未読の方はご注意ください。そして、未読の方で衛宮士郎が好きな方は是非6〜8巻をご一読ください。士郎が好きなら絶対に後悔しない内容になっています。
「──正座」
有無を言わさぬ圧で、射殺さんばかりの眼光で、遠坂はそう命じた。声音は震えるほど冷たく、全身の肌が粟立つ。
今回の件で、ゾッとする様な経験はたくさんあったけれど、その中でも群を抜いて恐ろしい。額に一筋、汗が垂れた。
「……遠坂、俺も一応病み上がりというか──」
「──正座。聞こえなかった? それとも、海外長いから日本語じゃ無い方が良かったかしら?」
「……はい。正座します」
大人しく、部屋の床に正座する。
フローリングが冷たい。膝の骨が固い床とぶつかって、ゴリゴリと音をたてた。床は、よく見れば埃が多くこれは後で掃除しないとな、なんて現実逃避をしつつ、上からの視線に耐えかねて、遠坂を見上げる。
「…………」
遠坂は腕を組んで、仁王立ちをし、視線はこちらから一切逸らさない。見下ろされている都合上、先ほどより威圧感が凄まじい。
もはや、あかいあくまなんて表現は生易しい。鬼とか、閻魔大王とか、いっそ魔王とか、そういう類の存在だ。
もっとも、そんなことを言ったら火に油を注いでしまうのは目に見えているので、口が裂けても言えないのだが。
「さて、衛宮くん」
「……はい」
「私が、どうしてあなたに怒っているのか分かるかしら?」
「それは……」
必死になって考える。
正直に言って、心当たりなど山ほどある。あり過ぎて、何から言えば分からないほどだ。だが、初手で見当はずれなことを言ってしまえば、怒りのボルテージが上がってしまうのは明白だろう。
故に、ここは遠坂が最も怒っているであろうことを言うべきだ。そして、それはおおよそ検討がつく。伊達に付き合いも短くない。遠坂の逆鱗は、ある程度把握しているのだ。
「勝手に、遠坂から貰った──」
「──まさか、私のあげた宝石を勝手に使って悪かった、なんて言わないわよね」
満面の笑みで、されどその目は一切笑わず、遠坂はそう言った。それは、長い付き合いだから分かる。遠坂の怒りが頂点に達した証だ。
「いや、その、……違う」
「そうよね。安心したわ。まさか、長い付き合いなのに、私が命の危機に宝石を使ったことを咎める様な狭量な人間だなんて、衛宮くんに思われているわけ無いものね」
「あ、当たり前だろ……! それに、宝石代だって、ルヴィアさんのところのバイトで何ヶ月かかってでも返そうと思って……」
そこまで言いかけて、口を閉じる。
遠坂を見れば、笑顔のまま、青筋だけがビキビキと浮かんでいる。拳は握られ、わなわなと震えているのは気のせいだと思いたい。
「……ルヴィアさんのところで何ヶ月も通って、ね。ふーん、随分と仲良いわね。衛宮くん。羨ましいわ」
どうやら、火に油を注いでしまったようだ。遠坂の笑顔は、もはや怒りを隠そうともしていない。その身は地獄の業火に焼かれているかの様に、怒気に震えている。
何とか話題を変えなければ、そう思えば思うほど、頭の中は真っ白になっていく。
「…………」
そんな俺の様子を見て、遠坂は天を仰ぐ。そして、顔を俯かせ、深く深く、それこそ地の底から響くように、ため息を吐いた。
そして、もう一度俺の方を見た。その顔は少しだけ冷静になったかのように見える。一方で、瞳の奥には隠しきれない怒りが燃えていたが。
「……宝石なんてどうでも良いわよ。士郎が無事ならそれで良い」
遠坂は吐き捨てるようにそう言った。
その言葉は、こちらの身を本気で案じてくれて出たことが伝わってきて、嬉しく思うと同時に、罪悪感がふつふつと湧いてきた。
「遠坂……ごめん」
「……それは、何に対する謝罪よ」
「……無茶して、遠坂に心配かけた」
「いつもいつも、騒動の度にボロボロになってるのに、無茶してる自覚はあったのね。安心したわ」
