それから必要な書類へのサインや説明を私達にしてくれた後、森村さんはまた来ますと言って帰っていった。
玄関でその背中を見送ってから、私は母さんに聞いた。
「本当に良かったの?」
「編入の話? もちろんよ。レースの賞金払いがなくても、スカウトされるのなら私は後押ししたわよ」
優しい顔でそう言う母さん。けど、その言葉には大分無理しているように見えて仕方がなかった。
現状働いているのは私と母さんだけ。私の稼ぎはハナクソみたいなもんだけど、それでも母さんの負担は増えてしまう。それに────
「――――妹や弟に寂しい思いさせちゃうね」
「そこは大丈夫よ、きっと。あなたが頑張る姿が励みになると思うわ」
玄関から右手側、私達の寝床では眠い目を擦りながら起き上がろうとしている弟妹達。私もそろそろ学校の準備をしなきゃいけない時間帯だ。
ていうかこんな朝っぱらからスカウトに来るのはなかなか度胸ない? まぁうちは4時とかから明かりついてるけどさ。
「そろそろラビも準備しなきゃいけないんじゃない?」
「そうだね。編入の話もしなきゃなぁ……」
それからは今通う学校へ話を通したり、改めてトレセン学園にまつわるアレコレを説明されたり、制服等の採寸、その他もろもろ────あっという間に時間が過ぎて、ついに入寮の日を迎えた。
編入前日は今通っている学校のクラスメイトが盛大にお別れ会を開いてくれて、ちょっと恥ずかしかったけどとても心が温まった。家のこともあるからあんまり友達と遊んだりしたってことはほとんどなかったんだけど、それでもこうやって祝ってくれるくらいには絆があったんだなって感じた。
トレセン学園自体はそれなりに近所だし、徒歩でも十分歩いていける距離。それでも余裕を持っていくために少し早めに出ることにした。
「それじゃあ、行ってくるね」
「お姉ちゃん、元気でね! レース出るときは絶対に行くから!」
めいっぱいに手を振りながら見送ってくれる弟妹達。離れ離れになるとはいえ、遠くに行くわけではないから寂しさはあんまり感じてないっぽくて安心した。
「これから大変だと思うけど、怪我にだけは気を付けるのよ」
「うん、分かってるよ母さん」
「それから、餞別にこれを送るわ」
そう言って、母さんは私の手に何かを握らせてくる。母さんが手を離すと、そこにはイヤークリップ付きの耳飾りが添えられていた。イヤークリップ側は白ウサギをモチーフにしていて、耳飾り側は王冠をモチーフにしている。あれ? これってもしかして――――
「これって、母さんが現役時代に使っていた……?」
「ええ……質に入れないで良かった。きっとあなたに似合うわよ」
「いやいや、こんな大事なもの、おいそれと渡されても……」
「いいのよ。使ってくれたほうがこの耳飾りも喜ぶと思うから」
優しく笑う母さん。現役時代はG1も勝ったことあるような人からこんなものを渡されるとは。うーん……こう、俄然やってやろうって気持ちになる。母さんの走りに違わぬ走りを出来るようにしたいね。
「それじゃあ、行ってきます!」
「「「いってらっしゃい!」」」
そうして、私は晴れて競争ウマ娘としての一歩を踏み出す。家族の生活のため、そして応援してくれる人達の想いに応えるために。
さて、歩きながら書類にもう一度目を通していると、私が入寮するのは栗東寮と書かれていた。もう一つ美浦寮というのがあるらしいけど、それほど大きな違いはないらしい。あらかじめ必要な荷物――――といっても、貧乏たる私にろくな荷物はないのだけど――――は送っておいたので、今日持ってきたのは最低限の身支度品だけ。
指定された場所である校門前で待っていると、それはもう宝塚で踊ってそうなくらいキレイなウマ娘が迎えてくれた。
「はじめまして、ポニーちゃん。君がスノーラビットかい?」
「あ、はい。スノーラビットです」
軽くお辞儀。しかし、この人めちゃくちゃ顔が良いな。絶対沢山のウマ娘を虜にしてるやつだ……。
「私はフジキセキ。君が入る栗東寮の寮長だよ。分からないことがあれば何でも聞いてね」
「ありがとうございます。えっと、寮は2人1部屋って聞いたんですけど、もうルームメイトが決まっていたりするんですか?」
「そうだね、まぁ寮に向かいながら説明しようか」
そう言って歩き出したので、道すがらいろいろな説明を受けながらそれに付いていく。
そんな中、すれ違うウマ娘が結構ちらちら見ては噂を立てていたように見えたけどそう言うのは普通なんだろうか?
「うーん、中途入学は毎年いるけど主に地方のトレセンからだしね。君みたいなのは本当に珍しいよ」
フジキセキさんが続けるには基本的に地方のトレセン学園に所属している子が優秀な成績を収めたときにスカウトされたり自分から編入試験を受けるのが多いのだそうだ。それでも活躍する人はあんまりいないのだとか。
「あ、そろそろ見えてきたよ。あそこが栗東寮、君がこれから過ごす場所だよ」
フジキセキさんが指差す先にはとても立派で大きな寮があった。本当に広いな、何人住んでいるんだろうか。
そのまま促されるように寮内に入り、靴箱に靴を閉まって予め送っておいたスリッパを履く。
「それじゃあ、君の部屋は3階の34号室。そこにネームプレート掛けてる場所があるんだけど、登校とかで外出するときには必ずプレートを裏返して、戻ってきたらプレートを元に戻すこと。配達物とかがあったら、ネームプレート掛けるとこにその旨の書置き吊るしておくからね。それから――――」
それからしばらくは、簡単な寮について説明を受けた。
聞いていた感じは共同生活であるから、お互いに配慮した生活を意識すればいいみたい。冷暖房とか最低限の家具は揃っているらしいし、何よりご飯に困らないのは本当に嬉しすぎる。家族に分けてあげたいくらいだ。
ただ、洗濯とかは結構大変そうだなぁ。各階にあるみたいだけど、そこまで数がないみたいだし、うまく時間見つけないといけないと。
「ここまでで何か質問ある?」
「いえ、特には。分からなかったらまた聞くようにします」
「ん、了解。最後に君のルームメイトはプレートの隣も見たから分かると思うんだけど、キングカメハメハだ。今はまだトレーニングで帰ってきていないけど、そろそろ帰ってくると思うよ」
なるほど、キングカメハメハさんか。どんな人だろう。優しい人だといいな。