできた身体の内側に、人間としての温かさがあることは分かっていた。
しかし、それは自分に向けられることはないだろうと思っていた。だから、妙に恥ずかしくて、照れ隠しについ憎まれ口を叩いてしまった。
「……当たり前だ。オレも、人間だぞ」
「どうだか。機械みたいな狙撃の腕しててよく言うよ」
揶揄う様に笑いたかったが、代わりに口からは赤黒い血反吐が出た。
それを見て、彼は悲痛な表情を浮かべる。我ながら、性格が悪いと思うが、彼が自分のために泣いてくれたことを嬉しく思っている自分がいた。
「……ありがとう。お前のお陰で助かった」
「どういたしまして。これでちょっとは、庇われる側の気持ちが分かったか?」
「……すごくキツイってことは、よく分かった」
冗談めかして言ったつもりだったが、真面目な顔で返された。思わず笑みが溢れてしまう。
そんなことを思いながらも、自分がそう長くないことを悟る。腹に空いた2つの風穴は、位置的に内臓に達しているだろう。出血は止まらず、手足の指先は既に感覚がない。視界は霞み、意識が徐々に遠のいていく。
しかし、不思議と悪い気分ではなかった。この世に未練はあるし、生きてやりたいこともある。だが、自分のしたことへの後悔はなかった。彼と交流して、多少なりとも影響を受けたのかもしれない。
彼がなぜ、故郷でもない国で、見ず知らずの人間の為に身体を張り続けるのか、その理由がほんの少しだけ分かったような気がする。
自分の行為が誰かの為になるのは悪い気分ではない。こんな自分でも胸を張って生きて良いのだと思える。それが憎からず思ってる相手なら尚更だった。もっとも、彼の場合はその憎からず思ってる相手の範囲が広く、憎いと思ってる相手でも助けるだろうが。
「……あんたは、これからも自分の生き方を変えないんだろう?」
「ああ。俺は、俺が守りたいと思ったものを守るだけだ」
その答えは、予想通りのものだった。
迷いなく答える彼を見て、やっぱり理解できないなと思う。だが、同時にどこか羨ましいと思ってしまう自分もいた。
どうしようもない理不尽な現実があるのだと分かっていて、それでも青臭い理想を抱いて挑み続ける。その姿は、どこまでも眩しかった。
「あんたのことは、最期まで理解できなかったよ」
「……そうか」
「でも、嫌いじゃなかった。こういう人も居るんだなって、こんな生き方もあるんだなって、ほんの少しだけ憧れた」
自分だったらそんな生き方は真っ平ごめんだが。それでもこういう人間だからこそ、救えるものはあるのかもしれないと思った。
「オレも、お前のことは好きだった。短い間だったが、一緒に戦えて良かった」
「……そいつは光栄だね。最期に聞けて良かったよ」
そろそろだろうか。
いよいよ、目蓋が重くなってきた。
「なあ、最後に一つ頼みを聞いてくれないか」
彼は真剣な眼差しでこちらを見つめる。
「……手を、握ってくれないか?」
我ながら子供じみたことを言っているなと思う。最期くらい格好つけたかったなと心の中で思うが、口から出たのは情けないお願いの言葉だった。
「…………」
彼は黙ったまま手を握る。
その体温を噛み締めるように、自分の手を強く握り返した。
「……ありがとう」
彼は私の感謝に返事をすることなく、ただ強く手を握ってくれていた。その優しさが、今はただただありがたかった。
目蓋がゆっくりと閉じられる。暗闇の中に落ちていきながら、彼の顔を目に焼き付けるように、その瞳をじっと見続けた。
迷いなくいつも前だけを見据えているその瞳は揺れていた。顔に温かいものが落ちる。随分と温かい雨だった。
「……馬鹿だなあ」
他人の幸せを自分のことのように喜べる良い奴の癖して、たかだか数ヶ月の付き合いの人間が目の前で死んだ程度で泣ける感性があって、確固たる自意識があるというのに、いざとなればそれらを別の場所に閉じ込めて、私情を殺してするべきことを全うする。
正義の味方になんてならなくても、彼の人間性は人を幸せにできるものなのに。これからも他人に理解されずとも、自分の信じた道へと走り続けていくのだろう。
それが心苦しくあった。
叶うことなら、1人でも多くの人間が、彼の罅割れた硝子の心から零れ落ちる人間性に気付いてやって欲しいと思いながら、意識を暗闇へと溶かした。