皮肉たっぷりに、遠坂は言う。
「……悪い」
「悪かないわよ。これで、無茶してるつもりは無い、なんで言い出したら、ガンドで蜂の巣にしてやろうかと思ったわ」
ふんと、鼻を鳴らして遠坂は言う。態度と裏腹に、怒気が少しずつ萎んでいくのを感じた。
「……身体の具合はどうなの?」
「身体はちょっと重たいけど、痛みとかはほとんど無い。こっち来てから、調子がずっと良いみたいだ」
「……やっぱり、気づいてないのね」
「気づくって、何にだよ」
「……何でもない。こっちの話」
呆れるように、遠坂はそう言った。
気になる気持ちはあるが、直感的にこの話題を続けるのは良くない気がした。藪蛇を突きかねない。
「今更無茶するな、なんて言うつもりはないわ。それが士郎って人間なんだって分かっているし、士郎はそうでなくちゃいけないとも思ってる。実際、士郎みたいな人間じゃないと救えない命だってあるでしょうしね」
そう言いながらも、その表情は思うところはあるようで、眉間に皺は寄り、その視線は相変わらず鋭いままだ。不機嫌さを隠そうともしていない。
「……ただ、これだけは言わせて頂戴」
「ああ」
「私は士郎に死んで欲しくない。1人の友人として、それが私の願いよ。少なくとも、一般人を平気で傷つけて、私の大切な友人を傷つけるような奴まで助けようとして傷ついて欲しくなんかない。それは分かってくれる?」
何も答えることができない。
遠坂の言葉が、何を指しているのかは分かっている。今回の件、俺は少女を助けようとして、マフィアに大人しく投降した。相手を殺さずにその場を切り抜ける自信がなかったのだ。そして、その際に決して浅くない傷を負った。
殺されるまではいかないだろうと思っていたし、結果として自分も少女も命を落とさなかった。だけど、そんなことを言っても、それで納得してくれる相手じゃない。
何より、おそらく何度あの場面に遭遇しようとも、俺は同じことをする自信がある。だから、遠坂の望む答えを言うことができなかった。
「……納得していないみたいね」
こちらの心中を見透かすように、遠坂は言う。図星を突かれて、思わず顔を背けた。その仕草が気に食わなかったのか、遠坂の眉間の皺はさらに深くなった。
「へっぽこ魔術師の癖にちょっとは強くなったと思ったら、危なっかしさは全く変わらないんだから。……強くなって余裕ができた分を、少しは自分を守る方に回して欲しいわね」
「…………」
「……ま、士郎の性格なら、この先どれだけ強くなっても、無茶する規模がデカくなるだけで、危なっかしさは変わらないんでしょうけど」
ため息まじりに、遠坂はそう言った。それは呆れながらも、こちらを慮る言葉だった。
その遠坂らしい不器用な心遣いが、純粋に嬉しかった。それと同時にその心遣いを無碍にしている現状が、ひどく心苦しかった。
「こら、そんな顔しない」
「痛っ」
ペチンと遠坂にデコピンで額を叩かれる。結構痛い。
「別に士郎を虐めるために言ったんじゃないんだから。そうやって私の言葉を聞いて悩んでくれただけでも、私は嬉しいわ。士郎なりに私の言葉と真剣に向き合ってくれたってことでしょ?」
「遠坂……」
「──誰かの為になりたいって思いが間違いのはずが無い、でしょう?」
遠坂は、いつものように自信げに笑みを浮かべてそう言った。
その言葉は、かつて俺が遠坂に言ったものだ。ちょうど今と同じように、他人である俺の為に本気で向き合ってくれた目の前の少女を見て、そんな言葉が自然と湧いて出てきた。
「士郎のやっていることは間違いじゃない。だったら、あとは現実とどう折り合いをつけるか。精々、私のうるさいお小言をちょっとでもその助けにして頂戴」
「……ありがとう、遠坂」
俺の言葉に遠坂は満足そうに笑みを浮かべる。その笑みを見て、胸の奥に暖かいものが満ちていくのを感じた。
遠坂は俺を信じてくれている。俺のやっていることを認めてくれている。それは、衛宮士郎にとってこの上なく幸福なことで、心強かった。
『──世界の誰だって、いつだって、力の限りに頑張っている』
特に意識もせず、自身からこぼれ落ちた言葉。チェンソーで肩口から切り裂かれ、激痛と出血多量で意識が朦朧となり、死と限りなく近い状態で、口からこぼれ出た言葉が脳裏をよぎる。
『──だから、俺はみんなが頑張ってるのを、ほんの少しだけ手伝ってあげられる『味方』になるんだ』
それが綺麗事だって分かっている。
今回は誰の犠牲も出さずに、騒動は終結したけれど、世界は正解の無い問題で溢れている。選択肢は揃って複雑で酷薄で、制限時間までついている。誰かの『味方』をすることで、誰かの尊厳を踏み躙り、誰かの命を奪うことになるかもしれない。
それでも──
「……最近、よく笑うようになったわね」
小さい子供を見るような優しい目で、遠坂は俺を見ていた。顔を触る。意識はしていなかったけど、どうやら、俺は笑っていたらしい。
「……昔の俺って、そんなに笑わなかったか?」
「人並みよりは確実にね。士郎は考えていることはすぐに顔に出る素直な性格だから尚更目立ったわ」
「……そっか」
昔、美綴にも似たような事を言われたような気がする。
今と昔、自覚はないけれど、外から見る自分は大きく変化しているのかもしれない。それが良い変化なのかは今はまだ分からないけど。
「──もし、昔より笑えているんなら、それはきっと遠坂のおかげだ」
「え……?」
遠坂は、予想外の言葉に面食らったように目を丸くした。そして、言葉の意味を遅れて理解したのか、見る見るうちに顔を赤くする。
「な、何言い出すのよ突然……!」
「なんでさ。思った通りのこと言っただけだってのに」
「そ、そんなこと急に言われたらびっくりするじゃない!」
赤い顔でこちらを一睨みして、遠坂はプイっと顔を背けた。そして、そのままぶつぶつと文句を言い続ける。それを見て自然と口元が緩む。今度はちゃんと今笑っているなと自覚があった。
遠坂と一緒に居れば本当に飽きない。毎日が新しい発見と驚きの連続だ。遠坂といると、日々の何気ないひとときが宝石みたいに輝いている気がする。遠坂と話す時はもちろん、毎日の炊事や掃除。これら全てが遠坂のことを思いながらするだけで心が弾むのだ。
「……本当に、眩しいな」
世界の誰もがいつだって力の限り頑張っている。だから、頑張っている誰かの味方になりたい。
綺麗事だ。それは分かっている。だけど、遠坂みたいに毎日を必死に生きている人達の『味方』で在れたなら、それはきっと何にも代え難い素晴らしいことだと思うのだ。
「……遠坂。俺、もっと頑張るよ」
「え?」
「世界の誰もがいつだって力の限り頑張っている。だからそういう人たちをほんの少しでも手助けできるような味方になりたい」
難しくても、最後まで足掻き続けたい。現実を知らない青臭い願いだと言われても、この願いを捨てることだけはしたくない。
だって、この願いはきっと、間違いなんかじゃないのだから。
「……そう」
そんな俺の決意表明に、遠坂は短く答えた。
その声音には呆れと、ほんのちょっとの寂しさが感じられた。だけど、それは一瞬のことで、すぐにいつもの自信に満ちた声に戻った。
「なら、私はそんな士郎のことを自分の夢のついでに応援するだけね。……まあ、あんまりにも危なっかしいことしたら止めるけど」
「ああ。ありがとうな、遠坂」
「……別にお礼を言われる筋合いじゃないわよ。ただのお節介なんだから」
ツンとそっぽを向いて、遠坂は言う。
ただのお節介なんかじゃ無い。遠坂への感謝と敬意は絶対に忘れないと心に誓う。
「……やっぱり、ちょっと変わったわね士郎」
「そうか?」
「うん。前より、ほんの少しだけ大人になった気がする。……ちょっとだけ寂しいけどね」
そう言って、遠坂はわざとらしく肩をすくめた。
「……ちょっとは成長できているって思っていいのかな」
「ま、無茶ばかりやって、危なっかしいのは一生変わらないんでしょうけどね」
「うぐっ、……それはまあ、その」
何か言い返したかったが、包帯男になっている今の状態で言っても何の説得力も無いなと、口をつぐむ。
遠坂はそんな俺を見て、可笑しそうにクツクツと笑った。どうやら、今の俺は完全に手玉に取られているらしい。
「……まあ、でも」
「ん?」
遠坂はそこで言葉を区切ると、俺の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、見惚れるような綺麗な笑顔で言った。
「──そんな士郎だから、私は応援するんだけどね」
言葉を失う。心臓が脈打ち、顔が、耳が熱くなるのを自覚する。遠坂はそんな俺を見て心底楽しそうに笑った。俺は真っ赤な顔で俯くしかない。
「あれー? 士郎ったら照れてるの?」
「……うるさいぞ。照れてない」
精一杯の強がりを言うも、顔に血が昇っている状態で言ったのだから何の説得力も無いだろう。自分の分かりやすさに頭が痛くなる。
そんな俺の様子を見てひとしきり笑うと、遠坂はふと時計を見た。
「あ……もうこんな時間か」
「そろそろ足崩しても良いか? いい加減足の感覚が無くなってきた」
先ほどからずっと正座をしたままの両脚は、痺れを通り越して感覚が無くなりつつあった。
場の空気もすっかり弛緩している。遠坂の機嫌も直ったようだし、そろそろ足の痺れとの格闘にも決着をつけても良いだろう。
「何言っているの? 駄目に決まっているじゃない」
「…………へ?」
肯定の返答を期待していたところに、否定が帰ってきて目が点になる。
「え……いや、だって足が痺れて……」
「ええ、そうね。だから何?」
「いや、だ、だから足の痺れをなんとかしたいなーと。その、説教もひと段落したところだし」
「ええ。たしかにひと段落したわね」
「う、うん。だから足の痺れを」
「──士郎?」
俺の言葉を遮るように、遠坂が名前を呼ぶ。その声音は優しげで柔らかいのに、何故だか身体が自然と震えてしまう。背筋に冷たいものが走る。嫌な予感しかしない。
「まだ話は終わってないでしょう? さっきまでは無茶したことに対しての説教。今からは、あなたの能力を人前で惜しげなく披露したことへの説教を始めるわ」
満面の笑みで、遠坂はそう言い放った。
「前に、人前で投影を使うなって言ったこと、覚えていなかったかしら?」
「え、えーと……」
冷や汗が流れる。そんな俺を見て、遠坂はゾッとするほど美しい笑みを浮かべた。
「最後に固有結界を使ったのはまだ良いわ。あの場ではあれ以外に選択肢は無かったし。エルゴの仮面を完成させる為に投影を使ったのも許容しましょう。でも、あの程度のマフィア相手にアーチャーの双剣を投影したのはどういうことかしら?」
「それは、その」
「士郎は知らないだろうけど、東洋人が曲刀らしき二振りの剣を持ってマフィアと争っていたと噂になっていたわよ」
「うぐっ……」
それは初耳だった。いや、そもそも噂になる程大きな出来事だとは夢にも思わなかった。遠坂の怒りが本物であることも合わさり冷や汗が止まらない。
「士郎は、自分の能力の特異性への理解が乏しいようだから、封印指定される前に、ここでしっかりと叩き込んであげる。……安心しなさい。今日はたっぷり時間があるから、ゆっくりと指導してあげる」
第二ラウンド開始のゴングが、心の中で鳴り響いた。
時の移り変わりとともに変わっていくものだらけの中で、遠坂との上下関係はきっとこれからも変わらないのだろうな、と現実逃避気味に考えた。